1996年12月のまるちめ日記(96.12.01〜96.12.31)

96.12.01(日)
名古屋NADIYA PARK内7F青少年文化センター「体験の場」は今日より一般公開。そして明日の晩、主に東京方面対象のお披露目会とゆ段取り。お披露目会の幹事役はボストークさんで、ごくろーさまです&御世話になります。お披露目会告知は特にタワシからは何もしていなかったが、やはりタワシからも知らせておきたい人もいないわけではない。と思い立ち、急で恐縮ですが、良かったら明日名古屋にどーぞとゆ文面のFAXを十数カ所に送信。そして何より肝心の「不可視」データを完成させなければならない。すなわち現在入ってるバージョンは一応それなりに見られるものだが、ボタン数がまだ少なく当初の予定の5面120個のうち、まだ3面までしかできてないのだ。とゆわけで、明日午前をリミットと決めてずーっとボタン増やし作業。
 夕方ガビン氏よりTELいただき、タワシの作品はいい歳した偉そーなセビロがおおまじめに「ぷにゅぷにゅと」とか押してたりとか、会場で働いてるスタッフが耳にこびりついちゃって夜寝ようとしても「膨ら〜む」と夢でうなされたりとか、だそーな。明日はよろしくです。ボタン増やしはやはり膨大な作業量で、明日までに5面まで完成させるってのがどんどん無理そーになっていく。

96.12.02(月)
眠らず作業。5面最後のボタン数個では、前から作りたかった「造語」をやっと入れ込む。すなわち「象語する」「うまねこする」「ことみなむする」。そのほか全体の色調を変えるボタンも5面でやっと登場。一時はとても5面まで作れるのかといった状況だったが、最後の最後でスピードアップしなんとかなるとゆよなことは、ま、ありがちかもしれない。パーティーは19時からだが経堂をつかのと出発できたのは16時すぎ。もう師走。新幹線に乗り込む時分には夕焼けも闇夜に塗り変わる。Q-PICの電池の調子悪く充電できなかったので、しょうがなく名古屋駅でレンズ付きフィルムなど買ってNADIYAへ。会場で早速出来立てバージョンのデータのインストール。やはりそれほど東京方面からのお客さんは来てないようだ。つかのがタクタイルロードを体験しているのを、池松さんと赤外線カメラで眺める。途中の画面でつかのの体の脇から白くてまるい光がぽうっと上の方に飛んでいったが、あれは何だったのだろう? タワシ以外の人の作品が、もうちゃんと出来上がっている(当たり前だ)。前回まではどうなるかってかんじだったガビンさんの作品「公私混同」が、ちゃんと作動している。なるほどこゆものだったのね。モニタを42個敷き詰めてる床にわれわれ(6人まで)が乗って歩き回り、一人一人に別々の「個性」がついて回るが、それが接触すると入れ替わったり、混ざったりする。マルチカーソルの例ではないが、「キッズボックス」の「DJ」等で、カーソルの先のキャストがややもすると入れ替わっちゃったりするのとちょっと似た感覚だ。うるまでるびさんのアニメの音楽を担当した山口優氏が、早速インストールしたての「不可視」にはまってくれる。やはり動詞機能が面白いとのこと。特に「ことみなむする」が好き。「なぜかどうしても、『動詞』をやっちゃうよな〜」などとつぶやきつつ、タワシも想像しなかったような画面をどんどんモニタ上に作り出す。『動詞』が面白いのはどうしてかというと、ビットマップ的ではなくドロー的だからではないか? つまりイデアの優位性の話なのだが、その話はまたいつか。「今回の一番の驚きは、ついに中ザワくんが言葉の問題に取り組み始めたことだ」と氏。そうそう、「しりとり」関連と「まるちめ日記リミックス」を除くと、「逃網」とこの「不可視」が、随分言葉を意識したタワシの最初の作品。「逃網」だと絵的要素がなく従来のタワシの作品との連関が見えにくいかもしれないけど、この「不可視」はちゃんと連関が見えやすく、他の人にもわかりやすいのだろうと思う。
 そして持参した8mmビデオがなぜか電池が全然充電されていず録画に失敗し、日帰り予定のつかのは東京に帰り、レンズ付きフィルムで写真とってたりしてるうちにあっという間にお開きの時間。途中で一回栗原さんが触った途端、「不可視」にあり得ないはずの変なバグが出てしまったけど、あれはなんだったのだろう? みなでちょっと薄暗いお店で打ち上げ。ボストークのみなさんといろいろ話す。その後店を変え、ディレクターのリンゴ以上のことをプログラミングでやりたい場合、どーするのがいいかとかガビン氏に教えてもらう。今回の「不可視」仕事はプログラミングのコツがわかり、実際リンゴに関してはもう自信がついたわけなのだが、次にやりたいことはもはやリンゴでは間に合いそうもないのだ。東急ホテル泊。

96.12.03(火)
RISAをちょー沢山扱っているとゆアップルおたく泣かせの店に戸田誠司氏はじめみなさん行かれたようだが、タワシはどこも回らずすぐ東京に戻る。新幹線内で読んだ現代詩手帖に、「(音素の少ない)日本語では、ダジャレを言わずに生活することは難しい」とある。なるほど、だったら逆にダジャレを言わないようにして生活してみっか。そんなこと言って、三日坊主にならないといいが。帰社後、気になってた昨日の「不可視」バグの原因調べ。すぐわかる。別に今回バージョンだけでなく、以前のバージョンから、絶妙なタイミングのある0.3秒間にあるボタンを押すと、そゆバグが出るとゆプログラム上のミスだったのだ。しかしこのタイミングだと意図的に再現するのすら難しい。栗原さんたら……じゃなくて、こゆことってあるってことですね。原発の事故とかも「まずありえない」ことが、実際本当に起こるわけなのだ。ま、とにかく原因が理論的にわかれば安心。夜、TV Taro誌の仕事のため送られてきた資料の中の「12 MONKEYS」のビデオ見る。なるほど「未来世紀ブラジル」と同じ監督らしいテースト。

96.12.04(水)
午前にTV Taro誌のイラスト終わらせ午後より画廊めぐり。青山界隈のMorphe'96をぱらぱらと回り、その後銀座玉屋画廊で吉仲太造氏の晩年の作品見たりしてからSCAIにて中村政人氏の個展「トラウマトラウマ」。同展はネオジオ仕立てのDMからしてよさげで、噂でもよいとのことだったけど、聞きしにまさるとても秀逸な展覧会。「コンビニの電飾+ピーター・ハリー」と説明できてはしまうが、氏の往年の韓国の床屋マークの作品にも通ずるし、なにしろ視覚的な仕上がりの出来がとてもよく後味もよい。その後、上野奏楽堂にて一ノ瀬響氏&トニカ氏(御姉様)の作品初演もある、港大尋氏のピアノ発表演奏会。中全音律とゆ調律法によるチェンバロの響氏の新曲(響氏と港氏の連弾)は、美しい和音と旋律線の畳み掛けるような半ミニマルなかんじで福々しい。トニカ氏の曲はもうちょっとロマン主義的なミニマリズムに聞こえたが福々しさは姉弟共通。他にドビュッシーと、コンゴのドラマーとのコラボレーション、そして後半は長い長いベケットの朗読に合わせた港氏自作のピアノ曲。ベケットに触れるのは初めてだったが言葉の羅列を面白いと感じる。朗読は訳者自ら。石川氏、永田氏、渡辺氏と食事し帰る。

96.12.05(木)
変な天気で風強く雨も降ったりやんだり。外が海くさい。恵比寿バンタン行き、大鹿先生に頼まれた講義(大鹿先生は来れなかったのだが)。デジネンとかキッズボックスとかいろいろ生徒に見せる。

96.12.06(金)
よく出たね 今朝は7つだ ぱぐのそれ
おっと季語がない。眼科後タワレコでアイヴス、ケージ等購入。

96.12.07(土)
ぱぐちょ散歩道の木の枝を植木屋さんが落としている。紅葉、落ち葉も掃除され、こうなると一挙に冬景色。図書館に行き本を返却。タイガーメンテ。

96.12.08(日)
今日まで北海道立函館美術館で開催されてる「現代美術と文字」展を観に函館へ。北海道は初めて。電話で館員に「寒いですよ〜」「冬場は空港から時間がかかりますよ〜」と言われていた上、もとみやにも勧められ、ももひきはいたりシャツ重ね着したりして充分に厚着してさらに沢山衣類を持って出る。8:55 a.m.羽田発の便乗ろうとしたら、早速遅刻。11時頃の便となる。飛行機に乗ってしまえばあっという間に目的地。確かに雪もあり寒いけど0℃なら東京でも雪降ればこの程度だし、幼少のみぎり新潟に居た時もこんなかんじだったっけ。函館美術館はあまり大きくはない。肝心の展覧会は、まず入口の荒川修作の作品群をじっくり見て、次に平林薫。写真では何度も見たことのある有名な「五十一音箱」だが、こんなに迫力のある作品だったとは。表現の精度も細かく心地よい。新作群も旧作群も非常に面白い。他には石川九楊、白川昌生、宮前正樹といったセレクションでそれぞれためになる。折角ここまで来たので、閲覧室で美術館の過去の展覧会カタログに目を通す。結構いいカタログがあり、何冊か買っていたらかなりな荷物になってしまった。厚着の上荷物で苦しい。美術館を出るとそこは五稜郭公園の一角で、時間が余ったので観光モード。タワシは小学生の時なぜだか日本の城郭ファンになりかけた事があって、本格的に北から順に調べようとすると最北の本格城塞が五稜郭ってわけなので、なんだかこの城には無用な親近感がある(トホホ)。五稜郭タワーなるものに入り、ジオラマパネル室で戊辰戦争の歴史をおさらいし、タワーにエレベータで昇って道南の風景を見渡す。どんより曇りで薄日が差してて、やはり北の町の冬の日の、ちょっと旅行情緒。眼下の五稜郭はそんなに大きくはない。函館山の右と左に津軽海峡冬景色。ふーん。エレベータで降り、「名物いかそーめん」と出てるので、お腹も空いたしレストランで「いかそーめんビールセット」。おやおやうらぶれてるのか時間が悪いのか客はタワシのみ。五稜郭内を散策してみる。外気はやはり冷たい。しかし持ってった服を着込むほどではない。五稜郭内の資料館はもう閉館していて、そろそろ日没タイム。タクシーで空港戻り、夜空から東北の山間の灯火を眺めつつ帰京。

96.12.09(月)
今朝ぱぐちょは他の犬と久々に仲良くできた。散歩もお互い慣れたねぇ。ナディアで戸田氏にお願いしていた、氏主宰の俳句ジェネレーターから月曜定例の俳句が届く。なるほどこれが噂に聞きし俳句ジェネレーター。なるほどね 噂に聞きし ジェネレーター。もとみやが注文した冬用スリッパと階段マットが届く。ぱぐちょの階段昇り降りもこれで少し安心。夜デジタローグのイエローズ・ストーリー発売記念パーティー。たどり着いたときにはもう終わりかけ。立体プリンタの話ちょっと進む。

96.12.10(火)
朝5時半に起きてたまった先月の日記書きひねもす。寒くて家の中でも厚着。先週買ったアイヴス、10年以上前にFMでエアチェックした4分音ピアノ曲が目的だったのだが、メインのコンコードソナタもなかなかいいではないか。

96.12.11(水)
池松さん久々来アロ。顔を見るのは先見臨海学校以来。住所録管理のファイルメーカ仕事をお願いする。やっと先月の日記入稿。TELあり今井里砂氏はすっかりMacにはまった模様。夜JAPAN MIX貝瀬氏よりTELあり、例の画人列伝は連載中途から採用した一人称形式の方が、読者が入り込める感じがあっていいんじゃないかと。では、三人称の立場から細かく言及しておきたいところはすべて注で補いましょうと言ったら、「注はいいんですが、決して分量が本文より多くならないようにしていただきたいのですが」と。氏はイラストレーション誌連載でのタワシの膨大な注の文章を見て恐れをなしているのだ。可哀想に。

96.12.12(木)
朝アサパソイラスト。鳩よ!イラスト。入稿した日記を読んだ寺谷氏よりTELあり、氏も同じダブルビデオデッキを持ってるとのこと。奇遇ですね〜。たまった郵便物整理等。それからパソコンの総入れ替え。つまりタワシがメインに使っていた6100/60をサイドマシーンに格下げし、「不可視」制作専用機としていた8500/150をメインにするとゆ前々からの念願。なかなか大変で、メールしたりファックスモデム使ったりするとき頭がこんがらがりそうになる。おっと、ここ10日間ほどのE-mailを全部紛失してしまった。しまった〜。

96.12.13(金)
眼科後お歳暮発送し、タワレコ外盤フェアでシュネーベル、パーチ等。双ギャラリーの塚本氏に偶然お会いしいろいろお話しする。本を出すといい、決して難しくなくわかりやすく書くといい、とおっしゃる。「森村泰昌さんに『美術の解剖学講義』是非書くように勧めたのは私なのだけど、その反響は、もう、ものすごかったんですよ〜」等々。そのあと渋谷区立松濤美術館行き、過去の展覧会カタログ買おうとしたら売り切れ。開催中の「女性の肖像」展見る。現代作家が多く意外と面白い。
 ホームアプリケーションコンテストの掲載誌、待ってても編集部が送ってきてくれないのでしょうがなく今日秋葉原に行ったつかのに買ってきてもらう。見てみると、大賞やアスク賞、テレビ東京賞は賞品がカラー写真までちゃんと載っているのに、松本弦人賞や中ザワヒデキ賞の賞品については文中においてすら何も触れられていない。賞品提供がアップル社だからそれらの写真の大きな掲載はわかるけど、こんな風な誌面構成になるなら松本弦人賞や中ザワヒデキ賞の受賞者が可哀想ではないか。あるいは、松本弦人や中ザワヒデキが賞品も出さないケチだと読者から思われたらどうするんだ? こうなることをおそれて今まで何度かタワシから「賞品出せますが」とアスク社に連絡していたというのに。数週間前にその記事を読んだ人から「中ザワヒデキ賞は賞品ないの?」と言われたが、そう聞かれた意味がやっとわかった。つまり読者から見て不自然な誌面なのだ。また、その雑誌の副編集長にコメントを求められタワシが喋ったことが一切誌面に反映されてないのは別にいいんだけど、せめて掲載誌くらい送ってほしいと思う。
 電話して聞いてみると、コンテスト受賞者にはすでに「あとから賞品が贈られます」という通知はなされているそうで、心配はないとのこと。そのほか、本田氏とは久々の連絡なのでいろいろ別件についてもお話しする。「デジネンFOR KIDS」の開発はちょっと動きが止まっている。面白いことをやりたいという氏の熱意には、タワシとは違う立場ながらも心動かされるものがある。氏の場合マーケティングと、氏がカッコイイと思うものとに、ギャップがありながらもなんとかさせようとするところにドラマがあるのかもしれない。

96.12.14(土)
家事。ハードディスクの整備。夜うるまでるび氏宅にお呼ばれし、謝琳氏のとてもおいしいエスニック料理をみなでいただく。ただしタワシ達はぱぐちょ連れて行ったのですごい大変。行きの車はもとみやいず一人だったため、運転してるタワシの膝の上にやってきて騒ぎ回るぱぐちょの危険度はおそらく自動車電話の比ではなかろう。事故らず本当によかった。

96.12.15(日)
タイガーメンテ。都写美にてジョナス・メカスのフィルムと「拡大と縮小」展、ユージン・スミス展、常設展第3部。ぱぐちょは最近欲求不満をピアノに向かわせる。つまりわれわれが食べてるものを全然あげなかったりすると、ピアノの壁に映る自分の姿を相手に引っかく動作をするのだ。でも人間の食べ物は塩分が多すぎて、きみにはあげられないのだよ。

96.12.16(月)
朝からもとみやと前田は個展準備で撮影のため青梅へ。大岡久々終日業務してくれる。先月修理に出したぱわぶくはすっかり直って帰ってくる。夜水戸芸にて坂本龍一&岩井俊雄のコラボレーションがあり、その実況が印種上に流れるというわけで、つかのが一生懸命セッティングし、やっとつながり、興奮して見ている。「何でみんな感動しないんですか」「だってこんな面白いじゃないですか」とか独り言を言いつつ、本当に感動している様子のつかのを見るのもまた楽しい。

96.12.17(火)
97年度イラストレーションファイルのための画像そろえ等。本当は反則だが、全部印種寝助のフォーマットとしてしまう。金曜に修理に持ってったら31日までかかると言われた商品部の7600を送り返してもらい、セットアップしたがCD-ROMドライブのインストールがうまくゆかずまた発送するはめとなる。自分のために自分の活動歴のプロフィールを書き出してみたらあまりにあぶはちとらずな人生歴となっており、わが事ながら驚愕。これじゃ他人からアーティストだと最近思われにくいのも無理ないや。その後デジネン膨大文章のプリントアウト版を図入りで作成し、明け方になってから、ずっとここのとこ頭の中で構想を練っていた定型詩タイプの作品の、雛形を作るだの試行錯誤してみる。

96.12.18(水)
ちょっとだけ睡眠し、引き続き定型詩タイプの作品試行錯誤。夕方、昔のタワシの絵の写真資料なども持って銀座へ。真倉氏にお会いし、写真をお見せすると10年前の、タワシのうだつの上がらなかった学生画家時代のアクリル画群を、気に入ってくださった様子。そのほか大変ためになるお話をお聞かせいただき、いろいろ楽しく会話もする。帰社してバイト日記を読むと、タワシの出がけにトラブってた池松さんはやはり壊れたファイルメーカーデータを修復出来ず、結局今朝からの仕事の打ち込み直しとなってしまったようで、お疲れさま。今日も見ず知らずのタワシのほめぱげファン(?)の方からメールいただくが、最近更新してなくてスミマセン(^^;) ペルーの首都リマで大規模な日本大使公邸人質事件起こる。

96.12.19(木)
JAPAN MIX貝瀬氏と銀座で待ち合わせマガジンハウス社に行き、POPEYE誌連載当時御世話になった斉藤氏にご挨拶。氏は現在BRUTUS誌の編集長。タワシの管理が悪くて紛失してしまっていたPOPEYE誌のバックナンバーのコピーをいただく。御世話になります。隣のPOPEYE編集部覗いたら連載当時直接タワシを担当してくださっいてた篠塚氏がいらっしゃったので、ちょっとちょっとと廊下のソファに呼び出し、久々に色々喋る。中ザワさんもやりたいことや実験したいこと沢山おありだろうから、小室哲哉みたいに手下の人間を沢山囲って、みんな手下にやらせるといいんじゃないですか? 小室哲哉とか奴隷制きっと研究してるだろうから、ちょっと中ザワさんも奴隷制度とかきちんと研究して、これからは牛馬のように奴隷を沢山使っていかないと、なかなかやりたいこと実現できないでしょう。と、相変わらず篠塚さんは面白い。パンフを見せるとデジネンと弦人氏のポップアップメーカーに興味を持たれた様子。今やPOPEYE誌主力となって働いてるらしいキキちゃんが通りがかり、いやあ何年ぶり? キキちゃんも全身バチッとキキ・ファッションでボデーランゲジきめとり、相変わらずタダ者ではない。
 貝瀬氏とお茶してからタワシは画廊めぐり。佐谷のJAN FABRE等見ているうちに、道でばったりO美術館の天野氏にはち合わせ、氏と画廊をもうちょっと回り、その後飲みつついろいろ話す。ザワさんの代表作? デジタルネンドでどこがいけないの? と言ってくれる美術関係者は天野さんくらいしかいないのですよ。

96.12.20(金)
眼科後原美術館にて宮脇愛子の発見された旧作展、O美術館にて人工生命展見てから赤坂のJAPAN MIX社。社長に挨拶後、連載時御世話になり、コメント文章も再録させていただく予定の藤原えりみ氏と久々の打ち合わせ。美術品のポジ集めに関しても大変貴重なアドヴァイスをいいただく。その後3人でビール飲みつつまたいろいろ話す。タワシは個展をしたほうがいいんじゃないかと勧めてくださる。

96.12.21(土)
家事。タイガーメンテ。先見ゼミも学期末試験。ハードディスクとMOのメンテに終日かかってしまう。

96.12.22(日)
ハードディスクとMOのメンテにまだかかる。なにせ「不可視」づくり等で混乱してたのだ。やっと一通り終了。夜定型詩タイプの作品の試行錯誤再び。思ってたようにはうまくいかない。

96.12.23(月)
天皇誕生日。一部方面にデジネン文章プリントアウト郵送。夜中印種業務随分久々。全般的にかなりナオシを入れる。印種実験室に「クリック禁止!」とゆ作品をアップしたので、みなさんクリックしてみてね。印種更新記録をTOP2内「メ成長の記録モ」に残すことにする。そして「まるちめ日記バックナンバー」追加。

96.12.24(火)
今日は大岡くんの弊社勤務最終日。商品会議後、ぱぐちょグッズなど楽しいお品をいただく。ありがとうそして長い間お疲れさま。今日締切のイラストレーション誌原稿はお年玉として年明けに延ばしていただくことにする。

96.12.25(水)
仕事中に独り言など言わないつかのが、突然悲痛な叫びを2度もあげたので「イニシャライズっすか?」と言ったら案の定。9月から更新の度ごとにバックアップを取らせていた「ホームページバックアップ用MOディスク」を、すっかり丸ごと削除してしまったのだ。イニシャライズではないのでなんとかならないかとすぐ鍵かけてNorton試すが、MO一個一個にまでファイルセーバーかけてなかったのでアウト。てゆーか、GIFデータとテキストファイルの一部は復帰できるのだけど、このMOの意義はファイル自体ではなく、「ホームページ成長の記録」なわけだから、セーブした日付とフォルダ構造が帰ってこないと意味がないのだ。Norton Disk Editorで見るとズラズラ16進数列が並んでるわけだから、それ見ながらなんとかならないかとカスタマーサービスにTELし相談するがやっぱダメ。バックアップディスクはやっぱ2枚とっとかないとね。タイガーのはもう2枚にしてあるのだが、印種のはまだだったのだ。夕方デジタルイメージ研究所の李恩沃氏いらっしゃる。韓国で来月、キッズとコンピュータというようなテーマのイベントを企画してらっしゃり、都写美でのタワシのデジネン展示をご覧になっての出品依頼。デジネン以外にもこんなのもありますがと作品をお見せしたら、「キッズボックス」のみならず、「動くキューティマスコット」「動かないキューティマスコット」「よかアニメ」も出品することになる。お話を聞くとずっと芸大や筑波の大学・学者関係で研究や仕事をされてきた方とのこと。デジネンの説明をすると、もう半年はやく知っていたら研究費とかとって公式な研究にする道もあったのに、でも今でもまだなんとかなるかもしれないですが……などと言っていただく。デジネンは見た瞬間に大変に感激したとのこと。こういう研究ははっきり言って日本より韓国の方が進んでるので、韓国で発表された方がいいかもしれないですよとアドヴァイスくださる。ならば本気でそれもいいかもしれない。夜、もとみやの個展の手伝いをしてくれるかもしれないLittleTokyo関係者で、ライターの飯盛さだやっこ氏も一緒に食事をする。

96.12.26(木)
池松さんに整備してもらった住所録をもとに年賀状発送リストを作り上げ、やっと年賀状用宛名シールをプリントアウト。昨日刷り上がってきた年賀状に貼り発送。こんなにきちんと年賀状業務ができたのは会社始まって以来かもしれない。しかもオーソドックスを演出したカードが、手前味噌ながら秀逸だ。夕方マニュエラのしんちゃん社長とはるこ氏来アロして営業用新作CDを届けてくれる。楽しい充実した内容のCD。夜アロアロ忘年会兼大岡退社式をPALAZINOとゆ城山通り沿いのお店で。われわれ5人衆以外に渋谷君、古山さん、日比さんも。池松さんは香港行ってて来れずザンネン。渋谷くんが実は結婚したばかりだったとのこと。それは大変おめでとです。大岡くんはきちんと個人用と、新しくスタッフとしてすでに参加している会社の名刺を持っていて、今後ともみなさま、弊社ともどもよろしくでございます。

96.12.27(金)
とても寒い日。バイトはつかののみで今日が一応仕事納め。今年いっぱいで終了する印種エキスポでOKIが登場させた英和・和英変換プラグイン「pense」を試してみる。にバグがあるようだが翻訳内容はともかくとして、結構うまくできてるではないか。消したいときにバーを消したままにしときにくいのがうっとおしいが。もとみやが来月個展をする原宿画廊の岡田氏いらっしゃり、挨拶する。岡田さんは来月の日記に沢山登場する予定です。

96.12.28(土)
日中はたまった雑誌の整理。タワシのイラストが掲載された等の理由で送付されてきたままの状態で床にうず高く積み上げられているものを片付けたいと、何年も前から思っていたのだ。バッハのインヴェンションは9番に初トライ。夜またまた定型詩タイプ作品の試行錯誤を朝方まで。

96.12.29(日)
雑誌整理の続き。なにしろ目を通す暇ないのに毎月毎週送られてくる数年来の雑誌群。世間ではこれだけ膨大なビジュアルがただただ消費され続けてるのだとゆ状況に、今さらながら唖然。

96.12.30(月)
引き続き雑誌整理。年内中には終わりそうにない。朝方までかかってモノクロビットマップ型作品の試行錯誤。

96.12.31(火)
昨日のビットマップ型作品試行錯誤続きを少々。風呂場のカビキラー等、年の瀬の家事。夜トポロジー型作品の試行錯誤。年が改まった後、テレビでやってた京劇の映画など観て就寝。よいお年を〜。





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