現代美術史日本篇 1945-2014[7] 1995-2009 マニエリスムと多様性7a 快楽主義とマニエリスム 7b 7c 7d 7e

7a
快楽主義とマニエリスム
Epicureanism and Mannierism

【本文確定】

バブル崩壊により不安定化した世相にさらに追い打ちをかけたのが、1995年1月17日に関西で起きた阪神淡路大震災と、同1995年3月20日に東京で起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件でした。後者は、東京谷中に移転したSCAI The Bathhouseで3月10日から開催されていた奈良美智の新作展「深い深い水たまり」の会期中の出来事でした。

奈良美智はドイツや名古屋、東京ですでに発表を重ねていましたが、美術界に広く知れわたったのはこのSCAIでの個展がきっかけでした。当時同社の社員だった小山登美夫は、奈良美智の作品が美術ではなくイラストレーションに見えることを危惧していましたが、作家本人の「僕は自分の好きなものしか描かないよ」という言葉を聞いて納得しました*7a1 *7a2。すなわち「好きだから描く」ことを美術として肯定したのです*7a3。この瞬間、シミュレーショニズムとしての再現芸術に通底していた反芸術のドグマが消え去りました*7a4 *7a5。すなわち以後の時代は、規範や時代支配的なイズムを失って、「何でも有り」の多様性へとシフトしていきました。

規範無き時代には感覚的な快楽主義が跋扈します。『美術手帖』誌が「快楽絵画」という特集を組み、表紙に奈良美智を起用した1995年7月号の段階では、まだ無垢な具象画は奈良美智だけで、特集の大半は丸山直文や東島毅、堂本右美といった1980年代後半を引き継ぐフォーマリズム絵画でした*7a6。しかし翌1996年に村上隆がヒロポンファクトリーを立ち上げ、ミスターやタカノ綾らをプロデュースし世に出し始めると、いつの間にか美術界にはイラストレーションと区別のつかないゆるい具象画があふれかえっていました。これは世界的な傾向でもあり*7a7、また、落合多武のようにニューヨークの画廊と契約し、特に日本であるとかインターナショナルであるとかとは関係ないスタンスの作家も含まれていました。2000年9月号の『スタジオボイス』誌特集は「Honey Painting」と題され、日本と世界の快楽的な具象画が多数紹介されました*7a8。できやよいや加藤泉、坂千夏、青島千穂ら新人もぞくぞく登場し、2000年代にはますます盛んに快楽絵画が描かれるようになりました。

そして、時代支配的なイズムの不在は、一方では美術文脈において、内容を伝えるための技巧ではなく、技巧のための技巧主義すなわちマニエリスムの台頭を促しました*7a9。山口晃は、会田誠が若手を紹介した1997年の「こたつ派」展でデビューした典型的なマニエリスタです。彼は東洋美術の伝統技法を今日的奇想につなげましたが、小川信治は西洋絵画の伝統技法をシミュレーショニズム的な不在の表現に用い、より若手の鎌谷徹太郎はミクストメディアの画材開発からネオ・スーパーリアルを達成しました。天明屋尚や川島秀明といった名前も加えると、男性作家の多くは精緻な技巧を身上としたようでしたが、池田学ら一部の男性作家や、2005年前後に登場した冨谷悦子、鴻池朋子、野田幸江、松井冬子ら女性作家は、増殖的でキモワル風味の細密画でした。彫刻におけるマニエリスタとしては、「幽体の知覚」を追求しメディア作品にも力量を発揮する小谷元彦を筆頭に、反古典主義的な棚田康司やエフェメラルで繊細な宮永愛子、映像インスタレーションではさわひらきや小瀬村真美も挙げておきます*7a10

快楽主義的な奈良美智の作品に、マニエリスムの要素を見て取ることも可能です。初期の表現主義的なタッチが捨て去られたあと、画面がより丁寧かつ精緻な技巧で仕上げられるようになったからです。と同時に、マニエリスムのもうひとつの側面であるキモワル風味も、意地悪そうな子供というモチーフから引き出されていました。巷では「こわい」と「かわいい」を一語にした「コワかわいい」という語がこの時期に登場しましたが、奈良美智が描くマニエリスムと快楽主義の同居した子供のキャラクターもしばしばコワかわいいと形容されました*7a11 *7a12

時代支配的なイズムの不在は、他方では美術文脈から離れ、社会問題やごく私的な事項を題材とすることを可能にしました。前者には、社会的正義 (ポリティカル・コレクトネス) の頭文字からPCアートと呼ばれたものもありました。従軍慰安婦問題を扱った嶋田美子、「障碍の美術」の和田千秋、あるいはデジタルカウンターの作家として評価確立後の宮島達男が取り組む「時の蘇生」柿の木プロジェクト等が挙げられます。後者の私的なアートとしては、ちっぽけな自分をえんえんと吐露するドローイングや日常生活の延長としてのインスタレーションが表現方法として一般化し*7a13、写真では荒木経惟が「写真私情主義」と打ち出した一方で*7a14、HIROMIX、蜷川実花、長島有里枝らの私的写真がガーリー・フォト(女の子写真)と呼ばれ注目されました。彼女たちの輩出を助けたのはレンズ付きフィルム(使い切りカメラ)の発展で、巷ではプリクラ (アトラス「プリント倶楽部」他) が流行りました。デジタルカメラの普及直前のことでした。

西洋も含めて循環史観的な見方をするならば、1930年代や1970年代にもあった多様性時代の再来として1995年以後を解釈することができます。それぞれ先行する反芸術という規範、すなわち1930年代は直前のダダ、1970年代は直前のネオ・ダダ、1995年以後は直前のシミュレーショニズムという時代支配的なイズムの後退から惹起されたものでした。芸術の多様性はそれなりに豊穣で幸福ともいえますが、時代としてのダイナミズムには欠けるという見方もできます。また、2001年にアメリカ同時多発テロ、2003年にイラク戦争がありましたが、それでも多様性時代の骨格は変わらなかったようにも思います。1995年以後の美術状況を私は当時、「良くも悪くもかつてのエコール・ド・パリ程度」と形容しました。揶揄の気持ちも少しはあったかもしれません*7a15

【第一版のまま】The then shaky social conditions brought about by the collapse of the so-called "bubble economy" was attacked by the great earthquake in Hanshin-Awaji in Kansai area which hit on January 17, 1995, and the sarin attack on Tokyo's subways on March 20 by Aum Shinrikyo. The latter occurred during Nara Yoshitomo's exhibition "In the Deepest Puddle" which gained a favorable review at SCAI THE BATHHOUSE which moved to Yanaka, Tokyo.

【第一版のまま】Solo exhibitions by Nara had already been done several times in Germany, Nagoya and Tokyo, but this exhibition was the one which was able to seize the opportunity to get well known in the art world. Koyama Tomio, the staff at SCAI at that time, was apprehensive that Nara's work might have been seen as illustrations and not art, but he was persuaded when Nara told him that "I'll only paint what I like" *7a1. The very ordinary thought of "I paint because I love it," was naturally acknowledged*7a2. At this moment, the dogma of anti-art which has always existed at the bottom of Tokyo Pop was obliterated*7a3. Since then, the era has shifted towards the diverse notion of "anything goes."
*7a1 *7a2 *7a3 *7a4 *7a5

【第一版のまま】Hedonism is rampant in the days of lack of norms. The magazine "Bijutsu Techo" featured "Pleasure Painting" on July 1995 issue and Nara's work was used for its cover. At that time Nara was the only person who painted pure representational paintings. The greater part of the article was filled with abstract expressionist paintings by Nakamura Kazumi, Maruyama Naofumi and Domoto Yuumi. But in the next year, in 1996, when Murakami Takashi founded Hiropon Factory*7a4 and produced Mr. and Takano Aya and sent them out to the world, the art world was filled with loose representational paintings before anyone realized it. But this was also the tendency in the world, and artists like Ochiai Tam who sigened a contract with a gallery in New York and took a stance of having no relations with Japan or the international community. A special article on September 2000 issue of the magazine "Studio Voice" was titled "Honey Painting" and introduced many Japanese and world's hedonistic representational paintings*7a5. Many new artists such as Deki Yayoi, Kato Izumi, Ban Chinatu, and Aoshima Chiho made their debut, and 2000s has seen many hedonistic paintings being produced.
*7a6 *7a7 *7a8

【第一版のまま】On the one hand, non-existence of the dominating "ism" of an era encourages the rise of Mannierism, that is, technique for technique's sake, and not technique for transmitting contents. Yamaguchi Akira is a typical Mannierista who made a debut with the exhibition in 1997 "Kotatsu-ha" which was organized by Aida Makoto to introduce young artists. Yamaguchi linked the traditional technique of Eastern art to today's queer thoughts, and Ogawa Shinji used Western painting's traditional technique for simulationist non-existent expression, and the younger Kamatani Tetsutaro attained the neo-superreal through the development of mixed media materials. These male artists make the pursuit of subtle manniera their pride, but the works of female artists such as Fukaya Etsuko, Konoike Tomoko, Noda Yukie, and Matsui Fuyuko from around 2005 are more proliferous and miniature. The Mannierism in sculpture is represented by Odani Motohiko who also displays his ability in media works.
*7a9 *7a10

【未訳】快楽主義的な奈良美智の作品に・・・
*7a11 *7a12

【第一版のまま】On the other hand, non-existence of the dominating "ism" of an era encourages the rise of art whose content is political corresctness having no connection with fine art. It is called PC art from the initials "Political Correctness." This reminds of the works of Shimada Yoshiko who handles the problem of military comfort women, Wada Chiaki's "art of mental handicap," or "Persimmon Tree Project" by Miyajima Tatsuo who gained a reputation as a digital counter artist*7a6. What is important here is the former phrase "political corresctness having no connection with fine art." Then, can't art take part in society? Isn't art art by taking part in the society? There are many ways to answer this question and as with outsider art, it contains considerably deep-rooted issues*7a7 .
An affirmation of the very natural thing, "I paint because I love it," produces many personal novel-like attitudes. There appeared drawings where small personal things are uttered endlessly, installations where everyday life seems to be extended in to it. In photography, Araki Nobuyoshi took the world of photography by storm with his declaration of "photo 'I' ism," and in the latter half of the 1990s, pictures called Girly Photo emerged. The photographers were HIROMIX, Ninagawa Mika, Nagashima Yurie, as well as others. These artists owe their emergence to the development of the throwaway compact cameras and Print Club which became fashionable. This was just before digital cameras came into wide use in around 2000.
*7a13 *7a14

【未訳】西洋も含めて循環史観的な見方をするならば・・・
*7a15

【註確定】

*7a1
小山登美夫はインタビューで次のように語りました。「僕の中で奈良さんの作品は微妙なラインだったんです。今でも彼の作品はイラストレーションって言われたりするじゃないですか。それで本人に『イラストレーションとどこが違うの?』って聞いたんです。そうしたら『僕は自分の好きなモノしか描かないよ』って言われて。そう言われて単純に観れば、すっきり物事は見えてくるんです。イラストレーションの人はプロフェッショナルな仕事だから本とか文章があって、それについて描く事ができる人だけれど、奈良さんってそういうのはダメなんですよね」。(「ロープス・ルッカー LOOKERS INTERVIEW No.005 TOMIO KOYAMA GALLERY 小山登美夫氏」 http://www.loaps.com/looker+index.id+24.htm 2007年11月23日訪問。2014年8月18日サイト消失を確認。)
【和文決定済・英訳可】

*7a2
ここで、2014年時点での日本語の「イラストレーション」(しばしば「イラスト」と省略)の語が持つ二つの意味ならびに用法の確認をしておきます。一番目は「わかりやすい具象画」です。古くからある子供向けの絵本的なものから、素朴画、さらには近年の萌え系やエロ系の同人イラストまで含みます。表現者が純粋美術の文脈を全く気にせず自分の好きなものを好きなように描く絵のことですが、例えば同人イラストには同人ならではの語法と価値観が共有されています。二番目は「商業イラストレーション」です。狭義には職業イラストレーターが発注者の意向にしたがい代価と引き換えに描く図像のことで、応用美術です。広義にはここから派生した1980年代の「反イラスト」の流れも含みます(*5a1、*5c11、*8a6参照)。ちなみに英語の「イラストレーション」の原義は情報を図解する図版の意にすぎず、日本語一番目の「わかりやすい具象画」という意味は無く、二番目の「商業イラストレーション」とイコールでもありません(都築潤はしばしばこの指摘をしています)。注意を要するのは日本には「反イラスト」があったせいで、「わかりやすい具象画」と「商業イラストレーション」の境界が曖昧でしばしば混同されがちなことです。そしてもう一つ知っておいてほしいのは、「わかりやすい具象画」か「商業イラストレーション」かにかかわらず、「イラストレーション」の語は純粋美術の側からは「美術ではない」と同義だということです。すなわち純粋美術の側からの「イラストレーション」というレッテルは、揶揄として成立するということです。ところが私の経験では、2005年頃からこの揶揄が必ずしも成立しなくなりました。
【和文決定済・英訳可】【第一版のまま】Here let me confirm the two meanings of the word "illustration." One meaning is outsider-like representational paintings where they draw what they like as they like without any relation with art history. The other meaning is such paintings as drawn as commercial art according to clients' idea regardless of one's own taste.

*7a3
このエピソードは次のように解題できます。小山登美夫は奈良美智の作品を、最初は「わかりやすい具象画」の意のイラストレーションに見えるから「イラストレーションである、つまり美術ではない」と危惧しました。ところが作家の言葉を聞いて、次には「商業イラストレーション」の意のイラストレーションではないから「イラストレーションではない、ならば美術だ」と判断しました。つまりイラストレーションの語の一番目と二番目の意味の混同をきっかけに、このとき以降は、一番目をイラストレーションとは呼ばず美術と呼んで迎え入れてもよいことにしたという事態です。これは、外部の表現をアウトサイダー・アートと呼んで美術側に搾取する図式に似ています。もっとも、アウトサイダー・アートに対する美術側の態度は拒否と称揚の繰り返しです。
【和文決定済・英訳可】【第一版のまま】 In the sense of the former meaning, Koyama was at first apprehensive that Nara's work might have been taken as illustrations, but after Nara's words, understood that his works were not illustration in the latter meaning. In other words, the latter is not regarded as art, but the former is recognized as art. The art-side attitude toward outsider art is repetition of rejection and applause, and in the age of diversity they gain applause.

*7a4
シミュレーショニズムとしての再現芸術に通底していた反芸術のドグマとは、簡単にいえば表現不信でした。たとえば盗用あるいは自己同一性の否定だったり(6a)、没個性的あるいは確信犯的だったり(6b)、コンセプトありきのレディメードだったりするようなことです(6c)。特に絵を、「好きだから描く」というようなストレートさは、持ち合わせませんでした。これは、美術家の中村ケンゴが1995年以前を振り返って発言した「とにかく美術やってるやつで絵なんて描いているやつなんていなかった」にもよく顕れています(シンポジウム「20世紀末・日本の美術-それぞれの作家の視点から」2012年7月23日公開 http://jart-end20.jugem.jp/ 2014年8月20日訪問)。ちなみに1960年代のネオ・ダダにおける反芸術のドグマは、「美術作品らしいものはいっさいない」でした(3a)。
【和文決定済・英訳可】

*7a5
再現芸術の時代に、例外的に絵を描いていたのは会田誠でした。しかしながら、たとえば彼の「雲古蜚蠊図」では、作者の嫌いなウンコ (雲古) やゴキブリ (蜚蠊) が、敢えて由緒ある古典的な技法によって精緻に描かれていました。また、彼の「デザイン」という作品は、スペースシャトル爆発事故という題材を、不謹慎にも確信犯的に美しく描いたものでした。つまり「嫌いだから描く」「嫌がらせとして描く」等であり、「好きだから描く」ではありませんでした。このような会田誠の作風は、表現不信としての再現芸術の一典型であると同時に、本節で扱うマニエリスムに先鞭をつけたものでもあります。
【和文決定済・英訳可】【第一版のまま】For example, in "A Scene with Shit and Cockroaches," Aida Makoto dared to draw shit and cockroaches which he detests using a historic classical technique. And the idea of his "Design" was gotten from such an imprudent subject matter as the explosion of the space shuttle. The dogma of anti-art that had always existed at the bottom of Tokyo Pop indicates such situation as "I draw as I detest it," "I draw as harassment," "I draw as a masochist pose," etc.

*7a6
同じ号の『美術手帖』に、中村一美のロング・インタビューが特集外の扱いで大きく掲載されていたことも、フォーマリズム絵画が描かれる文脈が1990年代にも連綿とあったことを示唆しています。立体も含めてこの流れを当時総括した展覧会が、1995年6月から8月にかけてセゾン美術館で開催された「視ることのアレゴリー-1995:絵画・彫刻の現在」でした。これは会期を3期に分け計30名を展覧した大規模なものでしたが、西村智弘によれば、本展を最後にこの文脈は衰退していったとのことです(*6b1参照)。そして丸山直文は狭義のモダニズムから離れ具象的なイメージを描くようになりました。
【和文決定済・英訳可】固有名 Sezon Museum of Art, Allegory of Seeing - 1995: Painting and Sculpture in Contemporary Japan

*7a7
エリザベス・ペイトン、ルック・トゥイマンス、スー・ウィリアムスといった画家の輩出を指しています。
【和文決定済・英訳可】固有名 Elizabeth Peyton, Luc Tuymans, Sue Williams

*7a8
しかし、このように規範が無いままわかりやすい快楽を提供するのが美術だとすると、1980年代から1990年代にかけて大いに日本の大衆の支持を集め、アートの代名詞くらいの存在となっていたヒロ・ヤマガタやクリスチャン・ラッセンらインテリア・アートの画家たちが、なぜに、美術界からは全く無視され忌避され続けていたのか、その根拠がわからなくなります。この号の『スタジオボイス』には特集の一環として、編集者が難色を示したにもかかわらず村上隆と私が押し切って行った対談「ヒロヤマガタとは?」が収録されています。これは1998年から私が提唱していた「ヒロ・ヤマガタ問題」を、アウトサイダー・アートや市場の問題も絡めながら議論したものでした。ヒロ・ヤマガタは2003年に作風転換し市井から忘れ去られ、同時に美術関係者が無意識に抱いていた忌避感情も忘れ去られましたが、来日を繰り返すクリスチャン・ラッセンは2000年代にも大衆から支持され美術界から無視される存在であり続けました。そこに着眼した美術家の原田裕規は2012年に敢えて現代美術の画廊である東京馬喰町のCASHIで「ラッセン展」を企画、翌2013年に編著書『ラッセンとは何だったのか?』(フィルムアート社)を上梓し、さまざまな議論を喚起しました。
【和文決定済・英訳可】【第一版のまま】However, if art is to present pleasure, thus having no norm, I cannot find any ground for answering the question why Hiro Yamagata and Christian Lassen are completely ignored and kept at a distance from the side of art. In this issue of Studio Voice, a talk by Murakami and myself is recorded where we endlessly talked about "Hiro Yamagata issue."

*7a9
手法や様式を意味するイタリア語マニエラに由来するマニエリスムは、盛期ルネッサンスの後退期に当たる16世紀のイタリアを中心とする美術の国際様式で、新航路発見によるイタリア半島の衰退と宗教改革によるローマ教皇の権威失墜と軌を一にしました。特徴は自己目的化した技巧や極端な人工美、貴族的洗練、歪曲、奇想、引用さらには模倣等で、不安な世相を反映したキモワル風味や、私の印象ではネガティブな感情も作品表面に垣間見えます。この語は続くバロック時代に、前時代の無内容な技巧主義や退屈な模倣に対する揶揄として登場したものでしたが、20世紀前半の多様性の時代にシュルレアリストたちによって再評価されました。さて、前述のマニエリスムの諸要素は16世紀の西洋美術に限らず、時勢や芸術の後退局面にしばしば顕れがちです。19世紀末のアール・ヌーヴォーや、日本の短歌の歴史では余剰美や本歌取りの『新古今和歌集』等です。1995年以降の日本の美術にも当てはまると思います。*5c3参照。
【和文決定済・英訳可】

*7a10
1995年以降の日本のマニエリスムに連なる話題を三つ追加しておきます。一番目は、東京ポップの重要な立役者の一人だった池内務が率いるレントゲン藝術研究所が、移転と改称の後、レントゲンヴェルケとして2002年から標榜し始めたコンセプトが「hyper technic」(超絶技巧)、「smooth surface」(平滑表面)、「cool beauty」(冷徹美学)だったことです。2008年から「hyper technik」(超絶技巧)、「solid shock」(固体衝撃)、「clever beauty」(怜悧美学)に変更されましたが、どのみちマニエリスムの一側面をよく表しているように思われます。彼がスパイラルで2010年から企画している展覧会シリーズ名は「巧術」(Koh-jutsu)で、こちらでは日本の伝統工芸との接続が目論まれています。二番目は急速に台頭してきた中国の現代美術が、2005年頃から日本にも身近になったことです。展覧会による紹介だけでなく、中国で開催されるアート・フェアに日本の画廊が進出するようになりました。ところが作品価格の高騰に涌く中国の現代美術は、そのほとんどが、シニカル・リアリズムの方力鈞(ファン・リジュン)や中国キッチュの俸正傑(フォン・ヂョンジエ)を筆頭とするキモワル風味のマニエリスムでした。日本のコマーシャルギャラリーが扱う作家の人選に、ある程度影響があったと思われます(*7d6参照)。三番目は、美術文脈でないため趣を異にしますが、おたく文脈のイラストはもともともと独自の歪曲や洗練の語法にのっとったうえで、巧さが競われる世界でした。また、n次創作という引用の伝統もあるため、いろいろな意味でマニエリスム的です。このおたく文脈のイラストが、2007年に公開されたpixivなどの画像投稿SNSの隆盛によりさらに裾野を広げ、多様性時代の美術文脈との境界を侵食し曖昧化するという現象が起きてきました。
【和文決定済・英訳可】固有名 方力鈞 Fang Lijun 俸正傑 Feng Zhengjie

*7a11
表現主義とマニエリスムは本来対極的なものだと私は考えます。簡単にいえば荒さはあってもポジティブな感情からほとばしるものが表現主義、ネガティブな感情から技巧を研ぎ澄まさざるをえなかったものがマニエリスムだからです。すると表現主義を「ヘタうま」、マニエリスムを「うまヘタ」と解することも可能です(5c参照)。奈良美智の場合はこの図式通り、1995年頃以前がヘタうま風の表現主義、1995年頃以後がうまヘタ風のマニエリスムと、ある程度切り分けて考えることが可能です。しかしながら、ヘタうまとうまヘタがしばしば混同されがちなように、常に綺麗に切り分けられるとは限らず、後述する第四表現主義では曖昧な事例も少なくありません(8a参照)。また、表現主義と快楽主義の親和性は高いですが(例:奔放なタッチの快楽)、マニエリスムと快楽主義の親和性も高いため(例:精緻なマニエラの快楽)、快楽主義との混同も表現主義とマニエリスムの曖昧化の一因となります。
【和文決定済・英訳可】

*7a12
ちなみに「pretty」あるいは「cute」と英訳されていた日本語の「かわいい」の語は、そのまま「kawaii」と表記されることが増えてきました。奈良美智や日本のサブカルチャーの輸出を契機として、「翻訳不可能なひとつの美的範疇として次第に認知されるようになった」との記述が辞典にあります(星野太「かわいい系」『アートスケープ アートワード』 http://artscape.jp/artword/index.php/かわいい系 2014年9月29日訪問)。
【和文決定済・英訳可】

*7a13
乱暴にいえばこれが後述するマイクロポップです。*7e2参照。
【和文決定済・英訳可】

*7a14
生誕60周年記念としての写真集『写真私情主義』(2000年、平凡社)、個展「写真私情主義」(2000年、Taka Ishii Gallery)。ちなみに1983年にも『カメラ毎日』誌上で「写真私情主義」という名の連載をしていました。
【和文決定済・英訳可】

*7a15
中ザワヒデキ「エコール・ド・パリみたいなNY」『NEWSLETTER』2003年2月号 Vol.44、SAISON ART PROGRAM、6-7ページ
【和文決定済・英訳可】

奈良美智 (1959- ) / NARA Yoshitomo / Candy Blue Night / 平成13年 / 2001 / acrylic on cotton / h.116.5 x w.100cm / (C) 2003 Yoshitomo Nara / photo: Yoshitaka Uchida, Nomadic Studio
- 名刺を差し出された相手が『イラストレーション』誌の編集長だと知ったとき、奈良美智は「うわあ、僕はこの雑誌に何度作品を持っていこうとしたことか」と口走ったそうです。結局他人と比較されるのが嫌で持ち込みはしなかったとのことでした(「EDITOR'S ROOM」『イラストレーション』1998年3月号、玄光社、140ページ)。1980年代の「反イラスト」界隈に身を置いた私としては、このエピソードに対してやや複雑な思いがあります。奈良美智の作風は、『イラストレーション』の誌上公募展「チョイス」風の「反イラスト」にも見えますが、たとえば1980年代だったらそのジャンルごと美術ではないとして、美術界からは拒否されていたのです。ところが今日では美術としてもてはやされています。
- 【和文決定済・英訳可】【第一版のまま】When NARA Yoshitomo 奈良美智 knew that the person with whom he exchanged cards was the chief editor of a magazine "Illustration," he said to him thoughtfully, "When I was young, how many times I tried to bring my work to CHOICE (a public contest appeared in the above magazine)." He never made an application for it because he did not like to be compared with others. As I advocated "anti-illustration" in the 1980s, I have mixed feelings for this episode. His style is typically CHOICE-like anti-illustration but, at that time, the genre itself was rejected not as art. Today, on the contrary, it is praised as art without any questions.


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履歴(含自分用メモ)

2014-08-22
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*7a2 もっとも、このことの萌芽は中村政人によっても現れていました。ザ・ギンブラートは「Artとはなにか?という普通な疑問に、より普通に答えるための試み」と告知されていたのです。
A sign of this was also seen by Nakamura Masato. Ginburart was notified of "a trial to answer more naturally to the natural question of 'What is art?'"
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*7a6 「時の蘇生」柿の木プロジェクト --- 1945年に長崎で被爆した柿の木の二世の苗木を配る活動を、アートとして応援していくプログラム。
REVIVE TIME Kaki Tree Project (kaki means persimmon) --- A program for supporting an activity as art to deliver saplings of the daughters of an atomic bombed persimmon tree in Nagasaki in 1945.
- 第一版の以下を削除
ここで問題なのは「美術文脈ではない社会的正義」という先ほどのフレーズです。それでは美術は社会に関われないのか? 社会に関わってこそ美術なのではないか? この問いに対する回答の仕方はさまざまで、アウトサイダー・アートと同様に案外根深い問題を孕んでいます*7a7。
*7a7 たとえば森村泰昌の海外の成功は、ミレーの「晩鐘」の背景に水爆写真があしらわれた作品によるものであるとか、村上隆がニューヨークで開催した「リトル・ボーイ」展は結局はPCであるとかの言説もあります。私は会田誠が1996年に「戦争画リターンズ」のシリーズを発表した際に「ブルータス、おまえもか」と思いました。かく言う私の本書もPCなのかもしれません。なお、天皇制やエイズ問題等を扱う飴屋法水の表現が強度をもつのはこの文脈においてです。美術に対する彼の態度は一貫していて「アートに対して自分は全く興味を持たないが、自分の表現に呼び名と居場所を与えてくれるという点でのみ、アートを評価する」です。
For example, some say that overseas success of Morimura Yasumasa owes a work of Millet's "Angelus" where there is an H-bomb picture for a background, and some say that "Little Boy" Exhibition held by Murakami Takashi in New York was nothing but PC itself. When Aida Makoto first exhibited a series of "War Paintings Returns," I thought "You also, Brutus." This book by myself may be called PC. The reason why the expression by Ameya Norimizu who treats the Emperor system of Japan or AIDS problem has strength is in this context. His attitude toward art is consistent. He says "I do not have any interest in art, but I estimate art just in the point of its giving my expression its name and address."
- 第一版の以下を削除
コンピューターを使用した電脳美術の歴史は1960年代からありますが、パソコンの登場により状況が変わったのは1990年前後でした。ヴァーチュアル・リアリズム幻想と企業の後押しに支えられ、マルチメディアまたはメディア・アートと呼ばれて一定の隆盛がありました。ただ、美術界から見れば外部的な存在で、かつて万博芸術をタブー化した経緯とも無関係ではないはずです。2000年前後、誰もがパソコンを使いインターネットでEメールをするのが当たり前となると、「未来」「先行」に依拠した電脳系はその存在基盤を失い始めました。もっともそれを見越して1990年に私が始めたのが「バカCG」だったという面があり、1990年代中葉はサブカルチャー・シーンでの電脳文化にコミットしてフロッピーディスクのアート・レーベルや数々のインタラクティブ・アニメーションを制作、1996年には世界初となる三次元塑造ソフト「デジタルネンド」を開発し、3Dビットマップの原理体系全体にかかる特許を取得しました。
The history of cyber art which uses computers started in the 1960s, but since around 1990, the situation has changed with the introduction of personal computers and grew in constant prosperity supported by virtual reality fantasy and enterprises under the name of multimedia or media art. But its existence was nothing but an external one as seen from art world and it may related with details where Expo-Art was put under taboo. Around 2000 everybody started using a personal computer and sending email on the internet, and cyber culture that depends on "future" and "proceeding" began to lose its existence basis. In anticipation of it, I started "Silly CG" in 1990, and in the middle of 1990 I produced floppy disk art labels and many interactive animation committing to cyber culture in the subculture scenes. In 1996 I invented world first application software "Digital Nend (Clay)" and got patents on whole theory concerning 3D bitmap.
- 言えます→いえます に統一
- おこなわれ→行われ に統一
- 第一版から変更。しかし英文との調整が必要。
・「」(カギカッコ)-1.会話文を括るとき、2.他の文章を引用するとき、3.強調したい部分を括るとき、4.企画名・記事名・論文名・芸術作品名を括るとき
・『』(二重カッコ)-1.書名・雑誌名・新聞名を括るとき、2.カギカッコの中でさらにカギカッコを使いたいとき

2014-08-23
- 7a10削除し、番号改訂
「1995年に地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教と、1995年に放映開始された『新世紀エヴァンゲリオン』には、ハルマゲドンや人類補完計画など、超越的なるものへの欲望という共通性があり、私的問題と人類の命運が短絡するセカイ系というキーワードでくくりうる。そして1960年代に観念美術を創始し、『人類よ消滅しよう行こう行こう反文明委員会』(『行こう』にはサンスクリット語で涅槃を意味する『ギヤテイ』とルビが振られる)という標語を掲げた松澤宥は、セカイ系アーティストである」という内容の講義を聴いたことがあります(「オブジェ」概念をめぐって-松澤宥の仕事から考える 講師:土屋誠一、美学校、2014年7月12日)。私は、1997年のP-Houseでの初個展「Phantom-Limb」以来一貫して「幽体の知覚」を追求している小谷元彦の、塑像的で現世的な物質感覚を欠き、彫像的で此岸的なイデア感覚を惹起する諸作品にも、セカイ系的な気分を感じることがあります。4aも参照ください。

2014-08-24
- タイトル変更。旧:快楽主義とマニエリスム、エコール・ド・パリ的状況 Epicureanism and Mannierism, Like the Ecole de Paris
- 本文改変。旧:写真では2000年に60歳を迎えた荒木経惟が「写真私情主義」と打ち出した一方で*7a13、当時20歳前後のHIROMIX、蜷川実花、長島有里枝らの私的写真がガーリー・フォト(女の子写真)と呼ばれ注目されました。
- 7a13改変。旧:写真集『写真私情主義』(平凡社、2000年)。個展「写真私情主義」(Taka Ishii Gallery、2000年)。ちなみに1983年にも『カメラ毎日』誌上で「写真私情主義」という名の連載をしていました。
- 本文改変。旧:巷では「怖い」と「可愛い」を一語にした「コワかわいい」という新語がこの時期に登場しましたが、奈良美智が描くマニエリスムと快楽主義の同居した子供のキャラクターも、コワかわいいの典型でした
- 7a12追加し、番号改訂

2014-08-25
- 引用ルールをもとに数カ所の引用箇所の修正。

2014-09-04
- 注記番号の瑕疵を修正。

2014-09-12
- 7a2書換。旧:ここで、2014年時点での日本語の「イラストレーション」(しばしば「イラスト」と省略)の語が持つ二つの意味ならびに用法の確認をしておきます。一番目は、表現者が純粋美術の文脈を気にすることなく自分の好きなものを好きなように気軽に描く絵のことで、その多くは塗り絵的で大衆にもわかりやすい具象画です。二番目は、職業イラストレーターが自分の思想や好き嫌いではなく、発注者の意向にしたがって代価と引き換えに描く図像のことで、応用美術の範疇です。ちなみに英語での原義は情報を図解する図版の意にすぎず、日本語の一番目の「わかりやすい具象画」という意味はなく、二番目の「応用美術」だけを指すわけでもありません(都築潤はしばしばこの指摘をしています)。注意を要したいのは、1990年代の日本においては、1980年代の「反イラスト」を通過していたため(5c参照)、本来異なるはずの一番目と二番目の意味がしばしば混同されがちだったことです。また、一番目は美術文脈が意図されていないため美術の外部と目され、二番目の「応用美術」が純粋美術でないことも自明でした。すなわち一番目か二番目かにかかわらず、「イラストレーション」の語は「美術ではない」と同義であり、純粋美術の側からの「イラストレーション」というレッテルは揶揄として成立していました。ところが私の経験では、2005年頃からこの揶揄が必ずしも成立しなくなってきています。
- 7a2書換に合わせ7a3の語一部改変。旧:このエピソードは次のように解題できます。最初、小山登美夫は奈良美智の作品を、一番目の「わかりやすい具象画」の意のイラストレーションに見えるから美術ではないと危惧しました。ところが作家の言葉を聞いて、二番目の「応用美術」の意のイラストレーションではないから美術であると判断しました。つまりイラストレーションの語の一番目と二番目の意味の混同をきっかけに、このとき以降は、一番目をイラストレーションとは呼ばず美術と呼んで迎え入れることにしたという事態です。これは、外部の表現をアウトサイダー・アートと呼んで美術に取り込む図式に似ています。もっとも、アウトサイダー・アートに対する美術側の態度は拒否と称揚の繰り返しで、多様性の時代には称揚される傾向にあり、1995年のこのエピソードもその一つの証左と考えることが可能です。
- 7a2再度書換。旧:ここで、2014年時点での日本語の「イラストレーション」(しばしば「イラスト」と省略)の語が持つ二つの意味ならびに用法の確認をしておきます。一番目は「わかりやすい具象画」です。古くからある子供向け絵本の世界的なものから、近年の萌え系やエロ系の同人イラストまで含みます。表現者が純粋美術の文脈を気にすることなく自分の好きなものを好きなように描く絵のことで、塗り絵的なものも含みます。二番目は「商業イラストレーション」です。職業イラストレーターが発注者の意向にしたがい代価と引き換えに描く図像のことで、応用美術です。ちなみに英語の「イラストレーション」の原義は情報を図解する図版の意にすぎず、日本語一番目の「わかりやすい具象画」という意味はなく、二番目の「商業イラストレーション」だけを指すわけでもありません(都築潤はしばしばこの指摘をしています)。注意を要したいのは、1990年代の日本においては、1980年代の「反イラスト」を通過していたため(*5a1*5c11参照)、本来異なるはずの「わかりやすい具象画」と「商業イラストレーション」がしばしば混同されがちだったことです。また、「わかりやすい具象画」は美術文脈が意図されていないため美術の外部と目され、「商業イラストレーション」が純粋美術でないことも自明でした。すなわち一番目か二番目かにかかわらず「イラストレーション」の語は「美術ではない」と同義であり、純粋美術の側からの「イラストレーション」というレッテルは揶揄として成立していました。ところが私の経験では、2005年頃からこの揶揄が必ずしも成立しなくなってきています。

2014-09-13
- 7a2再々度書換。旧:ここで、2014年時点での日本語の「イラストレーション」(しばしば「イラスト」と省略)の語が持つ二つの意味ならびに用法の確認をしておきます。一番目は「わかりやすい具象画」です。古くからある子供向けの絵本的なものから、素朴画、さらには近年の萌え系やエロ系の同人イラストまで含みます。表現者が純粋美術の文脈を全く気にせず自分の好きなものを好きなように描く絵のことですが、例えば同人イラストには同人ならではの語法と価値観が共有されています。二番目は「商業イラストレーション」です。狭義には職業イラストレーターが発注者の意向にしたがい代価と引き換えに描く図像のことで、応用美術です。広義にはここから派生した1980年代の「反イラスト」の流れも含みます(*5a1*5c11参照)。ちなみに英語の「イラストレーション」の原義は情報を図解する図版の意にすぎず、日本語一番目の「わかりやすい具象画」という意味は無く、二番目の「商業イラストレーション」とイコールでもありません(都築潤はしばしばこの指摘をしています)。注意を要したいのは日本には「反イラスト」があったせいで、「わかりやすい具象画」と「商業イラストレーション」がしばしば混同されがちなことです。また、「わかりやすい具象画」は美術文脈が意図されていないため美術の外部と目され、応用美術としての「商業イラストレーション」が純粋美術でないことも自明でした。すなわち一番目か二番目かにかかわらず「イラストレーション」の語は「美術ではない」と同義であり、純粋美術の側からの「イラストレーション」というレッテルは揶揄として成立していました。ところが私の経験では、2005年頃からこの揶揄が必ずしも成立しなくなってきています。
- 7a3再度書換。旧:このエピソードは次のように解題できます。小山登美夫は奈良美智の作品を、最初は「わかりやすい具象画」の意のイラストレーションに見えるから美術ではないと危惧しました。ところが作家の言葉を聞いて、次には「商業イラストレーション」の意のイラストレーションではないから美術であると判断しました。つまりイラストレーションの語の一番目と二番目の意味の混同をきっかけに、このとき以降は、一番目をイラストレーションとは呼ばず美術と呼んで迎え入れることにしたという事態です。これは、外部の表現をアウトサイダー・アートと呼んで美術に取り込む図式に似ています。もっとも、アウトサイダー・アートに対する美術側の態度は拒否と称揚の繰り返しで、多様性の時代には称揚される傾向にあり、1995年のこのエピソードもその一つの証左と考えることが可能です。

20140929【和文本文決定】【和文注記決定】【和文作品解説決定<取消】
- 和文本文…第5段落(快楽主義的な奈良美智の…)新規追加、第6段落(時代支配的なイズムの不在は…)は第一版の二つの段落を切り貼り、最終段落(西洋も含めて循環史観的な…)は新規追加。第一版の最終段落は削除。
- 和文注記…かなりが新規です。第一版7a4は削除。
- 和文作品解説…やや変えています。
20140929の2【和文本文決定後ナオシ済】【和文作品解説決定後ナオシ済】
- 語句交換:気色のわるい→キモワル風味、最終段落の「つまらない」を別様に言い換え
20141001【和文注記決定後改変】
- 7a13の参照先を7e2に変更しました(英訳に影響なし)。
■初校時改変(注記*7a2参照先)[2英文に影響]:含みます(*5a1、*5c11、*8a6参照)。ちなみに>>含みます。ちなみに
■初校時改変(注記*7a2参照先)[2英文に影響]:なりました。>>なりました。反イラスト→5c
■初校時改変(注記*7a5参照先)[2英文に影響]:あります。>>あります。会田誠→*6d7
■初校時改変(注記*7a6参照先)[2英文に影響]:ことです(*6b1参照)。そして丸山>>ことです。そして丸山
■初校時改変(注記*7a6参照先)[2英文に影響]:なりました。>>なりました。日本のフォーマリズム→*6b1*7e2
■初校時改変(注記*7a9参照先)[2英文に影響]:思います。*5c3参照。>>思います。スーパーリアル・イラストレーション→*5c3
■初校時改変(注記*7a10参照先)[2英文に影響]:思われます(*7d6参照)。三番目>>思われます。三番目
■初校時改変(注記*7a10参照先)[2英文に影響]:起きてきました。>>起きてきました。中国アート・マーケット→*7d6
■初校時改変(注記*7a11表記)[1英文無関係]:を「うまヘタ」と>を「ウマへた」と
■初校時改変(注記*7a11表記)[1英文無関係]:がうまヘタ風>>がウマへた風
■初校時改変(注記*7a11表記)[1英文無関係]:とうまヘタが>>とウマへたが
■初校時改変(注記*7a11参照先)[2英文に影響]:可能です(5c参照)。奈良>>可能です。奈良
■初校時改変(注記*7a11参照先)[2英文に影響]:ありません(8a参照)。また、>>ありません。また、
■初校時改変(注記*7a11参照先)[2英文に影響]:一因となります。>>一因となります。ヘタうま→*5c4。第四表現主義→*8c2
■初校時改変(注記*7a13参照先)[2英文に影響]:です。*7e2参照。>>です。マイクロポップ→7e
■初校時改変(注記*7a15出典)[2英文に影響]:『NEWSLETTER』2003年2月号 Vol.44、SAISON ART PROGRAM、6-7ページ>>『SAISON ART PROGRAM NEWS LETTER EXTRA X』No.44、2003年2月、6-7ページ。