1995年12月のまるちめ日記(95.12.01〜95.12.31)

95.12.01(金)
眼科後、渋谷のスリースカンパニーに久々に行きアロアロ商品の納品。タワーレコードが外盤すべて200円引きフェアーなので、ついつい沢山購入。目玉はずいぶん高値で売っているシュトックハウゼンの自作のレーベルの、「ETUDE〜少年の歌〜コンタクテ」。夜はつかのとOn Air WESTでTIPOGRAPHICAのポニーキャニオンからのCD発売記念ライヴ。帰社後チャットボーイ誌イラスト。

95.12.02(土)
7:45amに経堂駅改札で浅川くんと待ち合わせて、今日は東京家政大学で特別講義。中・高の同級生だった彼は芸大卒後、今は同大学で近代デザインの講義を受け持っている。タワシには拙著「近代美術史テキスト」をもとにちょっと話して、ちょっとCGの作品も見せてくれとのこと。場所は埼京線の板橋の、短大の方で、なんだか大学って懐かしいかんじやら気恥ずかしいかんじやらですね。講義では、タワシがVHSビデオの用意を怠り8mmをデッキ付きで持参したのだが、うまく壇上のシステムでは出力できず、しょうがないのでデッキの小画面をカメラ撮りするハメになってしまった。でもそれ以外は、もうテキトーにうるさく浅川先生としゃべりまくり。今世紀のモダニズムの図解を書いてしまうと、話したいことであるのでついついツッこんで深くやると、簡単に時間オーバー。タワシのイラストしか知らない人にとっては、予想外にまじめで難しい講義だったかもしれない。持参したアニメのビデオは、映りが悪いにもかかわらずウケてた様子。帰りの電車の中で読み始めた岩城宏之著「楽譜の風景」が面白くて、つい読み通してしまう。夜は田島さん夫妻、三重野姉弟と、もとみやとで、蔬菜坊とゆー精進料理のお店で会食。珍しく有り難い禅寺料理の、味のディティールを楽しむ。

95.12.03(日)
ヘアビデオの精算方法試案のチェック、等々。

95.12.04(月)
「すくすく小学生」「鳩よ!」のイラスト。JAT・ALOALO商品会議ではやっと新バージョンの「作者への支払い方法案」が完成。

95.12.05(火)
なんだか朝から沢山電車に乗って、やっと西武池袋線の狭山あたりまで着いたのが10:35am。東京家政大学の狭山校舎で、浅川くんの受け持ってるこの前とは別の学年の生徒達の特別講義。今度はVHSのテープもありの時間配分も間違えずので、ソツなく終える。そのあとは14:00をちょっと遅刻して池袋のシンプルシステムズでデジねんの打ち合わせ。先週タワシがとりあえず作ったふかんモードについて詰めの作業。

95.12.06(水)
19:00集合で歌舞伎町の地球飯店でTV東京さんよりアスク&中ザワでおもてなしを受ける。キッズボックスもデジねんもTV東京さんに出資を受けるからとゆーことらしい。

95.12.07(木)
新年カルタ大会が羽根木公園の茶室でできたらいいなってことで、1月7日の日曜日にアロアロで借りるため、抽選会に出向く。借りる日のちょうど1カ月前に抽選会があるのだ。一団体から一名しか行ってはいけないため、まえだ、つかの、もとみや、中ザワの4人は他人のフリをしなければならない。総勢10人だったので確率4割。しかし落選。梅が丘でそば屋に入り、タワシはその後吉祥寺バイト。

95.12.08(金)
眼科後、ずいぶん久々にメディアマジックに行き、キッズボックスWIN版の出来チェック。しばらく離れていたのですでにキッズボックス自体懐かしい気がする。タワシがここメディアマジックで何晩も徹夜作業したのはまだ夏のことだったが、しかしマック版完成後は井上さんと、アスクの飯島さんとでずっとWIN用に大変な苦労をしていたらしいのだ。しかしWINの性能がどうしてもマックに劣るなどのせいで、カラーサイクリングとサウンドのマシンガン効果はあきらめざるを得なかった様子。サウンドループに関しても結構ガッカリもので、せっかくタイミングにはうるさい松前くんのサウンドもちょっと残念。でも仕方がないのでご苦労さまでしたと礼を言う。ただ、細かいウッカリバグ以外には一箇所だけ、「お金じゃらじゃら」のみカラーサイクリングを切って、そのかわり反応を早めてもらうことにした。これでWIN版は一応12.23にはON SALEとなり、クリスマス商戦になんとか間に合うってかんじか? 帰社(帰宅)後、明日からバリ島行きのもとみやは「しばらく食べられなくなるから」と、煮物などを久々に自炊。

95.12.09(土)
朝7時すぎにもとみやは成田に向かって出発。タワシはちょうど一週間後に追いかける予定。ひねもすたまった仕事(Plastination発行にまつわる交通整理等)。

95.12.10(日)
13:00前に出発したので余裕かと思いきや、環八の渋滞+246の乗り間違えの上、さらに超駐車場渋滞で遠くに路駐したりしてて、14:00を15分ほど遅刻して、玉川高島屋のコミュニティサロン(だっけ?)のイラスト教室のゲスト講師。昔よく一緒に遊んだイラストレーター福井真一先生のお招きで、ゲストとして呼ばれるのは数年ぶり。まずビデオを見せると、すごくウケル。東京家政大学でも見せた、今年3月にNiCAFで会場たれ流し用に作ったごちゃごちゃムーヴィー(一応タイトルは「抽象自動書記アニメ群」)。生徒作品講評タイムでは、意外とレベルの高い生徒が多くて驚く。イラストレーション誌の吉田氏も遊び(見学?)にいらしている。講義後、お茶タイムでも講評の続きをし、さらにノミ&夕食会後、声かけた数人とともに43微分音ポップバンドSYZYGYSのライヴへ。場所は骨董通りのBLUE。なんと現代美術界でおなじみジョニー・ウォーカーさんのパーティーだった。結成10周年になる女性2人組のSYZYGYSはCD「スモウ」の発売記念ライブなのだが、なんとあさってからバイオリンの西田氏はNHKの仕事で1年間エジプトに行ってしまうとのこと。これでまた1年、SYZYGYSも見納めです。ちなみに「スモウ」CDのオビには「中ザワヒデキのフロッピーアニメ・オマケ券」がついてて、これからタワシはデータを作らなければならないのだ。音楽は超オススメ。

95.12.11(月)
CD-ROMfan1月号が届き、10月のタワシのまるちめ日記連載第1回が載っている。CMYK変換の色の悪くなり具合を大変気にされていたけど、全然これなら大丈夫ですよ>担当氏。また、いちいち数字や欧文の一部を縦書き用に打ち直してくれているみたいで、ほんとごくろーさま>担当氏。しかしこのページ、どのくらい読者が読んでくれてるのだろーか? 玄光社の来年度のイラストレーションファイルに掲載してもらう図版を決めて、各方面に掲載許可のお伺いを立てる。キッズボックスから2枚と、東方不敗ポスターと、KEIBAイラスト。

95.12.12(火)
14時に砂田さんとインファスの小川さん見えて、MXテレビのMX美術館とゆー番組の録画。60年代美術に中ザワが今やってるマルチメ芸術とやらをからめて、好き勝手に喋ってよいとゆーもので、ちゃんとホワイトボードまで言った通り用意してくれている。内容的にはかねてからのタワシの持論であるところの「20世紀芸術は繰り返す」史観と、ガロ誌に以前連載していたところの長大文章「新大陸論」「デスクトップ・オブジェ論」「想う芸術」等が中心で、「アイコン限界フロッピー」や「動かないキューティマスコット56発!」のもの派的解釈もまじえてコスースや、さらには同語反復でしかないファインアートのことなどを4時間あまりにもわたってしゃべりまくる。放映時には大体10〜15分くらいになるとのことで、大変ごくろーさまでした>砂田氏。そーいえば氏は早速CD-ROMfanのまるちめ日記を読んでいただいてたようで、なにやらいろいろタワシのことを知ってらっしゃる。こりゃシマッタ。夜はずーっと、年賀FAXのためのFAX番号リストアップ作業。年賀状作るのがちょっとおっくうなので、今度の年賀状はNTTがやってるF-NETに加入して年賀FAXで済まそうというコンタン。しかしもともとF-NETって、そーゆー一回限りの同時発送用のフォーマットになってなく、ちょっと不便だが、逆にちょっとワクワクもする。

95.12.13(水)
年賀FAX用住所録がやっと昼過ぎに出来上がり、その後アスクの本田氏と契約と広告関係の打ち合わせ。デジねんは、どうやら日本での正式名称はDigital Nendoとなりそうだ。大岡に12月末分までの給料を先払いして出かけ、18:45〜20:45、また二子玉川で福井先生の授業のゲスト講師(この前とは別クラス)。終わってからまたノミ&食事会の場でも作品講評の続き。みなとても熱心。帰社後ほぼ徹夜で明朝のデジねん会議のためにスライスモードの画面作成。ちょっと風邪ぎみ。

95.12.14(木)
朝にはビューワー画面も不完全ながら作り上げ、9:00am過ぎに出発して、アスクでデジねん会議。スライスとビューワー機能がこれでやっと決定。その後、吉祥寺の眼科をちょっと遅刻してでも、やはりどうしても今度のバリ旅行にカラーのパワーブックを持って行きたいため、秋葉原に寄る。時間無いためソフマップ滞空時間3分で買うことにし、覗いてみたらPowerBook520cの店頭展示品の現品処分が18万9000円で出ていてこれなら予算相応。しかしPowerPCの5300(だったっけ?)タイプが21万くらいで出ていてこりゃお買い得!と思ってほくほくと買ってしまう。これで今晩中に、育て上げたATOKその他をインストールしておける。眼科後帰社し、ベリベリと包装紙を剥ぎ、「あれっ?」と青ざめる。まぎれもなくそこには「16階調グレイスケール表示」の文字。しまった! いくらワープロ用とはいえモノクロはすでにあるPowerBook100で十分なのだ。慌ててソフマップに電話し、明朝に、例の520cに取り替えてもらえることになった。やれやれ、タワシも大ボケかましてしまたっ(^^;) そのあとほぼ徹夜でジャストモアイ誌用にCD-ROM「荒俣宏監修・遠近術」のレビュー書き。そう言えば今晩のジャストシステムの忘年会は、多忙&ちょっと風邪ぎみにて失礼してしまいました。

95.12.15(金)
つかのには車で秋葉原に行ってもらって、ソフマップでPowerBook交換ならびにフロッピーの買い出し。タワシは渋谷の眼科後、つかのに12月末分までの給料を先払いしてから、父も御世話になってる車屋さんに、車を預けに出かける。タワシの留守中に車検をやっといてもらう算段。そのあと青山ABCでネグロならずメルロ・ポンティ「知覚の現象学(下巻)」買い、狸穴のサルブルネイの新居での、サルブル引っ越しパーティーに直行。ほんとは今日の日中、サルブル主宰のソフトボール大会でアロアロは挑戦を受けていたのだが、もとみやもいないし中ザワは眼科だしでアロアロチームは出ず、マニュエラチームとボストークチームがサル組と戦っていたのだった。サル組の圧勝だったらしくて、さもありなん。昨年夏、下田のドッヂボール大会でサルチームに惨敗したことが思い出される。それでPOP UP COMPUTERのパーティーでは罰ゲーム「武富士おどり」やらされたもんな〜(^^;)。パルコ木下氏、キノトリ氏をはじめいろんな人達に久々に出会い、いや、なにより弦人さんと話すのが久々で楽しく、かなりワインを飲んで帰ったら1:30am。明朝バリに向かって出発なのにまだ仕事も終わってないし荷造りもできてない。だけど眠いので、1時間だけ寝ることにしよう。

95.12.16(土)
寝坊! しまった!と、飛び起きたのが5:45am。この寝坊はワインのせい? 大慌てでV-JUMPのイラスト4点をなんとか仕上げてNifty入稿し、荷造りしてたら7:30をとっくに回ってしまって、7:44経堂発上り電車にどうしても乗るために、大荷物抱えながらとにかく走る。こんなに走ったのは3年前にパリの北駅でヨーロッパ特急に乗り損ないそうになった時以来か? タワシの時計が数分進んでいたようでセーフ。これで予約しておいた新宿発8:07発NEXになんとか間に合ったってわけだが、とてもだるく疲れてしまった。9:00集合のところ9:40くらいに成田着。予想通り別段問題無し。CAPE X誌で丹羽くんが先見ゼミを取り上げてくれるというので空港から電話するもつながらず、一切を池松に託す。インドネシア用の変圧器を買い、96年スケジュール帳を買ったりしてるうちにあっという間に時間来て、ガルーダ・インドネシア873便は11:00ちょうど成田発。機内で久々にインドネシアビールのBINTANを飲み、昨日購入したメルロぽんちーを遅々と読み始める。なにやら知覚が身体に依存していることをアンチ経験主義・アンチ主知主義の立場から言ってるらしく、詳細はよくわからないのだが、結局今のタワシの関心から言うところのマルチメの話のようだ。とくにタワシの考えているクリック主義とか、デジねんでの新しいz軸解釈はこの書での視覚と触覚の掘り下げ方におおいに関連があるかも? ジャカルタで小一時間トランジット。1円20Rp.のレートでとりあえず最低限のMoney Changeも済ませ、ジャワの伝統音楽のカセットテープなど買い、少々Rp.に慣れる。4年前キノトリ氏やサルブルネイの人達らと行ったインドネシアは、バリと反対のスマトラ北端の島、WE ISLANDだったが、少しRp.の感覚を思いだした。バリのDENPASAR空港着が20:30。この空港では1円21Rp.。もとみやと、バリ絵画の勉強をしてる容子ちゃん、ならびに容子ちゃんの息子で3才の会已斗(かいと)くん達の出迎えを受け、車に揺られてウブドゥのサハティ・ゲストハウス泊。気になってたPowerBook520cのための充電は、どうもうまくいかない様子。しかしとりあえず、内臓HDはバリの空港名を記念して「でんぱざる」と命名。電波系です。しかも飛行機内でもらった、とても怪しげな「赤道通過證」とゆー彩色巨大シールを、ペタンと本体正面に貼っつける。

95.12.17(日)
朝食後近くのモンキーフォーレストに出かけて猿遊びし、リゾート地用サンダルを市場で手に入れ、バリ音楽テープをしこたま買ってから、午後は川でいかだ下りツアー(ラフティングボート)。特に期待してなかったのだがなかなかオモピロクて感激。夜はせっかく芸術の街ウブドゥなのだからと、近くの広場でやってるケチャを見に行く。予想よりは結構民謡or物語っぽいが、口リズム・アンサンブルってのはやはり面白い。考えてみればヒンドゥー文化圏って初めて。PowerBook520cの充電は、結局変圧器など介さず、直接日本とは規格違いの電圧のままコンセントに突っ込んでやればよいことが判明。もとみやが先に持ってきていたPowerBook100の電源問題は、電池の充電はアウトだが、直接つなげてる限り、一応使える。

95.12.18(月)
ついうっかり日焼け止めクリームを塗らないまま朝の散歩に出かけてしまう。しかも目的地の寺院が意外と遠い。がんばって行って帰ってきて慌てて朝食と荷造りを終え、11:15am過ぎにシャトルバスの迎えが来てバリ北端のLovina Beachへ引っ越し。これでやっと本来の目的である、ただ海岸でくつろいでリゾートするってやつに突入できるわけだ。うるさいウブドゥを後に、たったの3時間くらいの山中行でロビナ着。早速やってくるホテルの客引きを「No, thank you!」でことごとく振り切り、まずはレストランに入ってフレッシュジュース。もとみやは頭痛がするとかで、タワシが探しにいくホテルの条件に「温水シャワー」とゆ条項をつけられてしまう。レストランにもとみやを残して8kmあるというロビナビーチを、ひたすら西に向かって歩き、ホテル&部屋探し。どうも観光客に比しホテル数が余ってるようだとゆー「地球の歩き方」の記載通りで、どこもガラガラ。それにしてはタイル全面貼りだのプール付だのバブリーチックなところもあり、温水シャワー付もあるにはあるが、値段にではなくどうも雰囲気的にタワシは満足いかない。一箇所とても気に入ったところがあり、そこは白人客も逗留してたりするバンガロウなのだが、なにしろ建物や庭や、宿の人達の感じがいい。しかし温水シャワーなし。1時間ほどさまよって、そこと、別の温水シャワー付ホテルの2箇所の案を持ってレストランに戻り、結局タワシの気に入った冷水シャワーの方にしてもらう。てわけで、Parma Beach Hotelの海に面してちょっと高い 3号部屋にチェックインしたのはもう16時近く。1晩25000Rp.で一週間いたら10%引きという条件。早速目の前のビーチで一泳ぎ。黒砂ばかりでビーチとしてはあまり面白くはないが、ムンジャンガン島とゆーバリ最北西のビッグ・ダイビング・スポットへ行くには、ここロビナビーチを拠点にするのがいいらしいのだ。夜は海岸線に沿った幹線道路沿いにちょっと歩き、どのレストランも閑散としてるサマに驚きつつ、SUPERMANとゆー名のレストランで食事。「ジャパニーズ・オア・タイワン?」と聞かれる。そういえば、ここではまたも日本人ってわれわれだけのよーだ。

95.12.19(火)
またも、うっかり日焼け止めクリームを塗らないまま、朝食後すぐ目の前のビーチからもとみやと2人で泳ぎ出す。沖合いに1kmほど泳ぐと格好の珊瑚礁のシュノーケリング・スポットがあるとゆー話だ。目印が無いのだがひたすら泳ぎに泳ぐ。沖合いに何隻か船が止まっていて、とりあえずそこまで行ってみることにする。あまり近くによると漁の邪魔かと思いきや、なんだ、お客を乗せてシュノーケリングに来てた船だった。と思ったらいつの間にか下はもう珊瑚礁。いつものあの熱帯の海。すらばしー! 超カラフルな魚達にあっという間に囲まれる。ここの魚達はシュノーケルの人達が餌づけをしてるらしく、何も持ってないのに、手を目の前にかざすだけで指先にみんな寄ってくる。何回か指を噛むやつさえいる。しこたまシュノーケリングして遊んで、帰りは船のニイちゃんに交渉してParmaの前まで2人で5000Rp.で連れてってもらう。昼食はシーフードレストランで、またも「ジャパニーズ・オア・タイワン?」と聞かれる。もとみやによるとタワシのクセのある眼鏡が日本人離れして見える所以らしい。午後はやっとバンガロウの部屋の前で、海に向かってPowerBook520c。これでやっと12月2日で止まっていた「まるちめ日記」の続きをつける事ができる。ところが、どうしてもATOKの調子がよくない。手塩にかけて育てたATOK辞書をせっかくインストールしたっつーのに。「西武」も「池袋」も変換できるのに「せいぶいけぶくろせん」でバグるとはこれいかに? しかもキーボードに印刷してある文字と全然違う文字が一部タイプされる。おそらくATOK8システムのインストールに失敗してるのだろう。あまりに頻回にわたりシステムエラー起こすのでついにあきらめがつき、あまり好きくないことえりで我慢することにする。で、ことえりにしたらとっても快適に日記書きができ、ウォークマンでバリテープ聞いたり、ポットにホットウォーターを調達してネスカフェ入れたりしながら、やっとリゾートってかんじ。

95.12.20(水)
今朝はやっと厳重にSPF30の日焼け止めクリームを塗りたくり、昨日と同じ珊瑚礁まで1kmの泳ぎ。今年はちゃんと度入りのシュノーケリングマスクで来てるので、コンタクトレンズを気にせず存分にシュノーケルできるのがいい。大体、この方がよく見える。今日は帰りは船に乗らず、珊瑚沿いに浜辺に近寄ることにする。そしたらずいぶんParmaより西の方に上陸することなった。午後は炎天下を散歩。幹線道路はゲロ暑。海岸沿いならまだマシ。2日前にシャトルバスから降ろされた場所より、ちょっと東側が栄えている事を知る。しかしそれほど白人も多くなく、ましてや日本人も台湾人も見当たらない。それにしては海岸でわれわれに声をかけてくる物売りの人達は、結構みんな日本語を喋ってくる。まったく買う気はないのでことごとく「No, thank you!」で振り切っているうちに、なんだか自分の名前はミスター・ノー・サンキューだったのではないかと思えてきてしまった。そうもとみやに話したら、では「No!」だけ言えばいいとのこと。しかし、それでは唯ノー論になってしまうではないか。ずいぶんな距離を炎天下歩いてしまったので、帰りは幹線道路でベモ(現地の人達の使う乗り合いバス)をつかまえ、一人200Rp.で無事Parma着。その後まるちめ日記が、やっと今日のとこまで追い付く。いつの間にかParmaも混んできていて、となりの空部屋には元気な白人おばさんが2人入居してきた。別の部屋にはどうやら、さっきまでわれわれだけかと思ってたのに別の日本人が入居してきた様子。

95.12.21(木)
6:00amにドルフィン・ウォッチングの迎えが来ることになってるのだがあいにくの雨。でも空を見たら晴れ間もあり、雨も止んできたので行くことにする。海上で日焼け止めクリームを塗ったり、きれいな虹が出て喜んでいたのもつかのま、また陽が陰り、寒くなる。おまけに風が強く波をかぶり、どんどん寒くなる。そういえば2年くらい前に小笠原でイルカの大群に囲まれたときも、けっこー寒かったっけ。1時間以上してやっとイルカに出会える。しかしほんのちょっとだけだ。海上はあれよとゆーまにわれわれのようなドルフィンボートが24隻もいて結構なにぎわい。シーズンの6月や7月だと60隻ほども出るのだという。帰りに昨日とは別のダイビングスポットに行ってくれる約束だったのだが、あまりに寒いのでそこでのシュノーケルはあきらめ、用意してもらったフライドバナナのブレックファースト。9:00過ぎにParmaに戻る。昨晩寝違えてしまったのか、首筋も痛い。この、首筋痛めるってやつは持病チックかもしれなくて前回はヘアライヴの前だったから9月以来だ。マンディ(シャワー)場のタイルを見ているうちに作品アイディア浮かび、天気がすぐれないのをいいことにPowerBookでミニマリスティックな作品を午後中かけて作り上げてしまう。こんなイラストチックでない作品、世間は許してくれるだろうか? 一応バカ・ミニマルのつもりだが。ちなみにトラックパッドで絵を描くのは初めてだが、マウスに比べてドットまで正確には描きにくいことが判明。夕食タイムにバリビンタン通り(とわれわれが勝手に呼んでる通り)のダイビングショップで、明日のムンジャガン島ダイヴを予約してしまう。首筋が治る予定の上だ。早々と就寝。

95.12.22(金)
夜中の2時過ぎに目覚め、首筋はかえって痛むようだ。でも寝付けないので昨日味をしめたタイル作品に続くバカ・ミニマルシリーズとして、ブロック作品というものを作り上げてしまう。明け方寝付き、7:00am過ぎに目覚めたらさらに首筋の具合悪し。もとみやには悪いがダイビングは彼女一人で行ってもらうことにし、タワシは留守番。よく晴れた庭を前に、ずーっとバカ・ミニマルの続きの作品を作ろうとするが、なかなかうまくいかない。作品ができないと、けっこー落ち込む。夕方戻ってきたもとみやによるとムンジャガン島は沖縄並みにきれいだが、ダイビングショップのスタッフが失礼な最低野郎だったとのこと。タワシが今日キャンセルした分は延期扱いだったが、キャンセル料払って正式にキャンセルすることにする。夕食時読んだメルロぽんちーの空間認識の章では、なにやら八谷君の視聴覚交換マシンや体外離脱マシン、さらには倒立のバゼリッツなどと関係することが書いてあるのだろうか? なかなかうまくいかなかったバカ・ミニマル3作目は、夜になってから壁紙作品としてなんとか完成させる。

95.12.23(土)
ドルフィンウォッチングの時やり残したシュノーケリングの迎えに、兄ちゃんが9:00amにやってくる。裸足でボートに向かう途中に何かを踏んでしまい左足に怪我をしてしまった。肉がえぐれてる。首筋は昨日ほど痛まず、約束の「きれいなコラールのスポット」でシュノーケリング。魚は少ないが様々な珊瑚、とくにグリーンコラールが多い。2時間ほど遊んでから、いつもシュノーケルしている魚の多いスポットにも連れてってもらう。なるほど、こちらの珊瑚は少々痛んでいるのだ。魚が多く、ちょっと浅めでハデではあるが。それにしても水中の3次元感覚は面白い。デジねんにもメルロぽんちーにも通ずるものを感じる。午後は、今イラストレーション誌で連載している「その後のバカCG〜HISTORY OF BAKA CG〜」で今まで書きためた文章のチェック。うむー、思ってたより読みづらい内容のような気がしてなんだか落胆。帰国後早々に次の回の原稿を入稿しなきゃならないのだが、それまでに連載内容を大幅変えてみようかなどと野望を募らせてるうちに、あっとゆーまに夜。前回とは違うSPICE DIVEとゆーなにやら体育会系チックなダイビングショップで、明日のムンジャガン島ダイブを予約。また、予定を変更して25日にはロビナビーチを離れてバリ最南端のマリンスポーツの地、サヌールに行くことに決める。もとみやがぜひともパラセイリングとバンジージャンプをしたがっているのだ。

95.12.24(日)
メリークリスマス。8:00amにSPICE DIVEに出向き、1時間半の超高速運転シャトルバス後、船付場から20分くらい船に乗って、バリで最高のダイビングスポットと言われるムンジャガン島着。位置的にはバリ最北西に当たる。シュノーケル組は3人、ダイヴ組はわれわれ含めて4人で、ま、インターナショナルな交流っつーんすか? 英会話が得意でないのがいつもこゆ場面で損。ちょっと曇りなのであまり光が海中に届かないけど、でもやっぱ珊瑚の海はすげーきれい。SPICE DIVEはとてもきちっとしたダイヴで、深度と時間計画に綿密な体育会系のダイヴを経験させてくれたが、20m位までしか潜らせてくれなかったのがちょっと残念。午後のダイヴではセフィア(茶色いイカ)に出会う。セフィアは一昨年のエルニド以来の出会い。ダイビングって、またシュノーケリングとは全然違った、ある種の呼吸法なわけでもあるのだが、その状況とゆーものが何度やっても面白い。ちなみに首筋の痛みにはシュノーケリングやダイビングはかえってよかったようだが、バスがよくない。PARMAに戻り、バカミニマル3作目としていったんは完成させた壁紙作品をもっとわかりやすく、「壁紙の破綻」というものに改変。夜は、ダイビングで知り合った連中が「ここにいるから」と言っていたSEA BREEZEとゆーお店が見つからず、JOHNIS RESTAURANTで夕食。ギター流しの盲人が隣に座っていろいろ会話&ギター。気づかいの巧みな彼の話はなかなか面白い。真っ黒のサングラスの隙間からかいま見えた彼の目は両眼ともトラコーマ。日本でも昔はこれによる失明者が沢山いたという眼病である。

95.12.25(月)
昨晩はタワシの判断ミスで、7:00amロビナ発サヌール行のシャトルバスを予約しそこねてしまった。しょうがないので13:00の便で行くことにする。海岸を散歩してたら昨晩は見つからなかったSEA BREEZEが簡単に見つかったのでそこで昼食。のんびりしてたら、うっかりお金を忘れてきてしまったのに気付き慌てるが、13:00発のバスはわれわれを待っていてくれた。往路とは違う道をバスは走り、寒い山中の湖で小休止したり、クタの原宿並みのにぎわい振りにあきれたりしながら、サヌールに着いたのが16:30頃。長バスで首が痛いが、ともかくも、プール付1晩US30$のMADE HOME STAYにお世話になることにし、ロビナにくらべて2倍近く物価の高い、ちゃらちゃらしたこの往年の観光地に、あと何日かいつくことになったってワケ。

95.12.26(火)
昨晩飲んだバリニーズ・ライス・ワインがいけなかったのだろう。旅先の地元ワインに手を出しておなかを下すのはこれで3度目だ。同じ量飲んだもとみやはまるで平気だが、未明からタワシはトイレのお世話になりっぱなし。しかし容赦なく予定は予定なので、昨夕知り合ったニョマンくんの働くレストランに10:00amに出向き、彼と同じく長髪・フェロモン系(?)のアニョムくんが予定通りジープで迎えに来てくれて、サヌール最南端のビーチにてパラセイリングをしました。ほんと、ものの3分と空中浮遊してないのだが、とにかくあっとゆーまに天高く上がっていってとても気持ちがいい! 文学座りの小林たくおくんが超ハマッたって言ってたのって、これか! 初体験だったが、何度でもやりたいもの。しかしタワシももとみやも1回ずつで今日の所は満足する事にして、その後はアニョムくんのボートでシュノーケリング&「亀の島」ツアー。出発した途端、急に曇ってきて寒くなってしまった。沖合いのシュノーケリングポイントは海草が多く、珊瑚も壊れてる。亀の島は予想通りヒドイもので、かわいそうなウミガメと蛇とフルーツこうもりがいるだけ。でも蛇に巻きつかれたりする。岸に戻って、おなかが心配なのでタワシはスープだけ食し、また晴れてきたので浜辺でごろごろしてたらオバサンにつかまってしまって、タワシのみオイルマッサージを受けてみる。ヘタでもないがうまくもない。ま、身体のノートン・ユーティリティってことでいちおー気持ちいい。夕方MADEに戻り、庭で日記書き等。

95.12.27(水)
どうも体調はおなかも首も相変わらず悪いのだが、今日も予定は予定。冗談でもとみやが「曳き回しの刑」と言ってる。11:00amに迎えが来てクタのA.J.Hackketのバンジージャンプ場まで出向き、来てしまったからにはしょーがない、やらねばと、タワシはすぐに申し込み、一発バンジージャンプする。もちろん初めて。44mの高さから飛び降りるってやつだが44mって結構高い。やしの木々がはるか下方で、海面も遠くまで見渡せ、真下の飛び降りるプールが小さく見える。5・4・3・2・1でジャンプ。あれよとゆーまにボトムまで落ちてバウンドし、上がってきた時には写真のためにカメラマンに向かってニッコリしなければならなかったりして、こりゃ忙しい。5回バウンドして、あっとゆーまに44$(1m1$ってわけ)使いきってしまったってわけ。ま、大仰な遊園地ってとこでしょうか? 面白くはあったけどそれほど何度でもやってみたいってものでもなし。イヴ・クラインの空中飛翔って気にもならず。バンジーを以前から楽しみにしていたもとみやは、展示してあったいろんな写真を見て、日没後の夕焼けを背景にジャンプして写真を撮ってもらうことに決めたとのことで、その間の日中を、これも計画通り行く事にしていたクタのWater Bomプールで過ごす事にする。そこはクタ版豊島園ってかんじで、日本でもおなじみのウォータースライダーとか流れるプールとか。実はタワシはバンジーでさらに首を痛めてしまったようなのだが、痛みをがまんしていろいろ遊ぶ。日本のように混んでないのがいい。夕方、再びバンジージャンプ場。午前と違ってギャラリーだらけ。しかもガンガン音楽鳴らしてて、飛び降りる輩もマッチョメンの自己肉体アピール系が多く、タワシは朝一番にすませといてよかったってかんじ。日没後の残照タイムまで引っぱり待つ。タワーの上から見た、クタの海への日没もまた格別。結局もとみやが今日最後のジャンパーとなって元気よくバンジー。MADEに戻り、きょう一日ほとんど絶食していたのでもうおなかも大丈夫だろうと飲み食いし、疲れ切ってすぐ就寝。

95.12.28(木)
おなかはまだダメだった。これだけ長引くとはワインのせいでなく旅行者下痢症? 相変わらず首も痛い。今日は曳き回しの刑は中止で、MADEの向かいのビーチでゆっくり時を過ごすことにする。サヌールは白砂で、また遠くの島々も見えるのがいい。今日は無風なのでパラセイリングもこの浜でやってる。波打ち際のレストランでスープとティーだけで午後遅くまでねばる。青空と白雲と海と砂浜と、パラセイリング風景を前にしながら読書したり、ただぼーっとしてたりで、久々にくつろぐ。もとみやは一回またパラセイリングし、夕方には2人で1台ずつカヌーを1時間借りて沖まで出てみる。カヌーも初めてだけど、みんなやってるように結構簡単なものだった。カヌー後は首の痛みも和らぎ、ヒンドゥー・セレモニーが終わったのか、わんさか浜辺に出てきたジモティー達に混じって浜辺でまた雲を見つつ読書してくつろぐ。雲の様子がいつぞやの日グラ大賞の萩原訓敏くんの絵みたいになってきて、真上に半月も出るし、読んでるメルロぽんちーとも状況が合ってていいかんじ。MADEに戻ったらなんと容子ちゃんとかいとくんとレオさんが来てる。マンディ後、かいとくんにPowerBookで約束のどらえもんの絵を描いてあげたりする。すぐ興味を示し、3才のかいと様はPaint at Thatのバイクのヘルメット機能などでトラックパッドが壊れそうになるほど遊ぶ。噂に違わずやんちゃだ。容子ちゃんとかいと様はMADEの別室に宿泊。

95.12.29(金)
バリ最終日の今日は容子ちゃん、かいと様ご一行と、昨日と同じ波打ち際のレストランに長居。タワシはぱわぶくを持ち出し日記書き等。昼にはもとみやと沖の方まで泳いでいき、シュノーケリング。でかくてバカそうなナマズ(?)と遭遇。午後、容子ちゃんが初パラセイリング。夕方には3隻カヌーを借りて、タワシはかいと様を膝に乗せて、沖まで出てみる。しかしかいと様がカヌーをいやがり浜に早々戻ってきて泣かれて困る。子供ってまったく勝手野郎だ。泣いたり笑ったり黙ったりはしゃいだり。こんな連中のためにKIDS BOXなど作ってたってわけか。MADEで最後のマンディーして、空港まで車をチャーターして、デンパサール空港ではあまりに観光モードの日本人が多くて辟易して(自分もその一人?)、21:50発のジャカルタ経由成田行きガルーダ・インドネシア872便に乗り込む。

95.12.30(土)
8:30am頃成田着。日本の冬は遠くまで透き通った青空がいかにも寒そう。機内睡眠でやはり首が痛む。帰社(帰宅)したらよく片づいて掃除されていて、バイトくんたちがしっかりやってくれたようだ。疲れもあるので、ひねもすだらだらとたまった郵便物や新聞のチェック、洗濯等。

95.12.31(日)
旅行中伸ばしていたひげを剃る。玄関脇にあるアロアロのインディアン人形に、蛍光色アクリラで眉毛を太くする等のメークを施す。夜は紅白や、紅白の裏番でやってたビートルズの番組など、普段見ないテレビをつけ、普段聴かないタイプの音楽を楽しむ。





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