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付録2:デジタルネンド・ネーミング裏話
    〜ネンドか、プロックか、ボクセルペイントか?〜



文:中ザワヒデキ(マルチメディアアーティスト)

リード:
 このたびアスク講談社から発売された3Dツールは、「ビットマップ3D」という人類史上初の事態を現出しました。その全く新しい視覚と生理感覚をどう呼んだらいいか、つまりこのソフトのネーミングにわれわれ開発陣は随分気を使ったものです。結局「デジタルネンド」という大変適切な名前に落ち着いたわけですが、この稿で私が記すのはそこに至る経緯や、開発裏話等です。それは本ソフトの理解に、少なからず役立つことでしょう。また、マック版の発売開始後多くの皆様から「ブロックに見える」という率直なお声をいただいておりますことへの、ご説明でもあります。なお本稿は、私の記したテキスト「視覚芸術史における『デジタルネンド』誕生の意味」を補足する付録のひとつとして書かれました。

目次:
§1 発案当初
§2 アスク講談社さんへの最初の説明
§3 「ネンド」の語の独走
§4 MacWorld Expo '96での感触
§5 コピーとしての「デジタルネンド」
§6 「3D」VS「3次元」論争


●●§1 発案当初
 私がこのソフトの骨子を発案したのは5年前の1991年のことでしたが、その時点ですでに私は、メタファーとして「ネンド」の語を考えていました。そしてサルブルネイの松本弦人氏に、「『Swivel 3D』を触ってみて思ったのだが、これとは違う、ビットマップの3Dソフトというものは、存在するのか?」というような意味のことを尋ねたときに、この「ネンド」のメタファーを使って私の考えを説明したのです。すなわち「2次元ペイントソフトにおける個々の正方形のドットは、絵の具における絵の具の分子に相当するものである。ではネンドにおけるネンドの分子に相当するものが、立方体のドットとして表されているような、3次元ソフトは、あっていいはずだと思うのだが……」というような言い方においてです。もっと正確に言いましょう。
[1]まず、2次元のビットマップペイントツールの、3次元版ソフトとして、発案した。
[2]ところで2次元のビットマップペイントツールは、「絵の具」をメタファーとして解釈されうる。この場合2次元ペイントツールでの正方形のドットが、「絵の具の分子」に相当する。
[3]現実世界において「絵の具」が2次元の視覚物質であるなら、現実世界における3次元の視覚物質は「ネンド」であると考えられる。
[4]したがって上記[1]で発案した3次元のビットマップペイントツールは、「ネンド」をメタファーとすることができ、その場合「ネンドの分子」に相当するものは、立方体のドットとなるはずだ。
 このように私は、メタファーとして「ネンド」の語を用いて、その発案を松本氏に説明したのです。ちなみに「3Dも簡単だよ」と言って私が「Swivel 3D」に触るきっかけを作ってくれたのは、松本氏でした。
 そしてその時、すぐに松本氏より「3次元はデータ量が飛躍的に大きくなるはずだから、実際問題としてそのようなソフトは無理ではないか?」というような意味のことを言われたのです。「それはそうだが、だったら最初のうちは解像度がすごく低い、たとえば16X16X16くらいの小さい世界であってもいいから、このようなソフトがあれば面白いはずではないか? 計算量が多くなることだけが問題なら、解像度をうんと低くして、扱える世界のドット数を少なくすればいいだけのはずだ」という風にすぐに私は答えました。たしか実際に机上の算定をその場で試み、「13インチモニタサイズを意味する640X480のドット数を計算すると307200になるから、たとえば50X50X50=125000くらいのドット数なら、もう、十分今のマシンでも扱えるはずだ」などと、計算をしながら会話をしたのです。
 そして、その解像度の低いギザギザのネンドが実際にどう見えるかを想像したときに、「立方体の積み木」とか「レゴブロック」とか「角砂糖」というたとえが会話中に出てきたのです。たしか私が「立方体の積み木」という言葉を使ったのだと思いますが、会話の流れでこれらのメタファーは、松本氏と私のどちらからともなく出てきたようなものだったでしょう。
 もちろん松本氏はたちどころに私のアイディアとその意義をすべて理解してくれました。私が「計算処理速度を上げるためには、最初は色数も抑えて16色くらいでもいいと思う。」などと言うと、すぐに「いや、カラーがいいのはもちろんだけど、油ネンドなんて1色なのに十分面白いんだから、立体ってことだけで単色でも面白いはずだよ。」などと言ってくれたのです。そして、「確かにそういうソフトはあっていいはずなのに、見たことは無い。」と同意してくれ、その後も時々そのアイディアを気にしてくれていたわけだったのでした。
 なおメタファーの話ではありませんが、その最初の会話の時点でサルブルネイ社員の小池光氏から、「流体の密度計算などの分野ではボクセルという概念があるが、グラフィックの分野ではそういう概念はない」というような意味のことを聞いたのでした。氏はプログラミングの学校の出身なのです。ピクセルに対してボクセルという語があることを、その時初めて私は知りました。後に私がこのソフトの概念をアスク講談社さんやシンプルシステムズさんに説明したときにも、その3次元世界を構成する最小単位としての単位立体方眼を私は「ボクセル」と呼びました。しかし厳密には、必ずしもボクセルはその意味であるとは限らなかったようです。ピクセルもボクセルもビットマップに固有の概念ではなく、またボクセルとはボックス(box)に由来する語ではなくボリューム(volume)に由来する語なのです。
 話を戻しましょう。つまり、ここで一応述べておきたかったことは、「ビットマップ3Dツール」として一義的に発案されたこのソフトは、その最初の時点から「純粋3次元視覚物質としてのネンド」をメタファーとして、説明されたということです。たんにその解像度を低くした時点で、ネンドよりもブロックに近い見え方となる場合もあるかもしれないということだけだったわけです。ただしもちろん、「Swivel 3D」と違って自由な形態を作りやすいという、純粋視覚物質であることに直接由来するビットマップならではの特徴を表徴するのにも、「ネンド」の語がふさわしいという側面も、無かったわけではありません。


●●§2 アスク講談社さんへの最初の説明
 1991年の最初の発案は、その後93年頃のステレオ立体視ブームに時間軸理論面で多少の影響を受けながらも、基本的には私以外の人間に発表されることなく暖められ続けました。そして対外的には、95年になるまでそのまま放置されたのです(というか、「自分が作らなくても誰かが作るだろう」と思っていたのです)。
 94年に別件の仕事を御一緒させていただいたアスク講談社の本田晃子氏ら数名が、95年1月に「何か作品のCD-ROMを作りませんか」と相談しに私のところにいらっしゃいました。ちょうどその時考案中だった作品のCD-ROMは他社で出すことになっていたのでお断りさせていただきましたが、「では何か別に、以前から作りたかったものとか、今まで暖めていたアイディアとかありませんか?」と聞かれて、やっと私はその91年発案のビットマップ3Dソフトを思い出したのです。そして「作品ではなくアプリケーションツールですが」と前置きしながら、それまで暖めていたアイディアをすべてその時に説明したわけだったのです。
 その時も、説明をわかりやすくするために最初から「ネンド」のメタファーを私は使いました。まず「ビットマップの3次元ソフトである」とことわってから、「これはつまり、ネンドなのです」の私の一言で、本田氏の想像力が瞬時に飛翔したように見えたことを私は記憶しています。そして具体的な説明に入ってからは、「解像度が低いと1ボクセル1ボクセルが目立って、ネンドというよりはプロックのように見えるようになるだろう」という事も言及しました。しかし同時に、「このソフトの目指すジャンルは、やっぱりブロックというよりは、ネンドなのです」とも説明したのです。
 すなわちこのソフトをジャンルのレベルで考えた場合の全体像としては、最初に作るべきものと、次に作るものとを、分けて考えればわかりやすいだろうということです。最初に作るべきものは解像度が低く、プロックっぽく見えてオモチャっぽく見えてしまうかわりに、リアルタイムによく動くソフトでなければなりません。それは「このようなジャンルが存在するのだ」「このような考え方がこの通り実現するのだ」ということを現時点で広くアピールすることを第一目的とするのです。そしてそのソフトが登場した後で、次に作るべきものがその高機能版だというわけです。つまり解像度が高く完全なネンドと言っていいほどジャギーも目立たず、たとえば人体標本模型などという精巧な用途にも適するものとしてそれはアピールされるでしょう。ただしそのような高機能性を得るためには、リアルタイム性やハンディさを犠牲とすることになるかもしれません。さらにはハードとソフト両面の技術革新を待たなければ、とても実現できないものかもしれないのです。ともかくこのようにジャンルごと巨視的にとらえるならば、このジャンル全体としてはブロックをメタファーとするよりネンドをメタファーとする方が適切であることがわかるでしょう。理由は「微小単位の集合が物質である」という考え方のアピールこそが重要で、実際にどう見えるかの解像度の話は技術レベルの話にすぎないからです。ちなみに実際の「デジタルネンド」が、前者を徹底して作られた産物であったことは言うまでもありません。そして後者は「デジタルネンド・プロ」という仮題で開発チームの間ではしょっちょう話題となっておりますが、現時点(96年10月)ではまだ本格的な開発には取りかかっていない状況です。
 なおこのアスク講談社さんへの最初の説明の際に、すでに「ふかんモード」の原型と、「スライスモード」の原型に当たるアイディアを、私は提案しておりました。さらにそれらを時間軸上にモニタする「ぐるぐるウィンドー」「ぱらぱらウィンドー」のアイディアも、すでにこの時点で私は提案していました。「スライスモード」がぱらぱらマンガの作成にも使え、結局「ぱらぱらマンガ立体」が作れるのだということも、この最初の時点で説明しております。さらに3次元座標上の単位立体方眼(ボクセル)を指定するためには数値を3個入力しなければならないはずで、マウスは2個ですから、あと1個は左手からキーボードのカーソルキーで入れればいいだろうというアイディアも、すでにこの時点で提案されていました。つまり、かなりの基本設計は、すでにこの最初の話し合いの時点で、できあがってしまっていたのでした(さらに言えば、ここに述べたかなりのことも、91年の発案の時点で松本氏との会話中に出てきていました。グルグル回すアミイガのCGと、CTスキャンがヒントだったように思います)。
 ただし私はプログラミングを直接しないので、これらのことは「できるはずだ」とは思うものの、本当に理論的にできるかどうか、さらに現実的にどの程度実現性があるのかどうか、私は確信をもって言うことができなかったのです。
 そして肝心の「デジタルネンド」というネーミングは、たしかこの最初のミーティングの時点で、本田氏の口から自然に出てきていたように記憶しています。


●●§3 「ネンド」の語の独走
 詳細は知りませんが、その後アスク講談社さんはいくつかのプログラミングの会社に当たってみられたそうです。そしてその中では唯一シンプルシステムズさんだけが「できます」「作れます」とはっきり答えてくださったとのことです。そういった経緯で、そのシンプルシステムズさんとともにこのソフトを開発するプロジェクトチームが組まれ、ソフト開発に向けて動き始めたというわけでした。
 ただしアスク講談社さんからシンプルシステムズさんに最初の説明がなされた時点で、憶測させていただくと、どうやら「ネンド」の語、あるいは「デジタルネンド」という言葉がすでに持っていた言葉の力(コピー性)に、イメージされる内容が引っ張られてしまったようだったのでした。
 すなわち「ネンド」とは純粋に3次元視覚物質であるというだけでなく、こねたり、つぶしたり、ねじったりできるという、自由変形機能の楽しさをも強調してしまう言葉だったのです。単に「2次元の絵の具の3次元版がネンド」というだけなわけではなかったのでした。しかも厄介なことに、その自由変形機能というものは、本質的にはビットマップ概念とは相反するものなのです。むしろドローツール的機能と言えるものでしょう。そしてつい、シンプルシステムズさんはこの「自由変形できることを特徴とするドロー系の3Dソフト」というようなニュアンスで、このソフトをとらえてしまったようだったのです。
 一応付け加えておきますと、アスク講談社さんが特に間違った内容をシンプルシステムズさんに伝えてしまったわけではなかったようです。むしろ、正確な内容は直接中ザワから伝えられるようにと、単に「ネンドのようなソフト」とだけ伝えただけだったようなのです。しかし当時アスク講談社さんが急いで作った仮の企画説明ペーパーが、相当「ネンド」の楽しさを強調するものに仕上がっていたこともあったりし、どのみち「ネンドの語の独走」という事態をまざまざと私は見せつけられたわけでした。
 したがって95年4月に行われた初めての「アスク講談社+シンプルシステムズ+中ザワ」の三者ミーティングの席で、私は強く「ネンドというよりはブロックや積み木かもしれない」と主張しなければならなかったわけです。
 具体的にその日のミーティングに私が持参し、配布したペーパーからの抜粋を以下に記しましょう。
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○2次元の「ビットマップのペイントソフト」に概念的にも相当するような3次元ソフト(アプリケーションツール)である。
○故に「ねんど」だけではなく「ブロック」「積み木」などのイメージも必要。具体的には、形の自由性をマクロに把握するためには「ねんど」のアナロジーが相応しく、実はギザギザのある立体であることをミクロに把握するためには「ブロック」「積み木」のアナロジーが相応しい。
○2次元の「ビットマップのペイントソフト」としては具体的にMacPaint、Paint at That、Studio/8、(Kid Pix)あたりを参考にしたい。
現段階ではPhotoshop(ビットマップを弱める思想)、Painter(現実世界のツールに忠実すぎる)、SuperPaint(ドロー系も扱える)みたいな機能はすべて排除したいが、何年か後にこれら違ったコンセプトのソフトを姉妹ソフトとして発展させる可能性は念頭に置いておく。
○正確には「ねんど」でも「ブロック」でも「積み木」でもなくなってしまうことに注意。しかし「触れば、すぐわかる」ものに仕立てたい。
○手軽さと速さとインターフェイスの面白さを最大の条件とし、そのためには機能をある程度犠牲にしてよい。
○ソフトを出す意義:3Dの新しい把握の仕方。ボクセルの積分としての3D世界。
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 そして私からの最初の説明が終わった時点で、シンプルシステムズさんからは、「想像していたものとは違うけど、大丈夫、これは作れます」というような感じだったと記憶しています。
 私が「ネンド」の語だと誤解を生むかもしれないことを強調したため、以降、ソフトのネーミングについては「デジタルねんど(?)」という風にあくまで「(?)」付きの仮題の状態で、開発が進められました。だからといって他の案に切り替わるまでには至らなかったのは、やはり「ネンド」のメタファーは端的にイメージを喚起させる秀逸なコピーであり、ネーミング案から外してしまうにしのびなかったからなのです。なお何となく当初ひらがなで「ねんど」と書くことも多かったのですが、あざといかもしれないという理由で、後にすべてカタカナで「ネンド」と書くことに統一しました。これは単に語感の問題です。
 ちなみに、その最初の三者ミーティングが行われる前までは、シンプルシステムズの担当プログラマーさん達は本当に従来型のドローの3Dツールで、自由変形機能を強化したものを作るのだと想像していたようです。そうなると余談ですが、現在任天堂さんがNintendo64用に作ろうとしているという噂のあるネンド的自由変形機能強化型3Dソフト(?)と、開発主旨がまるで似通ってしまっていたかもしれません(「マリオ64」の冒頭の伸縮自在のマリオの顔は、そのデモンストレーションだとの噂を聞いたことがありますが、もし違っていたらゴメンナサイ。未確認です)。


●●§4 MacWorld Expo '96での感触
 われわれ開発チームの内部では、実際の開発においてはもはや「ビットマップ3D」の一語ですべて了解できたわけなので、ネンドというメタファーもプロックというメタファーも積み木というメタファーも直接には必要なく、関係もなくなりました。つまり正確にはネンドでもブロックでも積み木でもないまったく新しい事態だということは、もはや了解済みで説明不要だったのです。しかし営業チームにとっては、説明不要では困るわけでした。したがって実際問題としてネーミングをどうするか、メタファーを使うかどうするかの議論が再び浮上したのは、そろそろこの「デジタルネンド(?)」を対外的にアピールしなければならなくなった95年暮れの頃のことだったのです。つまり具体的には96年2月の「MacWorld Expo '96」に向けて雑誌広告を打ったり、雑誌社等に対して営業を開始し始めた頃というわけです。ちなみに当時は96年5月に発売予定でした(実際にはマック版の発売は96年7月になりました)。
 シンプルシステムズさんより、どうにか一応さわれる状態にまでなった原型のプログラムが上がってきたのは、96年1月のことでした。それは全然まだ不完全ではありましたが、「動かせる」というだけで、アスク講談社さんも私も大変感動したものです。アスク講談社の営業チームでは早速それを色々な方々に見てもらい評価していただいたようなのですが、その時の人々の反応は以下のようであったとのことです。
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第1段階:仮題とはいえ、「デジタルネンド」のネーミングに大変期待する。
第2段階:ところが実際に見てみると、ネンドではなくブロックのような外観であり、またネンドのように自由変形するものでもないことにちょっと違和感を覚えることもある。
第3段階:しかし実際に触ってみると、まったく新しい3次元感覚であることがすぐわかり、これはこれで大変に気に入り大いに喜ぶ。
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 人によっては第2段階がなかったりもしたそうですが、とにかくこの結果を本田氏は相当気にされました。つまり実際にやってみるとこんなにも面白く根源的な喜びもあるソフトなのに、第2段階でちょっとでも違和感を感じられたりガッカリされたりするのが非常にくやしいとのことです。
 それで「デジタルネンド」の語はコピーにしか使用せず、アプリケーション名は「ボクセルペイント」などのように純粋に機能に忠実な手堅い名前にしようかとの意見も、かなり有力な案として出てきたのです。
 あるいは見たとおりの「ヴァーチュアル・ブロック」等のネーミングにした方が問題がないかもしれないとの意見も出ました。しかし、ビットマップならではの形態の自由さがブロックの語ではやはり損なわれてしまいます。また思想的にこのジャンル全体は「3次元物質」すなわち「ネンド」なので、このジャンルから最初に出るソフトがブロックを標榜してイメージを限定してしまってはいけないとの考えも、やはりあります。したがってこの案はわりと簡単に却下されました。
 そして結局ネーミングはそのまま本決まりではない状態、すなわち「デジタルネンド(仮題)」のままで、2月の「MacWorld Expo '96」での発表会を迎えたわけだったのでした。
 ところでその発表会での感触は、なかなか良かったのです。結論から言うと、本田氏はその感触から、「『デジタルネンド』で全然問題なし!」と直感したわけだったのでした。会場では実際に大人や子供に直接ソフトに触ってもらったところ、彼らはすぐ立体ツールということを理解し、面白がってくれました。そして「デジタルネンド」のデモを見ても違和感なく受け入れ、ボクセルを「ネンドのツブ」と説明しても問題なく受け入れている様子だったのです。記念品として用意したのはカラーのブロック(!)だったのですが、それをお渡ししても皆様には単純に喜ばれたとのことです。それならばやはりイメージの喚起力にあふれた「デジタルネンド」の語で行こうと、決断がなされました。アスク講談社さんはその語の商標も取り、アプリケーション名は欧文で「Digital Nendo」とすることにしたのです。こうして、やっと名前が決定したのでした。
 まったく余談ですが、「MacWorld Expo '96」での感触が良すぎたという弊害も、後から思えば無いわけではありません。それまで気にしていた問題点のひとつは、右手のマウスと同時に左手でカーソルキーを扱うということに、ユーザーはなかなか気付かないのではないかという懸念でした。私がインターフェースデザインした段階では、アプリケーション自体にその説明やアラートをしつこく入れていたのです。しかし会場では驚いたことに、何も説明していないにもかかわらず、みなすぐ左手でカーソルキーを使って、ちゃんと両手で操作していたのです。それでかなり安心した結果、製品段階ではアプリケーション内に説明を作り込むことをやめたのです。しかし、結果としてマック版の販売開始後、左手を使うことを思いもよらないユーザーが何人も現れるようになってしまいました。「MacWorld Expo」に来るような客層はある程度パワーユーザーだったことに、もっと気付いておくべきでした。
 もうひとつ、メタファーに関する別の話題をここに記します。「MacWorld Expo '96」の前後、カラーネンドを単体でポンと置いただけの「デジタルネンド」の雑誌広告やフライヤーが、サルブルネイの松本弦人氏のデザインによって作られました。私はその広告を見て、「ネンドはネンドでも、カラーネンドだったのだ」と、逆に教えられるところが多大だったのです。すなわちオブジェクト図形方式の「物体」が形態を本質とするのとは違って、ビットマップ概念由来の「物質」とは色彩を本質とするものだったのです。その広告はそういう認識を新たにしてくれました。カラーでないただのネンドだと、「形態を作るための3次元物質」というニュアンスも含まれてしまうわけですから、困ったことに「自由変形が可能」という方向性も強調されてしまうでしょう。しかしカラーネンドなら、純粋な「3次元視覚(=色彩)物質」というニュアンスがより強調できるのです。この「ネンドはネンドでも、カラーネンドである」というメタファーは、その後実際に生かすことの出来る機会がなく、私はちょっと残念に思っております(アイコンデザインへの応用を試みましたがうまくいかず断念しました)。なお松本氏がその時点で広告デザインをされたのは、同氏がソフトウェアデザインした「ポップアップメーカー」とこの「デジタルネンド」が同じくアスク講談社の「ホームアプリケーション」シリーズとして同時刊行されるからだったわけですが、同氏には結局91年発案のときからずっと御世話になっていることになります。


●●§5 コピーとしての「デジタルネンド」
 前項までの経緯によってネーミングは「デジタルネンド」と決定したわけですが、一応私から、私の思うこの語の解釈または態度を、以下に述べておきましょう。A〜Dの4項目あります。

○A:コピーとしての秀逸性
 「デジタル」と「ネンド」というような、まったく反対のイメージを喚起する語を並置することによってインパクトを得るという方法は、秀逸なコピーのひとつの王道でもあるらしいです。かつて「バカCG」(伊藤ガビン氏発案)という語もそうでした。この方法は、実際のモノを見る以前の段階ですでに人々の関心を買うことができる利点がある反面、コピーが実際のモノより先走り、独走してしまう可能性もあります。それは「デジタルネンド」の問題点でもありました。

○B:「デジタル」という語の選択
 この語の選択は無意識的になされました。開発中は、英訳した場合この語のままでいいかどうか話し合ったことはあっても、日本語としては特に論議があったことはありません。
 しかし結果的に秀逸な選択だったと私は思います。日本では単に現実世界に対するコンピュータ世界を指すときに、アナログに対する「デジタル」と言うことが少なくありませんが(拙文「視覚芸術史における『デジタルネンド』誕生の意味」においてもその程度の意味です)、本田氏の話によれば外国ではそうでもなく、「ヴァーチュアル」という、日本ではちょっと違うニュアンスの語の方が、より一般的とのことです。
 それはともかくとしてもその原義から考えたとき、「デジタル」の語の選択は次の2つの理由で秀逸だったと言えるでしょう。
 1つは、「デジタル」の語はビットマップということを、より強調する単語だと考えられるからです。「デジタル」の語の原義は周知のように、「digit=指」から来ている「指折り数えられる」です。つまり連続的であることに対する、非連続で断続的で階段的、すなわち整数的ひいては2進法的といった概念です。コンピュータがデジタルと言われるのは、コンピュータの本質が2進法を原理とする大量高速計算機でしかないということでしょう。したがって内部ではデジタルの数値計算しか行わないコンピュータが、外部にアナログ的に表示されるべき概念(たとえば円という図形)を扱えるかどうかとか、そのような概念を可能な限りアナログに近く出力できるかどうかなどは、コンピュータ自体がデジタルであることとは関係ないのです。
 その点で言うとコンピュータにおけるオブジェクト図形方式とは、外部にアナログ的に表示されるべき概念(たとえば円という図形)をそのまま扱うための、そしてそのような概念を可能な限り(プリンタの解像度いっぱいまで)アナログに近く出力しようとするための、言わばアナログ指向のデジタル計算方式と言ってしまっていいわけです。反対にコンピュータにおけるビットマップ概念とは、外部にアナログ的に表示されるべき概念(たとえば円という図形)は擬似的にしか扱えないと最初から決めてしまうことにより、徹底して最初から最後までデータのデジタル性をその意義の上でも保持しているという、言わばデジタル指向のデジタル計算方式と言ってしまっていいわけです。すなわち後者に明らかなジャギーは「デジタルのためのデジタル」を如実に表す事態であり、仮にジャギーが細かくアナログ的(連続的)に見えることはあっても、それは人間の目と脳の認知作用のレベルにおける錯覚にすぎず、コンピュータ側にそのような指向性がプログラムされているからではありません。そういった理由で、「デジタル」の語はオブジェクト図形方式よりはビットマップ概念ということをより強く表徴しており、「ビットマップ3D」の本ソフトを呼ぶに適切な語彙であると考えられるのです。
 そして原義から考えたとき「デジタル」の語の選択が秀逸と思われる2つ目の理由は、「ネンド」の語との対比を効果的にする点です。すなわちブロックと違ってネンドは非整数的で非階段的で非断続的で連続的ですから、原義的に言っても極めてアナログ的な物質なのです。すなわち反対のイメージを喚起する語を並置することによってインパクトを得るという前項Aの秀逸なコピーの理論を、「デジタル」の語の選択は原義のレベルにおいても徹底させるのだと言えるでしょう。さらに言えば、「ネンド」という物質名詞に対して「デジタル」の語が形容詞として働くことにより、より真実に近づくという効果もあります。「ヴァーチュアル・ネンド」なら連続的なネンドをそのままコンピュータ世界に持ってくるだけですが、「デジタル・ネンド」なら連続的なネンドをいったん断続化させてからコンピュータ世界に持ってくるわけであり、その意味においても「ビットマップ3D」の本ソフトを呼ぶに適切と考えられるのです。

○C:「ネンド」という現実世界の単語の使用
 コンピュータ内で現実世界の単語を使う場合、それが単なるメタファーであるのか、それとも本当に移植の目的とされているのかは、十分に見極められなければなりません。たとえば「MacPaint」は単なる「お絵かき(paint)」のメタファーであり、現実のキャンバスと絵の具と筆とをひとつひとつ正確にコンピュータ上に移植することを目的とはしていないはずです。「いかにコンピュータ上でマウスを使ったグラフィック制作を行うか」という課題を解決しようとしたら、結果的に現実のキャンバスと絵の具と筆との関係に似ることになったというあたりが実状だったのではないでしょうか。
 反対に、とことん現実世界のコンピュータ世界への移植を目的として作られたペイントツールのひとつが「Painter」です。私論ですが、「Painter」のようにツールそれ自体が移植の目的となってしまっているシミュレーターの場合は、正確にはツールとは言えずにプログラマーレベルの作品にすぎないのではないでしょうか。すなわち実際に水に浮いて動くような精巧な帆船の模型を組み立てるのと変わらないと思われるのです。それが悪いと言っているわけではなく、むしろプログラミングの作品として積極的に評価したいと思うのですが、実際のツールとしてはそのままの使い方では面白くなく、また使いづらいというのが私の感想です。
 この「デジタルネンド」に関しては、取材をいくつか受けてからやっと気付いたことがあります。それは「ネンド」は単なるメタファーあるいはコピーでしかないとわれわれ開発側は認識しているにもかかわらず、「ネンドをコンピュータ上に移植すること」自体を目的としているかのように誤解されている場合が時々あるということです。これは現実世界の単語を使用している限り起こり得る危険なのかもしれません。たとえば「ボクセルペイント」とすればこのような誤解は惹起せずに済んだと思われる点が、ネーミングの難しさの1つの現れです。
 なお「ヴァーチュアル・ブロック」と仮にネーミングした場合の弊害は、この考え方からも説明できます。すなわちブロックに見えているとして、そのままブロックと名付けられているようでは、単にそのまま「現実世界のブロックを、コンピュータ上に移植することを目的とした」としかみなされない危険が飛躍的に高まってしまうからです。それはブロック・シミュレーターでしかなく、もはやツールですらなくなってしまうでしょう。海外のソフトでレゴブロックをほとんどそのままコンピュータ上に移植したものが最近発売されたらしいですが、それと変わらないオモチャか、あるいはプログラマーレベルの作品にしかならないと思います。そうではなく、これはいやしくも3次元造形グラフィックツールなのです。つまり画材なのです。その事をきちんとアピールしなくてはなりません。そのためには子供のオモチャでしかないブロックの語より、画材としての地位を確立しているネンドの方がふさわしいという理由も、ここから派生してきたりします。

○D:メタファーとしての「ネンド」再考
 メタファーとしてなぜ「ネンド」の語を選んだかという理由は、この稿全体に渡って何度となく書いて来ました。簡単に繰り返すと、その最大の理由は「純粋3次元視覚(色彩)物質に最も近いのが『ネンド』だから」であります。
 特に、なぜブロックとせずにネンドとしたかについても、すでに何度となく書きました。「不定形作成機能(あるいは手描きの自由さ)を強調できるのは、ブロックよりネンドだから」「ジャンルのレベルで考えた場合、やはりブロックよりネンドで代表させるべきだから」「『デジタル』の語との対比により強度を増すのも、ブロックよりネンドだから」「ブロック・シミュレーターではなく画材だから」などがそれです。
 ここではさらに、「ユーザーに本ソフトの根底的意義の理解を促したかったから」を、大きな理由の1つとして付け加えたいと思います。前出の「ジャンルのレベルで考えた場合、やはりブロックよりネンドで代表させるべきだから」という理由とも重なりますが、ここで言う本ソフトの根底的意義とは、「微小単位の集合が物質である」という考え方なのです。すなわち「3Dの新しい把握の仕方」「ボクセルの積分としての3D世界」というデカルト座標系における世界所有(すなわちモダニズム)の話であり、長々と拙文「視覚芸術史における『デジタルネンド』誕生の意味」に書いた、原子論的世界観のことなのです。
 そういった本ソフトの奥義に気付いてもらうための、「謎掛け」ならびに「ヒント」として、「ネンド」の語のイメージ喚起力に私は期待したのでした。すなわち仮に視覚的にブロックに見えていたとして、しかし「ネンド」と名付けられている事態があったとしましょう。これは、「単に解像度の問題でそう見えているに過ぎない」という第一段階の答にユーザーに到達してもらうための、「謎掛け」であり「ヒント」であるつもりなのです。そしてそこから「解像度を変えればブロックはネンドに移行し、ネンドはブロックに移行する」という、微積分法的な考え方を一瞬でも想起してもらえば、後は、先程の「世界所有の方法としての原子論的世界観」という奥義に気付いてもらうことは、もはや難しくはないはずです。
 ところがマック版の発売からすでに3カ月たちますが、実際は第一段階の答にすら、あまり人々には気付いていただけていないのかもしれません。かなりパソコンに詳しい方やペイントツールで絵を描くイラストレーターの方でさえ、本気でネーミングに疑問を示されることがあります。私にとって「ビットマップ画とは(マックの場合)72dpiの単位正方形方眼の集合にすぎない」という原理は、原子論と同じくらい大変わかりやすく自明なことに思えるのですが、そうでもなかったのでしょうか。アイコンくらい小さいサイズのビットマップの絵を一度でも強拡大してみたことのある人なら、1つ1つの正方形のドットがタイルのように大きく見えることを知っているでしょう。単にその3次元版だけでしかないわけです。そして本ソフトが拡大機能だけでなくわざわざ縮小機能をも備えているのは、将来発売されるであろう高解像度の「デジタルネンド・プロ」の見え方を現段階でシミュレートするためでもあるのです。すなわちさっきまで見えていたタイルは小さくすればジャギーが目立たなくなることを、その3次元版においてもすでにシミュレートできるということであるわけです。
 なお上記ではもれてしまっていましたが、メタファーとして「ネンド」の語を選んだ理由には、「ユーザーに楽しさをアピールできるから」ということももちろんあります。あまりそのイメージに先行されすぎても困りますが、しかしやはり「ネンド」の語にある楽しいイメージは、メタファーとしても商品コピーとしても重要な要因です。そもそも「絵の具」が楽しい存在であるのと同じように、また「楽器」が楽しい存在であるのと同じように、創造の素材である「ネンド」も、楽しい存在なのです。


●●§6 「3D」VS「3次元」論争
 ネーミングの話ではありませんが、本ソフトを対外的にどう説明していくかの段階の裏話として、開発チームの間で大きな論争となった「『3D』と呼ぶべきか『3次元』と呼ぶべきか」という問題について、簡単に最後に触れておきましょう。結果的には「3D」と呼ぶことにしたのですが、96年2月の「MacWorld Expo'96」の段階では「決して3Dと呼ばないでほしい。3次元と呼んでくれ」と言うことにしていたのです。
 「3D」と呼んでほしくなかった理由は、従来の3Dツールとの根本的違いを明らかにしたかったからです。すなわち従来特に「3D」と呼ばれていたものは、すべてオブジェクト図形方式のドローツールでした。そこへ全然違うビットマップ概念のペイントツールをアピールする際に、従来と同じ「3D」という、すでに確立している文脈の爼上に載せるのは大いなる損失ではないかというわけです。特に3Dツールに半端な知識を持っているようなユーザーから見た場合、根本的に違う概念に基づくツールであるということに気付かれる以前に「ブロックのようなビジュアルしか作れない」と、むしろ低機能に解釈されてしまうことを恐れたわけです。ちなみに「3D」と「3次元」は辞書的意味はまったく同じですが、特にツルツルの感じの(すなわちドローツール由来の)CGを呼ぶときにはわざわざ「3D」の語が使われるなど、辞書に載らない余計な語感が「3D」の語には込められているわけです。
 開発チームの中では、私も含め何人かによって「3Dと呼ばれることに違和感を感じる」ということから「3Dとは呼ばないでほしい」とする意見に至りました。むしろそう言ってしまった方が、従来のドロー3Dと比較する必要が無く、開発側としては楽になるわけだったのです。データの構造そのものの根本的違いが理由で、原理的には決して正確な互換が出来ないドロー3Dでの各種フォーマットは、思い切って擬似的互換すら一切しない方針としたのです。
 ところが「MacWorld Expo'96」以後、実際問題として、従来の3Dツールにも触ったことのない人にまで、最初から「これは3Dでない」と説明することの無益性を感じ始めたのです。私は具体的には本ソフトの取材を受け始めるようになってから、それほど知識を持っているわけでもないライターさんや編集者さんに、「これは3Dでない」といちいち説明することにちょっと疑問を感じ始めたのでした。しかしアスク講談社の営業チームの方からの反応は、私よりもずっと早かったのです。結局本田氏が社内で相当論議を戦わせて意見を取りまとめ、その件について私に相談されました。
 氏が言われるには、本ソフトのユーザーとしては「ホームアプリケーション」のくくり通り、それほどパワーユーザーではない普通の人達をも想定しているわけですが、そういう比較的一般的な人達が「パソコンを買って次にしたいこと」が、現段階ではインターネットと「3D」なのだそうです。したがって3Dツールを触ったことがないにもかかわらず、いずれはやってみたいと思っている人達が潜在的ユーザーとしてかなり大勢いるはずで、そのような人達にこのソフトは是非購入していただきたいとのこと。ところが折角のそのような場面で「これは3Dではない」と断ってしまうのは、営業から言ってあまり得策ではないのではないか……大体、これはどこから見ても「3D」だし「3次元」なのだから、「3D」と堂々と言って何らおかしくはないはずだというわけです。
 そしてその通り、考えを改めることにしました。その上さらに、「3D」というジャンルはすでにドローツールのそれとして確立しているという、最初の認識をも改めることにしたのです。すなわち、「1996年の現段階では『3D』と言うとドローツールのジャンルとして想起されるかもしれない。しかし数年後には、むしろ生理感覚的に理解されやすく扱いやすいビットマップの『デジタルネンド』の方こそ、『3D』のスタンダードとなるであろう。ゆえにこちらこそ、真の『3D』なのだ」というわけです。実際に何年か後に標準がシフトするかどうかは別としても、本「デジタルネンド」同様のビットマップ3Dツールが多く出てきてこそ、本来の「3D」というジャンルのあるべき姿ではないかと思います。そして今となっては「『3D』と呼ぶべきか『3次元』と呼ぶべきか」の論争があったことなど笑い話のようですが、位置づけの話は本ソフト自体の理解の一助にもなるかと思い、記させていただきました。


−以上−   中ザワヒデキ 1996.10.18 記

*このテキスト「付録2:デジタルネンド・ネーミング裏話 〜ネンドか、プロックか、ボクセルペイントか?〜」はテキスト「視覚芸術史における『デジタルネンド』誕生の意味」を補足する付録の1つとして96年10月17日に書き上げられました。
・第1版(1996.10.18)---96年11月8日にアスク講談社より発売された「デジタルネンド」(Windows版)製品CD-ROM内に収録。ならびに中ザワヒデキのホームページ(http://shrine.cyber.ad.jp/~nakazawa/NAKAZAWA)上で96年10月18日より公開。

*関連テキスト「視覚芸術史における『デジタルネンド』誕生の意味」「付録1:デジタルネンドならではの新感覚立体実作例」「付録3:立体プリンタについて」も、合わせてお読みいただければ幸甚です。

*中ザワヒデキのホームページ内に、さらに中ザワヒデキによるデジタルネンドのホームページをオープンしています(http://shrine.cyber.ad.jp/~nakazawa/NAKAZAWA/nendo)。アスク講談社さんのホームページ(http://www.ask.object-design.co.jp)ともども宜しくお願いいたします。

*なお本稿は、中ザワヒデキが毎日コミュニケーションズ刊「CD-ROM Fan」誌に連載しております「まるちめ日記」(1995年10月の日記から)と合わせてお読みいただいても面白いかと思います。同「まるちめ日記」のバックナンバーは、中ザワヒデキのホームページ(http://shrine.cyber.ad.jp/~nakazawa/NAKAZAWA)上で公開されております。



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