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 中ザワヒデ
 キ文献研究
 進行状況逐
 次報告
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【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

第三期三回 

二〇〇九年六月三日

文献
「降臨する『芸術意志』」『図書新聞』2001年7月7日 pp.438-439
「詩のアイデンティティー」『美術手帖』2009年4月号 pp.440-442
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中:平間さんは録音再開ですね。

ひ:はい、先週は忘れてしましました。

中:貴重な話だったんですけどね(笑)新藤さんのために先週なにがあたのか説明して下さい。

か:先週は434の追従されたいアートで、半田さんが近代と現代の違いがわからなくなりつつもなんとか判ったと。そういう感じで話を進めていったんですね。そして435は西洋画人列伝の記事、これはぼくの文章ではないという事で飛ばしました(笑)その次が方法鼎談です。

か:中ザワ、足立、松井の三人で話しているのですが、これを僕と半田さんと平間さんで実際に読みました(笑)そしてその解説で2時間以上かかってしまいました。

中:これはぱっとよめてしまうんだけど、実は多大な説明が必要だったということですね。

し:還元主義っていう言葉が出てきたのですが、どういう事を想定しているのでしょうか。

中:還元主義っていうのよけいなものをどんどんなくしていって、なるべくすべてを取り去る。英語だとリテラリズムっていう言い方もあって、リダクショニズムという人もいます。リテラルっていうのは語義通り、文字通りという事。

し:ミニマリズムとは違いますか?

中:ミニマリズムも還元主義の一つです。還元主義の中には抽象美術もそう、ミニマリズムもそう、コンセプチュアルアートもそう。どこに還元していくかという所で変わってきます。

この文章は歴史認識の所でつまずいたんですね。基本的には方法主義宣言の説明だと言うことです。

か:あと足立さんのサングラスは方法主義との距離感が表されているという事でした。

し:ポストモダンの実現としての冷戦終結は、絵画に於ける規範の喪失を決定付けると書いてあるのですがどういうことでしょうか。

中:どういうことなんでしょうね。冷戦体制自体というのがモダニズム的体制でもあったという所から、冷戦終結でなんでもありになった。そのなんでもありという所がポストモダンの実現と繋がったのかな。この文章に関しては、3人で僕のパソコンを見ながら作った物です。

か:あとこのJR車内で行ったというのはウソだったという事ですね。

し:あと同語反復という言葉が多用されているのですが、例えば時間に於ける同語反復とか平面における同語反復という事ですね。これはどういう認識でしょうか。

中:美学的なモダニズムは突き詰めると結局価値はどこにもなくて、リテラルな事でしかない、美術は美術である、aはaである、bはbである。それ以上は何もいえなくなるっていう。但し僕はバイアスをかけていて、それと、芸術の為の芸術っていう説得力をもつ。人生の為の芸術、社会の為の芸術、君主の為の芸術っていう事ではなくて、美学上モダニズムは同語反復に導かれる。それらが結局説得力を持つのならばね。

し:価値はないという事ですか。

中:そうなんだけど、価値を理詰めで証明できないという事です。

し:それがモダニズムの最終的な帰結ということですね。

中:普通のモダニズムとは違うかもしれないんだけどね、足立さんとはちょと違う。

し:ポストモダンに踏み込んでいる様にみえるんですが。

中:ポストモダンっていうのは無くて、モダニズムの中の一変形でしかないっていうのが理論的な立場です。一般に言われているモダニズムに対して一般に言われているポストモダニズムがあるとすれば、それをまとめてモダニズムとしています。僕の認識は特殊らしいんだけど、ダダがモダニズムの一番徹底だと思っている。無意味を導いたっていう事で。ダダはモダニズムではない系譜に入っていたりしていますけどね。

し:ダダは僕の中では現代美術の根底にあるように見えるのですが、モダンの中でモダンを超えてしまったものが出てきたけどモダンと結合しながら新たなモダンを作っていったという感覚で捉えています。だからポストモダンの時代になって、、、

中:ポストモダンの時代はいつくらいだろう?

し:70年代くらいにいわゆる大きな物語とかマルクス主義とか右肩上がりの経済成長とかが無くなってしまい一つの価値観を皆が共有できなくなってしまった時代です。

中:僕もほぼ同じです。

し:その時に出てくるはずたっだダダが実は60年前くらいに出てきていたという認識です。

中:モダンと結合はしていないんじゃないかな。あとダダの時代っていうのはこれからやっていきますが、僕の歴史認識は循環史観なんだけど、ダダの時代、1910年代、そして60年代にネオダダ、そして次は85年から90年位の5年間だったと思うんですけれど、どっちみちダダの後みたいな、価値観が無いみたいな事は、エコールドパリの時代も似ていると思うし、70年代の前半とかは物語が壊れていく過程で、そういう時はまったく逆のニューエイジとか西海岸的な物とか、けっこう何でもありだったと思う。ダダが1910年代にあってその時は何があったかというと、モダニズムのアンチとしてのダダ、もう一つはモダニズムの徹底としてのダダ。この徹底としてのダダという方が重要だと思っていて、ダダの格言にはダダはダダを否定するっていうのがあって、モダニズムのアンチだったら、ダダは自分自身を否定できないんだけど、自分自身を否定すると1910年代に言っているので、それはむしろモダニズムの徹底だと思う。他の分野について考えると、ゲーデルの不完全性定理。これは数学における形式主義を批判した定理ではなくて、形式主義を徹底したら出てきたものなんですね。という所が似ている所でもあります。では進めましょうか。

次は図書新聞。降臨する芸術意思です。この見出しは僕は意志と書いたのですが、最後に意思になってしまいました。これはドイツ語の訳では志になるはずなんですけどどうなんでしょう。

か:辞書を見てみましたが両方使えそうですね。

中:ではこれについては読んでいきましょうか。じゃあ最初の所から行きましょうか。

し:「つまり筆者である私がミケランジェロやファン・ゴッホになりきって文章を書く」「十年ほど前に美術界を席巻したシミュレーショニズムの一変種」「森村泰昌の用に自己を消して美術史自体になる」というのが気になりました。

中:そういう時代の産物だったという事ですね。今の人には説明が必要ですが。

中:追従されると完成だというのもシミュレーショニズムだという考え方はどうなのかな。

ひ:どういう考え方でしょうか。

中:西洋画人列伝でいえば、僕が代わりに描けるわけだから、追従されて良かったな、という事になるわけです。僕がバカCGをやってっていう事はね。こんどは誰かが画人列伝をやって僕の絵を描いていれば完成だなという事ですね。

は:前に、追従されるという事は流行とか風俗と同じだという文章がありましたが、この連載当時はシミュレーショニズムが新しくて、これまではこういうパターンは無かったと思うんですね。

中:こういうパターンとは例えばなんでしょうか。岡本太郎の子供達とか、もの派のマネみたいな人たちは大勢いましたけど。

は:それは限られた人たちですね。日比野克彦です。美術美術していない人にも影響を及ぼすようなアーティストが現れたという事です。

し:この場合のシミュレーショニズムはパロディとはどう違うのでしょうか。

中:同じです。パロディとシミュレーショニズムは違うのですが、むしろ同じだと言っています。

し:もう少し詳しくおしえて下さい。

中パロディはあくまで文脈がちゃんとある、しかしシミュレーションはそういう文脈もない。オリジナルがあってオリジナルを引用するのではなくて、シミュレーションというのはどちらが本物かわからないし、どちらが本物か論ずる事には意味が無い。

し:純粋な意味でのシミュレーションというわけではないんですね。

中:芸術意思の話のレベルになるとそれもどうかわからない。パロディだってそういう事はあるかもしれないし。僕は、松尾貴史、キッチュが現れた時に面白いと思った世代なんですが、その人がちょうど朝まで生テレビが出来たときに、「朝まで舐めてれば」というパロディをやっていました。それは一人で全役やっている。全員松尾貴史。あとはそのころに美川憲一のものまねをコロッケがやっていた。美川憲一はその当時全然テレビに出ていなかったんだけど、コロッケが誰も知らない美川憲一の物まねをやって、それが受けていた。パロディっていうのはオリジナルをしらないと面白く無かったはずなのに、コロッケが出てきて、オリジナルを知らないのに受けていた。その時代がシミュレーショニズムの時代だった。

し:オリジナルが後から召還されるという事ですね。

中:これはね、僕の近代美術史テキストで近代美術を知るような人たちもいるんだけど、そういうコロッケ現象が起きている。

は:コロッケがマネして流行りだしてから美川憲一もコロッケの物まねに似てきたと言いますね。あの「なによ〜」っていう感じはそれまでは無かったんです。

し:なるほど。

中:そういうものの産物であるという事ですね。今は西洋画人列伝は難しいですね、何をしたいのか判らないですね。

か:「中ザワが画家になりすまして」「あるいは降臨して」とあります。

中:パロディの場合だとなりすますしかなくて、降臨はしない。でも降臨してしまうとコロッケの方が本物の美川憲一っぽくなってしまうんですね。この降臨という言葉自体は西洋画人列伝に書いてあります。

し:ちなみに中ザワさんとしては降臨するというのとなりすますっていうのはどちらなんですか。

中:演技っていうのは降臨でもあるしなりすましでもあるんですね。

か:方法主義はなりすましですか。

中:たしかになりすましの部分もあるんですが、本気の部分もありますよ。これに関しては僕からいってもあまり意味がないと思います。高橋悠治は「中ザワは何も信じていない」と書いてくれていたりします。

次は歴史小説の認識という所ですね。

ひ:先ほどの「画家たちが中ザワに降臨した」事について書かれている段落です。「美術史学の本質はあくまで唯物論」

と書かれています。この時は方法主義時代です。

中:これは僕の意見とは関係なく、美術史学の通説です。画家が何を思って描いたかではなくて、これは何色だとか、何が使われているとか、そういう事です。

ひ:という事はこの本自体もそれまでの本質だった唯物論的なみかたに従って書いていく方が権威主義的な見方に近いですね。

中:権威主義と繋がるかわからないけど、作品よりも作者に近い見方なので、その時点で唯物論的な見方とは違うという事が書かれています。

し:美術史の本質が唯物論的なもので、中ザワさんとしてはそれとは違ったやり方で書くとなると、作者の意図が現れてきます。方法主義の考え方とは違う所ですね。

中:理論を作者のうちだとすると、作者は出てくる。西洋画人列伝は方法主義とは違う考え方もいろいろありますよ。方法主義とは違うものですね。ただし後に方法主義を提唱する事になる人が書いた文章ですね。連載時の文章はゴッホくらいで、その他は跡形も無いものもあります。でも降臨したら方法主義とは相容れないわけだから、方法主義とは違う物になりますね。

し:僕の感覚だと、方法主義とか言いだす人が、降臨とか言ってしまって良いのでしょうか。

は:石井さんの文章を読むとわかりやすいかもしれません。

中:石井さんがこの文章をどのように読んだかというと、この本の前半は、色彩と形態の話についてかいてあって、後半は同語反復の話になる。これは、中ザワがバカCGから方法主義に移行するのと時をシンクロしているって言っていました。20世紀になるち同語反復だとかね。

は:どこかで荒川修作とか松澤宥ががらっと作風が変わると言っていましたね。中ザワさんもその中に入りそうです。

中:そうですね、バカCGをやっていた人がこの作品を!っていう事ですね。

ひ:芸術意志というのは、人間の話ではなく、芸術自体に意思があるという事ですか。

中:そうです。

ひ:そうなるとそれ以上は何も言うことがないというか、そういう人間だから芸術をやっているだけどいう状態ですね、私に芸術が入り込んでいるから私は芸術家ですという事ですか。

中:というよりは、絵を描くときにある色を選ぶ事が良いということに対して、この時代の人たちはこの色を選ぶ芸術意志が働いているという事です。無名の職人の絵付けの仕方とか食器の形とかに時代特有のものが現れる。それを時代精神みたいなものを想定して出てきた概念です。

ひ:ある集団の中で共通点が現れるという事ですか。

中:そうです。集団と自覚していなくてもね。

し:中ザワさん的には作者の自我みたいなものを温存しつつ時代精神を反映するものとしてイデアがストレートに降臨したという事を考えていますか。

中:作者の自我というものが、ある種の方程式さえ設定すると自動的にその人のやろうとする事とリンクしていく。

し:方法主義者としてみると、自我みたいなものはくだらないと言った方が納得できるのですが。

中:自我を超越する方程式がある。アウトサイダーアートでもそういうものがあって、どういったらいいでしょうか、自我と言うよりは自分が絵をかいて、自分がこうしたいというよりは、この絵はこうしないといけないというか、他人から見たら自我なんだけど、自分からしたら自我ではないというものがありますね、そういうものを想定しています。というよりは、この文章は方法主義とは関連していないかな、後から関連付けてくれるならば問題ないんだけど。これを書くといろんな方程式があるんだけど、その後で自分が20世紀終わりから21世紀初めに芸術をやっているとすると、自分はどれをやろうかという方程式があって、それが方法主義です。マオマオネットって読んだっけ?それを読めばわかりやすいかもしれません。方法主義を始めた頃のインタビューです。好きな物と嫌いな物を答えているのですが、好きな物は整然、嫌いな物も整然、と答えています。両方とも数学と絡めて、どちらの立場も取れる。そう考えるとなりすましになりますね、方法主義は。

ひ:「そして第二点、作品と作者の意図が関係ないという私的、これはこのまま認めよう。しかしその意味するところは逆向きだ。たしかに唯物論者の作品中心美術史に作者の意図は関係無い。しかしイデア論者の「芸術意志」中心の美術史にも、作品は最終的には関係しないのだ。古典的な二元論は、従来どうり分離したあまである」というのは、ああ分離したままで良いのか、と。

し:分離してしまうのかと思いました。

中:これは数学でいうと微積分の概念でも表されている事ですね。私の頭に美術のイデアがインストールされたというのは他でも言っていますね。

か:新大陸論でも言っています。

中:海上さんとの往復書簡の時にも言ってします。

は:中ザワさんは「瑕疵」という言葉をよく使いますね。

中:そうですね、ある時期好きで使っていました。初めに聞いたのは特許出願の時に弁理士さんから聞いた言葉です。

か:最後は「妄想が真実」です。その前までは唯物論とイデア論の対比で話していますが、実作業はそれだけでは語れない。ここではブリューゲルやルドンは降臨しなかったと書かれています。

中:そうですね、人選は一人では無かったですからね。

は:ルソーは力が入っていましたね。海瀬さんがこの本を作ってくれたのですが、ルドンとかが良く書かれていない事が逆に良かったと言っていました。プロに書かせると全部うまく書けてしまうらしいです。

し:芸術意志というのは作家の個別をみるよりも、唯物論的に見た方がより芸術意志を捉えやすいのではないですか。

中:リーグルはそうなんだよね、これは断り書きが書いてあるかな「匿名的で無意識的な制作に対して使われた言葉だから歴とした画家の意識的な制作に対して使われるのは強引かもしれない」。これは強引です。意識的に拡張した使い方をしています。

し:「本書には多くの美術書に含まれる同様の様々な誤謬をひそかに訂正したつもりの記載が含まれています」と書かれていますが。

中:そうなんですよ、箇条書きにして出したいですよね。文献研究でやりますか(笑)いっぱいあるし細かいです。本当に文献研究でやるのならば、レンブラントならば、普通はこういう風にかいてありますが、ここではこうかかれていますとかね。つい最近の話題だと、ゴッホが耳を切ったのはゴーギャンだという説が最近出ているのね。そこに関しては僕が調べた文章では、そこの所の核心的な部分があいまいなのね、だから事実の順序は想像するしかなくて、どの程度に合わせておくと今の説に整合性があるかとか、新説を書いた方がいいのかとかその都度やっているのですが、ゴッホの耳切はこの時点での僕の判断では、ナイフを持ち出したのはゴッホ。そしてゴーギャンを刺すためではないという事で自分の耳を切り落としたと。他の例では、ジャスパー・ジョーンズの画家である決意についての解説の例だと、東京都現代美術館の解説は明らかに間違っていると怒りながら書いた文章です。

か:都現美の解説ではどのように書いてあったのですか。

中:自分を勇気づけるために書いたとか、全然本質的ではない文章が書かれていました。それは本に書いてあると思います。

し:これはジャスパー・ジョーンズの言葉があって、解釈の次元での問題ですか。

中:そこの解釈までは本人も踏み込んで言っていないんじゃないかな、いくつか翻訳があって、画家になる決意ではなくて画家である決意だっていうのはたくさん出てくるんだけど、そこを詳しくいっているのは僕も見たことないな。画家になるって言ってる時点で画家にはなれない事を認めてしまっているという事です。

は:解釈の違いではないですか。

中:例えば画家でなくても、警察官になる決意とか(笑)帰納法と演繹法みたいに、ベクトルが逆なんですよ。

し:画家になるっていのは今は画家ではなくてこれから画家になるという方向性なんですが、画家であるっていうのは自分が画家であって、そういう自意識に基づいて書いている。そのベクトルが違うという事ですね。

中:美術手帖でもアーティストになるための特集とかあるけど、そこの時点で全て間違っていると思う。特集自体がだめですとか言ったりしています。だから僕、美術家の立場と学芸員の立場とかではなくて、「アーティストになるにはどうすればいいんですかね」という考え方がもう違うんです。だからその学芸員は学芸員の立場だからではなくて、ふつうに「自分を励ますため」とか書いてしまった。

か:その後にはイデアと言っても他人からは思い込みのようにも見えると。そして、「本書はただの妄想の書なのだ。そして妄想と呼ばれて足る謙虚さを私は持ち合わせていない。イデアが真実であり続けるとすれば、それが妄想だからこそではないか。」と続いていきますが。

中:これは一時期の僕の文章のパターンですね。

し:格好付けている感じがします。

中:そうだね。とりあえずこんな所で休憩しましょうか、それでは五分くらい休憩します。

中:それでは始めましょうか。次は新国誠一です。

は:「詩のアイデンティティー」です。

中:今の所僕の最新の文章です。

は:上段の真ん中くらいで、「物質を精神に従属させないと宣した日本の擬態美術や、音響を音楽から解放したフランスの具体音楽と呼応する。「具体」という観念は、いわば20世紀中葉の諸芸術に君臨した世界標準だったと言いたい所だが、実際には新国は戦後の国内詩壇からは無視され続けた」と書かれています。無視されたというのは国内の詩壇から無視され続けたという事でしょうか。そして具体という観念自体も認められていないという事ですか。

中:そうです。日本の具体美術、フランスの具体音楽は同時期に起きている。そこでは具体というキーワードが指し示す観念があるだろうと。それは日本やフランスで起こった様に、ここでは詩では新国がそうであると、そして国際的な状況の中で広く具体という観念が出てきたと、これは一種のスタンダードだったと言いたいが、少なくとも新国に関しては戦後の国内詩壇からは無視されていたと。特にここでは書いていないけど、フランスの具体音楽も名前は有名でも西洋音楽の歴史の中では悲惨なものです。あまり評価されていないですよ。日本の具体美術も80年代後半からくらいですよ。それまでは評価は進んでいません。

は:具体美術協会などもそれほど認知されていなかったのでしょうか。

中:認知はされているけど君臨はしていないです。日本の具体美術が無視されていたのは知っていますか、東京で具体美術協会がいろいろやったんですが、東京の批評家は無視でした。千葉茂夫が針生一郎を批判する時にそういう事を書いて、それに対して針生が怒って、千葉を批判して出てきた椹木野衣を肯定していたという事などもあったりします。

し:評価されるようになったきっかけはありますか?

中:きっかけは特に無いと思いますが、やはり重要だったという事はみんな気が付いていたのではないでしょうか。あと千葉茂夫の現代美術史逸脱史は具体から始まっているような書き方ですしね。あの本が出たのが86年です。でも千葉さんの当時のアイディアは彦坂さんから出ていたものでもあります。具体美術宣言はわかりますか、その中に物質を精神に従属させないという所があります。

か:まず吉原治良で思い出すのは「他人のマネをするな」です。

中:そうですね、そっちのほうが強いかもしれない。だけど宣言の中にきちんと書いてあるんですね。

は:宣言は流行とかあるんですかね。

中:ありますよ。美術運動には3つ要素が必要だというのを言っている人がいて、宣言と機関誌。もうひとつ何かあったけど忘れた(笑)。それで具体は二つ満たされているというのを見て、それは僕が方法主義を始めた後に見て「あ、ちゃんと満たしてる」と思った(笑)。方法主義の時はなんとか主義っていうのはぜんぜんはやっていなくて、宣言も流行っていなかった。ポイ捨てだめ宣言みたいなのはあったけどね。

は:方法主義宣言をみて、自分達も宣言だそうとか言った人はいなかったんですか。

中:いなかったですね、追従されていないですね。

し:あの宣言を中ザワさんが出した時はもちろん宣言なんて時代ではないだろという時代認識がありつつ出したんですよね。

中:そうそう。でもそれに対立でもいいから別のグループでも出たら着地した気にもなるという感じですね。

し:追従されていないからこそ完成したという気も僕はするんですけどね。

中:追従でもなくても、反方法主義宣言みたいなものが出ても良かったんですけどね。

し:無視することで反応としたのではないですか。

中:それは分類できないんですよね、それはこの新国の文章の最後にも出てくるし、流政之の文章にもそういう文章が出てくるんですけどそれは流の言ったことを引用すれば、イニシアチブを取ろうとする意識の欠如した国民性だと思います。それは敗戦がもたらしたものなんですね。あとは様子見の無視は良くないと思いますよ僕は。

し:芸術家がそれに反応してしまったら負けみたいなプライドはないんですかね。だからあえて反応しないことこそが反応みたいな。

か:村上隆も無視されている部類に入りますか。

中:僕はそれはよくないと思います。実際に僕が経験したのは府中ビエンナーレの時に僕が脳波ドローイングをやった時に発言されたりしたんですが、キュレーターの人は、「日本の美術は奈良村上だけではなくて、他にも面白いものがあるといいたい」といった反応で作家の人は「そういう事は言わないで無視するのが良い」って言っていたんだけど、それは良くない。だからただの敗戦国民のままなんだと思います。あと村上さんはきちんとした仕事をしていると僕は思います。だから批判でも賛同でもいいから無視はしてはいけないと思います。しかしそういう人ばっかりなんですね。岡本太郎もそうです。あとは萬鉄五郎に関して高村光太郎と岸田劉生がなにも言っていないんですね。近いところにいたはずなのに。そういうのは僕は駄目だと思います。

なんでこの話になったんでしたっけ、具体が無視されたのもそうですね。ポンピドゥで展示されたからというのもあって、日本の中で具体を位置づけようとしても無理で、西洋のお墨付きがないとできないような状況もあったんだと思います。では次に行きましょうか。

し:具体詩というのは図にあるような文字の物質性を全面にだしたようなものと理解しても大丈夫ですか。

中:そうです、コンクリートポエムです。

か:しかし何故新国が無視されたかですよね。

中:そうなのよ。

し:ちなみに具体詩は何年くらいに発表していたんでしょうか。具体と時を同じくしていたんでしょうか。

中:作ってはいたのですが、東京で発表されたのは62年です。具体は54年だからちょっとずれます。

し:あまりに前衛すぎたという事でしょうか。

中:というよりはこれを詩と呼びたくないという所だと思います。反応したら負けだみたいなことを先ほど言っていましたが、みんながそれをやると本当に無視されて、悲惨な状況になります。フランスの具体音楽も、日本の具体美術もそうですよ。

は:これは美術の教科書で読んだ記憶がありますが。

中:そう。新国を知っているのは美術の人なんですよ。詩人じゃない。

は:デザインの中に入っていました。

中:具体音楽が好きなのも現代音楽の文脈の人ではなくて、オルタネイティブミュージックの文脈の人が多かったりしますね。

し:評論するのがおっかないというか、言ってしまったら、違うよとか言われるのが怖いと。

中:それもあると思います。だから初めの一つ目を出来ないと。むしろこれに言及しない言い訳なんかは簡単にできるじゃないですか。それがたくさん集まっていると。あとは自分が作ったらもっとうまく出来るだろうみたいなものもあると思います。例えば詩ではなくてパズルだとかね。

ひ:この頃こういう具体詩を作っている詩人が結構いたと平石さんが言っていました。

中:言っていましたね、そして機関誌をきちんとだしていましたね。僕の印象では新国だけがおもしろかったですね。しかし弱さもあると思います。この「反戦」とかね。こういうのは面白いけど詩ではないと詩人だったら言いたいんでしょうね。

か:最後の所には「ようやく新国は解毒され歴史化される時が来たのだ」と書かれています。

中:そうでうね、思潮社から詩集が出るということからです。いままで現代詩のヘゲモニーを握ってきた出版社から出版されると。これまではこういうことは無かったですから。

新国に関しては他にないでしょうか。

ひ:「歯がゆい思いをしてきた周囲の者にとっての悲願達成の意味が大だ」が面白かったのですが。

中:そうですか、これは初めは関係者としていたのですが、後に周囲の者に変更した点でした。

僕の文字座標絵画でも発表したときはこれはタイポグラフィだとか言われたこともあります。あと音楽作品を発表したときは、「中ザワ君はもう音楽ばかり作っているからね」っていう感じで扱われた時もあります。このままその作風で作品をだし続けていたらそのまま誤解されていたとおもいます。それを固執して文字座標絵画を作っていたら未だにその扱いを受けていたと思います。そして僕は次に碁石を出して、その次に方法主義を作ってっていう風にやっています。「方法の活動と終焉」にも新国の事が書かれています。

新国の音が出てきたのはこれが初めてです。僕の文字座標絵画は、新国は詩としてやっていたけど、僕は美術としてやるのはどうすればいいのかっていうのを考えていて、僕は新国を批判的継承の対象に位置づけて、方法主義の前段階として文字座標絵画を発表しました。方法主義に至るまでの活動は、新国をどのように位置づけるのかっていう事でした。だから要なですよ。

しかし松井茂が言うには、この文章は詩人の見方ではなくて、美術あるいは音楽家からの見方かなとは言っていました。

は:最後から前の段では、「海外からのオファーに応え続け、国内で無視された構図は具体美術に似る。前衛書道との接点から期待された現代美術の東洋枠と、表音文字圏から羨望された現代詩の表意文字圏枠のことだ。」と書かれています。

中:前衛書道との接点が具体美術にはあるという事で海外から期待されたんです。美術だったら東洋枠。詩の方も東洋枠なんだけど、もっと具体的に言うと、表意文字言語枠なんです。表音文字言語っていうのは西洋の文字言語ですね。国際的な現代詩を語る時に、表意文字圏の詩も入れたいというのはあるんですよね。美術でもそうです。世界の美術を語る時に、西洋のものまねの美術なんかは見たくはないんですよね。東洋独自の現代美術があるならばそれをみたい。そういう時に前衛書道と接点のある具体美術を見たいとか、表意文字である漢字にこだわった詩があるならみたいとかね。だから海外からはオファーがありました。

は:その後に「世界の具体詩から新国一派を峻別した」とありますが。

し:これは仲間はずれにされたという事ではないですよね。

中:それは際立たせたという事です。ようするにものまでではない。日本でもアルファベットを使用した具体詩ていうのはあるですよ、でもそれは物まねでしかない。具体詩のものまねなんか簡単だからね。そういうものは峻別されない。しかし、漢字でやっているというものはないんですよね。そこで独自性を認められたという意味での峻別です。

中:この文章ではしょうがななしに書いた所があるんですがわかりますか。

それは新藤さんもさっき指摘してくれたあたりなんですが、「詩壇からの無視は取るに足らないからか、封印されなければならないからか、往時にはわからない。新国は後者だった。」という書き方なんですが、どう思いますか。

し:往時というのはその当時という事ですね。

中:はい。これは文字数オーバーで往時にしましたがそこではありません。

中:この文章は、往時の一般の詩壇の側にたった書き方なんですね。でも往時にわからなかったのは仕方がないという書き方です。しかし、往時にわかるべきなのね、往時の人たちが仕事をしていないという事を糾弾してたいんです本当は。封印されなければならないかではなくて、誰かが取り上げないといけないんじゃないの往時に。という事です。だからさっきの話ですよ。それが本当に作者の真意である保証はないという文章が先ほどありましたが、この文章自体がそうなんですね(笑)。過去の罪を問わない書き方にするとこうなるということです。

し:文字数の制限があれば書きましたか?

中:わかりませんね、全体的に変わっていたかもしれませんし。この文章はさっきの西洋画人列伝とは違って、中ザワが方法主義社だという事を組み合わせて考えると意味が変わってくる文章です。2段落目の文章ではフォーマリスティックという語が出てきます。方法主義は還元主義の中の一つという位置づけで、還元主義の中にはフォーマリズムがあって、それとは違うやり方の還元主義であるという事が宣言で述べられているんです。フォーマリズムっていうのは諸芸を分断してしまう。そうではなくて還元主義のまま画家と音楽家と詩人が連携できるのが方法主義。フォーマリズムは20世紀中葉の考え方だけど、それは後から違う見方ができるんだというのが方法主義者としては言いたい。実際建畠さんはフォーマリズムが前提な年代の人で、フォーマリズムの前提は動かせるとは思っていない世代の人なんです。だから詩人であることと美術評論家であることは無関係であるといっているのはフォーマリズムの考え方としてはあっているんですね。だから無関係と言わざる追えない。しかし方法主義の考え方をだせば両立できるんです。

フォーマリズムの時代だと新国の詩は絵に見えると。それで詩から語る事は出来なくなってしまう。詩にとって絵に見える事は駄目ですから。だからフォーマリズム的な見方では絵に見える事で既に扱えなくなってしまうんですが、そうではなくてそのフォーマリズム的な見方自体に対する批判を行って初めて新国をもちだすことができると。そのためにはフォーマリズムが自明としている諸芸術分断というのを別の言い方で回避しなければならない。それでフォーマリズムの諸芸術分断はどのように行われたかというと、素材の違いで行われた。そうすると新国はフォーマリズム的な考え方だったんですね、具体美術もそうです、物質を使えば美術だと。音響であるかぎり音楽だと、フォーマリズムとコンクリーティズムっていうのは普通には繋がらないんだけど、こう言う風に理論立てて考えると繋がりますね。なのでフォーマリズムの時代に現れた新国や具体美術や具体音楽が現れたのですが、それに対して別の還元主義を打ち立てたとき、方法主義はどうしたかというと、素材はジャンルのアイデンティティにならない。方法がジャンルのアイデンティティになるという視点を持ち出しました。だから対位法を使えば文字を素材にしても音楽になると。あるいは画素が絵画のアイデンティティだとして、画素っていうのは色の粒なんだけど、そうではなくて、文字を画素として扱うとしたときに、それは美術として扱う事ができる。それが私が提唱したものです。それが出てくる時代状況っていうのは0と1に依拠するコンピュータで詩も絵画も音楽も作られる今、詩のアイデンティティーは文字ではない。もともと0と1なんだという事です。基盤であった素材を無効にできるという事を言っているんですね。フォーマリズムの時代ではないと。そういうのが方法主義の立場です。建畠さんも詩人であることと美術評論家であることは大いに関係があると今ならできるかもしれないということを言っているつもりでもあります。しかしそれで終わると方法主義の宣言で終わってしまします。(笑)なので最後に新国が解毒されるときが来たという事と、本意ではないが往時にはわからなかったというまとめを入れています。

この文章は僕の文章を読んだことがある人を見たら今までのいろんな要素がいろいろ入っているのがわかりますね。松澤宥も入っているしナンカロウも方法主義もletterとwordも入っているし。

は:最後に菅野聖子が出てきますが。

中:具体の第三世代のです。線などをたくさん書いたりグラフのような絵を描いたりしています。図版にするのが難しいんです菅野聖子は。グラフの中に細かな線がいっぱいあって、図版にするとモアレの様になってしまいます。朝日新聞の連載の時に菅野聖子を取り上げようと思ったときにそういうことがありました。今松井さんが調べています。

日本の音響詩をやっている人は東北に多いと足立さんがいていました。菅野聖子も新国も足立さんも金沢、中ザワさんも新潟出身だから北だとか、草野心平もそうらしいです、具体詩ではないけど蛙の鳴き声で詩を作ったりしています。

あと僕の文章で瑕疵が多かったという指摘がありましたが、奇天烈も多く出てきます。美術手帖で92年に一年間連載を持っていたのですが、そのタイトルがKITERETSUでした。あとは文章を書くレトリックとしては最後コンピュータの話で落とすという事でテクノロジーの話を入れたりしています。テクノロジー史を入れておくと時代の必然とともに動いているという事がわかりますね。いくら循環史観といってもテクノロジーの発展と共に芸術史も変わっているわけですから。芸術の外からの状況変遷を表すと。新国はテープレコーダーと写真植字という新しいテクノロジーに反応したという所を入れておきました。方法主義の場合はコンピューターは0と1に依拠していると。今日はあまり進みませんでしたね、こんな所で良いでしょうか。この文章を後で読んですこしまずいかなと思った所は、文字を意味伝達に貶めないという所なんですが、文字を思想伝達の手段に貶めないと言った方が正確かな。普通の詩はその内容が高邁だったり、意味の内容が文章になっていて文章の構成要素が文字なんですが、その単なる手段としての文字。そこまでいうと冗長なので「意味伝達に貶めない」と書いたんですが、意味伝わっているよね新国の詩は。「川または州」も「雨」も。

 ではそんな所で。




20110518  文責:平間貴大

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