1995年11月のまるちめ日記(95.11.01〜95.11.30)

95.11.01(水)
朝のうちに鷲見麿展レビュー仕上げる予定が全然それどころでなく雑用と電話に追われ、12時にやっと出て13時07分の「ひかり」でまた名古屋へ。15時に名古屋駅の新幹線改札で、名古屋芸大の学祭実行委員のタニノくんが出迎えてくれた。きょうはこれから名芸大の学祭でレクチャーなのだ。心配していた渋滞もなく、昔、日本フィルにフルート奏者として入ろうとしていたという運転手さんとクラシックの話などしつつ、タクシーで4時には大学着。セットアップをを済ませ、校内展示もちょっと見たりしてから、6時から視聴覚教室でレクチャー。公聴者の学生は靴を脱いでじゅうたんの上に体育座りで、ちょっとアットホームなかんじがヨイです。開演前から学生にいじってもらってたキッズボックスは、やはり大変わかりやすい出来。ほかにINTRO誌に発表した作品の一連の説明、フロッピー商品の概説、もろもろの普段喋ったり書いたりしてるようなマルチメ関連の話題等してるうちに、気付いたら予定終了時刻の7時をとっくに過ぎていた。終了後、フロッピーや近代美術史テキストがとても沢山売れる。ラーメンとスパイシーなチャーハンとコーヒーをいただき帰る。車内ではパワーブック100の電池が切れて困った。充電にどうも失敗してしまったようだ。夜遅くに帰ったら帰ったで、なんだかもとみやが忙しくフロッピー増産を自分でやっている。しかも、朝、すべてを万全に整え、あとはバイク便に渡すだけだったはずのDoCoMoの仕事が、なんとバイク便の不注意で配達途中に蓋が開いてて風に飛ばされ、原稿一式なくされてしまったとのこと。そして僕のハードディスクからそのデータをつかのともとみやが探しだし、FP510でプリントアウトし、ところがその折角探し出したデータが間違ったデータだったとか、いろいろいろいろ大変だったらしい。そのせいで昼は大変仕事に支障があったのだなどと言いながら、ひたすらもとみやはフロッピ増産に励んでいる。

95.11.02(木)
やっとのことで「太陽」に鷲見麿展レビュー書き上げ入稿後、吉祥寺で眼科。そのあと池袋のシンプルシステムズでシンプルさんとアスクさんと夜遅くまでデジタルねんどの打ち合わせ。ビューワーがほんのちょっとではあるけど、初めて見れる状態になってて感激。ふかんモードでうんと簡単になりそうなアイディアを提案し、田中さん達におおいに喜ばれる。(つまりビューワーの視点関数を使わずに、奥から擬似的に正方形を重ねていく方法。)最近キッズボックスにかかりきりだったが、実はアスクさんとの仕事はデジタルねんどの方が早くからやっていたものだったのだ。きょうはひさびさに田中さんの顔を見てなんだかホッとする。電車内ではさるすべり大井氏の「激安マック買物記」にはまりきり。とても面白いが、アロアロのこともいっぱい出てくる。タワシの描いた表紙イラストは内容にあってただろか? シンプルから帰ったらさらなるDoCoMoのイラストのナオシ要望が、手みやげのサブレーとともに届けられている。手と耳をもうちょっとしっかり描いてくれとのこと。なるほど、雑誌の仕事ばっかであまりお金になってないタワシだが、広告の仕事の額面が高くなければいけないワケがわかる。それだけ不条理な(と言っちゃうのも問題だが)注文が多いのだ。

95.11.03(金)
国民の休日だがつかのが来てくれて大助かり。しかしタワシも渋谷で眼科。アートワッズにポストカードを納品し、タワーレコードでケージとノーノを買う。ビックカメラで注文しといたマイクロラインのトナーとドラム購入。休日の渋谷なんてすごい混雑。帰社し、ジャストモアイ誌の新春放談とかDoCoMoのナオシとかしているうちにどんどん遅くなり、なんとか、今晩の山行きの準備を慌てて終えてから24時頃仮眠。

95.11.04(土)
1時am頃さるすべり夫妻来アロ。仮眠より目覚め、さるすべり夫妻とわれわれとで夜行で車を走らせ山梨県まで行き、瑞牆山(みずがきやま)登山。なんでも日本の百名山に数えられる峻峰らしく、標高は2320mとかで、久々の本格登山。先月の富士山を除くと、前回は昨年、これもさるすべり夫妻に連れてってもらった八ガ岳の編笠山以来ということになる。夜道は、途中で月も沈んで最高の星空。何度か流星を見たけど、噂に違わずチョサム。5時前に登山口にたどり着き、懐中電灯で登り始め、そのうち陽が射してきてみずがき山の独特の風貌に驚く。さるすべり中野さんが「西洋の城塞みたいでいつもそそられていた山」というのもうなずけます。やはり体力の衰えを感じながら登り一方。切り立った山頂着は8時am。展望はとても良好で、八ガ岳、南ア、富士山、浅間山等々。なんだか1時間くらいは山頂でのんびりしてしまった。同じコースで下山。途中、登山客のあまりにも多さに驚愕。われわれは夜行登山だったのでとても山頂でゆっくりできたが、あれでは決して広くない山頂が超満員で順番待ちだろう。紅葉の季節の絶好の連休とはいえ、こんなに人気のある山だとは知らなかった。下山し、まっすぐ帰る予定が中央高速談合坂ドライブインで、ほうとうを食べつつ3時間以上ねばってしまった。やはりフロッピー自費出版の話など、ほんと、さるすべりさんと喋ってると話題は尽きない。そうこうしてるうちに、見事に中央高速の夕方の帰りの渋滞にハマッてしまい、登山論など話しながら世田谷まで帰ってきたのはとっぷり日が暮れた後でした。

95.11.05(日)
朝から洗濯・洗い物等家事をしてたらキノクリニック氏よりTELあり、話をよくよく聞いたらPICTのRGBとDTPでのCMYKの話、ならびにモニター内のdpiとプリンタならびに印刷の場合のdpiの問題の話で、つまり常日頃からタワシが問題意識をすっごく持ってる事についてだった。その辺の問題は何もわかってないアドビ社と、問題のありかをあまり理解してないデザイナー達のせいにすべて帰されるべきものなのだが、写真ではなく最初からペイントソフトでマウスでお絵かきをするわれわれ……キノクリ氏とかタワシとか……がトバッチリを受けるとゆのは困った現状である、みたいな話を調子に乗って延々としてたら、DoCoMoイラストのナオシのピックアップに担当氏がとりに来られる。日曜なのにご苦労様なことです。TIgerのメンテ等すませ、夜は「古符印」と銘打たれた暗黒舞踏系のソロダンス観劇at中野テレプシコール。その後スミマロファンの評論家石川氏らと飲む。哲学専攻の伊藤さんとかもいて、なんだか非ユークリッド幾何学の話題などで盛り上がってしまった。イラストレーション誌の吉田さんから今日午後も出社して原稿待ってますとのメールが入ってたけど、まだ手つかずで大変申し訳ない(^^;)

95.11.06(月)
ずーっと先月締切だったはずのイラストレーション誌連載「その後のバカCG」の原稿書き。徹夜。

95.11.07(火)
朝9時頃なんとかイラストレーション誌の原稿書き&版下づくり(Quark段階までやって入稿しているのだ)まで終え、受け渡しはすべて大岡にまかせて、95年度マルチメディアグランプリ授賞式(主催者側はちゃんと贈賞式と称している)のため、永田町の放送会館に12時集合。そこで初めてタワシ以外に誰が受賞したかを知る。通産大臣賞はワープという会社のゲーム「Dの食卓」で、MMA会長賞は高城剛氏。簡単な式次第の説明後、自由時間となってしまったので、「連画」でネット部門アート賞を受賞された安斎&中村氏と連れだって、となりのプリンス地下で、カレーなど食べる。1時半から授賞式……の次第は、では、以下TigerMountainに後から書いた文面からのペーストです。

(以下ペースト)11月7日はおかげさまで例のマルチメ・グランプリの授賞式でした。通産大臣賞は「Dの食卓」で、デモを見て結構タワシはいいのではと思いました。ゲームだけど、すくなくともGAGETのひどかった点が全部ことごとくクリアーされてる。ストーリーものもここまで行けばいいなぁと。開発した(株)ワープの社長の飯野さんは、「かっこうの巣の上で」のラストシーンに一人去っていくあの長髪の大男そっくりの風貌です。MMA会長賞は高城剛さんでした。なるほど。
あっそうそう、飯野さんが受賞の言葉の最後にちょろっと「高城剛と言われないようにがんばります」と言ってて、なかなかヤルな〜と思いました。また、MMA会長作品賞ってのもあってそれは外人のボディのCTスキャンCGビデオ?が取ってましたが、それもオモロイ作品でしたね。
タワシが呼ばれた際にはキッズボックスの画面が大写しにされて、なんだか会場から笑いのような失笑のようながありました。司会のおねーさんも声をはりあげて僕の経歴を「有限会社アロアロインターナショナル代表取締役」とか、「フロッピー出版などのアグレッシブな活動」とか、「ヘアーライヴ」などいちいち強調してくれておもろかったです。賞状とトロフィー(?クリスタル製?)をもらって、作品上映会も最後まで見て、そのあとさらにアスクさんと打ち合わせまでして帰りました。(ペースト終わり)

つまりは、やっと今頃、延び延びになってた、アスクさんとキッズボックスの契約書をかわそうとしたりしていて。

95.11.08(水)
朝大岡の他つかのも来てくれる。ジャストモアイ誌用のイラスト等描いてたら遅くなってしまい、少々遅刻して13時半よりシンプルシステムズで「でじネン」仕様の最終段階の打ち合わせ。今日初めてお会いしたアスク新入のキャリア社員の中村さんは、とても安心感を与えてくれそうな人で、これはめでたい。なにしろやっと、アプリケーション作った事のある経験者参入ってワケだ。打ち合わせ後、SMA館の新装アールヴィヴァンに寄ってラカイユ参加のCD「triton」や、アンドリーセンやアーシュラの弾くナンカロウ等、現音関係をいくつか仕込む。

95.11.09(木)
黒ペソ出題は外人名前問題。吉祥寺眼科バイトの後、神楽坂の「もきち」というお店でアスク天谷社長をはじめ、アスク様からのおもてなしを受ける。一応キッズボックスほぼ完成、賞もいただいたしってことで。アロアロは大勢でうかがってしまい大変御世話になりました>アスク様。箸が転げてもおかしい年頃の前田は、空いたオチョコを倒したタワシの動作を、酔ってるから倒しっぱなしにしたのだと勘違いし、オチョコを見てもおかしい年頃。

95.11.10(金)
渋谷で眼科バイト後、スパイラルの八谷くんの体外離脱マシーンの展覧を一瞬見に行く。なんだか初日は完成してなかったってことで可哀想だったのだが、最終日前日の今日でさえ「調整中」でなんだか可哀想。キネティックものは大変だ。展覧とはまったく関係ないが、帰り道に、「アンチ・インスタレーション」という概念浮かぶ。パッケージにこだわながらずっとタワシのやってる事って、アンチ・インスタレーションだったのかもしれない。

95.11.11(土)
15時より世田谷美術館にて藤枝守の現代音楽講座「新たな音律を求めて」。あとからもとみやも来る。ハリー・パーチ、ルー・ハリソン、藤枝守氏の作品をKOTO VORTEXその他の奏者が演奏。圧巻はテリー・ライリーの「in C」をきちんと(?)純正調でやった「in just C」で、純正調もさることながら、この曲はやはりライヴ向きだったのだと実感。講義では以前から謎だった、なぜ純正調が魔術と結びついて語られるかがよくわかった。世田美の付属レストランで夕食。そういえば今日はキッズボックスMac版の発売日だったハズ。

95.11.12(日)
ベッド移動。そして1FにあったTOWNSのデスクを2Fに移動。動作確認時ちょっとWIN版XAXA MACHINEを久々にやってみたが、音がリアルタイムに同期して出ないという事はこんなにもKIDS BOXと感触が違うのかって事にあらためて驚く。先月の日記をCD-ROMfan誌用にまとめなおし。もともと1500字くらいでと言われてたが15000字くらいになってしまい10倍オーバー。しかしそれはもうそれでよいと言って下さっている。タイトルやイラストも作成。ベネッセ「すくすく小学生」イラスト。アサヒパソコン誌イラスト。

95.11.13(月)
大岡は秋葉原に買い出し。「鳩よ!」誌イラスト。夕方やっと念願の1GBハードディスクをセットアップ。「乳うん」と名付ける。今までの内蔵ディスクは「内村鑑三」と命名し直し。もとみやに頼まれていた、CD-ROM「Plastination」出版に当たっての契約事項などに関する社長業務を夜から開始。結局朝6時までやっても全然終わらない。

95.11.14(火)
14時に設計工場の高橋氏&渋谷氏いらっしゃる。来年名古屋での「カンタンアブストラクト」の打ち合わせだ。ちょっと立体プリンタの話をふってみたが「また次回」とゆこととなる。CD-ROM「Plastination」出版にあたっての社長業務はずいぶん大変だったが、夜中過ぎに取りあえず一応の書類が出来る。その後明け方までかかって、アスクさん経由で頼まれた、mediawave誌用の、今月のCD-ROM「TOP5」原稿書き。終わらず。

95.11.15(水)
ちょっとだけ寝て朝早く起きTOP5の続きをやっと仕上げ、NIFTY入稿してから出発。11.26で終わってしまう上野・国立科学博物館の「人体展」に行くためだ。これにはウチで出してる「Plastination」が出品されてるのにタワシはまだ行ってなかったのだった。着いたらまだ午前中なのにチケット売場も行列ができてる有り様で、平日の朝でこんな状態では、休日の混雑さはほんとに大変なのだろう。中の展示も狭いのに大混雑状態で、噂どおり実に幅広い客層。4月の東大構内でのプライティネーション展はすでに見ていたし、また一応医学生だったタワシにとってはそれほど目新しいものは無かったのだけれど、初めてこういったものを見る人にとってはやっぱりショッキングなのかしら。第2会場ではちゃんともとみやらがやってるCD-ROM「Plastination」によるデモがなされていた。科博では人体展以外の展示も見て、ミュージアムショップでウチのCD-ROMやフロッピー類がカゴに盛られて(!)売られているのを見届けて、都美館のレストランで食事。都美館は都美館で日展の最中で混んでる。そのあと徒歩でSCAI THE BATHHOUSEへ。予想以上に近くて拍子抜けするほど。目的の村上隆展「狂ったZ」は、前回の同スペースでの展覧会よりずっとタワシは好きだった。その後飯田橋アスクにて、シンプルさんと「デジねん」最終仕様調整。まだまだこの期におよんで重要な取り決めが抜けてたりする。夜黒ペソ業務(先見ゼミ採点)。

95.11.16(木)
吉祥寺にて眼科バイト。のあと、オンエアウェストにてアフターディナーのHACOのライヴ。ゲストに横川理彦や今堀恒男という見に行きたくなるようなメンツで、たいこはサム・ベケット等々。α波度の高いライヴであったと言えよう。帰りは丹羽君たちと現音の話等。パソ通ネット特集をCAPE X誌でやるという丹羽君に、まだ入ってみたこともない「ぱらねも」をススメる。

95.11.17(金)
渋谷にて眼科バイト。のあと、いったん帰ってきてからつかの、前田と四谷P3に行く(もとみやは多忙で行けず)。立花ハジメのアプリケーション・ツアーのトークで、今日は中沢新一との日だ。ちょっと遅く行ったら、囲ってある塀の中には満員で入れなかったけど、話は聞こえて面白い。会場に置いてあった立花氏の今回の作品集(?)も堪能。P3の後、水道通り沿いの鍋屋(こうや)という、つかのが前から気にしてたという中華屋に寄る。再来週のアロアロの宴の下見も兼ねたつもりだが、もうちょっと長居できそうな場所の方がよいかも? 24時集合でヘアメンバーがアロアロに集まり、たまたまマニュモーでチャットしかけてきたみやけはるこさんにみんなで相手して混乱させたり(^^;)してから、山口くんカーと松前くんカーで、一路下田へ。中ザワは松前&真奈美さんの車にお世話になる。山口くんカーには山口&みちきん氏と、とやまん氏と大岡くんだ。名目は「ヘア反省合宿」で、今月初旬にやるはずだったもの。道は結構意外と時間かかって、朝4時過ぎ下田邸着。

95.11.18(土)
昼過ぎまで寝てしまい、やっとサニーサイド・レストランにでかけて海を見たら泳ぎたくなってしまった。ので、みちきんとウェットとブギーボードを取りに下田邸に戻り、食後すぐ海遊び。予想通り水温は高く、ボディーサーフィンをやりたい放題。ほとんど初めてだったがすぐコツは覚えられた。ひとしきり遊んですっかり陽も傾き、そろそろ寒いので浜に上がった途端、も〜の〜す〜ご〜い〜寒さでみちきんもタワシもガクガクガタガタふるえすぎて、もーしょーがなくひきつって笑いっぱなし。ガンガンに頭が痛い。特に耳が、寒痛い(造語)。風も強かったようだ。ガクガクしながら車のところまで戻ったら外人がわれわれを「カミカゼ!」とか言ってる。気付いたらほかのみんなも真冬の格好だ。あまりに顔面をひきつりゆがめたので顔の筋肉疲労がはなはだしい。
買い物はみんなにまかせてみちきんとタワシは下田邸に戻り、そのうちみんなも戻ってきて、とやまん氏の、ヘタクソで面白いリッジレーサー挑戦模様などを眺めて休んでから、千人風呂。いつもよりぬるく感じたが、それともいつもは夏、日焼けした後入ってて熱かったのか? 夜は鍋つつき、そしてヘアライヴ2のビデオを見ながら反省会。やはりヘアライヴ1の方が面白かったのだけど、2はこのようにやったもんで、今後はどうするかなどなど。ヘアライヴ経費の計算や精算までやってたら結構時間かかり、午前3時頃となる。松前が持ってきた天体望遠鏡で三日月を見たらとてもよく見えて面白い。朝方になり、野球ゲームに興じる山口くんと大岡くんのわきで、とやまんとみちきんと始めた「大貧民」に、超ハマってしまって大貧民組は徹夜。学生みたい。

95.11.19(日)
そのうち真奈美さんが起きてきて、4人でずっと大貧民。午後になりみなを起こし、片づけ掃除をし、戸締まりをし、とてもおなかがすいたのでまたサニーサイドに出かけたらそこに長居してしまった。というのはタワシと大岡くんがうっかり将棋にハマってしまったからでもあり(ほかの人スイマセンでした(^^;))、だいぶ長期戦で、ついにタワシが負けたところでタイムアウト。下田のオミヤゲ屋に寄ったりしながら、帰路はなぜだか行きよりラク。途中松前カーの中で眠ってしまったり、目覚めるとラジオが「わかものことば」の番組やってて「ゲロうま」等の用語紹介やってたり。23時頃にはアロアロ着。最後の精算の残りを済ませて、解散。その後やっとインターネットでのICC95の、テレプレゼントのあるところなどを覗く(今日までの期間限定イベント)。タワシのジャギー絵画は、144モデムで見たら予想よりずっと早すぎたようで、もっとでかいデータでよかったのかと反省。P3の立花ハジメ展の最終日のトークに出かけていたもとみやが遅くに帰ってきて、この寒さの中、下田でタワシが泳いだ事を知り仰天される。

95.11.20(月)
雨でゲロさむ。マルチメディアソフト振興会(MMA)の福島さんより朝電話あり、結局今晩幕張メッセで行われる、「NICOGRAPH95&マルチメディア95」の、合同開会パーティーに行く事となる。Tigerのメンテ等、いろいろ雑用の後車で出かけ、まず見たNICOGRAPHは、作品展示もあるのかと思ったら企業ブースの出展ばかり。あわよくば「太陽」誌の美術欄記事にどうかと思ってたが、ぜんぜん見当違いだったようだ。同時開催のマルチメ展も似たようなもの。パーティーでは「クリエーターを囲んで」とサブタイがつけられており、またもワープのDの食卓のデモなどを見る。タワシも途中でちょっとだけトーク。CD-ROMfan誌編集長の浅香さんや、審査員の先生方や、授賞式で隣席だったキッズスペースの人も来ていていろいろおしゃべり。特にワープの飯野さんとはいろいろ面白い話ができた。Dの食卓みたいなウリ向きもの以外に、いろいろ、相当面白いことをやってるらしい。アスクの飯島くんと帰るも、首都高は大渋滞。帰社したらタモリファンのまえだが、つかのと盛り上がっていて、とゆーのはタワシがひそかに集めている「そらみみ・リスト」の存在が2人のあいだで話題になってたかららしい。デヴィッド・バーンやB-52'sに始まり、KLFやDAF、TELEXのみならず、スティーヴ・ライヒやヘクトール・ザズーまでにも及ぶ何年も前から集めていたタワシのそらみみ集は40個以上に及ぶのだ(じまん)。

95.11.21(火)
朝日パソコンのイラスト、V-JUMPのイラスト。つかの、おおおかがまととめた各種商品部門計算のチェック。

95.11.22(水)
朝一で予約してたマニアックで髪切り。ヘアライヴ2で切って以来、荒れ放題になっていた髪型をいつものまことちゃんカットに戻してもらう。マスターには、もうタワシが丹羽君の友達であることがばれてました(って、別に隠してたわけじゃないけど。丹羽君の御用達髪切り屋なのだ)。そのあとPCfanの佐武氏がマックの取材で来アロ。ちょっと取材を急がせてしまって申し訳なかったりして……というのは、急に昨日の晩に決まったことなのだが12時45分までに築地に出向かねばならなかったから。結局取材後、佐武氏と一緒の電車で、築地方面へ。で、ここからあとのことは23日にTigerMountainにアップした、次の文章のペーストを参照しちくらさい。

(以下ペースト)先週になってマルチメディア制作者連盟とかゆー、今度は通産省ならぬ郵政省バックの団体から突然アスクに電話あり、「AMDアワードとかいう賞にキッズボックスがノミネートされてるから(誰かがノミネートしてくれたらしい)11.22はプレゼンに来てくれ、くわしくはまた!」とかいわれたらしーのです。
ほんで、21日夕方になって詳しい(といってもよくわからない)説明FAXがアスクに送られてきて、見ると「ミュージックコンポーザー賞」というのがあって、そこにキッズボックスがノミネートされてるとのこと。おお、ミュージックなら松前くんではないかってわけで、アスクから松前君に「明日のプレゼン、できたら来て」という内容のTELするも、松前君は忙しくてダメとのこと。アメリカ帰りのアスクの本田さんも、忙しくてダメそうな様子がアスクとの電話から察せられたけど、なんだかカンが働いて強くアスクの担当氏に「本田さんも是非」と言っておいたのだが……昨日、22日の電通本館でのプレゼンはアスクの担当飯嶋氏・天谷文代氏とタワシの3人だけでしたね。
で、われわれにはまったくこのAMDアワードとかいう賞の予備知識がなかったのだけど、電通に行ったらいろいろMMAマルチメディアグランプリの時も御世話になった人が出てきて本田さんに宜しくと挨拶されたりして、よく聞くと250くらいのノミネート作品のうち、もう勝手に1次審査とか終わっていて、ミュージックコンポーザー賞の候補はすでに2作品に絞られているとのこと。それがキッズボックスと、もう一つは東芝EMIのなんとローリングストーンズだったってわけ。対抗馬はストーンズか……。
そして、どうもこのヘンが理不尽なのだけど、ミュージックコンポーザー賞を獲得すると、さらに上位の郵政大臣賞ってのにノミネートされるってわけで、ところが郵政大臣賞だとミュージシャンだけでなく、制作者全員が表彰されるのだということ。なんだかシングルメディアとマルチメディアがごっちゃな賞形式っすねー……。

そして審査員は15人くらいだったけど、著名人は冨田勲(!)とか栗本かおるとか。他に、MMAの時の審査員も半分近くいたりして、すでになんだか面白い。音楽性としては、音楽そのものとは全然違うツクリなのだってことで、クリックすると反応するのだとか、こどもたちが作曲するように演奏できるのだという事をプレゼンで強調したら、質問タイムで冨田勲にバカウケ!! とくに「風船のワルツ」とか「雪のオルゴール」の細かい音のツクリとか仕組みを細かく質問されて、かなり興味を持っていただけたようでした。

審査が終わった後でも、天谷さんなどは、「一体、なんだったのだろう??」というかんじで、そうですね、MMAの時とくらべて受付事務の人もなんだか不慣れってかんじだったし、説明FAX見てもよくわからないし、まぁ、このAMDアワードって今年がきっと第一回目で事務局もノウハウがないのでしょうって憶測。(1回目かどうかもどこにも書いてない。)ま、マルチメディアに対する通産省VS郵政省って図式があって、しかし審査員レベルだと同じになっちゃうってことか? かつてのパルコのグラフィック展とJACA展も、結構半数くらい同じ審査員だったりしたし……。

てわけで、今結果待ちです。11.23 中ざわ(ペースト終わり)

……そうですね、CD-ROMfan誌編集長浅香さんをはじめ、じつは一昨日お会いしたって方が審査員に大勢いらしてたわけでした。
で、デモンストレーションの後は「太陽」誌の美術展レビューのネタさがしも兼ねて、ちょこっと銀座の画廊めぐり。「ぴあ」の美術欄ってすっかりオソマツになっちゃったのね。東京画廊で李禹煥展、佐谷画廊で山田正亮展、コヤナギで内藤礼展。帰路、赤坂ツインビューで「アジアのモダニズム」展。どれもレビューするにはちょっと不向き。帰社したらつなげたばかりの新ハードディスク「乳うん」が壊れてて困る。どうやらハード的なSCSIチェーンに問題があるようで、いじってたらどんどんデータ壊れて、これは困った。

95.11.23(木)勤労感謝の日

朝は各パソ通のメンテ。たまった返事書き等。吉祥寺の眼科後、SHOP 33に行き、やっと新価格商品を納品。夜、急に思い立ち、「BEST OF STRAVINSKY」テープをウォークマンor普段用に作ってしまった。BESTと言っても3大バレエは入れずに、晩年の12音技法作品中心の選曲。これらはストラビンスキー自作自演CD全集だと、各巻にバラバラに入っててまとめて聴きにくかったものなのだ。

95.11.24(金)
渋谷の眼科から戻って来たらアスクの天谷文代さんより「まことに申し上げにくいのですが、今回のAMDアワードは大変残念な結果となってしまいました」というFAXが届いていて、あら残念。早速太田螢一画集「AMNESIA」の「アラザン」の絵のページに、「ネン」と書き加えてアスクにFAX。うーん、ストーンズに負けたってことか! 冨田勲の力を持ってしても?(笑) 次のジャストモアイ誌のCD-ROMレビューの仕事では「ルーヴル美術館」を取り上げることとなったので、ルーヴルROMで美術史とフランス史を少々復習。アスクさんとシンプルさんをお待たせしちゃっているデジねんの画面制作の仕事は、またも後回しになってしまいそうだ。時間をキチッとかけたいものほど後回しとというやり方ではみなさまに迷惑でしょうか? つかのには今日は深夜まで残業してもらって明朝上野の科学博物館納品のため、アロ車で帰宅してもらう。アストロミュージック社の来年の年賀状イラスト「ゆく亥、くる子」を仕上げる。

95.11.25(土)
今年、音楽関係でタワシにとっての最大の収穫(というか発見)は、2月以来ハマりっぱなしのピアノ・ロールの作曲家、コンロン・ナンカロウなのだが、今日の世田谷美術館での藤枝守の現代音楽レクチャーはナンカロウ特集。なのでとても楽しみにしていたわけです。で、簡単なレクチャーのあとまず本邦初公開のナンカロウのビデオ。ただピアノロールがリアルタイムに流れてるだけのものだが超面白い。まさにキッズボックスのオルゴールそのまま(っていうか、キッズボックスのオルゴールでは最初からピアノロールとナンカロウとクセナキスを意識していたのだけど……)。曲はすでに知っているのだが、こんなロール紙だったのか! 瞬目する間も惜しい。休憩の後はピアノ生演奏で、最初に「ピアノロール時代後」に書かれた、アーシュラの委託で書かれたカノン。 この前買ったCDに入ってたものだが、解説&ビジュアル付きだと理解が深まる。次にピアノロール時代前のピアノ曲、次に弦楽四重奏でピアノロール時代前の弦楽四重奏曲第1番、最後にピアノロール時代後の同3番。この第3番は第1vn.、第2vn.、ビオラ、チェロが3:4:5:6の速度で同一メロディを奏でるというもので、視覚的にもものすごくわかりやすい。実はデジタローグから出すCD-ROM用にすでに少し作りためてある作品は、ナンカロウの楽曲をタワシなりにかなり意識したつもりだったのだが、こんなものをまとめて見てしまうと、とっても焦ってしまう。と、焦りながらも帰社すれば通常業務で、夜中にジャストモアイ誌のルーヴルROMレビュー仕上げる。

95.11.26(日)
もとみやは忙しいようで昨日も今日も前田が(休日にもかかわらず)バイトに来てくれている。午後埼玉県美まで行き「物質と知覚1970年」展。同美術館で一昨年行われていた「シュポール・シュルファス」展が面白かったので、それとの関連を確かめたかったのと、もちろん「太陽」誌のレビューに取り上げるにもちょうどよさげだったから。帰ってから即レビュー書きに取りかかる。書きたいように書いていたらパソコンの話とオブジェクト指向の話ばかりになってしまった。一般誌のアート欄なのに。

95.11.27(月)
午後遅くやっと「太陽」誌レビュー書き上げ、夜は今日はアロアロのもろもろおつかれさま&ちょっと早い忘年会at「元祖日の丸軒」。名目は「上野の国立科学博物館の人体展展示おつかれさま(昨日26日で終了)」「わが社初のCD-ROM"Plastination"発売記念」「キッズボックスおつかれさま」「ヘアライヴおつかれさま」「ちょっとはやいけど忘年会」等々、いろいろあるのだ。アロアロバイト勢とあわせて7名。武田鉄矢似のマスターがとても奥床しく楽しい方でした。

95.11.28(火)
やっともろもろの仕事片づいたので落ちついてデジねんの仕事。つまり、ふかん画面のデザイン。ついこないだまでは子供向けにしてほしいとアスクさんに言われていたので、まったく新しい概念の3Dソフトなのにと内心しぶしぶながら子供向けインターフェースにするよう苦労してたのだが、つい最近、大人向きのスタンダードなものとするようにとアスクさんが方針を変更。それはそれで嬉しいのだけど、夏の合宿のあの苦労はなんだったのだろう? それによって相当考え方は変わってしまうのだ……。などとは言っても、結局簡単そうなインターフェースデザインを心がける。そゆ意味では「バカっぽく」見えるように苦労。
昼、野々村氏よりTEL。インターネットエキスポの仕事で電話談義(?)してるのだそうで、その場で「ネットスケープは必ずしもインターネットと関係なく使ってもオモシロイ」というアイディアを話す。
午後、メディアダイレクトCD-ROMマガジン編集部の山本さんご一行が見えて、山本さんがイタク感激されたというキッズボックスにかこつけて、今度はタワシに関する取材。明日発売の号にすでにキッズボックスが1ページ取り上げられてるのだが、感激したので是非2号続けて取り上げたいとのこと。嬉しいごってス。考えてみれば5年くらい前に初めてタワシに文章の連載の仕事をくれたのが、当時テクニカルライター誌にいた山本さんでした。そこの連載で書いたアイディアが、やっと今、「でじたるねんど」として進行中なわけです。……みたいな話をQTムーヴィー取材って事でビデオカメラに向かって喋ったりとか。なおキッズボックスについて話してる最中、いろいろ明らかになったが、ずいぶんキッズボックスの制作過程に関しては誤解を受けているようだ。まず監修の滝沢先生とタワシがコラボレーションしたかのように思われていたりするのだが事実はそうではなく、滝沢先生からは制作がほぼ完了した時点でオコトバをいただいただけにすぎない(ありがたいことではあります)。またキッズモニターに関しても、実際はベータ版を楽しく遊んでもらえるかどうかをチェックしただけであり、まるで自動心理の研究をしながら作ったって誤解されてるようだが、そゆわけでもないのだ。むしろタワシがタワシのアイディアで作った作品という方が断然正しい。そういえば明日出るメディアダイレクト誌に限らず、最近「大学教授監修のまっとうな教育ソフト」とか、「グラフィックは中ザワヒデキ」とか各誌に書かれていて、なんだかアイディアも発案もすべてタワシ(とプログラマーの井上氏)なのだってことがみなに理解されてない様子。おそらくタワシがチェックしないあいだに作られてしまったチラシと、パッケージが、そんな誤解を招来しやすいのだろう。タワシが知らない間に「2才〜10才」とチラシには刷られてしまうし(先月の日記参照)……。また、エデュテーメントものだってことで、山本さんには「中ざわさんにはのっぽさんみたいな存在になってほしい」と言われたけど、どちらかというと子供モノも手がける岡本太郎のつもりなだけどナ……などなど。

95.11.29(水)
今日も朝からずっとデジタルねんどの画面デザイン。一昨日あたりからアスク飯嶋氏に催促されっぱなしだ。無理もない。先週締切で、それによってシンプルさんの仕事具合が決まってしまうのだから。午後MXテレビのMX美術館という番組の件で、インファスから派遣されたフリーの映像作家の砂田さんという方が相談にいらっしゃる。MOT(東京都現代美術館)でやってる60年代美術展について、最初番組の中で案内役をやってほしいと言われたのだが、案内役はイヤだと断ったのだった。結局タワシにとってはもっともラクで希望していたとおりの、ただ漫然と自説を喋って、必要あれば黒板だのマックだのも持ち出し、あとでそれを番組側で編集してもらうという形態となる。マックで何かビジュアルをと要望されていてそれも断りかけていたのだが、相談中に自作の「アイコン限界フロッピー」と「動かないキューティマスコット56発!」を思い出してしまった。つまり、60年代美術との関連でいえばもともと前者は関根伸夫、後者は菅木志雄のつもりで制作した作品だったのだ。……な〜んてことを言って、MOTの学芸員に顰蹙を買うのもまた一興かもしれない。夕方、やっと「とりあえず」の段階ではあるがデジねん「ふかん」の画面デザイン出来上がり、NIFTYでアスクに送付。そのあとWIN用にKIDS BOXオープニング画面を作らなければならず、それはやっと夜中に完成。「キッズボックスで遊ぶ」ボタンを画面いっぱいに拡げたら、そんなツクリのものはものはどーも初めてだったらしい。

95.11.30(木)
朝は、昨日アスクに送ったデジねんのデータについて、電話で飯嶋氏に口頭説明。その後WIN版のキッズボックスのデザインの打ち合わせのためにもとみやのところに来ていた天谷文代さんと、キッズボックスWIN版パッケージについていろいろ話し合い。つまりMac版キッズボックスのパッケージと、チラシに刷られた記載の仕方とデザインでは、本当に監修が滝沢先生で、タワシがグラフィックを提供しただけみたいに誤解されがちである事を申し上げ、少なくともこれから作るWIN版パッケージではこれこれこーゆーふーにしてほしいと色々意見具申する。じつはこれと似たような事はマック版のパッケージデザインの直前の土壇場でもやっていたのだが、結局結果的にタワシの意向が伝わらない形となってしまっていたのだ。眼科バイト後、アスク本田氏よりTELあり、滝沢先生の肩書きは従来通り「監修」としたまま、タワシの肩書きを「ディレクション・グラフィック」のほかに、もう一行大きく「作・中ザワヒデキ」とすることでどうかとの提案があり、なるほどそれならわかりやすいのでそうしていただくことにする。アストロミュージック社の年賀状イラストの、最終稿を仕上げる。





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