《灰色絵画》覚書:アクリルバージョンと「本格絵画」

中ザワヒデキ Hideki Nakazawa
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2025年1月18日から2月26日まで豊田市美術館ギャラリーで開催された展覧会「新収蔵品を中心に 求心力・遠心力 − 90年代以降の〈日本・美術〉」には、特別展示として、中ザワヒデキの《灰色絵画》5点が展示された [写真]




《灰色絵画》覚書:アクリルバージョンと「本格絵画」
中ザワヒデキ

 2025年1月18日から2月26日まで豊田市美術館ギャラリーで開催された展覧会「新収蔵品を中心に 求心力・遠心力 − 90年代以降の〈日本・美術〉」には、特別展示として、中ザワヒデキの《灰色絵画》5点が展示された[注1] [写真]。5点のうち4点はアクリルバージョンで、作品名(和英)、年代、技法・素材(和英)、寸法は、それぞれ次のとおりである。

 残りの1点はアクリルバージョンではなく、支持体としてアルミが使われている。作品データは次のとおりである。

 この最後の1点は、《灰色絵画》の言わば“本作”に相当する全10点の連作のうちの1点である。したがって敢えてアルミバージョンとは呼ばない。逆にいえば、初めに述べたアクリルバージョンの4点は、本作ではない。また、この《灰色絵画》連作は全10点だが、アクリルバージョンはこの最初の4点しか存在しない。本稿は、これまで明らかにする機会の無かったアクリルバージョンについての覚書である[注2]


■《灰色絵画》の出力

 素材表記は、英語のほうが前置詞があるためわかりやすいかもしれない。「mounted under transparent acrylic」と書かれているとおり、アクリルバージョンの透明アクリルは、合成樹脂すなわち塩ビシート上に出力した画面の上から被さっている。つまり鑑賞者は、透明アクリルを通して塩ビシートの画面を見ることとなる。水中花のような独特の美しさが醸し出されている。

 2000年代前半、写真作品の仕上げの一形態として、透明アクリルを被せるというこの技法が少しばかり流行った。中ザワが当時所属していたギャラリーセラーのディレクターからの薦めにより、この連作ではこの技法を採用することとした。

 具体的には、先ずは浜松にある工場にて、シールタイプの塩ビシート上に耐光性と耐候性に優れた油性溶剤デジタル出力を行った。次にはそれを池袋にある工場に持ち込み、透明アクリル板をシートの上から全面に圧着し、シートの裏側から補強兼展示用の器具として「ロ」の字形の木枠を取り付けた。「ロ」の字形の木枠は作品の四辺から数十センチほど内側に取り付け、壁掛時には側面が出ない(見えない)ようにした。つまりアクリル板が、壁から少し離れて(浮いて)固定されているように見える。ちなみに池袋のその工場には、著名作家を含む多くの写真を扱う現代美術家が、この技法での仕上げを発注していると聞いていた。

 中ザワにとって《灰色絵画》は、作風変遷における「第四期(本格絵画)」の最初の記念碑的な連作であり[注3]、また、最初からそうなるべく意図して作られたものでもあった。先行する「第二期(バカCG)」と「第三期(方法絵画)」では、デジタルデータや方法こそが“主”たる作品本体であるとし、出力物は“従”の立場なので様々なサイズや技法でいくつ出力してもよいとしていたのだったが、第四期ではそれを逆転した。つまりデータは“従”の立場の版下にすぎない。そして出力を1点に限り、すなわちユニークとしたうえで、出力物自体が“主”たる作品本体であるとした。さらには、第三期では自らに禁じていた生理的色彩の使用を第四期では解禁し[注4]、その象徴となるこの連作において色素の三原色を大々的に用いた[注5]。第四期の作風を「本格絵画」と称したのは、この連作に始まる物質と色彩への回帰[注6]、つまりはイデア優位主義から脱却し絵画自体を絵画本体と捉えることこそが、本格的な絵画の正道であるという意図からだった。

 そのため《灰色絵画》の制作は、制作というよりは製作で、出力工程を含むこととなった。作品データは2005年にパソコン内で完成していたが[注7]、出力サイズや素材技法の選択に時間をかけた。最初の発表は、2006年1月20日から3月1日まで東京・新宿区の損保ジャパン東郷青児美術館(現・SOMPO美術館)で開催された「DOMANI・明日展 2006」[注8]、ならびに、同年1月26日から3月9日まで米国・コネティカット州のアクスギャラリーで開催された「A Self-Organizing Map of Beauty: Hideki Nakazawa and Nicholas Knight」であった[注9]。これら同時期の二つの展覧会に間に合わせるべく、前述のアクリルバージョンの素材技法によって「#1」「#2」「#6」「#7」を2005年の年末から2006年の年始にかけて出力し、前二者は新宿、後二者は米コネティカットにて、新作として展示した。また、新宿での展覧会初日には、所属画廊から冊子『Gray Paintings / 灰色絵画』を刊行した[注10]


■物質に起因する問題

 新宿での展覧会初日の《灰色絵画》「#1」「#2」のお披露目は順調で、仕上がりも完璧に見え、同作は人気を博した。ところが数日後、空輸した《灰色絵画》「#6」「#7」をコネティカットのギャラリーで開梱したところ、塩ビシートとアクリルの間に気泡らしきものがいくつも出来ていた。近寄って見なければ気付かない程度だったため、そのまま展示することとして展覧会初日を迎え、同作も人気を博したのではあったが、この疵を看過することはできない。第四期に突入した途端、まさに物質に起因する問題に直面することとなった。

 新宿での展覧会は一ヶ月半ほどで会期終了となった。搬出時の確認作業では、《灰色絵画》「#1」「#2」に気泡らしきものは認められなかった。しかし真横から見るとアクリルに歪みが生じていて、裏面内側に取り付けた「ロ」の字形の枠の外側で、シート側への反りが認められた。アクリルは確かに綺麗で人気ではあるが、気泡らしきものができた時点でNGであり、気泡ができないとしても反りが生じたからには、NGであることに変わりはない。

 さて、新宿とコネティカットの展覧会は、全10点の《灰色絵画》連作のうち2点ずつを他の自作とともに出展したグループ展だったが、次には《灰色絵画》全10点のみを一堂に会する個展を行い、この連作の正式なお披露目としたい。所属画廊のおかげもあって、2006年6月15日から11月15日まで、米国・ニューヨーク市のミッドタウンにあるタワー49のメインロビーにて「Gray Paintings」と題する個展を開催することとなった。サイズはそのままとし、素材技法を変更して、全10点を改めて新規に出力した。

 前回と同じ浜松の工場で、シールタイプの塩ビシート上に油性溶剤デジタル出力を行ったが、ただしシールの接着面は前回とは逆の裏面側とし、アルミ板の上からシートを貼りつけた(mounted on aluminum panel)。アルミ板の裏側には補強兼展示用の器具として「ロ」の字形のアルミ枠を、数十センチほど内側に取り付けた。さらに、仕上げとして作品表面をクリヤー塗装し、耐光性と耐候性を一層高めた。(池袋の工場への持込はない。)

 この時の製作物が結果として、前述した“本作”の全10点となった。アクリルではないので反りは出ず、空輸しても気泡らしきものの発生はなかった。そして作品の出力物を1点に限るという第四期の原則にしたがい、「#1」「#2」「#6」「#7」についてはこの時の出力物を正式かつ唯一のものとし、前回のアクリル製の出力物は処分することとした。(とはいえ先にその後の顛末をここで記すと、処分を怠ったままそれから20年近くが経過し、2025年、前述したアクリルバージョンの4点として再び世に出し、作品として展示した。理由は後述する。)

 “本作”となったアルミを用いた出力物は、視覚的には透明アクリルを介さないぶん、鑑賞者は作品表面を直接的に見ることができる。特に角や辺の境界まで均等に見ることができることから、逆に、それまでのアクリルバージョンでは四辺周囲の鑑賞に難を来していたことに気付かされた。すなわち、作品表面にある画素の一つ一つを見ようとしているのに、アクリルバージョンでは画素より手前のアクリル自体の角や側面が目につき邪魔だったのだ。角度によっては作品表面がアクリル側面に反射して見えてしまい、画素サイズが伸び縮みしたような錯覚さえ引き起こす。これが、通常の写真作品であれば視線は自ずと中央の被写体に向かうため、周囲の背景には目は向かないが、被写体と背景の別がない《灰色絵画》では、左上の隅から順番に右下の隅まで画素が均等に並べられているため、中央と周囲とで見やすさの差が生じるのは良くない。


■ニューヨーク、府中、《脳内混色絵画》

 話を戻すと、ニューヨークでの展覧会は空輸時に運送会社に作品を紛失されそうになったことを除けば、首尾よく始まり、好評裡に終了した。その間に、東京・府中市の府中市美術館公開制作室にて、「公開制作36」として「中ザワヒデキ 脳波ドローイング」を2006年10月21日から12月24日まで行うことが決まり、その最終週にあたる12月19日から24日まで、公開制作室向かいの府中市美術館市民ギャラリーにて、「中ザワヒデキ 新作《灰色絵画》展示」を開催することとなった[注11]。これはニューヨークでの個展の凱旋展という側面もあったが、何はともあれ“本作”全10点の本邦初披露であり、実際に開催され好評を博したが、結果的にはこれが、全10点が一堂に会した最後の機会となった。

 府中での展覧会を機に、《灰色絵画》“本作”の「#1」「#4」が平成19年度(2007年度)の府中市美術館の買上となり、「#8」は鍛冶充浩氏から同館に寄贈された[注12]。また同年、「#2」「#3」「#5」「#6」「#7」「#10」のうちの1点が個人(名古屋市千種区)に、5点が韓国・釜山市の A Story Gallery (当時)に買い上げられた。その5点はさらに日本国外で転売されたと思われる。「#9」は、2007年12月28日から2008月1月7日まで東京・渋谷区の Bunkamura Gallery で開催された「中ザワヒデキの全貌 記号と色彩の絵画」展に出品され、個人(東京都中央区)が買い上げたが、その後所属ギャラリーが買い戻し、さらにその後、中ザワがギャラリーから離れて精算完了した2018年に、作家蔵となった。これが冒頭で述べた2025年の展覧会に出品された“本作”の1点である。

 2007年の中ザワの次の連作《脳内混色絵画》全18点も、《灰色絵画》“本作”と同じ素材技法によって、各1点ずつのユニークとして製作した[注13]。こちらも好評で数年で完売したが、アルミという素材が衝撃に強いわけではないため[注14]、四辺で側面を出さずに板状とする作りは、以降はほとんど採用していない[注15]

 2014年に同じ浜松の工場で製作したバカCGタイプの連作《アンチアンチエイリアス》では、塩ビシートへのデータ出力とアルミの支持体という素材技法は《灰色絵画》《脳内混色絵画》と同じだが、四辺を板状のまま残すことはせずに、アルミ枠で固めて側面を出して仕上げた[注16]。そしてさらに、アクリル製の縁でアルミ枠側面をカバーし、アルミを衝撃から護る形の額装とした。ただしこのやり方は《アンチアンチエイリアス》ではよいとしても、アクリル製の縁の色が気になるため、《灰色絵画》《脳内混色絵画》には用いたくない。

 結局、支持体をアクリルでなくアルミにしたところで、課題が全く無くなるというわけではないのである。最終形をデータではなく物質とする限り、完璧な物質のなさに付き合い続けなければならない。そもそもイデア優位主義から脱却した時点で、本格絵画は妥協容認プログラムでもあった[注17]


■気泡の検証と、第四期の曖昧化

 さて、2006年のコネティカットでの展覧会に出品したアクリルバージョンの《灰色絵画》「#6」「#7」は、諸事情により2008年8月にようやく日本に送り返されてきた。気泡らしきものはしっかり残っており、シート側への反りも認められた。池袋の工場の担当者と、現物を見ながら検討した。

 その結果、反りや気泡らしきものの発生は、素材技法上、有り得るということとなった。アクリルは熱により少しばかり伸縮する性質があるため、空輸時に上空で零下まで下がり、地上でまた常温に戻るといった温度変化が、アクリルを歪めてしまうだろう。180×120cmという大きさや、それによる自重も歪みの大きな要因となる。また、片面全面に貼られた塩ビシートがアクリルを引っ張り、何も貼られていないもう片面では引っ張られないことから、アクリルはシート側に反りやすくなるだろう。そして紙とは違って塩ビは伸縮しやすいため、反ったアクリルからシートが浮いたり離れたりする箇所ができてもおかしくない。その箇所は気泡に見えるが、空気が入っていない可能性もある。

 池袋のその工場では、こうした疵の報告はそれまでまったくなかったが、それは、写真用紙以外の素材にアクリルを被せること自体が初めてだったからだろうと考えられた。また、これだけ大きなサイズというのも前例が無かったからでもあろう。

 そうこうしているうちに、中ザワの作風変遷における「第四期(本格絵画)」は、次第に曖昧なものとなっていった[注18]。2008年の「セル」は油彩によるシステマティックな連作、2009年のアクリル絵具による新作は表現主義的なペインティングで、作風が多様化してきたところで、2010年にはモダニズムの帰結である同語反復の徹底を意図した「新・方法」を始動し[注19]、ベクトルが本格絵画のドグマとは真逆の反芸術へと向いた。しかし2012年に「新・方法」を脱退、何でも有り状態となった2013年には、「何でも有りは無し」と題した個展を開催した[注20]。第一期から第三期まではほぼ7年周期だったがそのサイクルも崩れ、2016年には人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)を草刈ミカらと立ち上げて、その活動に専念するようになった。

 だがそれは、本格絵画を「イデア優位主義から脱却し絵画自体を絵画本体と捉える」と規定する限り、ある意味必然だったともいえる。すなわち絵画を成立させるための理念が後景化するのであれば、理念の反映としての作風は当然曖昧化し、何でも有りがむしろ正しくなる。そして物質である美術作品の価値は、背後の理念よりも、物質としての希少性に左右されやすくなる。本格絵画では出力物を1点に限りユニークとしたが、それはここと関連する。


■物質としての希少性

 物質としての希少性はしかし、作品点数を限ることだけではない。例えばマルセル・デュシャンの有名な(通称)《大ガラス》は、輸送中の事故により偶然割れたことによって、希少性はかえって高められたと考えられるべきである。「割れたことによって完成した」と本人が言ったともいわれているが、偶然性を初めて採り入れた作家としては当然の言だろう。偶然の割れが、作品表面にも来歴にも追加されることにより希少性が増したのだ。疵は勲章だ。そしてこの場合の希少性は、来歴を含む骨董性とも言い換えられるだろう。

 となると、「気泡らしきもの」や「アクリルならではの反り」が疵として刻印された《灰色絵画》アクリルバージョンは、おいそれと廃棄されるべきではない。むしろ「初めての塩ビとアクリルの組合せ」「前例のない大きなサイズ」という、当時の無謀の証として貴重である。さらには新宿の美術館あるいはコネティカットのギャラリーでの初披露という、申し分のない来歴だってある。四辺周囲での画素の見えにくさはあるとしても、水中花のような独特の美しさには改めて目を見張らされる。《灰色絵画》“本体”とは別物であることを「アクリルバージョン」と明記することで担保しつつ、物質の完璧でなさに起因する希少性や骨董性が謳歌されなくてはならない。そして幸いなことにというべきか、結局4点は処分されずにまだ残されている。

 2024年の暮れ、冒頭で述べた2025年の展覧会への出品のため、神奈川県平塚市大島に一時移転中の倉庫内で、ほぼ20年近くぶりに《灰色絵画》アクリルバージョン4点を開梱した。コネティカットから帰ってきた「#6」「#7」のみならず、一度も空輸したことのない「#1」「#2」にも、気泡らしきものがいくつもできていた。そしてそれは、裏面に「ロ」の字形の枠があるあたりに多いようだった。アクリルならではの反りは4点ともに認められ、とはいえ水中花のような独特の美しさが、2000年代前半の空気感を漂わせていた。

[2025年9月6日記]



[注1] 同展に出品された中ザワヒデキ作品は、みそにこみおでん氏から寄贈され2024年度の同館新収蔵作品となった《二三字三九行の文字座標型絵画第三番》《三一字一七行の文字座標型絵画第六番のイ〜チ》と、特別展示として、作家蔵の《盤上布石絵画》(現物版)3点と作家蔵の《灰色絵画》5点であった。

[注2] 《灰色絵画》については以下参照:
- 中ザワヒデキ網上楼閣 灰色絵画
https://www.aloalo.co.jp/nakazawa/portfolio/gp/indexj.html
- 『朝日新聞 be on Sunday』目の冒険 脳で視るアート⑤ ギザギザ 混ざれば灰色 中ザワヒデキ 2007年2月4日掲載
https://www.aloalo.co.jp/nakazawa/200701/asahi05.jpg
※図版②の作品は、トリミングのミスにより右端の画素が一列分消えてしまっている。

[注3] 中ザワは自身の作風変遷を次のように区分している。
プレ期:1963-1982年(油彩画)
第一期:1983-1989年(アクリル画)
第二期:1990-1996年(バカCG)
第三期:1997-2004年(方法絵画)
第四期:2006- (本格絵画)
なお第三期と第四期の間の2005年は過渡期であるという側面もあるが、それ以上に、アイディアそのものが作品であると主張した「芸術特許」プロジェクトに邁進した一年でもあった。

[注4] 「第三期(方法絵画)」では、印象派理論における筆触分割は多数性、色彩分割は差異性に帰結するとの考えから、多数性と差異性を併せ持つ文字や硬貨などの記号を論理的色彩と呼んで推進し、赤や青などの実際の色彩を生理的色彩と呼んで退けていた。

[注5] 色光の三原色は黒という無色に対するレッド、グリーン、ブルー(RGB)だが、色素の三原色は白という無色に対するシアン、マゼンタ、イエロー(CMY)である。ホワイトカンバスを何も描かれていない無色の初期状態であると考える絵画においては三原色は後者である。そのため《灰色絵画》では色素の三原色を用いた。

[注6] 物質と色彩、すなわち形相(エイドス)ではなく質料(ヒュレー)という考えから、本連作は当初《ニュー・ヒュレー》と題していた。当時対話を繰り返していた都築潤の連作《ニュー・エイドス》に呼応した命名とする意図もあったのだが、所属画廊から相談され、発表直前に《灰色絵画》とした。この語は、2005年秋に岡部あおみとの会話中に次の新作について尋ねられ、咄嗟に「三原色なのに灰色」というフレーズが口をついて出たことに由来する。なお灰色絵画と称するのであれば、ゲルハルト・リヒターの連作と区別するためにも「(シアン、マゼンタ、イエローによる)」という丸括弧部分を作品名内に加えたほうがよいだろうと考え、そうした。また、第三期では連作内の個々の作品に「第一番」、「第二番」、……と番号を振っていたが、所属画廊から提案され、本連作では「#1」、「#2」、……とした。

[注7] 「#1」から「#5」までの5点の作品データは2005年9月10日に完成した。浜松の工場や池袋の工場とサイズや素材技法を検討し、出力に実際に取りかかる段取りを組んだ後、「#6」から「#10」までの5点の作品データを同年12月25日に完成し、本連作を全10点とした。第二期と第三期ではデータの完成をもって作品完成としていたが、第四期では必ずしもそうではない。「#1」から「#5」までの5点の作品年代は2005、「#6」から「#10」までの5点は2006とした。

[注8] 《灰色絵画》のほかに同展に出品された中ザワヒデキ作品は、《三五目三五路の盤上布石絵画第一番》(盤面図版)、《903個の回文的造語から成る文章第一番》、《1007個の回文的造語から成る文章第二番》、《336個の回文的造語》、《特許の請求項》(日本語版)であった。

[注9] 《灰色絵画》のほかに同展に出品された中ザワヒデキ作品は、《21213枚の硬貨から成る504米ドル50セント(金額第三七番)》、《特許の請求項》(英語版)、《デジタルネンド》であった。

[注10] 冊子に掲載された「#1」から「#10」までの画像は全て、出力前のデジタルデータから直接印刷したものである。しかしデータから直だと実在のリアリティが無く、これらの作品が物体や物質として、現実世界に実際に存在しているものなのかどうかがわかりにくい。そこで冊子巻末の作家略歴の頁に、たまたま池袋の工場で撮影していた写真2点を掲載することとした。それらの写真に顕かな、作品表面への蛍光灯の映り込みは、アクリルバージョンならではの物質感である。なお、経緯からわかるとおり、冊子刊行の時点では「#1」「#2」「#6」「#7」以外の6点は実はまだ出力されていなかった(実在していなかった)。また、後から“本作”と呼ぶこととなるアルミを支持体とする全10点は、そもそも構想さえなかった。また、ここで補遺すると、冊子表紙の地色は「C33.3%、M33.3%、Y33.3%」の色指定による灰色とした。これは、比率的にも濃度的にも《灰色絵画》1点に含まれるC、M、Y全部を混ぜ合わせた灰色に等しく、すなわち、本連作が拠って立つ「脳内混色」の理論により視えるはずの灰色である。

[注11] 府中市美術館では同時期に「第3回府中ビエンナーレ 美と価値 ポストバブル世代の7人」(2006年10月21日〜12月24日)が開催され、中ザワの公開制作と美術館講堂で開催された全3回の講義、市民ギャラリーで開催された展覧会は同ビエンナーレの連動企画であった。担当学芸員の神山亮子は当初、中ザワを同ビエンナーレの出展者の一人として構想したが、予め決められていたビエンナーレの年齢条件から外れていたため、こうした施策としたと中ザワは聞いていた。

[注12] 鍛冶充浩氏は、併せて《脳波ドローイング 第1〜20番》も同館に寄贈した。同氏は中ザワの当時の所属画廊であるギャラリーセラーのディレクターの一人。

[注13] 《脳内混色絵画》は《灰色絵画》とコンセプト面で多大な繋がりを有しているが、出力面においてもそうである。同じ素材技法を採用したことのみならず、画素サイズも同一の 22.2×22.2 mm とした。ちなみに《脳内混色絵画》の各寸法は 711×711 mm で、画素数では 32×32 となる。これは往時のマッキントッシュのアイコンサイズである。

[注14] 《脳内混色絵画》の1点が、輸送時の事故により縁に疵ができたことがあった。その時は浜松の工場に持ち込んだものの、補修不可とされたため、廃棄して再出力した。

[注15] 2007年以降、アルミの側面を出さずに板状とする作りを採用したのは、2015年に制作した《立体視交差法のための世界没落体験に浮かぶ顔第一番》《同第二番》の2点のみである。なおここで補遺しておくと、実は2008年8月5日に、連作《脳内混色絵画第二集》全18点の作品データが完成している。しかし前注記載の事故のあと、同じ素材技法での出力を所属画廊が渋ったため、新連作の出力と発表の計画は頓挫し、そのまま2025年の今日に至っている。その過程においてはデジタルデータをカンバスに顔料出力すること等も試みられたが、作家が満足するものにはなっていない。

[注16] あるいは、「ロ」の字形のアルミ枠を(作品より小さく作って)四辺よりも内側に取り付けるのではなく、(作品と同じ大きさに作って)四辺の位置に取り付けたのだと言い換えてもよい。

[注17] 反対にいえば、完璧な物質のなさへの妥協をよしとせず、物質を断罪してイデアを優位に掲げるプログラムが、第三期の方法主義(と第二期のバカCG)であった。

[注18] そもそも、中ザワ自身によって第四期の始まりとされている《灰色絵画》において、画素が厳格な理論により規則的に並べられていることや、シアン、マゼンタ、イエローの三色が灰色を表すための記号として用いられているという解釈も成り立つことなどから、この連作も第三期の「方法絵画」であると見ることもできる。神山は府中市美術館研究紀要 第16号(2012)に所収のテキスト「中ザワヒデキ《脳波ドローイング》」において、《灰色絵画》を方法絵画の総決算と述べつつ、第三期を「1997年〜」と表記し、同テキストが書かれた2012年当時まで第三期が続いているものとした。

[注19] 「新・方法」は、第三期の方法主義を復活・更新するものでもあった。また、同じ2010年には「新・方法」の活動と並行して、第二期のバカCGを復活・更新する連作も作り始めていた。これはパソコン内で作りその都度データのまま画像をSNS等のネットで発表していたが、(本文記載のとおり)2014年に連作《アンチアンチエイリアス》として、作品群の一部を物質化して(出力して)展示した。

[注20] 中ザワヒデキ展「何でも有りは無し」は2013年11月7日から12月7日まで、東京都中央区(当時)のギャラリーセラーにて開催された。「作品掛替随時」としていたため総出品点数は100点を数え、第一期から第四期までの作品を展示した。本展は、中ザワが第三期の方法主義では同時代の状況をポストモダン的な「何でも有り」であるとして糾弾していたことを踏まえ、敢えて「何でも有りは無し」と掲げつつ、確信犯的に「何でも有り」を現出したものであった。この時初めて中ザワの個展会場を訪れた O JUN は、「これは何人のグループ展なのですか?」「本当に一人の人の個展なのですか?」と、驚きを隠さなかった。




●2025-09-06
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