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 中ザワヒデ
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【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

第二期十七回

二〇〇八年九月二十四日

文献
「現代美術史日本篇 第ニ章」 pp.14-25 #pp.394-399
「現代美術史日本篇 第三章」 pp.26-39 #pp.400-406

--- 「現代美術史日本篇 第ニ章 具体、九州派、アンフォルメル(前衛1955−1960頃)」
|2a 1957年までの具体美術協会の活動
|2b 九州派
|2c 前衛とアンフォルメル
|2d アンフォルメル旋風
|2e アンフォルメルと東洋
「現代美術史日本篇 第三章 ネオ・ダダとハイレッド・センター(反芸術:1960-1964頃)」
|3a ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ
|3b 読売アンデパンダン展の廃止
|3c ハイレッド・センター
|3d 日本のポップ・アート
|3e ゼロ次元
---


中:前回は一章で終わりましたね、半田さんなにかありますが?

は:ヒロヤマガタの年表に96年に全国の献血ルームに作品を送るとあるのですが、だから病院にヒロヤマガタが多いん だと思いました。

中:だから僕は看護婦にヒロヤマガタみたいな絵を描かないのという質問を受けたんだね(笑)寄付あったんだね、寄付 で言えば村上隆もたくさん寄付し てますね、チェルシーの画廊に行ったときに結構ありましたよ。

ちなみにRHの2号のゲラが来て、ヒロヤマガタ問題が再録されることになりました。それでは第二章行きましょうか。

ひ:具体、九州派、アンフォルメルです。1955年から60年までの5年間が第二章に裂かれています。その中に展示 がすごく多くあります。それをす ごく完結にまとめられているんですが、展示、機関誌、メンバーだけでほとんどです。

中:字数が埋まってしまっていますね。今回読み返して思ったのですが、苗字だけはやめようと思いました。第二版では そうします。

ひ:九州派は英語版ではKyushu-haで、haになっていますが。

中:そうですね、括弧でschoolと入れられています。

は:固有名詞をどうとらえるかですね。

中:そうなんだけどそれをいちいち訳すかどうかの問題ですね。現地発音を重視していちいち訳さずに書くかどうか、も の派はMono-haなんだよ ね、まあケースバイケースで、僕は先行文献がどうなっているかで僕は書くんだけど、無いものはなるべく翻訳することにしている。僕は訳すべきだと思う。日 本語にするときも、ベースボールじゃなくて野球にするべきだと思います。ワインじゃなくて葡萄酒とかね。

は:年配の方はやたらと発音が良い人がいますよね。

ひ:吉原治良の所に集まって具体美術協会ができたんですね。

中:そうです、よしはらじろうです。読み方は英訳する際にいちいち調べました。日本人でもわかってても違う読み方す る人いますよね。例えば、、、

ひ:吉本隆明とかですね。

中:そうですね、そこでいらない苦労をたくさんしました。他は僕が調べたことは少ないです。80年代からのものです ね、主に僕が調べたものは。

は:田中敦子が出てきますが、電気服はものすごく暑かったらしいです。

中:そうだろうね。

ひ:村上三郎の紙破りが出てきますが、息子が2003年にも紙破りをやっているらしいです。

中:そうなんだよね、やってるらしいね。どこがオリジナルなんでしょう。

ひ:初めは息子がやってそれを三郎が作品としてやって、そのあと息子が2003年にやったらしいです。

中:オリジナルが出てきたんだね。村上隆もやっています。

は:あれは何度もやっている作品なんですか?

中:村上三郎は何回もやっています。村上隆は一回です。本当は一回じゃない。2回目の依頼があってやることになって しまって、その時には小山さんと かもカメラ構えていたら、本番直前に隣に村上隆がいる。えっ、お前なにをやっているんだ。っていってったら舞台に鎧を付けた男が出てきた。そこには宇治野 宗輝が入っていて、オリジナルの一回目は守られたんだね、偽村上隆のおかげで。そしてそこから加瀬大周宇Zとかに行くんだけどね、それは歴史になっていま せんね。あとキキララっていうグループがデビューした時にも偽村上隆がいたかな。あとはね、芸大の花見を谷中の墓地でやるときに、O選手っていう人が現れ て、ダンスがすごい人で小沢剛がライバル視したりしていたんだけど(笑)その後に僕の個展があって、そこに偽O選手っていう人が来たりした。そしてその後 に加瀬大周Zとかが出てきた。

は:この話って他で全然聞きませんね。

中:そうだねぇ歴史化されていません。よろしく!(レコーダーを指さして)というかね、喧嘩別れとかしてて誰も話さ ないんですよね。というわけで村 上三郎の息子からの話でした。

ひ:白髪一雄の泥に挑む作品はwebに写真が載っていました。図版もネット上なら補完ができますね。

中:図版がないのは九州派とかかな。

ひ:全体の図版も補完できますね。

中:いや、その問題はただ東京都現代美術館の所蔵品から選ばなければならないという理由です。パフォーマンスは所蔵 されていないわけだから。

は:白髪は亡くなったんですよね。

中:四月ですね。

は:神戸の美術館で作品を見たときにメモに書いてあって驚きました。

中:これを出した時にはまだ存命でした。生きていたら松沢宥と同い年です。泥に挑む写真を見てどう思いましたか?

ひ:少し見ずらい写真でしたが、上空から撮った写真で白黒で、5メートル四方くらいに広がって、真ん中に泥だらけの 人がいるっていう写真でした。

中:小沢剛とかがかっこいいとかってたんだけど、それはパフォーマンスの写真なんだけど、白髪の泥に挑むっていうの はそのままアンフォルメルに繋が るパフォーマンスとして見れる作品になっています。この時は手も使っていますが、そのうち足だけで描くようになりました。僕の脳波ドローイングを学芸員の 人がお客さんに説明するときに「白髪の場合は足で描いていましたが、今は脳で描くんです」と言っていました(笑)

ひ:具体の資料などは何を使いましたか?

中:展覧会のパンフレットですね、だから貴重なんですよね。学会史とかもありますが僕は大学人ではないので大学には 入れません。

ひ:九州派は作品が残っていないのは意識てきなことなんでしょうか。

中:そうそう、ネオダダもそうなんだけどね。残さないようにしていたんだと思います。表現者の人たちはそういう人が 結構いますが、後でしまったとい うことにもなりますね。

か:近代美術館での痕跡展という展覧会ではこのあたりの作品を展示していました。

は:この展示は豊島さんもわざわざ東京に来て見ていました。

こ:おもしろかったです。パンフレット買いました。

中:貴重かもしれませんね。

か:そこで九州派をしったんですが、アスファルトの作品とかは、重すぎて展示できなかったものもあるみたいでした。

中:終わりの方のエピソードで、「一生懸命絵を描くことがいかにかっこ悪いか、、、」という菊畑の文章もあります が、これを、「一生懸命作品を残す ことが、、、」と言い換えることもできるとおもいます。

ひ:殴り合いがあったり東京のネオダダに論争を申し込んで最後は酒で決着とかありますね。

中:楽しそうですねとても。菊畑の文章でここらへんの話もかいていますね。ちなみに一晩中穴を掘ったという宮崎準之 助の話が出てきますが、日本の前 衛で穴を掘るのが3回でてきて、そういえば前衛は穴を掘るなぁと思っていたら椹木さんがすでに本に書いていますが、誰かわかりますか?

は:豊島重之さんが学生の頃掘っていますが。

中:じゃあ4回ですね。豊島さん素晴らしいですね。

は:竹熊健太郎の「篦棒な人々」っていう本にも載っているんですが、石川舜さんが企画をした新潟のイベントで、やる ことが無いからと言って穴を掘っ ていたらしいです。そこにはダダカンさんもいらしていたらしいです。(*1)

中:ダダカンの展覧会ありますよね。

は:行ってきましたが、とても良い展示でした。

中:パラグローブでやっているんですね。

は:豊島さんがダダカンのパフォーマンスの名前を付けたらしいんですが、ダダカンさんが後で訂正したものもあるそう です。

中:ちょっと松澤宥に似ていますね。

か:僕も少し似ていると思って、校長に聞いてみたら「全然似ていない」と言っていました。

は:精神病院に入院経験もあります。

か:パフォーマンス中に捕まってそのまま入院したらしいです。

中:「殺すな」とかもやっていますね。穴の話に戻りましょう、あと二つは関根伸夫と、グループ位です、それは穴を 掘ってまた埋めるっていうもので す。榎忠も穴掘ってましたね確か。

こ:掘ってました。何か目的があったような気もします。

中:目的があるのと無いのでは全然違いますね。

ひ:2cは前衛と地方性です。具体と九州派は東京を中心として見ていたように、東京も西洋を中心として見ているとい うことです。

中:言いたいことは他にあります。東京が主体的な価値決定力を持っていないという事です。

ひ:ミシェル・タピエがアンフォルメルを日本に紹介したんですよね、先週は岡本太郎も紹介役として出ていました。

中:両方です、タピエの来日が何年かはこの本に描いていないですね。1956年11月が岡本太郎です、タピエはもっ と後ですね。57年の終わり位に やってきたんだけど、その年のアンデパンダンテンにそういう流れは出てきていたので、タピエが来る少し前ですね。

か:今日の美術展を岡本太郎が企画をしました。

中:そうです、アンフォルメル旋風の後にアンフォルメル作家が来日したり、タピエが来たりしました。

か:タピエが来てアンフォルメル旋風が起こったのだと思っていました。

中:具体の中ではそうです。

は:タピエは政治色が強いです。

中:そうですね、2eに描いてあります。抽象表現主義に対して政治的に使われた語でもあります。

は:具体を利用しようとしたんですね。

中:具体はフランスを本家とするアンフォルメルの追随に過ぎないという誤認を生むことになりました。彼が積極的に推 進したアンフォルメル運動の一環 として具体を紹介していった。今日の歴史教科書の本当の問題点を右翼の人が指摘しているという事があって、飛鳥文化の何かで、日本の何かを持ち上げて「実 に世界的に見ても素晴らしく、同時代のギリシャ、エーゲ文明にも勝るとも劣らない」っていう表記をされていて、そこが問題なんだけど、「勝るとも劣らな い」っていう基準に出した瞬間にすでにギリシャ、エーゲ文明が素晴らしくて相対として日本を見ているという事ですね。低いとか高いとかそういう時点で負け ているという事です。むしろ逆にギリシャ文明は日本の何々くらいは良いですねっていうくらいにすれば解決する問題ですね。日本は世界に決して追いつけない というのを露呈している文章なんですね。たとえばハプニングの先駆として具体を神話化して持ち上げました、しかしどうして具体の追随がハプニングではな く、ハプニングの先駆が具体なのでしょう。「先駆」の語は表向きには敬意を表していますが、無意識の軽視から選択される語でもあります。要するにアラン・ カプローがハプニングを行って、自分がリスペクトしている東洋の日本に先駆があるとしてやっていますと、アメリカでは価値が確立しているんですよハプニン グには。そこで、「みなさんしらないでしょうけど日本にもこういう運動があったみたいですよ」と言っている。要するに無意識に基準になっているという問題 です。具体が基準になってたら、アラン・カプローのハプニングが具体の追随に過ぎないだろうとなるわけなんだけど、日本が中心になるという事をアメリカも そうだけど、日本人さえもそう思っているんですね。エーゲ文明に勝るとも劣らないっていうのもそういう事です。「先駆」を無意識に軽視しているからってい う話は、松平頼暁の本にも書いてあって、「先駆者としてのサティ、アイヴス」っていう所があって、そこにはきちんと「先駆者という言葉には蔑視も含まれて いる」と書かれています。ストラヴィンスキー、シェーンベルクとか、その辺は歴史の中心になっているけど、それよりも早くやったことはたくさんあるけれ ど、歴史を作りきれていない人達が先駆者と言われている。アイヴスが先にやったことがたくさんあるのにアイヴス無しで音楽史が書かれているし、サティより もドビュッシー中心で音楽史が書かれたという事を指摘しています。それは僕も「シュトックハウゼン・ナンカロウ」でそういう事を書いた覚えがあります。

ひ:2c4の日本では1994年に開催され、翌1995年にグッケンハイム美術館ソーホー館とサンフランシスコ近代 美術館を巡回した展覧会は、日本 語では「日本戦後の前衛美術」、英語では「Japanese Art After 1945: Screaming Against The Sky」とありますが、オノ・ヨーコにこういう曲があります。

中:そうかもね、そこからとったんだと思います。

ひ:2dアンフォルメル旋風です。56年11月の「世界・今日の美術展」は岡本太郎が企画しましたが、この章では書 かれていません。

中:そうですね、事実を並べたという感じですね。

か:高島屋で行われたんですね。

は:画家で高島屋で展示をすると周りの見る目が変わると言われています。

中:そうなんだ。

ひ:57年2月の読売アンデパンダン展にその影響が早くも現れているっていると書かれていますが、本当に早いです ね。

中:そうですね、アンフォルメル絵画は簡単に真似できますね。

ひ:そして58年のアンデパンダンテンが一つの極点で、1500点以上の作品が出品されたんですね。

中:ちなみにフォービズムとアンフォルメルとヘタうまは循環史観的につながると思っています。それは、簡単に真似が できるという事です。要するにヘ タうまですね、アマチュアリズムです。それが結構日本の美術を形作っている気もしています。大勢やるんですね、アンフォルメルも3ヶ月でちゃんとやってい る。日本的フォーブっていう系統があってアンフォルメルがあって、へたウマがパルコで起こる。みんなそれぞれ問題を抱えている(笑)だけど大勢やるんです よ、

簡単だから出来る。

ひ:その後には具体が現れます。具体のメンバーも作風がアンフォルメル風になっていきます。

中:そうそう。

ひ:嶋本昭三のここに掲載されている図録は具体より前のものです。

中:そうです、1950年だから具体結成前です。というかこの作品が具体のきっかけになっている作品です。これは東 京都現代美術館にあるものです が、似たような作品ですごく安く売っているものもあります。セラーにありました(笑)ちなみにこの右側にある田中敦子の絵画作品の構造はわかりますか?

か:電気服の配線です。

中:そうです。白髪一雄は足で描いた絵ですね、そのままです。

ひ:58年のアンデパンダン展には1500点以上の作品が展示されました。

中:これはグラフィック展ににてるんだよね、日比野が出てから人気になった。

か:日グラは5000点以上集まっていますね。

ひ:具体で吉原が「まねをするな」っていったはずなのに、ここまでしなくてもいいだろうと言って捨てた作品があるら しく、それは板きれに「かまへ ん」とだけ描かれたものだったそうです。

中:イカノフで言う豊島さんですね、吉原は。

ひ:注2dの「日本の現代美術史は『西洋美術追随史日本編』のことであると仮定した場合」のタイムラインが書かれて いますが、もう一冊本がかけるの ではないかというラインナップです。

中:じゃあ追随史書こうか、逸脱史の次だし(笑)これは「方法」にも載せたものです。これは松井茂はおもしろがって くれましたが、三輪さんは「ぜん ぜん違う」という感じでした。あとはもっと創造というのは純粋なものなんじゃないかという意見や、こういう風に図式化するのはおかしいとか、自動的に自分 が日本人作家だから入ってくるとかね。この表を誤読する人もいて「まとめがありましたけどハイレッドセンターが入っていないですよ」とか言う人もいて、こ こはまとめのページではないんですけどね。あとは「方法」には載っていない所もあります。

ひ:2eはアンフォルメルと東洋です。この頃には日本全体が抽象絵画が流行しています。

中:全体ではないですが、幹部まで影響を受けています。

は:草月会館でしたっけ、展覧会をやっていました。

中:やっていると思いますよ、日本の伝統や前衛生け花とか鉄彫刻とかね。

ひ:日展を離れたパンリアル美術協会が書かれていますが、暗めのホームページがあって毎年展示をやっているようで す。

は:友達の母が生け花の先生で、「私たち現代美術を勉強してます」っていう感じの集まりがあって、タピエスみたいな 絵とかフォンタナみたいな作品を 作って生け花の作品にも新風を起こすのだっていうかんじがありました。

中:それは笑えない問題ですね。でもそうならざる終えない感じですね。この本で扱っている人たちも同じような問題を 抱えています。実験工房も和紙で 同じような作品を作ったりしていて、そのおばさんたちと図式的には変わらないです。

は:実験工房の時は情報が限られていたとく状況もあります。

中:そうなんだけど実験工房からすそのまであって、そこはグラデーシになってて明確なポイントがあるわけではないん です。そして美術産業を支えてい るのは画集を買って絵の具を買ってってやってる人たちで、その中でそれは違うんだっていってやったりしてる訳だからね。

か:どういう生け花だったんですか?

は:もう展示会場が森みたいになっていました(笑)

は:これがモダンですからとか言っている感じです。それと同じ事は洋画にも起きています。日展洋画部は文部省美術 展、文展日本画部よ文展洋画部が あったけど、洋画部はすぐに硬直してしまったしね。日展洋画部ができて二科展が出来て、その時に参照するのが海外の現代美術なんだよね。だから図式的には 同じなんです。

 そういう所になると記録されるべきはアンフォルメル旋風があったら急に読売アンデパンダン展の出品作品数が一気に 増えるという事だとおもいます。 日本グラフィック展もそこから出てきた作家がどうかっていうことよりも、5000点以上出品されて、それだけ描く人がいたと。事件ですからね。

か:2eの比田井南谷は美術家ですか?

中:書道家です。

か:現代美術館に所蔵されているんですね。

中:そうです。伝統芸術、工芸、日本画なんかも抽象を取り入れ始めるんですね。それが書では読めなかったり、器は口 を閉じてしまったりね、その文脈 にいるとおもしろいんだけど、追体験的にはよくわからないですね難しいです、それを英語で伝えるのはもっと難しいですね、でも外国人はそういうものの方が 知りたかったりします。

第2章は書いていてだんだんナショナリストになってきた気がします。まあ日本の美術史を書けばナショナリストになり ますよね(笑)それは第4章まで 続きます。その後位から僕のテイストが出てきますね。僕としての何らかの思いを書かなくてはならないけどナショナリズム的に書くことには疑問を持っていま すが、事実をきちんと書かなければならないと思っています。この現代美術史日本編は歯切れの良い物ではないと思っています。

か:最初の文章とかはすごくわかりやすいと思いました。

中:どこ?序文か、序文はわかりやすいですね。というわけで休憩です。

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こ:第3章はネオ・ダダとハイレッドセンターです。59年の第11回読売アンデパンダン展から「不穏なガラクタ・オ ブジェ」のたぐいの出品が目立っ てきたという所から瀧口修造の文章が引用されています。そこでは篠原有司男の彫刻を”わるい彫刻”の一つとして記録するに値すると書かれています。

中:これはアイロニーの構造ですね、こんなのはわるいっていわれているけど、これを避けて通ることはできないとか言 われると「見に行かなきゃ」って 思います。素晴らしいほめ言葉ですね。

こ:アンデパンダン作家第二世代と言われる新人たちは第11回展ではほぼ出そろいました。そしてネオ・ダダグループ はその中から発生しました。そし て60年3月に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ結成宣言」がなされました。

は:篠原とダダカンのツーショット写真があって素晴らしいです、篠原はモヒカンで。現代美術館で数年前に特集されて いましたね。

中:僕はニューヨークで見ました。絵を描くのが速かったです、すぐ終わってしまいました。

か:ポカリスウェットのCMにも出て、神奈川県立近代美術館でのイヴェントは大盛況でした。あとたけしの誰でもピカ ソに出てましたね。

中:ボクシングペイントをやったのは僕は映像で見ました。篠原有司男が自分の作品について話すみたいなのがあって、 建畠さんとかも来ていました。ア メリカに来て長いはずなのに日本語で次から次へと弾丸のように話していました。これは伝わらないなと思いましたね。ネオ・ダダを知っていればそういうもの を見ても大丈夫ですが、外国人にどう映るのかなと思いましたね。「これはラウシェンバーグに褒められた」とか言ったりして、それは先ほどのギリシャ文明に 勝るとも劣らないっていう感じなんですね僕は。篠原も「イミテーション・アート」とか素晴らしいものとかあるのに説明無しにはそれを知らない人もいる。そ ういう問題を感じる一晩でしたね、アメリカに居るときはそんな事ばかりでした。それもあってこの本を書こうと思ったのですが、それはぼくのナショナリス ティックな所なんではないかとかそういう事も自分の中に起こってきます。

は:この本のように日本の現代美術を英訳したものはあるんでしょうか。

中:ないです、さっきの戦後日本の前衛芸術に日英対訳のものが載っている位ですね。だいたい日本の現代美術史が日本 語で書かれているものが少ないで すよ、針生一郎の戦後美術盛衰史、千葉成夫の現代美術逸脱史、椹木野衣の日本・現代・美術、でこの本が四番目です。それにしてはこんなノートみたいでいい んですか?って感じですね(笑)

こ:図版は86年のものが載っていますね。

中:そうなんです。初めは違うものを希望していたのですが、篠原さんから違うものの方がいいという事でこれになりま した。そして届いた手紙の文面を 載せることになりました。英語にするのがむずかしいです。NYでも移り住んで長いはずなのに普通に日本語で話すんですよ。ネイティブ以外には伝わらないで すよ(笑)

 ここにある荒川修作の作品は最近再制作されたらしく、東京ミッドタウンで見ました。かなり大きいです。

こ:前に中ザワさんの作品を見に行ったついでという感じで名古屋の美術館で見ました。

中:ありがとう、大雨が降っていたけど大丈夫だったの?

こ:僕が行った後に大雨が降ったみたいです。

次は3b、読売アンデパンダン展の廃止です。10回目くらいからだんだん過激な作品が出品されはじめて、そのうちに 刃物や、床を汚すような作品も出 てきます。これとこの章には”時間派”が出てきますが、どうやら活動期間は短かったようです。

中:この前ICCで時間派の作品が再制作されていました。

こ:その後に「陳列作品規格基準」が制定されて、不快音や高音を発する作品や、臭いのする作品は出品できなくなりま す。

中:ここに小杉武久のファスナーのついた大きな布袋に自身が入って会場を這う作品がありますが、スモールヴィレッジ センターで僕やりました(笑)

か:外からは誰が入っているかわからないんですよね。

中:そうですね、僕の場合はやりますっていってやったからわかりますけどね。

こ:64年には出品者の作品の暴走が原因で展覧会が廃止されます。

中:そうです。これは全員が作家同士でアーティストランみたいな状況では生まれないですよね。

は:(2)では、尚日本では美術館をレンタルスペースとして貸し出す事があります、と断りを入れていますが、これは 書いておかないといけない事です か?

中:そうですね、美術館がレンタルスペースとするなんてあり得ない。国立新美術館は英語では東京アートセンターだっ け、美術館とは言えない。美術館 はレンタルスペースではないからね。

こ:次は3cハイレッドセンターです。ハイレッドセンターは高松、中西、赤瀬川の頭文字の英訳です。山手線事件に K・ウロボンという人物が出てきて 誰だか全然わからなくて今泉さんに訊いてみたんですけど、ローマ字にして逆からよむとノボルになるんですよ。久保田ノボルという人らしいです。どうでもい いかもしれないですけど(笑)

中:いや大事大事。

こ:今泉さんは結構関わっていたらしいです。

中:というか当事者ですよ。それとハイレッドセンターの章ですが他に比べて少し短くなっています。

こ:「ダダはダダを否定する」がいきなり引用されています。

中:これは初出はヨーロッパのダダですね、当時のダダがいろんなものを否定していって、最終的にダダを否定するって いうことを導き出した。だからそ れを知っている人しかわからないかもしれない。

 この文章は訳が少し違うんだよね、僕が英語3aくらいまではやったんだけど、ここらへんから日本後しか書いてなく て、その後訳してもらっていて、 ダダはダダを否定するっていうのはこの訳ではないんだよね、一度訊いたんだけど、「あってるはずです」っていう感じで。訳者が勘違いしていることがあるん だよね、良い翻訳っていうのは英語になれているかどうかではなくて、訳者が日本語をちゃんと理解しているかどうかなんです。それはこの本ですごい痛感して います。他の文章を読んでいても英語としてはあっているけど日本語と違う意味じゃんっていう所がいくつかあります。第二版では田村君にやってもらおうかと 思っています。

か:話が変わりますが、都現美にはこの図録にある高松次郎のものとか、中西夏之とかあるんですね、見たことありませ んでした。

中:そうですね、カタログには載っています。しかし写真しかない可能性もあって、横浜では再制作しているんですよ ね。なんで再制作する必要があるか どうかわからないのですが、都現美のカタログにはあるんですよね。

か:この作品はどういう作品なんですか?

中:キャンバスから針金がでてて、そこに旧式のブリキの洗濯ばさみがついているものです。

こ:洗濯ばさみを作る機械もあります。

中:その機械は豊田市美で見たことあります。そこには世界の裏側のカニ缶も出品されていました。ちなみに実家が洗濯 ばさみ屋さんなんですよね。

 ここにある遠近法のテーブルがありますが、僕の現代美術への導入はこういうものでしたね。それは都現美ができる 前、東京都美術館の常設はこういう ものが多かったです。

か:東京都美術館には常設があるんですね。

中:都現美と分かれる前にはありました。

こ:注3c2には内科画廊について書かれていますが、「最後の所に欧米にはない貸し画廊制度がその後日本で興隆する 先駆けとなりました」という事は 初めて知りました。

中:貸し画廊制度が日本でたくさんあるのは内科画廊が初めだっていうのは理にかなっている。読売アンデパンダンの代 わりにできたものだから。読売ア ンデパンダンも出品料さえ払えば何をやっても良い。だから自由なとんでもない事が起こったわけで、それで内科画廊もできた。中西夏之の勧めで宮田国男が開 設したんですね、その後宮田は自殺しています。娘は内科画廊の展覧会を京都造形でやったりしていますが、方法主義宣言をメール配信したときに一番初めに 「賛同」っていうメールをくれた人でもあります。

こ:次は3dの日本のポップアートです。64年に「ヤングセブン展」が開催されて、そこで日本のポップアートが出て きます。それまでアンデパンダン 等ではタブロー性や商業性を否定してきましたが、ここでは形態のはっきりしたタブロー作品の傾向があります。ヨシダ・ヨシエが引用されています。

中:ヨシダ・ヨシエの文章は今泉さんに似たような感じを受けますね。誰か会ったことある人いますか?

は:「新宿のの目」ってあるじゃないですか、あれを造った宮下芳子のホームパーティにいって、12時間くらい立ちっ ぱなしで台所にいた記憶がありま す。そのときにヨシダ・ヨシエさんがいた記憶があります。

一同:(笑)

こ:この後に日本のポップアートを世代別に3つに分類しています。アンデパンダン第一世代、反芸術の世代、グラフィ カルな傾向の世代です。

中:そうですね。3d1の前半は大丈夫ですか、アンフォルメルの追随作家たちはアンフォルメル絵画を量産して、それ を機縁に反芸術に突進した作家た ちはタブロー性を拒否したんですが、タブロー性に回帰したんですね。保守反動です、僕みたいですね(笑)表現主義傾向のアンフォルメルは日本的フォーブで へたへたのままで来ているけど、反芸術の方は作品を発表しなくなる時期の後にハードエッジな作品になっていく。動き方が違うんですね。吉仲太造の絵が載っ ていますが、初めはこの絵が表紙になっていたんですが、結局変わりました。

 美術館の収蔵作品を中心に美術を語ろうとすると、パフォーマンスはだめですね、作品が残ったほうが勝つ。反芸術や 九州派のように作品が無いのはだ めで、タブローがある方がいい。だからポップアートの作品が急にたくさん出てくるとか、そういう事が起きてしまいます。明記されていないけど現れていま す。

こ:3eはゼロ次元です。読売アンデパンダン展の前近代的混沌から、ハイレッドセンターやポップアートの近代的整然 という流れを概観してきました が、裏側にはこれを拒んだ一群がありました。ゼロ次元を筆頭にダダカンやクロハタ、小山哲生などがいます。

こ:以前多摩美でゼロ次元の上映会があったのですが、パフォーマンスもあって僕も出る機会があったのですが、ブリー フ一丁で横になってその上を女性 が歩くというもので、大きな女性だとずるっと落ちたりして痛かったりしました。今度はニューヨークでやるらしいです。

中:電車の中でやったりしますよね。ゼロ次元は初めは注に時間派と共に入れていたのですが、重要だと思い格上げされ ています。3e2が訳者に伝わら なくて、直したつもりでしたが、それでもまだ直っていない感じですね、間違っていますねこの英語は。ここの立石タイガーの解説部分で、「卑属と知りつつ卑 属こそを描く」っていうのも訳者に伝わらなかったですね。

という感じで来週が休みで次回は少し空いてしまいますが11月19日ですね。おつかれさまでした。




(*1)「篦棒な人々」は河出文庫から出版されている。http://www.amazon.co.jp/%E7%AF%A6%E6%A3%92%E3%81%AA%E4%BA%BA%E3%80%85%E3%83%BC%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%82%B5%E3%83%96%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E5%81%89%E4%BA%BA%E4%BC%9D-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-24-1-%E7%AB%B9%E7%86%8A-%E5%81%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/430940880X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1292646991&sr=1-1

20101218  文責:平間貴大

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