現代美術史日本篇 1945-2014[8] 2010-2014 搾取前衛8a 8b 8c フクシマ以後の表現主義的動向 8d

8c
フクシマ以後の表現主義的動向
Expressionist Movement After Fukushima

【本文確定】

表現主義的動向に加えて反表現主義的動向が出現した美術界の2010年は、良い意味で未知の領域に突入したかのような高揚感がありました。しかし、東日本大震災とフクシマの原発事故に見舞われた日本という国の2011年3月11日以降は、悪い意味で未知の領域に突入したかのような閉塞感に苛まれています。美術家たちはどう動き、あるいは動かなかったのでしょうか*8c1。本節では2011年以降の表現主義的な動向からいくつか拾います。

「全感覚派宣言」を2010年11月に起草していた高橋辰夫[Taxxaka]は、コンセプト以前の作家の内的衝動を信じた美術運動として、2011年8月にグループ展「第1回全感覚派美術展」を東京成城の清川泰次記念ギャラリーにて開催、2012年5月に自主雑誌『全感覚』を創刊、その後も継続中です。

2011年12月1日、東京銀座のギャラリーセラーで「第四表現主義(仮)について語る会」が、開催中の私の個展「かなきり声の風景」の関連イベントとして行われました。登壇者は齋藤祐平、小田島等、藤城嘘、黒瀬陽平、石井香絵、二艘木洋行、松下学、都築潤、沖冲.。私の意図は、2010年前後から各所で数多く行われているお絵かき大会や、マニエリスムとは正反対な制作の動向を、「第四」の「表現主義」と呼ぶことによって、循環史観的にハイアートの文脈に位置づけようとすることでした*8c2。結果は、美術にくくられることに対するそもそも的な拒否をはじめとする多くの反発と、少しの賛同でした*8c3

2011年11月から12月にかけて愛知県美術館ギャラリーでグループ展「イコノフォビア:図像の魅惑と恐怖」が開催されました。そのコンセプトメイキングをした編集者兼研究者の筒井宏樹は、次に「であ、しゅとぅるむ」展を企画、2013年1月に名古屋市民ギャラリー矢田にて開催しました*8c4。「美術に属する表現と大衆文化に属する表現が一堂に会することで、2000年以降の日本における多様な創作活動の縮図を示す」とされた展覧会では、位相の異なるバックグラウンドを持つ11組の参加作家(チーム)を一室の空間のなかで展示する方法が採られました。参加したチームは「山本悠とZINE OFF」、「二艘木洋行とお絵かき掲示板展」、「qpとべつの星」*8c5、「優等生」(梅津庸一、大野智史、千葉正也、福永大介)ほかでした*8c6

まつもとこうじろうの企画による数十人規模のグループ展「トランスエフュージョン」は、美術というよりはマニエラ重視の丁寧なイラストが比較的多く、定職の傍ら独りこつこつ地方で描いているような描き手も少なくないとのことです。東京の新宿眼科画廊で2012年8月に第1回展を開催、規模を拡大しつつ継続中です。同様の傾向のイラストは、金田涼子[ちょこらてす]が主宰する1990年以降に生まれた描き手によるグループ展「きゅーえっくす」にも見られ、2012年から継続されています。

反対に「春のカド」には、表現主義の原義に近い過激で荒々しい美術が比較的多い印象です*8c7。春のカドは「2013年2月にフナトケイドロ、内田百合香の2名によってつくられた、不定期に展示、zineの制作、絵に関するあれこれを行う企画」とされ、2013年5月に21名による第1回展示、2014年3月から4月に10名による第2回展示を東京南長崎のターナーギャラリーで開催しました。

2014年に登場した表現主義の新しい形は、東京藝術大学に在学中で、境界性パーソナリティー障害とADHD(注意欠陥・多動性障害)で通院中の河野麻実[あおいうに]が主宰するメンヘラ展です。2014年2月と8月に第1回展と第2回展が東京の異なるギャラリーで開催されました。主宰者含め参加者全員メンヘラですが*8c8、精神障害者の制作物を美術の側からアウトサイダー・アートとして搾取する従来図式とは異なり、自傷やOD(過量服薬)や過食嘔吐といった一人だけの問題行動から自身が脱出し、世界(他者)と繋がるきっかけとして「芸術」が位置づけられています。こうした昇華としての制作はメンヘラ展に限らず表現主義系の他の作家たちにも一部通ずるところがあります。

ビットマップとベクターの問題系としては、高解像度ビットマップの風景の作品が2012年の「VOCA 2012」奨励賞を受賞した武居功一郎と、膨大量のベジェ曲線から成るベクター画を2014年の第8回グラフィック「1_WALL」グランプリ受賞者個展で発表した下野薫子の登場が挙げられます。また、gnckの論文「画像の問題系 演算性の美学」が2014年の『美術手帖』第15回芸術評論第1席に選出されたこともトピックの一つです(同誌2014年10月号に掲載)。これは1990年の私のバカCGにおけるアンチ・アンチエイリアスから、2013年のucnvによるグリッチ(画像の破損)とヌケメによるグリッチ刺繍までのビットマップ表現を、時系列で俯瞰する内容でした*8c9

【未訳】表現主義的動向に加えて・・・[固有名]Ryoko Kaneta (金田涼子), Koichiro Takesue (武居功一郎), Yukiko Shimono (下野薫子), [訳者宛注記]武居功一郎さんの風景の作品は写真を元にだいぶ加工したものなので風景画とも風景写真とも言いたくないため風景の作品という書き方にしてあります。[訳者用参考URL] http://aloalo.co.jp/nakazawa/201111/de.html http://aloalo.co.jp/nakazawa/201111/ce.html
*8c1

【註確定】

*8c1
動くか、あるいは動かないかという状況は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの時にもありました。日本ではちょうど「第1回横浜トリエンナーレ2001」が開催中で、出品者の小田マサノリ[イルコモンズ]は即座に反応し展示中の作品を全て撤回、反戦プロジェクトを開始しました。一方、来場者が自由に中でくつろげる「トンチキハウス」を出品してたいた小沢剛は、「よくこんな時に寝転んだりしていられるものだ」「いや、こんな時だからこそ、寝転んだりしていられなきゃいけないんだ」と自答していたことを私は記憶しています。*8c3参照。
【和文決定済・英訳可】[固有名]Masanori Oda / illcommonz

*8c2
第四表現主義は私の造語です。近現代の美術史は「表現主義(前衛)→反芸術→超現実主義(多様性)」の繰り返しであるとし、日本の第一表現主義は萬鉄五郎らのヒュウザン会、第二表現主義はアンフォルメル旋風、第三表現主義はヘタうまであったとします。会を主宰した私の意図には、ヘタうまが往時からハイアートの文脈では無かったために、今日でも日本美術史に組み入れられてないことを反面教師としたいという、年長者からの提言という側面がありました。すなわち今回の表現主義では最初から日本美術史内という自覚を持ち、また、今回の表現主義を第四と呼ぶことによってへたうまを第三表現主義として定置したいという意図もありました。ちなみに私の個展名「かなきり声の風景」は、大正7年(1918年)の萬鉄五郎の表現主義的作品名から拝借しました。
【和文決定済・英訳可】[訳者用参考URL] http://aloalo.co.jp/nakazawa/201111/de.html http://aloalo.co.jp/nakazawa/201111/ce.html

*8c3
ところで登壇者の小田島等は、同時期に東京神楽坂のartdishで「Nido-ne + バッド・インスタレーション」展を開催、持ち味の楽しげなペインティングを多数展示しましたが、展覧会名にまつわる文章がありました。「震災と原発事故後、容易に眠ることができなかったので一度関西へ退避した。滞在先の友人宅ではやっと眠れ、二度寝までして幸せだった。(中略)しかし福島からは大量の放射能が噴出し続け何も問題は解決していなかったので、二度寝やそのそのゆるみはカリソメのものではあった。その際に藁をも掴む思いでズンズンと描いた絵たちは、眠りの安息世界からの(少し歪んだ)贈り物だった」。*8c1参照。
【和文決定済・英訳可】

*8c4
展覧会名の「であ、しゅとぅるむ」は、「Der Sturm(=「嵐」の意)」から採られていました。『Der Sturm』は、1910年にドイツで創刊されドイツ表現主義を推進した雑誌名で、1912年にはベルリンに同名の画廊も開設されました。
【和文決定済・英訳可】

*8c5
qpは別世界感ただようアナログ画とデジタル画を描くコロリストですが、2011年4月に[1]カラーインク画の個展「残す」(はちどり、東京祐天寺)、[2]二艘木洋行とのユニット「城戸熊太郎」としてのデジタル画の個展「こなごな」(ソーンツリーギャラリー、東京小伝馬町)、[3]自分は参加しない女性10名によるグループ展「べつの星」(UTRECHT NOW IDeA、東京表参道)の企画の3本を連続開催しました。[1]「残す」の系統の作品が「イコノフォビア:図像の魅惑と恐怖」展に出品され、[3]「べつの星」の成果が「であ、しゅとるむ」展に反映されました。
【和文決定済・英訳可】

*8c6
「優等生」は、『美術手帖』第13回芸術評論募集で佳作に選出された荒木慎也の論文「受験生の描く絵は芸術か」(同誌2005年8月号に掲載)にショックと親近感を覚えた美術家の梅津庸一により企画発案されました。受験絵画の問題は日本美術の近代化の歴史と、実際に現在行われている表現の双方を射程に含めます。この問題意識は2014年9月から10月にかけて名古屋萱場の山下ビルで開催されたグループ展「パープルーム大学」に継承されました。
【和文決定済・英訳可】

*8c7
狭義の表現主義は1910年頃のドイツ表現主義を指し、荒々しく過激な激しい感情の吐露でした。私的感情のみならず社会矛盾への憤慨もしばしば契機となりました。ところが「第四表現主義(仮)について語る会」では、いつの時代にもいる素朴でわかりやすい感情表現という矮小化された意味に表現主義の語を用いる論者もいました。表現主義と「イラストレーション」の概念の混同もありました(*7a2参照)。参考:「黒瀬陽平インタビュー 構築的なもの/生成的なもの」より、「日本の表現主義問題」(『であ、しゅとぅるむ』展カタログ、2013年、Review House編集室、18-19ページ)。
【和文決定済・英訳可】

*8c8
メンヘラは2000年代から使われるようになったネットスラングで、「精神を病んだ人」の意。電子掲示板「2ちゃんねる」のメンタルヘルス板に書き込むような人をメンヘラーと呼んだのが最初。
【和文決定済・英訳可】

*8c9
2014年6月から7月にかけて、東京京橋に移転したギャラリーセラーで「アンチアンチエイリアシング」と題する私の個展が開催されましたが、全くの偶然でした(論文の応募締切は4月)。その展覧会では表現主義の意図から2010年に私が再開したバカCG的な中解像度ビットマップ画が展示されました。また、2014年6月には東京新宿の伊勢丹百貨店で「Glitch@TOKYO解放区」と題するucnvとヌケメによるイベントが開催されましたが、こちらも全くの偶然でした。ちなみにグリッチ現象は、1990年代の伊藤ガビンらによる「ヒューララ感覚」という概念を思い出させてくれます。本論文の「第1席」選出は、デジタル画像の問題がようやくアカデミックな美術論の俎上に載ったという意義がありました。
【和文決定済・英訳可】


本頁は作業中です。ご注意ください。

履歴(含自分用メモ)

2014-09-25
- 言えます→いえます に統一
- おこなわれ→行われ に統一
- ×年ころ ○年頃
- ×オタク ○おたく
- ×ひとつ ○一つ
- ×とは言え ○とはいえ
- ×を得ない ○をえない
- ×いちおう ○一応
- ×サブカルチュア ○サブカルチャー
- 作家達×→作家たち○
- お絵描き×→お絵かき○
- ハイアート○
- アウトサイダー・アート○
- 本頁作成。

20141002の1
- ほぼ和文本文決定・ほぼ和文注記決定(作品解説はありません)
20141002の2【和文本文決定】【和文注記決定】(作品解説はありません)
- 全て新訳です。
- [固有名]Ryoko Kaneta (金田涼子), Koichiro Takesue (武居功一郎), Yukiko Shimono (下野薫子), [訳者宛注記]武居功一郎さんの風景の作品は写真を元にだいぶ加工したものなので風景画とも風景写真とも言いたくないため風景の作品という書き方にしてあります。[訳者用参考URL] http://aloalo.co.jp/nakazawa/201111/de.html http://aloalo.co.jp/nakazawa/201111/ce.html

20141004【和文注記決定後改変】
- *8c9で「第1席」をかぎ括弧でくくり強調することとする。英訳には差し支えないと判断。
■初校時改変(注記*8c1参照先)[2英文に影響]:います。*8c3参照。>>二度寝→*8c3
■初校時改変(注記*8c2参照先)[2英文に影響]:しました。>>しました。日本のポストモダニズム→5a。循環史観→5d
■初校時改変(注記*8c3参照先)[2英文に影響]:だった」。*8c1参照。>>だった」。動くか動かないか→*8c1
■初校時改変(注記*8c7参照先)[2英文に影響]:ありました(*7a2参照)。参考>>ありました。参考
■初校時改変(注記*8c7参照先)[2英文に影響]:ページ)。>>ページ)。表現主義→*5a4*5b9*8a12。イラストレーション→*7a2
■初校時改変(注記*8c9参照先)[2英文に影響]:ありました。>>ありました。中解像度ビットマップ→*8a5