方法 第14号 2002年5月3日発行 日本語訳

ゲスト=クラーレンス・バルロー

機関誌「方法」は、転送自由のEメール隔月刊誌です。その目的は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の探求と誌上発表です。受信に差し支えあるようでしたらご連絡ください。ご希望に添えるようにいたします。
- 「方法」同人: 中ザワヒデキ(美術家)、松井茂(詩人)、三輪眞弘(作曲家)
- 方法主義宣言 http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/
- 日本語訳 http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/index_j.html

巻頭言  三輪眞弘
ゲスト原稿:
マイソッド  クラーレンス・バルロー
ゲスト作品:
トム・ジョンソンの鋏  クラーレンス・バルロー
同人原稿:
第二回方法芸術祭報告  中ザワヒデキ
詩の純粋形式化  松井茂
文明を合成する  三輪眞弘
同人作品:
質量測定  中ザワヒデキ
純粋詩ウォーキング  松井茂
「またりさま」シミュレーション・ソフト  三輪眞弘
お知らせ、編集後記

--

方法 第14号 ゲスト=クラーレンス・バルロー 日本語訳

巻頭言  三輪眞弘

 コンピュータ音楽のパイオニアのひとりとして知られているクラーレンス・バルローは、その時々の最新テクノロジーの使い方において、極めて独自の方法論を持って創作を続けてきた作曲家である。それはこの世界をパラメーター化した上で再構築するような手法で作られていく音楽だと言えよう。昨年のDSPサマースクールに来日したバルロー氏はそこでも「トランスフォーメーション」というテーマの下で音楽のみならず画像やテキストをパラメーター化した上で縦横に扱った作品を紹介していたことが印象的だった。
- http://kalvos.org/barlowk.html
- http://genterstr.hypermart.net/f_comps/barlow.html (ドイツ語のみ)


ゲスト原稿と作品:

マイソッド(Mythod...私の方法)  クラーレンス・バルロー

-- 完全な文書をご覧下さい; http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/Mythod.html
これは、私がいつも何をどのようにして行っているかを記述しようとする、不完全な試みである。
[存在]:
私の存在が私の営為と整合性を持つという、証明不能の仮説。
それは次のものから作られる
1:[実体的なもの]、それを構成するものは
11:[身体的なもの](1945年に生まれ、痛風、心臓病、視力不足といった病気に時折少々悩まされ始めた、身体と器官)
>>そして
10:[機能的なもの]、それが現れるところは
101:[行為]、それが作動するのは
1011:[創造]、アイディアの。次のものとして
10111:[具現]、たとえば
101111:[生成]、音楽やテキストやフィルムの。いつもではないが大抵の場合、音楽イヴェントの企画同様にさまざまなアルゴリズムやパラメーターによっている。- 私の作曲は1970年までに十二音技法、そして「確率の音楽」に向かい、調性と拍節の事象は絵画の領域に向かったりもした。それから - 私のテキストは理論的なもの(以下を見よ)あるいは音楽を主とする事物の状態への批評である。- 私のフィルムは既に録画されたものを時間構造によって連結したものかアルゴリズミックに形態を生成したものである。
>>>>>>そして
101110:[変換]、テキストや映像や音楽相互のアルゴリズミックな。たとえばテキストの文字、スピーチにおける形成音、写真の画素、あるいはフィルムの運動体を音高やリズムに変換する。- 音楽自体の変容は、たとえば元の素材を再分配することによって確率的に引き起こされる。
>>>>>そして
10110:[理論化]、音楽と数学の問題における。すなわち旋律の調性度(調性の明瞭度)、リズムの拍節度(拍節の明瞭度)や独自のデジタル信号処理に関する数式作りだけでなく、たとえば(ユーモラスな)「芸術創造によって得られる満足度」のパラメーター化のように社会学的心理学的分野におけるものも含める。それは後期二十世紀音楽の質、個人の関係性、中欧の民族気質に即し、本や記事の執筆に結実することが多いものである。
1010:[移動]、情報の。たとえば
10101:[教授]、ハーグ王立音楽学校での作曲学や音響科学の教授やケルン音楽学校でのコンピュータ音楽の教授
>>>>>そして
10100:[学習](以下の順で:)英語、ピアノ演奏、楽理、数学、ドイツ語、プログラミング言語のFortranとPascal、音響学、オランダ語、フランス語、片仮名、平仮名そして後にはできればもっと多く
>>>そして
100:[知覚](感覚器官を通して私に気づかれるもの)、主として視覚、聴覚、嗅覚的認識の結果として
>そして
0:[非実体的なもの]、それを構成するものは
01:[思考]、それが現れるところは
011:[想像]、どのように次の事象を説明するか。書かれるべき本、作曲されるべき音楽、作られるべきフィルムのみならず、料理やさらに他の身体的喜びについて
>>>そして
010:[記憶](評価を含む)、半世紀の経験の。たとえば学校での厳しさや20年間カトリックでいた無益さ、そして偉大な音楽や、数学や天文学の魅惑的な特徴の。
>>そして
00:[感情]、それが現れるところは
001:[直観](霊感を含む)。どのように作曲すればよいか、あるいはどう美術作品を判断すればよいか、直観的に感じる時の。
>>>そして
000:[情動]。美味しい食事や、過ぎ去った諸世紀の音楽作品を楽しむ時の、あるいは典型的な20世紀後半の現代音楽作品に胸くそを悪くするときの。


トム・ジョンソンの鋏  クラーレンス・バルロー
http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/Clarence/Barlowork.html
T,O,M,J,O,HN,S,O,Nは水平方向には等距離で、垂直方向にはアルファベット順に書かれている。円はグループTOM, MJH, JOS, JNS, SON, OOOを通して、そして最後のは不定形に(まっすぐの線)描かれている。グループは円に沿って反時計回りに90回推移し、90回目で最小の円周となる。動く垂直線はすべてのフレームを右へと走査し、文字との出会いが音の高さと瞬間の時間を決めて、91個のミニ楽譜を作る。91個のミニ楽譜は時間軸に沿って並べられ、000グループすべては'O'が均等化されている。最初のミニ楽譜のあとにポーズが入る。


同人原稿と作品:

第二回方法芸術祭報告  中ザワヒデキ

 松井茂と三輪眞弘と私の「方法」同人三名は、2002年4月14日と28日、東京で第二回方法芸術祭を行った。松井と足立智美と私が2001年3月10日と11日、北九州で行った第一回方法芸術祭からは一年が経っている。(当時は三輪でなく足立が同人だった。)
 方法芸術祭はその見かけとは裏腹に、総合芸術ショーではない。確かに松井は詩人であり、三輪や足立は作曲家もしくは音楽家、そして私は美術家だ。しかし、にもかかわらず、方法芸術は異なるジャンルの芸術の統合も融合も意図しない。意図するところは純粋芸術である。
 ではなぜ、われわれは一緒に活動するのか? それは「超」純粋芸術は、それ自身のジャンルを越えうると考えているからである。私は「方法」の語を、複数の芸術ジャンルを越えかつ共通であるような何かを指すために使っている。それゆえ、ある方法を用いただけの単なる歩行が、詩と称されるというような事態が起こりうる。4月14日に行われた松井の「純粋詩ウォーキング」は、まさにそのようなものだ。あるいは、ある音楽作品とある美術作品が同一の方法を有するというような事態が起こりうる。私の「楽曲第一番」「第二番」と、「集合第一番」「第二番」は、まさにそのようなものだ。4月28日にこれらは「同時発表」として行われた。
 ほかには、三輪の「流星礼拝」はあるカルト宗教のまさしく礼拝で、驚くべき人間機械システムが用いられている。彼の他の作品同様に、音楽であるがほとんど音楽を越えている。私の「質量測定」は、抽象化された写生の概念を扱っている。写生は美術と文学双方が課題としてきたものである。
 プログラムの最後には「方法ばばぬき」が松井と三輪と私の共作として敢行された。ルールは簡単で、ある方法がオリジナルの「ばばぬき」に加えられたにすぎない。この作品は、黒と赤による美術作品とも、数の列の詩作品とも、繰り返すリズムの音楽作品とも称されてよい。しかし他方では、美術でも詩でも音楽でもない、ただのカードゲームと称されてもよい。
 芸術祭終了のアナウンスメントがなされた後、大勢の観客が居残ってお酒や歓談に興じた。その傍らでは「方法」同人三名が、終わりのない「方法ばばぬき」をいまだに続行していた。


詩の純粋形式化  松井茂

「方法詩は方法自体と化した文字列である」(「方法主義宣言」より)に従って、詩の純粋形式化について考察しなければなるまい。
   文字列には、複行と単行の分類がある。詩にも、複行詩と単行詩の分類がある。複行詩は、改行コードを用いた詩。単行詩は、改行コードを用いない詩。改行コードを用いた詩は、原稿用紙上に配置された点である。改行コードを用いない詩は、原稿用紙上に引かれた線である。原稿用紙上に配置された点は、文字列の切断によって空間を点描する。原稿用紙上に引かれた線は、文字列の持続によって時間を構成する。空間を点描する詩の文字列は、物質となる。時間を構成する詩の文字列は、事象となる。物質が点描する空間は、絵画に近づく。事象が構成する時間は、音楽に近づく。
 絵画に近づいた物質は、新たな文字となる。複行詩は、改行コードを使うこと自体が方法であり目的である。新たな文字は、純粋形式化の結果に過ぎない。
 音楽に近づいた事象は、新たな韻律となる。単行詩は、改行コードを使わないこと自体が方法であり目的である。新たな韻律は、純粋形式化の結果に過ぎない。
 複行詩と単行詩という分類に従って、前者を視覚詩、後者を音響詩と理解することができる。これは、文字と音の対応である。詩を自由詩と定型詩に分類することが一般的だが、詩の純粋形式から考えれば、複行詩=視覚詩と単行詩=音響詩の分類が正しい。
 詩の純粋形式化の追求の次の段階は、おそらく複行詩と単行詩のインターメディア化だ。新たな文字による新たな韻律は、映画に近づくといえるだろう。


文明を合成する  三輪眞弘

 昔、ぼくの先輩が言ったことを今でもよく考える:音楽はどこにある?作曲家の頭の中?楽譜に?演奏家の頭の中?演奏された音に?聴衆の頭の中?・・これは情報の所在のことではなく、いつどのように音楽が成立するのか、という問題だ。その答えを西欧の作曲技法を勉強中だったぼくは漠然と「作曲家の頭の中、そして楽譜に・・」と考えていた。確かに当時ぼくは「自分独自の音楽構造を楽譜に定着できれば聞こえてくる音などどうでもよい」とさえ思っていた。  しかし、その「構造」なるものは、原則として、演奏される音高とタイミングを指定すること、つまり楽譜さえあれば本当に定義可能なものなのかと疑うようになった。なぜなら、楽譜が演奏され、それを多くの人達に聴いてもらうという過程が成立するには伝統に支えられた社会的、文化的システムが前提となっているからだ。即ち、音楽という概念が認知され、音楽のしかるべき記述法があり、それを演奏できるように訓練された人がおり、不特定多数の人々の前でそれを演奏し、黙って聴く場がある・・それらを可能にしている環境全体のことである。そしてこの事情は西洋に限らず他の文化圏においても同様だろう。  ならば突然、「音楽とは決められた規則に従ってみんなで鈴を振る行為なのだ」と今、日本という国で主張してみよう。プリミティブなものへの憧れではなく、人間同士のふれあいを取り戻すためでもなく、音楽を成立可能にする、このシステムにとっての必要条件を占うために。昔、現代音楽を批判する時「このようなものは音楽ではない!」という表現がよく使われたが、今度は「決められた規則に従ってみんなで鈴を振らないようなものは音楽とは呼べない!」とぼくの方から言い張ることにしよう。漠然とだが、この条件を満たせば音楽がきっと成立すると感じているからだ。


質量測定  中ザワヒデキ
http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/work014.html
このパフォーマンス作品は二段階から成る。第一段階では、二つの物が同時に秤に載せられる。例:A+B、B+C、C+D、D+E。第二段階では、最後の物と最初の物が同時に秤に載せられる。例:E+A。物の個数が奇数の時に限り、個々の物の質量を知ることができる。


純粋詩ウォーキング  松井茂
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/walking.html
「純粋詩ウォーキング」は、純粋詩に従って歩く作品。第二回方法芸術祭で使用したスコア。


「またりさま」シミュレーション・ソフト  三輪眞弘
http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/XORensemble.html
今回の方法芸術祭で初演された8人のプレーヤのための「またりさま」のシミュレーションである。言うまでもなく、このソフトは「またりさま」を真似するために作られたのではなく「またりさま」のルールがどのような結果をもたらすのかを実験するために作られたものである。


お知らせ:

クラーレンス・バルローより
- 1992年にハーグで開催された「RATIO SYMPOSIUM」のドキュメントとして「THE RATIO BOOK」が2001年11月にケルン・フィードバック・スタジオから刊行された(Feedback Papers No.43)。著者(英語がほとんど)… V. Abel, C. Barlow, B. Bel, P. Decroupet, K. Howard, A. La Berge, S.-C. Lee (German), D. Lekkas, H. Moeller, W. Swets, S. Tempelaars, J. Tenney, B. Thornton, H. Touma, W. van der Meer, D. Wolf, 編集…Clarence Barlow
音楽関連の数学、情報科学、音響音声学のみならず定量的な調性度や拍節度を扱ったドイツ語のテキスト「VON DER MUSIQUANTENLEHRE」(Feedback Papers No.34)は、2002年内になくなるおそれがあります。
http://genterstr.hypermart.net/papers.html
- 2002年5月23日:バルロー作品コンサート・イン・アーヘン(ドイツ) 演奏:アイヴス・アンサンブル(アムステルダム)
http://www.aachen.de/Aktuelles/musikfest/programm.htm
- 全般的情報は下記:
http://www.rlow.org (Internet Explorer)

中ザワヒデキより
-「日韓現代版画展」5月25日-6月23日 ギャラリーOM(新横浜) 草間彌生、金享大、他と出品。
- トランペットの曽我部清典が5月6日、萬福寺で私の作品を演奏します。
- 5月11日、北九州市立美術館でポール・シニャックのレクチャー。
- 6月8日、東京都現代美術館で20世紀美術のレクチャー。
- 神田の美學校にて講座「方法主義宣言」5月-7月。
- 詩誌「ミて」35号(5月19日刊行)にゲストとして寄稿します。
- 無料「デジタルネンド」、病院ギャラリー常設展、著書等の情報詳細は http://aloalo.co.jp/nakazawa/info_e.html

松井茂より
- 水牛に寄稿 http://www.ne.jp/asahi/suigyu/suigyu21/
- 出品「オキュルスヴィジュアルポエトリ−ビエンナーレ2002」5月15〜25日

三輪眞弘より
- 5/26 第14回岐阜大学芸術フォーラムに参加。新企画、三輪眞弘コーナー開始。
- 6/22 木ノ脇道元フルート・リサイタルで「極東の架空の島の唄 II」を再演。
- 詳しくは、 http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/ToDo.html

「方法」より
- 既刊号 http://aloalo.co.jp/nakazawa/method/index_e.html
第1号から第12号までは日本語から翻訳中です。
第13号までのゲスト:篠原資明、古屋俊彦、三輪眞弘、建畠晢、岡崎乾二郎、鈴木治行、石井辰彦、松澤宥、高橋悠治、田名部信、豊島重之、刀根康尚、豊嶋康子。
- 本誌の購読申し込みは、同人までご連絡ください。


編集後記:
"Live at The Drugstore"と連携する形で2回に渡って行われた方法芸術祭は貴重な経験と成果を私たちにもたらしたと実感しています。来ていただいたみなさまに心から感謝します。今後も考え悩みながらこのようなイベントを続けていきたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願い致します!(MM)

--

隔月機関誌「方法」第14号 2002年5月3日発行
発行:中ザワヒデキ、松井茂、三輪眞弘
nakazawa@aloalo.co.jp http://aloalo.co.jp/nakazawa/
shigeru@td5.so-net.ne.jp http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/
mmiwa@iamas.ac.jp http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/

本誌は転送自由ですが、執筆者の著作権は放棄されていません。改竄や盗用は禁止します。他者への転送は各自の良識のもとに行ってください。