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 中ザワヒデ
 キ文献研究
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【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

第二期十三回 

二〇〇八年八月二十七日

文献
「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第6回」『イラストレーション』1996年7月号 pp.323-326
「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第7回」『イラストレーション』1996年9月号 pp.327-330
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その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第6回
|第11章 CGツール概論
その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第7回
|第12章 パッケージ変遷史(前半)
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中:はい、半田さん。皆藤さんは休みですね、小池さんは後から来るそうです。平間さん。

ひ:蒲郡の写真を持ってきました。

中:あ、ありがとう、皆藤さんからももらっているから、じゃこれを含めてみんなの分を焼きましょう。僕の撮ったものとか半田さんが写ってたりするよ、そりゃ写ってるよね、みんな写ってる(笑)半田さん海辺でとても喜んでる一つある。

は:私は耳を持ってきました。八戸のお土産です。

中:なにこれ?

は:南部せんべいの耳です。

中:おいしいね。

は:あとお酒です。

中:飲みながらやろうか、田村さんがいると出来ない(笑)この前半田さんが言ってて思い出したけど、最初にどうやって授業を進めようかという話になったときに、半田さんは読書会の経験者だからどういう感じでやってるんですかと言ったら「みんなお酒飲みながらやってます」って言ったらそこですぐ田村さんが即「おれ嫌です」ってなって出来なくなった(笑)。まあこれはどこかに置いておいて皆藤さんがいる時にでも。。。じゃあ始めましょうか。

 八戸は何で行ったの?

は:展示の最終日でみんながいるし行こうと思って行きました。

中:今回は地震は無かったの?去年は大きな地震あったよね。

は:はい、でも前の日に震度3くらいの地震があって少しびっくりしました。

中:前回は2週間前か、2週間前は暑かったですね。少し涼しくなって今日はまた暖かいですけど。暖房の付きを試したりしてましたよ。洗濯物を干せないから室内に干してエアコンでランドリーに入れたら凄く寒くなって思わず消して、暖房を付けるべきか悩んだりしました(笑)

 前回の都築さんとの対談はどうでした?解りやすかったですか。特に平間さん皆藤さん小池さんの世代がイラストと美術の峻別があるのがわかんないよねという感じだったから、まずはそれをちゃんとしゃべらなきゃと思って。

は:「若い人には、、、」と何回も言ってて、私は若い人には含まれるのか、、、と思って聞いてました。

中:小人と大人の間の中人(笑)それで思い出したけどイラストが当時ダブーだったのが崩れたのが奈良さんのせいにしたんだけど、じゃあニューペインティングは何なんだという問題があって、それでニューペインティングは海外のものだから無視、それを日本に移植した大竹伸朗は駄目、当時駄目で、当時のニューペインティングの運動がグラフィック展に起きたわけだから、それはイラストだって訳で駄目だった。そこまでちゃんと言っておかないと整理ができないなと思いました。奈良によって大丈夫にはなってはいるんだけどね。具象を描く、グラフィック展の系統、、駄目。それか海外の真似、とかね。その辺もちゃんと言ってなかった気がする。今言うなよという感じですね、先週言えよと。誰か伝えてくれー!(笑)

は:でも中ザワさんがそう言うまではイラストと美術の差がそれだけなくなったったいう現実に気がつきました。私が大学出てからあんまりそっちの方は関わってなかったんで、そうなんだと。

中:僕にとってもそうでした。ちゃんと説明しないといけないと。

は:イラストという言葉は本当にけなし言葉で使っていて、これだめだよ、という感じで。

ひ:で言われた方もそれでショックを受ける訳ですか?

中:そうそう。

は:それか反発するとかね。

中:反発の仕方もいろいろあって、イラストを具象型っていう見方、海外のニューペインティングなんてみんな具象画じゃんていう見方と、あとは受注のものだっていう見方、だけど宮廷画家だって受注じゃないか!とかね、そこで方向性がいくつか別れる(笑

は:私と同じ学年のなかでも山下律子さんとかも今の作風は学生のときからやってたんですけど版画でやっていて、仲間内からは「あれイラストじゃん」っていう発言があった位だから。

中:そうだよね、当然そうだと思う。今はれっきとした美術だけどね。

は:そうですね。

中:山下律子さんの絵は解りやすいね。今みると今っぽいですね。いわゆる受注イラストとは違うんだけど、美術の人からはイラストじゃんって言われも仕方ないよね、当時。この前美術手帳で、去年の頭くらいかな、アーティストになるっていう特集があって、僕はそういうの嫌いなんだけど、インタビューを受けて、否定するなら否定して欲しいと言う感じで、僕は否定語として、アーティストになるって思っている限りなれなくて、アーティストであるっていう決意は、ジャスパー・ジョーンズの言葉でもあるんだけど、そうでなくてはいけなくて、それによって自分の描きたい物を描いていて売れないとかね、お金の心配をするんだったらアーティストではなくてイラストレーターになればいいと。実際にイラストレーターとなって受注で絵を描けば良い。その方がよっぽどスマートだっていうのを僕は否定語として言ったのね。で文章もそうなってるんだけど、それを読んだ人から「中ザワさんの言葉は私にも解ります、私にイラスト紹介してください!」って言われて(笑)だからそれでアーティストとイラストの区別がついてなくて、単に受注の仕事をやれって受け取ったんだろうね。

 あとこの前の対談での反省点としてはね、アジールの佐藤さんが、昔と今の比較で、昔の人はあんまりうまくない、今の人はみんな凄くうまいってさかんにいってたんですけど、同じ事を伊藤桂司さんも言っているのね、今の人はみんな技術がある、すごいすごいと褒めているのね。僕はその時何も感じなかったんだけど、後から僕の立場としては「違うんだ、当時はヘタが良かったんだ、今はマニエリスムの時代だからみんな上手く描いていて、技術が上達したから上手くなったんじゃなくて、技術が上達している絵を見せるのが良いとされている時代なんだ、でみんなそれに合わせているだけなんだ若者は。で昔は技術が無かったんじゃなくて、ヘタが良かった。ヘタを見せると言う感性の元に描かれたものだったんだ」という事をちゃんと言わなきゃいけなかった。それは僕の言う役目だったよね。それを指摘するべきだった。今の時代は技術があるって言うのは単に褒め言葉になってるけど、それが褒め言葉じゃない時代だったという事が凄かった。あのとき話したのは、当時はヘタうまの次はヘタヘタで、次がウマウマでウマへただっていうような話したけど、その話をちゃんと思い出すべきだった。だから今の人が昔より技術が進歩したのではない。時代が何を求めているかに若い人が敏感なだけ、どっちの時代も。その方が正しい。今はマニエリスムの時代でそれをウマウマと捉えるかウマへたと捉えるかで、僕はウマへたと捉えているけど椹木野衣はウマウマと捉えているけど、あの〜、内容と技術が一致した、そして肯定精神が貫かれているときは古典主義的な自己肯定が起きて、そのときの技術はウマウマだと思ってる。だから上手い方が良くて当たり前で、で上手い技術が付いてくる。そのモデルは盛期ルネッサンスなんだけど。上手い事と表そうとする事が現世肯定というか、時代の肯定精神とともに上手い技術が備わってくる。それが分離したのがマニエリスムの時代。ま、西洋画人列伝の復習みたいな話だけど(笑)盛期ルネサンスの後のマニエリスムは、時代的には現世否定、だけど技術だけはものすごくある、でその技術で時代に対する教訓を描いてみたりとか、あるいは複雑な寓意をちりばめた、貴族にしかわからない事を描いてみたり、あるいは奇想ね、アルチンボルドみたいに野菜だけで皇帝を描いてみたりだとか。精神は否定なんだけど技術だけは上手い、それがマニエリスムで、僕はそれはウマへただと思う。で今の時代は現世否定的な感じで技術だけ突出するみたいな方向性だと思うのね、それは会田誠のウンコゴキブリ図からだと思うけど、嫌がらせとしてゴキブリとウンコを選んで超絶技巧で描く。だからそこから始まる系譜の時代です。今の技術が上手いというのは。以上。とりあえず話しとけみたいな、とりあえず録音されてるし。平間さん僕が死んだらよろしく!みたいな(笑)半田さんもよろしく!みたいなね、あとから中ザワさんが言ってたみたいな(笑)

は:若い年代に人では上手いと言われて普通に喜ぶ人もいますよね。

中:上手いと言われて喜ぶんだっていうのは多分半田さんの環境だと、ああなるほどと思うんだけど、上手いといわれて喜ぶのは当たり前なんじゃない平間さんの世代は。そこに裏の意味はないんじゃない、「上手いと言われて喜ぶんだ、へぇ〜」と思う考え方自体が、あれって感じ。

ひ:喜ぶのかもしれないですけど、僕自身はわかりません。

中:そうだよね(笑)平間さんの作品はちょっとちがうよね。平間さんに言っても仕方ないか。少なくともこの前のアジールの佐藤さんは、上手い技術があるって言うことに裏の意味は無かったよね。そのまま良い事だという感じでしたね。

 では始めましょうか、第5回を小池さんが読んだ所ですね。

は:はい、次は私からです。読んで思ったのは明らかに本文よりも注の方が長いという事です。

中:そういう事です。そんなでもないんじゃないかな。本文3ページもあるよ。

は:そっか、この後の文書がもっと長いんですね。

中:うん、1ページ半とかそのうち出てくるよ。それはさ、ハイパーテキストが言いたい訳だよ。注だけで成り立つような事がしたい。本文に対する注って上下のヒエラルキーを無くしたい。

は:本文がインデックスじゃないですか。

中:そう!そのために書いている。「何何について論じよ、○○という単語を最低1回以上使え」っていう問題があるじゃない、そいういう感じだよね(笑)注に書きたい為にわざわざ本文に入れるって言う事もあるんじゃない。そんなのを読まされる私たち(笑)

は:第11章CGツール概論では「CGという形式には常に自覚的でなければなりません。」と言う事で●パソコンは道具か否か? の前半は要するにソフトが重要という事です。

中:VisiCalcの話と写ルンですの話を出しています。

は:前半はパソコン道具説の最右派として戸田ツトムの「今一番いらないのがパソコンそれ自体」を引用しています。

中:これは道具が右翼で、純粋パソコンが左翼なんだきっとね。

は:道具でしかないという事の説得力があるなと。で、例えに「ワープロ専用機の普及の方が早かった」確かにそうでしたね。

中:それで障害者の施設とかでワープロ購入非でパソコンを買って問題になったりしてるけど、問題にしなくても実態としてはいいよね。という状態に今なってる。

は:ワープロにマウスが付いてるやつとか出てましたね。知ってます?

ひ:知らないです。

は:そういう時もあったんです。

中:ワープロ専用機の方がちゃんとプリンタ一体型とかあるんですよ。

ひ:藤川さん(校長)が使ってるやつはそうですね。

中:貴重です(笑)ちゃんと時代考証の道具になるからね。

は:で、ゲームは私あまりやらないんですけど、ゲームもキーボード付きのものが出てたりね。

中:こういうのも当時こういうのは誰かが書いておかないと忘れられるから僕が書いておかないとという感じで、注をこんなに増やしたのにまだこれだけしか書けてないという思いが毎回強い連載だった。

ひ:マルチメ日記にそういう事が書かれていましたね。

中:マルチメ日記読んでるの?(笑)

ひ:96年位に。それはこの連載の時に近いですよね。

中:そうそう。マルチメ日記の中にとりあえずぶっ込んどいた話も確かある。記録しておかなければという感じがね、凄い焦燥感で当時いました。それを石井香絵さんはCD-ROMファンを国会図書館で借りてコピーして全部読んだ。それは脳波ドローイングのアシストをやってくれてる時に読んでて、「今読んでます、、」って感じで、ちゃんとそこからの引用も論文にある。

は:あとこの写ルンですの話で、「すなわち、カメラとフィルムではフィルムの方が大事なのです」とあって、今だと携帯かなと思いました。今だったら写メで撮っちゃうし。

中:そうですね。もう写ルンですは終わりましたよね。もうアナログは終わったよね。これは当時は解りやすかったんだけどもう解りにくい例えに変わりつつある。で写メの場合はどうなの?写メが撮りたくて携帯買うまではいかないよね。

は:たまにデジカメは写メがあるからいらないやという人もいます。

中:いるよね、携帯の会社もそれを狙ってるよね、auはsonyの何かのシリーズと同機能になったり。

は:写真やってるひとはレンズが違うとか色々あるらしいですけど。

中:そうですね。

は:写真やってない友達は撮れればいいからと言う感じです。

中:撮れるし、撮ろうと思った時にある方が良いんです。

は:だから「使い捨てカメラ」を「レンズ付きフィルム」という例えも、、、

中:だんだん古くなってきますよね。文献研究はそのためにある。

は:この文章で中ザワさんは「オタクの出身ではない」と説明してるんですけど、わざわざことわったのは意味があるんですか?

中:ここで呼んでるオタクっていうのはいわゆるオタクの典型の人達にいるから、例えばマイコンと呼ばれてた時代から使っているとかいるから、その人たちは道具としてつかうんじゃなくて、コンピューターとして使う人達。で僕の場合はイラストレーションを描くために、絵を描く為にパソコンを買ってるから、オタクの出身じゃないんです。というような辺りなんじゃないかな。

は:この後にまたでてくるんですけど、「たんに無目的のままその状況を遊ぶ、いわゆるオタクと呼ばれる人々がたくさんいる事も事実です」とありますが、そういう事ですね。

中:そうです。当時オタクではなかったという事と。「当時購入したPC88VA2はCG描画装置としての意味しか持っていなかった」というのは私はオタクではなかったと言う事の言い換えです。

は:前半は道具としてのパソコン認識という形で、次にパソコンを単なる道具とは考えない立場の意見を述べています。中ザワさんは以前にもデスクトップリビング論で話していた内容と重なっています。

中:文献研究の成果があるね(笑)これと作品を繋げるともっといいかもな。

当時のfinder画面が見せられるといいな。

は:モノを取るのもパソコン上でとか。

中:身体障害者になってもパソコンさえ操れれば大丈夫っていう感じで。

は:軍事技術の応用でアメリカでよく紹介されていますよね。

こ:こんにちは

中:小池さん来ましたね。まだ1ページも進んでないです。けど一週間前の復習の話がありました。平間さんから先週の話を、、

ひ:録音を聴き直しましょうか?(笑)アジールの佐藤さんは今の人達は凄く上くなった。

中:昔と比べると格段に上手くなった。

こ:昔って言うとどれくらいですか?

中:当時80年代。

ひ:で中ザワさんがその後コメントし忘れたのが、当時はヘタうまが流行っていたから、むしろ技術を見せるように描くんじゃなくて、若い人達はヘタに描いていた。ヘタうまが流行っていた事を取り外して見ると、ただ単にヘタに見える。

中:佐藤さんの発言覚えてる?先週の対談の中で「今の人達は本当に上手くてちょこっと描いただけでも凄くうまい。今技術が格段にあがっていて80年代当時とは雲泥の差で、、、」と普通に喋っていた。で同じような発言を伊藤桂司 さんも言っていて「今の人達は凄く上手くなって、、」とね。でもそれは違う。今の平間さんの解釈に付け加えると、若い人はその時その時代に何を求められているかっていうのをすごく敏感に反応している。今の時代はマニエリスムの時代だから上手い事が良いと言う時代。だからみんな技術が上がったんじゃなくて、上手い絵を描こうとして実際描いているというだけの事であって、ヘタうまの時代はヘタな方が良かった。それに合わせてヘタな絵をちゃんと若い人達は描いていた。だからこの20年で技術が凄く上がった訳ではない。若い人はいつも時代に敏感にその時もてはやされているものを当時も今も描いているにすぎない。

こ:若い人を見れば当時の状況がわかる。

中:だけどそれが、当時の状況は解るんだけどね、今もそうなんだけど、今の若い人達を見れば解ると言ってもそれがどう前と違うかみたいなのの判断はやっぱり俯瞰的な認識が必要だよね。だから佐藤さんも伊藤さんも両方知っているけど、俯瞰しないで今の空気のままどっぷりと中に入っていると今は上手い事が良い事だという意識を持たずに上手い事は良い事だと普通に思ってる。そういう価値観の時代に今いる見たいな自覚をしないと見れないかもしれない。

こ:上手くなりたいなと思うときが僕たまにあって、、、

中:それは今の時代のイデアが小池さん。それは芸術意思の話。西洋画人列伝に少し描いていて、クンストウィルコム、、、ウィルコムは携帯の会社か(笑)、という訳なんだけど、”いし”の”し”が志と訳される時と思とあるんだけど多分ドイツ語がウィルだから志と訳さないといけないんだけど、そっちで訳してある方が少ない。リーグルが言い出したことなんだけど、古代の陶器の研究で当時の陶器には名も無い職人が作っているんだけどその時代特有の作法とかがあってこれは真似したりこうじゃないといけないとかじゃなくてむしろその時代が持っている意志みたいなものがあって、それが職人達に敷衍してるのだと考えた方が解りやすい、それが芸術意志って言ってるんだけど、それは他のいろんな場面に応用できると思っててその時代精神の話じゃなくて、個人に対してもこれはこうするとこれは必然的に排除しなければいけないとか、それは自分の意志なんだけど、もっと上の意思で決めていると言う事があると思うんだけど。決めているのは自分なんだけど、自分じゃなくて芸術がそうしているという感じ。それを芸術意志と呼べるはずだということでなんの話になったんだっけ(笑)今の芸術意志はマニエリスムだって話ですね。上手いことが良い事。それをちゃんと見極めとかないとね。

こ:上手く描きたいんだけどそれをやろうとすると出来なくて諦めたり、、そういう考え方もあるんですね。

中:注01には素晴らしい事がかいてあります。「「ハードは最終的には見えなくなるべきである」という思想の典型的具体例の一つが「写ルンです」です。他には電池も内蔵されているポラロイドのフィルムや、いつの間にかカーボン紙を駆逐してしまったバックカーボン印刷などが上げられるでしょう。ゆくゆくはフロッピーにパソコンが付いてくる時代になるのでしょうか?」このような状態はまだ起きてないか。

は:フロッピー自体がないですね。

中:フロッピーはないけど、例えばハードよりもソフトの方が重要だって話だとGmailだよね。e-mailでどこのパソコンでも自分のメールが見れる訳じゃない、それはこの状況に近いよね、話が飛んでるように思えるけど飛んでないと思うよ!ソフトの方が大事なの。自分のアカウントとパスワードさえ持ってれば自分宛のメールが読める。自分専用のハードが無くても良い。

は:パソコンを住環境として捉えていて、「ウォーホルにおけるスーパーマーケットという比喩を各誌で発表しています」とありますけど、これは、、、

中:そうなんだ、本当だ本当だ、これはね、「ガロ」です(笑)。それ以外に当時単発で書いていたとおもいます。今ってパソコン雑誌ってある?昔は結構あって、その中でもアート系みたいな、といってもサブカルチャー的な感じの意味のアートなんだけど、そういう方向性の雑誌に書いていたりしました。「デジタルボーイ」とかね。

は:知らなかったです。

中:「マックブロス」とかね。色々でていました。「技評」から。術評論社の略ね。出ていました。

は:その後にコンピューターを人工生命とか人工知能の関連で考える立場もありますという所で、これってやっぱり東大の院とか芸術学科とか、じゃないか、、メディアアート関連の学科。それは私結構前なんですけど駒場の東大での公開授業に行ったら一番問題になるのが創造性の問題。コンピュータ自体が持てるのかみたいな。それがあるからその学科が出来たとか。一番ネックなのがコンピュータの創造性らしい。

中:それは出来るよね。創造性を目的にしちゃうとなかなか難しいけど、僕はコンピュータは人因に対する反応でしかないと思うし、人間もそう思うんだけど。それは人間は鸚鵡であるって事なんだけど、前に読んだ文章では「文字の意味と反意味」の出だしの所で鸚鵡の例えがある。1回目の文献研究の最後の方で読んで、田村さんが担当してていてこの話、良い話ですよね」といっていて、僕が進化論の本を中学生の時に読んだら、そこでTPOに応じてすごく的確な答えをする鸚鵡の話をしていて、「鸚鵡はしかし意味が分かって喋っているのではない」と著者は言っていて。

は:レビューハウスのインタビューでも言っていましたね。

中:その時期に「岩波」に書いた。岩波に書いている最中に田村さんと話してて、これは大事な話だと思い出して「岩波」の結論にその引用を書いた。それが書き終わってすぐのレビューハウスのインタビューだったから、記憶に新しかったです。あれは文献研究がないと生まれない発言だった。自分で書いた事忘れているから。で何が言いたいかっていうと、鸚鵡の話と人口知能の話が繋げて行っているんだけど、「鸚鵡はしかし意味が分かって喋っているのではない」と著者は言っているけど、後々良く考えると、鸚鵡が意味が分かって話しているのではないんだったら、我々も意味が分かって話しているんではない。逆に言うと、我々が意味が分かって喋っているんだったら、鸚鵡も意味が分かってるはずだと。要するに反応する事だけしか無いはずで、鸚鵡と人間の間には差はないはずと後に僕は確信している。それと人口知能も差が無い。で人工知能の話に戻すと、反応をたくさん蓄積させれば創造性も出てくる。数と経験と、悲しい思い、、、悲しい思いをさせるっていうのは簡単にできると思うのね、そのレベルまで行くと。お腹が減った、でも食べれないから悲しいみたいなね。それはロボットの話か。ロボットの話と人工生命の話は似てるけど、ハードも付いてくるかとなるとロボットの話になってくるけど、同じような話か。でも反応を蓄積させて行くとそのうち創造すると思うよ。つらい事とかたくさん経験させると、芸術家になったりする(笑)

は:何だそれは(笑)

中:昇華とかあるかもね。

は:高められて芸術が生まれると(笑)

中:それも反応だからね、鸚鵡だって出来ると思うよ。

は:別の所でTVで動物に補助的に人工知能で人間が望むような役割を出来るようにするっていうような研究をしている番組がやってて、そうすると昇華されて動物が芸術を生み出したり発明をしたりし始める(笑)

中:そうそう、あると思うよ。そこには動物ならではのリアリズムもあると思うよ(笑)

は:オラウータンが抽象画を書いたりしますもんね。

中:うん、ネコとかね。

は:ネコはどうして絵を描くのかっていう本もありますしね。

こ:何に描くんですか?

は:キャンバスに描くの。で評論まで付いてて。菜の花が良く表現されているとか。

ひ:絵の具もちゃんとつけて?

中:絵の具はちゃんとつけてるらしいけど、おかしいよね、色見えないもんね。霊長類じゃないと色見えないはず。

は:でも少し前までは牛が色は見分けられないと言っていたのに、最近は色が解るらしいと言われたり。

中:でもそれは誰に聞けばいいんだ?

は:真実はどこににたいな感じです。

中:牛に聞く訳にもいかないし、確認できないよね。色盲や色弱が人がどう見ているかはわからないんだよね我々には。

は:親戚が色盲なんですけど、赤色が地味な色に見えるらしいですけど。

中:赤色色盲なんだね、それで僕じゃないけど聞いた話だと、知り合いで夕日が真緑色で奇麗だとかわざと言うと、夕日は赤色ですとか答えてくれるらしい。

は:何やっているんですか(笑)

中:信号は位置で把握しているらしい。そういえば最近信号が本当に青くなってきている。昔は緑だったのに。英語ではブルーとグリーンが混同する事はないのね。でも青信号を直訳してブルーと言うとそれはグリーンだと外国では直される。日本語では草が青々と茂っているとか、青と緑の範囲が似ているというか、青が緑を含めて言ったりしてるから、なので緑を青信号といったりしてる。それが誰がやってるかわからないけどだんだん青くなってきているのね今。それは僕は言葉の方が強いんだと思っている。言葉が生理的感覚より強い。だから方法主義は残る。何がいいたいんだってそこかよ(笑)あと国語によって違うんだよね。色と言葉が一対一対応してないんだよ、どこの国の言語も。国や言葉によって違うしね。黄色と赤を同じ言葉で表している国もあるしね。でも日本語でも明るいっていう言葉は赤いっていうのと近いんだよね。

は:いがらしみきおの言葉「生き物とはまるごと記憶である」「ゆえにコンピュータは生き物である」が引用されています。

中:それはROM-RAM生死論でも書いていました。それと当時人工無能っていう言い方もありましたね、最近聞かないね。人工知能を揶揄してできた言葉なんだけど。

は:今は人工知能は流行ってない感じですね。

中:ATMの人が写ってて話しかけられる感じは人工知能なんだよね。

は:先ほどの「たんに無目的のままその状況を遊ぶ、いわゆるオタクと呼ばれる人々がたくさんいる事も事実です」の例ではフィルムがなくともカメラだけで白熱できる人達が例えられています。ライカとか多いですね。

中:デジカメでも白熱しますよね。これは実用に関するか関しないか以前で遊んでる人達がいるという事ですね。

は:パソコン最左翼に位置する思想として伊藤ガビンの「わすれようとしてもおもいだせない(純粋コンピュータ)」を上げています。「アノーマリー展」は行ったんですか?

中:見てるよ。バグを発生させて永遠と計算し続けるようにしてある。でハードディスクの音がジジジジと音が鳴ってる。

は:バイクもあったんですね。

中:排ガスが充満してて大変だった。でうるさいのよ凄く。素晴らしい作品です、そういう事も含めてね。でもそれどころじゃなく大人数なお客さんだった。椹木さんの本にかいてあります。BTにもありますね、2006年7月号に。

は:「ちなみにこの作品とバカCGとはあまり関係ないとも言えますが、コンピュータを無批判に人類の進歩の証として捉える立場絵への何らかの批判的言及である点に関しては同様かもしれません」

中:今もそう思います。あくまでバカCGはグラフィックスだから。パソコン自体であるのがこの「わすれようとしてもおもいだせない(純粋コンピュータ)」ですから、違うと言えば違う。

は:その後の●パソコンツールの位置づけ では、私はパソコン自体に詳しくないのでなるほどなと思いながら読んでいて、プログラミングも昔のコンピュータの黎明期の、図形から作成するタイプのCGがあったりなるほどと思ったんですけど、私が中学の時にパソコンクラブがあって、そこで図形を0と1とかで作っていました。

中:それは素晴らしいですね。

は:先生もパソコンの使い方知らなくて、説明書みたいなのがあって。でもパソコン一台しかないから30人くらいいるのにゲームがやりたい子とかゲームをやると他の人はどうするんだみたいな。で文化祭で何か出し物する時に何を出すんだってはなしになって、本を読みながら模造紙に0と1を書いて発表みたいな(笑)

中:方法だね(笑)なんかその頃から自分が将来文献研究に来るのが決まってたね(笑)

は:決まって無いですよ(笑)今は小学校でも一人一台ですからね。

中:でも0と1なんかみんな解らないよ。僕も解らない。プログラミング言語もそれはまだ言語で、0と1が機械語だからね、それを翻訳するとその言語になる。その言語からみんなプログラミングするんだけど、0と1っていう機械語のままからプログラミングするって素晴らしい事だよね。

は:今はもうわからないですけど。

中:今の方がみんな解らないよ。当時は進んでた(笑)

は:友達と三角形と四角のプログラミングを模造紙でやりました。

中:実際にはやったの?

は:実際にはためしませんでした。ゲーム好きな人がずっとゲームやってました。

中:ゲーム自体は0と1でやってたの?

は:いやあそれは覚えていません。

中:まだマイコンだった時ですね、媒体がカセットです。パンチカードじゃなかったよね?

は:はい。カセットでした。

中:前も話したっけ?カセットテープっていうのはある意味素晴らしくて、オーディオ装置で聴けるんだよ。今で言うFAX音に聴こえる。当時はFAXも無かったからなんかギーとか。でもこれがなんだかわからないけど、マイコンに入れると3、4、分経つとゲームが出来るみたいな。でもそれで素晴らしかったのが、全国のマイコンファンに、FMでゲームを流す。で皆エアチェックするのね、でゲームが録れたっていう。

こ:凄い!

中:FMで流れてたのゲームが。そういう事がやられてた。深夜のオタクしか聴かない時間にゲームが流れてたりした。次は何分ありますみたいな。

ひ:そんなこと出来るんですね。

中:できるんだよ。ちょっとそういうのやってよ(笑)これを入れるとこうなりますみたいな。

は:カセットでしたたしか。

中:僕の弟がマイコンオタク的な要素があったんだけど、フロッピーが出てきたときは驚いていた。あまりに容量が大きくて、これで何でも出来るんじゃないかって。といっても5インチのフロッピーだけど。キロバイトっていう単位が出てきたときに僕も驚いた。今思ったけどファックス音を録音してそれを送ったのをうまく受信するとファックス画像ってでるのかな?

こ:全くおんなじに、、、

中:どっか改造しないと出来ないかな。新たなアイディアを植え付けてる(笑)

こ:昔のカセットで画像を記録する機械って手に入るんですかね。

中:いやぁわからない。

は:マッキントッシュでも古いのはプレミア付いてますからね。

中:マックがでたのが84年です。アップルが79年位かな、「アップル社はマッキントッシュを発売します」っていう広告を打ったのね、1984っていう映画があるよね、独裁者が出てきて皆奴隷になってしまうっていう。最初にその映画の一部が流れて、スクリーンを破って女性が出てきて(笑)「1984のようにはならない、マッキントッシュを発売します」っていう。

は:「中ザワのバカCGは勿論グラフィックツールの存在までを自明とし、その上での表現を問うものだった(p#324)」 その次に●マックCGツールの歴史と分類 です。

中:何回かやっていますよね、あ、芸術特許の文献とマックワードの文献ですね、今期は初めてか。abcdefとか読みにくいとかね。

は:p#325に「高解像度プリンタで出力すればギザギザのないきれいな結果を得られます(注11)」でその注11「ギザギザの概念…」に中に「実は人間の網膜にも微細なギザギザが存在しているのです」とあって、えーそうなの!?って。

中:そう。ギザギザとは言わないけど、粒状になっています。写真の銀塩みたいな事が網膜レベルでもある。それはなんでかというと網膜上に細胞があるからです。細胞一つ一つはビットマップなんです。ジャギー(笑)普通は感じないけどね、タイルの作品とか感じそうになるとね。あと暗い所に長く居て明るい所に出たりすると。

は:あれって若い人の方が早く反応するみたいですね。で、ギザギザでいうと前中ザワさんが言ってたプリンタの話でバカCGの出力で、プリンタが写真を奇麗に出力する為に進化していくからバカCGにとってはよろしくないと。

中:そうね、あと網膜大脳の話をしているけどなにか思い出しませんか?朝日新聞の豊嶋康子さんの記事、、「眼の冒険」だ。脳で見るアートの3番、輪郭です。下の段。p#178の下ね、読みます。「実は視覚生理学的に眼は色しか感じません。異なる色同士の境界を形と認識するのは認知心理学的には脳なのです。無意識に私たちは眼で見ているだけでなく脳でも見ているのです。」これはもうちょっと正確に言うと網膜には光の強さを感じる細胞だけでなく光の種類を感じる細胞もある。光の種類を感じるっていうか、赤い光を最も反応する細胞と、緑の光に最も反応する細胞と、青い光に最も反応する細胞と、そうでなく光全般の強さに反応する細胞があるのね、その細胞がたくさんならんでるのが網膜だから、どの細胞が反応した反応してないしか感じてない。例えば緑に反応する細胞がより強く反応したとかわかるのは網膜なので、色しか感じてない。でその情報を脳で統合して網膜のどの細胞が感じているどの細胞は感じていないみたいなような事から形というものを組み立てるのは脳なので、そうすると網膜の段階ではビットマップでギザギザなんです細胞一個一個。で形みたいなものも、奇麗な丸があるとかは眼のなかでなくて、脳の中で認識する。って言う事が書いてあります。以上注の注でした。ちなみにこの記事の豊島さんの、「来場者が着色した塗り絵をカラーでお見せできないのが残念です」ってあるけど、左下のやつが豊島さんが気に入ったやつで豊島さんが大賞をあげてるんだけど、それが阿部麻弥さん。後から出会って、え、そうなの!?って。脱線しました。

は:ここでも書いてあって繰り返し中ザワさんがいているのが「コンピュータ関連でなくとも人間のビジュアル把握に関わる、根本的な二大対立概念であると中ザワは考えております(注12)」ビットマップ方式VSオブジェクト方式です。

中:繰り返してますね、そうです。 あとベクター=オブジェクト方式です。

は:あとは子供向けのソフトについて書いています。子供って先入観がないから、マリオペイントってありますよね、PCのペイントソフトを初めていじったら「あ、マリオペイントと同じだ」っていってすぐ使えたっていう話があって。

中:そう、同じ同じ。

は:今の人って携帯も早いじゃないですか、私も早く持ってればよかった(笑)

中:0と1は解るのにね(笑)ちょっとごめん、話の腰を揉むんだけど、0と1を書いていて、どこまでかいたか解らなくならないの?読み上げながらやるとか?

は:なぜ三角と丸かっていうと、凄く短いんですよね。書く気になるくらいの量でした。一人は三角、一人は四角でした。

中:今0111、とかいって、今どこまで読んだか解らなくなったらどうすんの?でも何行目とか見れば良いのかな、それが心配(笑)

は:もう忘れましたよ!

中:分かった分かった(笑)昔の古い記憶を。。。

は:で何だっけ、p#325に「世界初のビットマップ方式の3Dツールは、96年7月に?アスクからDigital Nendoの名称で発売になる予定です。」この時点では予定なんですね。

中:ついに同時代的な文章を書く事になった訳ですね、マックCGツールから述べて現在に来たぞ!っていう高揚感がありますね!

は:はい。で注16にデジタルネンドの説明があります。で、最後の「特殊な画像生成ソフトは、むしろアーティストやイラストレーターが使うと言うよりは、そのソフトウェア自体がプログラマーの作品だったりするような趣きが強く、逆に言えばアーティストやイラストレーターのツールとしてはあまり開拓されていない領域です。具体的には各種のフラクタル生成ツールやその応用としてKPT Bryce等の地形風景制作ツール、さらにはビデオドラッグ的映像を得る為のRay Scapeなどといったものが上げられます。」で思い浮かんだのが、一番始めに中ザワさんと都築さんが対談した時、

中:ギャラリーセラーの。

は:都築さんが、フォトショップとイラストレーターは、使う側じゃなくて、いわゆる純粋なプログラマーが作ったのがすごいんだ、そこが興味深いんだって話してたんです。プログラマーによってラスターとベクター。。。

中:フォトショップとイラストレーターの話だから少し難しいかな、むしろマックペイントとマックドローはプログラマーが最初に作った。でそのプログラマーはアーティストではないと。っていう所から始まった話です。

は:その後に出てきた話ですね、今のは。凄く印象的な話で、この文献を読んでいて思い出しました。次の●バカCGとCGツール では伊藤ガビンさんのバカCGの語の発案時に想定されていたものが3Dツールによるものであったため、「肉体によらない真のヘタクソさ」の言い回しで、頭脳レベルのヘタ性が考えられていたと。それに対して中ザワさんはマウスを握る手という肉体のヘタ性、あるいはギザギザというある種のパソコン側のヘタクソさが重要だったと考えていた。これは伊藤さんは3Dで中ザワさんは平面じゃないですか、それは関係ありますか?

中:それは関係ない。ビットマップかベクターが関係する。3Dか平面かは関係ない。

は:この辺りからでは中ザワさんは自分の事を”彼が”とか”中ザワが”とか書いています。

中:え、この文章では一貫してるかな、初めは”中ザワ”でそれが続くと変だから”彼が”ってかいてるかな。たまに一人称で自分の名前言う人いるよね、子供とかでも自分の事を呼ぶ時に。

は:注14の”ペインター”では、「しかしそこを逆手にとり、期待された画材本来の使われ方でない使い方をする事によって、また別種の面白さを得る事はできます。」と。「つまり使う人のCGに対する認識の度合いが問われるソフトなので、この場合にはツール開発者とユーザの間のヒエラルキーは破壊されるべきではないでしょうか」これって中ザワさんのバカCGとか他に作家でいたりしますか?

中:いないですね。僕も少いです。僕もペインターを使って開発者の想定していない使い方をしているとか、この「社長の春」(*1)っていう図版、これを合わせても2つ位かな。この背景は”ゴッホ”っていうモードを使ってる(笑)。富士山の輪郭とかサルの輪郭の網みたいな線はどうやってるかっていうと、初め白地に色鉛筆調の線を書くのね、色鉛筆はどうなってるかっていうと白が来てピンクが来て赤になるとか、そうなってるんだけど、その後にペンキ缶ツールで白の所に違う色を落とすと、例えば青を落とすと青の次にピンク、赤になるとか、新しい効果が現れる。それはペインターの制作者は思ってもいない使用法なのね。これは素晴らしい!と思って多用しています。これはペインターだから出来た事で、ペインターなんんて使えねえよと思ってるんじゃなくて、使い方によってはペインターならではの面白さが出せる。こういうのを追求するアーティストになっても良かったんだけど(笑)イラスト、美術のヒエラルキー問題で美術に来ました。ここの右下にあるベンツのマークもそうですね。

は:で最後に「もはやバカCGというある種のポーズを超えてその名の下に追求されていたものが真のCGという状況の確信を据えていたのもであるということが推測されるのです。」ビットマップ3Dを制作する事によってと言う事ですね。

中:要するにここで本気になった。アイロニーじゃなくても良いんだと。

は:それまではアイロニーだったんですか?

中:バカCGっていう言葉はアイロニーですね。他になにかありますか?では休憩しましょうか。

---

ひ:第12章のパッケージ変遷史(前半)です。

中:はい、この回から題が「バカCGからメルチメまで」に変わっているのでそのせいで都築さんが読んでくれていなかったんです。

ひ:「まるちめ日記」では第6回位まではのっていたんですけど、7回に入ると日記は終わったんですか?

中:いや、97年の頭くらいまではあるからwebに載せてないだけかな。多分そのwebを作ったのがこの頃です。

ひ:95,6年はありました。(*確認した所第13章まで載っていた)

中:いつか読みましょうか。

ひ:あと黒ペン先生、

中:黒ペソ先生です。

ひ:池上さんは辛酸なめ子なんですね、初めて知りました。

中:今はテレビとか出てるのかな。

中:僕がアメリカに行ってた2003年位にテレビとか出てたらしいですね、ナンシー関に代わるキャラクターみたいな感じで。それまではスタジオボイスとかに書いていたんだけど、あっという間に雑誌連載もメジャー誌に書いていたり、爆笑問題と同じ番組にも出てたの見たよ。

こ:今日電車乗ってて向かいの人が見てた雑誌の表紙に載っていました。

ひ:面白かった所が、音楽のジャンルのパッケージの話で、クラシックは楽譜がパッケージで、ジャズはライブ演奏、ロックはCDやレコードがパッケージになっているというのが凄く分かりやすかったです。

中:これは僕一人で考えたんがけど、ロックミュージシャンのライブに行った時とかさ「凄いよなこのバンド、ちゃんとレコードと同じように演奏できてるもんな」とか言うんだよ、それはさ、レコードがパッケージのジャンルの証だよね、「このレコード凄い、ライブと同じだ」じゃないんだよ(笑)

は:ルー・リードがライブをやるときはCDと同じ音に調整して、それよりも音が悪いPAは使いたくないとか雑誌で言っていました。

中:それは最近の?

ひ:最近です。

中:それはレコードとCDの違いを言う文脈じゃないんだね。

ひ:はい違います。CDと同じ音質でライブも演奏したいっていう。

中:じゃあレコードよりもライブの方が音質が悪い事が前提になってたのかな。

ひ:ライブの方が音が悪いっていうことは結構あります。スタジオで録音したものの方が音質が良い。

中:でも他のジャンルもそうか、クラシックもカラヤンが出る前はそうじゃなかったのかな、カラヤンがスタジオ録音をがんばって押し進めたんだよね、ジャンルとしてはクラシックもジャズもライブだよね。ロックは最初からバーチャル。

ひ:そうですね、この「クラシックで図形楽譜が出来た」っていうので思い出したんですけど、ロックでは秋田昌美がレコードの上に直接針金とかをくっつけた作品があって、それはレコードがパッケージだから、楽譜が図形楽譜になったように同じ事が起ってるって言う事ですね。

中:そういう事ですね。パッケージの話になったけど、こういう意味でパッケージって言う使い方しますよね、この文章ではおそるおそるこういう感じで良いのかなっていう使い方ですけど、まったくこの通りにパッケージっていう言い方しますね。

こ:パッケージデザインとかですか?

中:もっと抽象的な、このジャンルはこういう形態だっていう時、ジャンルを形態で把握したい時につかうパッケージかな。この話はガロを読んでいた時に「パッケージ論を読んでいなかったっけ」って言いましたね、それと「シュトックハウゼン/ナンカロウ」の文章で似た音楽のジャンル分けについて少し書きました。ユリイカは98年、これは96年の段階での原稿です。

ひ:それでエロビデオの話が出てきますが、エロビデオはちゃんとビデオとして販売しているから理にかなっていると。

中:そうそう、で一時期ビデオドラッグもそうだった。だからエロビデオとビデオドラッグだけだった。でもビデオドラッグは無くなった。でも今はビデオが無くなった。テープが駄目でみんなこういう風になった(ICレコーダーを指差して)

ひ:ビデオドラッグ作家はいたんですか?

中:アスクが作ろうとしてました。

は:初期のビデオアーチストと言われている人達の作品でビデオドラッグ的な作品ってないですか?

中:あると思う。っていうかICCで見たんでしょ?

は:見ました(笑)

ひ:P#327の「オタク達の無自覚な作品発表」とあるんですが、作家も無自覚な作品発表っていうのも含まれますか?

中:どこの部分だろう?「まず前者のオタク達の無自覚な作品発表」何に対する前者?「あるいはその発見であるパッケージであることの自覚」あるいはその発見ってなんだ?「今ではフロッピーやCD-ROMにデータの形の作品を詰め、インターネット上で作品の展示をするなど誰でも考えつくことです。しかしこのような事態に人々が気付くようになるまでに、実は結構な歳月が必要でした」か。

 プロ自体はいなかったかな、データだけで作品だっていうようなプロがいない。データを作品と思うっていう時点でいないですね、その時点で「オタクたち」に入ってしまう。

は:販売っていう概念が無い時点で作品を発表するっていう事ですか?

中:作品っていう概念自体あんまり無いと思う。いやあるな、自負はあるんだよ、オタク達は。宮崎勤の危ないビデオとかは作品だとおもって録ってるわけじゃないですか、販売目的とかじゃない。それを作品だと思う感覚はオタク達も持っている。

ひ:ニコニコ動画のマッドとかとは違いますか?

中:それを見てないんだけど似てるんじゃないですかね。似てる所もあるんじゃないかな、仲間うちで作品だと思っているけど。これはパソコンがこんなに普及するとは思ってない時代です。「自分はパソコンとか使わない、決めた」とかそういうような事を言っている人がいたような時代だよ(笑)「考えたけどね、僕は使わないよ」とかね。でも世間の圧力とかでe-mailを使ったりするんだけどね。でも未だにパソコン使わない人いますからね、メールアドレスを教えてもらえますか?とかいうと、「私使ってないんで」とかね、でもそういう人に限って筆まめなんだよね、ポストに持って行くのとか凄いめんどくさいけどね。

ひ:バカビデオドラッグは当時凄く受け入れられたと言っていましたけど。

中:そうだよ。

ひ:フロッピーを入れてそのまま入れてクリックして再生っていう所はどうでしたか?

中:それはまたパッケージの話とは別の話で、当時ビデオドラッグに対してみんながなんだかなと無意識にも思ってた時にバカビデオドラッグがでてきて受け入れ足れたという話があります。注16にもあると思うけど、最初は4メガ近くあってフロッピーに入らなかった。CD-ROMマガジンにデータとして載せたんだけど、パッケージ論で出てくるのは、ちがうバージョンとしてフロッピーに入れて出した訳です。

中:マッキントッ書展の中でもっとも強い作品だった、バカビデオドラッグが。

は:バカビデオドラッグっていう名前だけで凄い。。。

中:そうそう、いろんな要素が絡み合っています。

は:フロッピー主義ってかいてありますけど、フロッピーって時代的には短いですよね。

中:短いね。

は:フロッピーからどんどん記録媒体が代わって行きますよね、この前「MDを買え」とか言われて買ったらどうしましょうこれ?みたいな。早すぎます。

中:そうだね、早い。

ひ:僕は高校の時にMDが出てきて、5年くらいたったらだんだんそのMDから聴けなくなってくるものが出てきた。そしたらMDを聴く機械自体も無くなってきた。

中:もうない?

ひ:あまり無いです。

中:DATは?

ひ:DATも新しいのはもうでてないのかな、みんな修理に出したりしています。

中:僕のうちにMDの機械を修理にださなきゃいけないやつがある。

ひ:DATはもうハードオフとかヤフオクとかに行かないと無いかもしれません。

中:今は何?これ?(ICレコーダーを指して)

ひ:これの、CDより音質が良いやつが出てたりして、そういうものになっています。

中:さっきはMDの話、MOの話じゃないよ。

は:あれ、さっきの私の話はMOです!

中:今はUSBにプッと入れたりね、先週はもう200ギガが1万円で買えますとか、ハードでディスクを買わなきゃとかそういう話がありましたね。僕も買いましたよ最初のMO、これさえあればなんでもできる!みたいな気がした(笑)っていうかさっきの話だけど、パソコンを純粋に使う、パソコンが道具か道具じゃないか、純粋に使うっていうのは無目的に使うとなると目的は0だけど、無と多は似てて、多目的に使うっていうのもあって、パソコン道具説っていうのはパソコンをイラストを描く人はイラストのツールとしてパソコンを使う、文字を打つ人はワープロソフトとしてパソコンを使うっていうふうになるとパソコン対ツールは一対一になるんだけど、パソコンオタクたちはパソコンを無目的に使う、目的がない、目的がいくつあるかっていうと0、逆にいうと0と多は近い、無国籍料理と多国籍料理は近い(笑)それは西洋画人列伝でカンディンスキーの項目でシェーンベルクに宛てた手紙のなかで出てきますから、その例えは初め文字数オーバーでその例えを消したら、この前来てた貝瀬さんに「ここは生かしましょう」と言われて生きた所です。分かりやすいですね、だからパソコンの用途が無であるという事は、多用途だと言う事とも関連すると言う事です。それを前からなんども出ている京浜兄弟社の岸野雄一さんが、ライブでMCをよくやるんだけど「マックを買って何でも出来よう」とか言ってた(笑)。その頃は編集部とか会議とかの雑談でも「中ザワさんパソコンって何でも出来るんですか?」そかね、漠然とそういう時代でした。MOを買えば何でもできるって言う話からの脱線でした。

は:私はMDを持った事ないです。

こ:僕もです。

ひ:今はMD自体が聴けなくなってきます。ソフトの方。

中:えー!そういう事か、大事なMD、五十音ポリフォニーの初演とかは全部MDです。

ひ:やばいですね。

中:やばいです。ひらまさんに預けたら違う媒体で移項とかやって貰えませんか?

ひ:MDが大丈夫なら出来ます。MD自体が駄目だったらできません。

中:トマトジュース飲んだりして出来ないかな?(笑)

ひ:僕が飲むんですか!?

中:それで直ったりして。

ひ:早くした方が良いですよ。

中:たくさんあるよ、フロッピーカメラもまずいんだよ、大阪ミキサー計画とか入ってる。でもまずい事がたくさんあるから後回しになってる(笑)文献研究もやる前は雑誌がどこにあるかわからないって感じだったけど、一生懸命探してどうしてもないものはイラストレーション編集部の吉田さんに送ってもらったりしています。

ひ:フロッピーカメラはたまに新宿の中古カメラ屋とかでみます。

中:本当に!?見つけたら買って、canon のQpic。

は:意識してみた事は無いかも。

中:手元に2台あって、一台は壊れてて、もう一台もやばいかもっていう感じです。macもどんどん壊れてて、でもmacはまだあるか、と言ってるうちに無くなっちゃうからまずい。

ひ:マッキントッ書展の当時の盛り上がり様、どれくらいの人達がいましたか?例えばテレビで紹介とか。

中:テレビでは紹介されてないけど、各誌で紹介、デジタル系の雑誌はほとんど紹介されていて、それ以外はどうかな、デジタル雑誌が今よりも強かったです。

ひ:マッキントッ書展自体は盛り上がっていた。

中:と思います。

は:バカビデオドラッグにはお香が付いていたんですか?

中:そう、これ読みにくいね、”紫安”ていうのはシアン色なのね、”摩禅多”はマゼンタ、”家蝋”はイエロー、モノクロだと解んないけど、「マジカルピラミッド型のお香の先端に火を灯してください、紙とイエローインクの灼ける香りがあなたをつつみます」と書いてあって、上に切り取り線と谷折り線があって、切り込みをいれて三角形になって立つようになっていますね(笑)

は:なにこれ(笑)

中:これが素晴らしい。

は:3Dメガネはただ紙を切り取るだけなんですね。

中:そう。それでバカビデオドラッグを見る。素晴らしいです。ウケました。最初のアイディア出しも松本弦人さんから来て、あわてて作ったのがこれです。これで松本弦人さんが驚いて、「なんだ中ザワ、1フロッピープラス6ペーパーズだぞわかってんのか?3D眼鏡プラスお香付きってなんだ!」と思ってたらしい。なんか日記かなんかに書いてある。で後でこれが来て「なるほど〜」ってなったと書いてあった。3D眼鏡もちゃんと切り抜いて、「セロテープで額に固定してください。本眼鏡のスウィングスマッシュな装用感により、本来3Dの風景がより一層フレッシュソウルフルに見えます」そのままだよね。「注意:本眼鏡の使用中に、眼に腫れ、疲れ、痛み等を感じた時は直ちに使用を中止し、医師に相談してください。なお、本来2Dの風景(モニター画面等)が3Dに見えるわけではありません。」(笑)まあ本当に3D眼鏡お香付きとかでビデオドラッグ後発商品が出てたんだよね、でそれをパロディするという使命になってたんだよ。トリップしてる最中の写真もあります。よくできてるなぁ。

は:当時はお香とか流行ってたんですか?

中:ニューエイジブームだからね、イルカ、サボテン、お香があった。

ひ:カセットブックを見た事が無いんですけど、どういうものなんですか?

中:その前にカセットマガジンっていうのがあって、例えばTRAっていうのがあって、内容は音楽情報誌みたいな感じ、サブカル情報誌とかね、音も色々、音楽もあるし、演説とか会話とかインタビューが入ってた。

は:中ザワさんも出したんですね。

中:出した。カセットブック。マルチメディア。2メディアでしかないんだけどね(笑)

は:中身は近代美術史テキストですか?

中:え、違います、それは近代美術史カセット。カセットテープ。でも近代美術史テキストと近代美術史カセットを一緒のパッケージにしたらカセットブックになる。でも同じものがはいっているのとはちょっと違うかな、カセットブックは。テープに入ってるのが本に入ってるのもあるけど、入ってない方が多いかな、等価に扱おうみたいな。TRAはARTの逆だよね、でそこから同じ人がタイガーマウンテンを始めた。TRAをやってたから、そこからタイガーマウンテンをやったんだね、繋がってますね。

は:電子辞書みたいな感じだと思ったんですけどちょっと違うかな、鳥を調べて、クリックすると鳴き声が聞こえるみたいな。

中:そういうものとはちがいますけど、その違うメディアが共存するっていうのは似ています。辞書は紙だったけど、ホトトギスの声が聞けるっていうのはこういう事かみたいなね。

は:本文と注が同じくらいの量です。

中:文字数にすると注の方が多いです。アロアロコンテナディスクについては次の章だっけ?

こ:次ですね。

中:次か、次の予習で言うと、注19、さっきの話と繋げると、フロッピーがかたや商品パケージ、データを入れるパッケージとして認識されると同時にその対概念として、家の会社ではそういう為のフロッピーをわざわざ作って、アロアロコンテナディスクって書いてた。そしたらそこにアロアロ情報伝達物質とか、トランスファーフロッピーとかいろいろ書き出したのが池松さんだった(笑)。以上。

こ:注16の最後に透明アイコンっていうのがあるんですけど。

中:ウィンドウズはアイコンを自分で作ったりできる?自分で描いた絵をアイコンにする。

こ:ああ、やったことないです。

中:そうか、ウィンドウズは解らないけど、マックは出来る。白地に黒丸を描いてアイコンにすると、白地が消えて丸いアイコンになる。壁紙が赤いときには黒丸だけのアイコンになる。っていうことは全部白にすると透明になる。それが透明アイコンです。今でもいっぱい使っています。透明アイコン。

は:バカビデオドラッグは圧縮しないという意味はあるんですか?

中:ハードディスクと関係なく成立できる。フロッピーは単にデータの入れ物としかしないんじゃなくて、ハードディスクにコピーしちゃうとずっとあるんだけど、そうじゃなくて、松本玄人さんの言葉あるけど、CDを聞きたい、今はパソコンに入れて常駐してCDいれなくても良いんだけど、そうするとパッケージ見たりしないよね、だけどパッケージを鑑賞して、それを置いてみたいな儀式、直接聞くみたいな感じで、ハードディスクはいらない。

は:音楽でダウンロードで買えるじゃないですか、前に買ってみて、ダウンロードしてあとはこのダウンロードする為に見ていた紙はどうなるの?もういらないの?見たいなことを思い出しました。

中:代わるかね、インターネット配信とかに。まだわかんないか音楽はそこまで変わらないか。録音物が全体で、それがパッケージという意味では。

ひ:ジャズがライブハウスをパッケージとすると、そこで行われる即興演奏が凄く発展したっていうのも解りやすいです。それはライブだから発展してきた。

中:もう一つあるのがカバーの概念、スタンダードがあるって言う事で、ジャズのスタンダードナンバーっていうのは共有財産になってて、クラシックだったらあり得ないですよね。

ひ:クラシックの場合は即興っていうのは、、、

中:カデンザっていうのがあって、演奏者がアレンジするっていうのがあるんだけど、そいういうスタイルで協奏曲を書いていたのはせいぜいロマン主義あたりまでなんじゃないかな。バイオリンの曲だったりすると、バイオリニストが超絶技巧を見せる場所が何カ所かある。そこはある程度楽譜はあるんだけどその通りじゃなくてもアレンジして弾いて良い場所。

ひ:ソロとかでもあるんですかね。

中:どうだろう、でもカデンザは有名です。オーケストラとかは通奏低音くらいしか出してなくて、その間に超絶技巧で演奏するみたいな。

 楽譜至上主義だからこそ、楽譜によらない所を制度的に作るっていう発想ができたんだよね。

ひ:演奏者のやりたい放題っていう即興は結構目にするんですけど、、、

中:それはどういうジャンル?

ひ:やっている人達は即興演奏っていう意識は持ってやってると思います。ステージが無い会場とかで良く見かけます。ライブ会場ではバンド形態の人が多いです。

中:それは反ロックなのかな。

ひ:ジャズだと思います、即興演奏部分だけっていう感じです。ロックだったらソロの部分だけを弾くみたいな。

中:ロックもソロあるよね、面白い程。回るしね、ソロが。その間は他の人は待ってたり、そこで拍手頂いたりね。

ひ:ロックにはリズムは残っている上で即興をしています。美術で即興っていうと、、、

中:オートマティズム。即興っていうタイトルがついていそうな作品がたくさんあります。

は:ライブペイントで即興する人もいますね。

中;僕もライブペイントやったことあるよ。マリオペイントでやった。映す事ができる。

は:どういう感じなんですかね。

中:普通のペインティングとはもう全然違うものだと思った方がいいかな。パルコ木下君とか凄く良い物を描いたりします。

 僕の脳波ドローイングもライブです。

は:確かにライブですね。

ひ:脳波を読み取ってそれを紙に書くと言う感じですか?

中:読み取るというと一旦貯める感じなんだけどそうじゃなくて、脳波が直接そのままペンに付いてる。だからそのままペン先から出るんです。

ひ:ペンを手で動かしたら脳に何か来たりするんですか?

中:来ないけど、原理的には来るはずだよね。

ひ:それで喋ったりすることは、、

中:出来ないとおもう(笑)脳波は活動にともなう微弱電流だから。電位変化によって脳が活動するわけじゃない。活動によって微弱電流が起るんだけど、脳が活動しているとたくさん活動してるから、奇麗な波はなくて、ホワイトノイズしかでない。だから奇麗な脳波がでてるっていうときは、何も考えてない。脳波ドローイングは難しい。

ひ:ホワイトノイズを抽出しやすい機械があるのではなくて、脳からホワイトノイズが出ている。

中:α波とかは眼で何かを見るだけで消えちゃうんだけど、後頭部の振動というか、何も刺激が無いと脳細胞がちょっと同期したりする。同期するとある波が得られる。それがα波。あと睡眠の時にいろんな波形がでる、睡眠のときは局所的にいろんな事をやるので、特徴的な波形がでます。それ以外はほとんどホワイトノイズ。

は:具体的に何をやっていたんですか?

中:あれは種や仕掛けだな(笑)

は:波形を変えたりしてるじゃないですか。

は:そうそう、きちんとライブでみせなきゃいけないから、練習が必要だった(笑)でも実際に良い波形を出す為にはお腹すいてたりするとその信号が来るからちゃんと満腹状態にして安静にして、そして実は眠るぎりぎりの所にする。だからあのころは毎晩ほとんどねてなくて。それをありがたがって皆見ていると言う素晴らしいパフォーマンス(笑)修行の賜物です。

は:波長を出すこつというか、どうやれば出来るとかあったんですか?

中:いや、本当にやってる最中にこれをこうやってとか、そういう感じで。僕はそういう事多いです。囲碁の作品を作るときも以後で重要な作品が絶対に作れるはずだとか、最初に囲碁っていうのを決めて、あわてて勉強してセキっていうのがあると。脳波もこうすればこういう波形が描けてとかじゃなくて、修業期間中に考えました。

は:「手で描かない、脳で描く」っていうコピーはいつできたんですか?

中:あれはやる前です。そこに入っている写真は本当に研修に行ったときのもので、奇麗な脳波をとる練習をしている風景。そのときの波形はひどいものでした。たとえば蛍光灯が点いてて安定していれば良いけど、例えば電気をつけいているコードが風邪でゆらゆら揺れてるとか、その方が電流よりよっぽど強い。あと心電図を拾ったり。あとこめかみに力をいれたりすると大変。筋肉が電気を発生させる方がよっぽど脳波よりも強いからこめかみに力を入れたりするとダダダダダっと出てしまう。

は:では始めに歯をガチガチしていたのは、

中:その時変化してたでしょ、雑音が出て変化してたんだけど、あれをわざわざやったのは、「今ライブですよ、あらかじめ録画したのを流している訳じゃないですよ」っていう事です。

は:あれはビデオに撮ったんですよね。

中:でも良いビデオがない。やっぱりお金払って撮ってもらった方がいいのかな。

他にありますか?では今日はこの辺で。





*1 社長の春:一日一品2007年03月01日分に掲載されている。ピラミッドがつるつる。http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/ippin/archives/2007-03.html

20100525  文責:平間貴大

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