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 中ザワヒデ
 キ文献研究
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【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

第二期十ニ回 

二〇〇八年八月十三日

文献
「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第3回!!」『イラストレーション』1996年1月号 p.118-121 p#.311-314
「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第4回」『イラストレーション』1996年3月号 p.128-131 p#.315-318
「その後のバカCG―HISTORY OF BAKA CG―第5回」『イラストレーション』1996年5月号 p.126-129 p#.319-322

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その後のバカCG -HISTORY OF BAKA CG-第3回!!
|第7章 シミュレーショニズムとバカCG〜その2〜
|第8章 デジタル主義とバカCG

その後のバカCG -HISTORY OF BAKA CG-第4回
|第9章 テクノ論とバカCG

その後のバカCG -HISTORY OF BAKA CG-第5回
|第10章 イラストレーションとバカCG

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...授業開始前の会話の一部

中:禅とかUFOが西海岸で流行るとそれをちゃんとキャッチして作品作ったり、カタストロフィー理論もちょうど出てきたときかな。量子芸術は流行よりも遅れているけどね。感覚による計測が不可能。あと確率でしか言えないとかね。詳しくは量子芸術宣言に書いてあります。冒頭に、”近似の概念である”って書いてあります。

こ:量子力学の近似の概念による芸術である。

中:何における近似の概念とか書いてないかな?

こ:人間の感覚に直接訴える事ができない。直接見たり直接触れることが出来ない。

中:その点において近似であると言ってる訳でした。

...

中:この連載は僕は近代美術史テキストの続きのつもりでやってたから、全部ここに載っているカットはCGで描き下ろしているわけだけど、早くも第二回でそれは崩れています。

は;一点もののありがたさについての言及では、現在とは反対だけど、考え方は変わらないですよね。

中:変わってないよ。単にコマーシャルギャラリーと付き合うようになって必要悪としてやってる。むしろ本当は一点ものにしてはいけないと思います。データが作品であるからね。

は:CGは「構想、制作時間2分」とありますが、

中:実際はもっとかかっています。(笑)前に書いた「新表現主義」っていう文章にそのことについて書いてあります。

は:新表現主義について中ザワさんは音楽と繋げて、パンクも新表現主義と同じだと書いていてなるほどと思いました。

近代美術史テキストで、全く新しい美術史を作ろうとしていた。しかしそうはならなかった。今後なると思いますか?

中:今の所ね。僕が勝ち組になれば(笑)勝ち組負け組っていうのは「『松澤宥論』論」で書きましたけどね。

は:新表現主義とヘタうまのタイムラグがありましたね。

中:ヘタうまが80年代前半で、僕のアクリル画が80年代前半でそれが新表現主義の時代で、バカCGをヘタうまとしてやろうとすると、90年はむしろシミュレーショニズムの時代なので、ヘタうまをやるには時代遅れで大変だ。見たいなね。シミュレーショニズム的な事もできる。でもそれは表現主義に対するアンチだけど、表現主義もやんないと。両方いっぺんにやらないといけない。大変だ!

 という所で今日はその後のバカCG第3回からですね。

か:前回はシミュレーショニズムとバカCGの歴史的位置づけがおこなわれましたが、今回はシミュレーショニズム自体の意味についての解説がなされています。例としてジェフ・クーンズやアプロプリエイション・アート、森村泰昌やネオジオ。漫画では「サルでも描ける漫画教室」があって、その流れに「近代美術史テキスト」もあるという。その中のビドロを知りませんでした。

中:そうか、BTの90年3月号位にたしか載ってたような。顔写真が載っています。

こ:「これはピカソではない」とか「これはポロックではない」というタイトルでそのままその作家の絵を描いている。みるとほとんど一緒です。

中:ちょっとへたなんです(笑)そこが重要だと椹木野依が書いていたけど、それは重要なのかどうかはわからない。

か:20年代、60年代、90年代っていうのは。。

中:循環史観です。周期的に反芸術が現れるっていう。

か:90年代がシミュレーショニズムで、20年代、60年代は、、

中:正確には15年位ですね、最初のダダです。20年代っていうのは不正確です。60年代っていうのはいわゆるネオダダですね。90年代というよりは89年からですね、シミュレーショニズムっていう言葉が出てきたのは。それまではネオジオと言われていた。

か:その後は中ザワさんの作品の話になっていくんですけど、イラストレーション誌の公募展チョイスでの受賞作「日本ロックの悪臭」。これはスージー甘金が審査員だった回に、手法としてのバカCGと、シミュレーショニズムの気概を両立させた作品です。

中:これはね、前の月に「次回の審査員はスージー甘金さん」とか載るのね、審査員が一人なんです。で審査員の紹介が載ってて、そこに「日本ロックの逆襲」が載ってた。それが代表作ならこれをやろうと(笑)

か:それはシミュレーショニズム的な考えだった訳ですね。

は:「ただのパロディとの違いは、CDプラケースも書き込んだ点です」ていうのは、、

中:そうなんです。図版ではわかりにくいんですけど。この図版はそれをさらに書いたものですから(笑)それ見たいな。90年8月号です。美学校にあるかな?

ー皆藤が本棚を探しに行くー

中:ありましたね、この「次の審査員は谷岡ヤスジさんです」みたいなに、次は誰々ですっていって、その人の代表作が載ってるのね。そこにあったのが「日本ロックの逆襲」が載ってた。でこれは内部事情の話を知ってる人の話によると、本当は僕のが一番だったらしいんだけど、あまりにもスージー甘金だったから隅っこに押し込められたらしい(笑)

か:そして次の年に「ハマルコン91’」をやります。これは現代美術作家の作家51人をバカCGで描くという展覧会です。それと「第5回東京イラストレータラーズソソサエアエティ」は違う展示ですか?

中:違います。でも同時開催です。パロディ・贋作を共通コピーとして、一つの展覧会が「ハマルコン91’」、もう一つが「第5回東京イラストレータラーズソソサエアエティ」です。それは現代美術史日本編に書いてあります。

は:その理由が「美術もイラストも等価であるという立場を明確にしたつもりです」と言っていてここで初めて知りました。

中:ポストモダニストだったからね僕は(笑)

か:会場はどれくらいの広さだったんですか?

中:ART WAD'SはギャラリーKより広い位です。HB GALLERYはギャラリーKよりちょっと狭い位です。渋谷宇田川町と表参道です。

か:人が凄い来たってことですよね?

中:というよりはシャトルバス運行が目的(笑)でも人は凄い来ました。人が来たからって言う事ではなくて最初から決まっていました。それは報告の所に書いてあります。

か:なんでシャトルバスを使おうとおもったんですか?

中:同時開催で、イラストと美術は等価にあるということで。むしろシャトルバスをやるためにこれをやっているような、そっちがむしろ内容かもしれない。

は:近代美術史テキストのフォンタナと同じじゃないですか。(*1)

中:まあこのアイディアは、同時開催するからにはなんとかしなきゃという事で、シャトルバスの為に同時開催したわけでは無いけど、同時開催はちゃんとしようと思った。

か:どちらが評判が良かったとかありますか?

中:ハマルコンの方が評判良かったです。それは理由もあって「第5回東京イラストレータラーズソソサエアエティ」は本を出す事に主眼が置かれていて、元になっているのもがイラストレーションファイル。湯村輝彦とか北見隆とか載ってるのよここに。ターナーのアクリルガッシュの広告とかも載ってるのよ、リキテックスの広告も載ってるのよここに(笑)モノクロで書いたものを展覧会ではカラーにして展示した。だからやっぱりちょっとおかしい。最初からカラーで書くべきなんだよね、カラー作品は。普通に考えてもそうです。で反応も「第5回東京イラストレータラーズソソサエアエティ」の方はあんまり良くなかった。ハマルコンは始めから展示するつもりで作っていたので面白かったですね。

か:選んだのは平面や絵画の作家ですか?

中:違います。ステラの立体とかもあります。最初に部品をプリントアウトして、発砲スチロールに貼ってそれをカッターで切って組み合わせたらステラになった(笑)ボイスのパネルが2つあってバケツが置いてある作品も、パネルとバケツをプリントアウトして別々に組み合わせて作ったりしました。この資料では読みにくいですね。半分はオリジナルの展覧会「ハルマコン」に出ていた人達で、半分くらいは出てない人達がいます。

か:でその後に「真夜中の大原美術館」展を行って、これはグループ展ですね。

中:これの企画も天野さんです。

か:そして図版がありますが、これも当時の作品をスキャンしたものではなくて、描き下ろしています。

中:そうです。

か:p#312の最後に「これら一連の作品の問題点としては、中ザワの内面ではシミュレーショニズムの衝動がいくらあったとしても、それをわざわざパソコンの手書きに固執したバカCGとして呈示する必然に今一つ乏しかったことです。パソコンに固執した表向きの理由としては『スキャンでは意味がなく、中ザワが同時に他の誰でもあることを明らかにするため』でしたが、両者の間にそれほど関連がある訳でもなく、また手描きでオリジナルと似る程度も『ヘタうまタッチ』レベルだったりすることも笑いをとるためでなけれあ必然性に乏しく、つまりそれぞれの整合性は棚上げされたまま、むしろそういったアンチ・オリジナリティ気分の時代風潮にのみ照準を当てた、『賞味期限』中に慌てて発表したやり方だったと思います。」と書いていて、「スキャンでは意味が無い」というのはどうしてかな、と思って。

中:自分が例えばピカソであったとする。ピカソは絵の具で絵を描いていますね、僕も絵の具で絵を描きます。僕が写真家で例えば杉本博だったら写真を撮らなきゃいけない。だから作品に近づけるんじゃなくて、僕自身が作家に近づけなきゃいけない。

か:手描きっていうのはパソコンの中で手描きっていう事ですよね。

中:そうです。単なるコピーを作りたいわけでは無いんです。ものまね芸人の面白さはものまねを見てても面白いけど、じゃあ本物のビデオを見ればいいじゃないってい言ったらそうじゃないじゃない。

は:ビドロがピカソそっくりに描くから意味があると。

か:スキャンだと本物になっちゃうという事ですね。

中:あるいはスキャンそのものになってしまう。コピーそのものになってしまう。それは目を欺くための贋作なら良いんだけど、贋作を作るのが目的ではないわけですよ。

か:シミュレーショニズムとして呈示するなら、パソコンでバカCGを描く必然性は無いという事ですね。

中:完全にピカソの絵とか描いている訳だけどその場合、パソコンである理由はなくてマイク・ビドロと同じにやれば言い訳でそっちの方が完全な訳です。パソコンである理由は無い、シミュレーショニズムとしてはね、で、それから結構人気だったのはヘタ風味に描いていたからなんだけど、それは笑われて人気だった訳でそれはシミュレーショニズム的にはあまり意味はない。むしろヘタうまの方です。

か:見る人はシミュレーショニズムというよりはむしろバカCGとか手描きの面白さとかに目がいってしまったという事ですか?

中:両方合わさっています。

は:四コマ漫画もやっていますね。

中:一日一品(*2)にありますね。それはちょうど「真夜中の大原美術館展」をやるときに東京ウォーカーで連載してたから、両方に重複する作品として「名画の続き」というものです。例えば麗子像とかね。

は:本物は結構リアルでしたね。

中:そう、怖い。もっとひどいのがあって、熊谷守一の「陽が死んだ日」っていう傑作、自分の息子が死んだのを走り書きしたのがあるんだけど、真夜中はハエが集ってる。え〜!!!で天野さんが「あれ絶対やばいよ〜。岸田劉生とかも全部ヤバい。今だったら絶対やらないよ、俺も若かったな〜」と言っていた(笑)面白い人だから皆さんにも会わせたかった。

か:一枚の制作時間はどれくらいかかるんですか?

中:2分以上です。

一同爆笑

中:僕は早い方だよ。この真夜中の大原美術館の昼と夜だったら、そうですね、1時間か2時間位、もっとかかったかもしれません。速い作品もたくさんある。

か:実際のパソコンでトレースじゃなくて見ながら描いたんですね。でその一連の作品が「賞味期限中に慌てて発表したやり方」だったと。

中:そうです。

か:バカCGが時代に遅れてた?

中:むしろシミュレーショニズムが有効なうちにっていうのと、それからヘタうまタッチは時代遅れなんだけど、CGのなかのヘタうまタッチはベストな時期だった。

か:ヘタうま自体は当時は生きていたんですよね?

中:もう時代遅れでした。テクノポップも時代遅れ。それは第五回に書いてあります。当時の事をここまでかいてあるのは無いよね。

か:イラストでいうテクノポップ?

中:イラストでテクノポップっていうのはない。イラストではテクノ風味だねせいぜい。機械をありがたがる感じをテクノ風味と言ったりします。ウゴウゴルーガってみなさん知ってますか?ウゴウゴルーガが出てきてようやくコンピューターグラフィックがポップなんだっていうのが広まった。ウゴウゴルーガでは僕は結局仕事しなかったんだけど、みんな僕がやってるんだと思ってた。年賀状にいっぱい「ウゴウゴルーガ見てます」とか書かれて、俺はやってない!(笑)。打診はあったんだけど丁度海外に行ってて帰ってきてから打ち合わせとかになってて。でもTVの仕事だし待てないじゃない、それで僕抜きで始まった。でもウゴウゴルーガによってそれまでありがたいNHKハイビジョン的なノリのコンピュータグラフィックの世界っていう感じが一気にチープでポップなものになったのが認知された。それは一般レベルで認知された感じなんだけど、その中間に僕がいた。TVには乗ってなかったんだけど、雑誌とか紙媒体上で僕のが現れた。「CGにこんな事してもいいんだ」みたいなね。

か:当時のCGの技術がどれくらいだったのかがぜんぜんわからないので知りたいのですが。

中:それは特にマジックペイントVAというソフトを使ってたんだけど、それに付いてきた見本が数点入ってるんだけどそれを見ると、大変だ(笑)当時はダサかったんだ、っていうのがよくわかる(笑)今だったら地方の喫茶店のポップとかそれで作ってる感じが出てます。

は:本屋でずいぶん前から「ペイントソフトでこれだけ描ける」っていう本が出ていました。

中:今も出てますね。そういう業界はあります。

か:「●第8章●デジタル主義とバカCG」では前の章では話が変わってデジタルの話になっています。コンピュータはデジタルなのでオリジナルという概念を無効にしてしまうといった議論の後、データとしての世界の等価性、及びデジタル主義という一種のセカイセイフク論という自体が発生してくる、前置きとして、モノとしてのオリジナルの不在について書いてあって、デジタルが普及してくると、あ、その前に芸術作品は一点ものの場合その価値は骨董的価値で、オリジナルは無い事が長所であるはずなのに芸術作品の場合は骨董的価値と美術的価値の両方で価値が出てくるという風に言っています。

中:それは5000文字で言っています。骨董としての何とかと。骨董としてのCG作品プリントアウトのあたりですね。

か:でそのデータとオリジナル性の話で、当時パソコン上で作成したデータをプリントアウトしてオリジナルフロッピーを壊したという展覧会の話が出てきます。そこで思うんですけど、データで作った作品って、デジタルだとアウトプットが難しくて、その点では人間の方が優れているのかなと。

中:難しいですね。データがある限り50ずつ限定といってても後からまた100部刷られたりするのがやだとかそういう話です。

は:人は限定に弱いですからね。

中:それは骨董的価値です。

は:ポケモンのチョロQをゲットするのに余計なモノを買ってしまったというのを最近たくさんやっています。

中:子供の為にね。(*3)子供の力じゃだめだから大人が手伝ってあげないとね。

は:話が飛んじゃった、でもこれ記憶にあります。このPC版画って1回だけじゃないですよね、こういう形でやったのは。

中:僕の文章では前も出てきたけど、その話じゃなくて、こういう展覧会自体記憶にある?たしかニコンが主催だった。

は:何度か聞いた事がある気がします。

か:今だから理解できる話ですよね、例えばデジカメ。銀塩だったらフィルムがオリジナルになるじゃないですか。例えば50部限定で出すとしても番号をかいたりして、デジタルだったらそういうことはないじゃないですか。

中:そんなことないよ、今でも僕言われるよコレクターに。プリントアウトしてデータを破壊してくれるんだったらそのプリントアウトしたものを買うよと。僕はやだ。コレクターは骨董しか見ていない。

か:今だったらパソコンは雑貨みたいになったからデータがあふれてるからそっちの方が。写真をプリントアウトでもらうと不安になるとか、データでもらわないともらった事にならないとか。

中:その感覚は僕がずっとここにも書いている感覚なんだけど、当時は無かった、みんなに理解してもらえなかったよなかなか。でもそうだよね、プリントしてもらうよりもデータでもらう方が安心するよね。そのためのJAPAN ART TODAYだったりする。

か:今になって理解できることがありますね。

中:この連載はね、とても反応がなかった。担当編集者以外からなんの反応もない連載だった(笑)

か:特にこの回で思ったんですけど、デジタル主義という一種のセカイセイフクとかその辺で、今ならデジタル化されてるものとされてない情報で格差がでてきたり、さらにデジタルデバイドでそこにアクセスできる人とできない人で格差が出てきたりその辺につながってて面白いと思いました。

中:当時はデジタルは負けてた。例えばNHKがハイビジョンの方式を決定する時に、90年代なのにハイビジョンはアナログ方式で放送することに決定した。でみんなで「なんでデジタルじゃないのバカなんじゃないの?」と言ってて数年後にいつのまにかデジタルにやっぱりしますっていうことになって、NHKがデジタル放送になったんだけど、負けてました。確かに当時デジタルだったらお金がかかるとか、あるいはそんなに優れた美しさがでないとか、今でも銀塩写真ではあるんじゃない、解像度的な事では。そういう意味でアナログ放送になるのを主張するのはアリだと思うのね、当時においてはなおさらアリだと思うんだけど、でも画質が少々悪くてもデジタルじゃないと話にならないだろうという話もあるじゃない今既に。デジタルにしといて精度を高めて行く、まず始めにデジタルという出発点にたとうっていう話は今ならわかると思うんだけど、当時僕がいくら主張してもそういう事は無かった。

は:写真でも今は印画紙に直接焼き付ける事もできるし、一年ごと、半年どとに本当に良くなっています。銀塩でやってる人っていうのは。

中:趣味人になっていくよね。写植の話でいうとそこについて来れたのがモリサワで、写研がだめだった。前話しましたね。だからやっぱり活版の技術とかは一斉になくなったしね。

か:銀塩は物質感がうれしいですよね。

は:焼く作業とか凝ったら面白いです。

か:暗室に入ってとか。

は:真っ暗な中で作業していると何か変わりそう(笑)

か:でもアナログであるかぎりデジタルとは。。。

中:世界が違いますよね、これはアナログだけど大丈夫ですか?(平間のテープレコーダーを指さす)

ひ:最近デジタルレコーダーを探しているんですがマック対応でっていうのがあんまりないんですよね。

か:これはやっぱりテープじゃないと、ICレコーダーではだめ?

ひ:ICでも音が良かったらいいです。悪いとyoutubeの携帯動画みたいになってきます。

か:僕はICレコーダーの方が良いと思いました、テープより。

 で次にデータとしての世界の透過性の話になって、データにすると絵も音楽も文章もすべてデジタルデータになってしまう。

中:全部0と1ですからね。

か:デジタルではそうなってしまうと。それからシミュレーショニズムの話に繋がって行きます。

中:これね、シミュレーショニズムの話に繋がるんだけど、文献研究的なつっこみをしておくと、データの等価性っていうのは、僕が方法主義で諸芸術を繋げて考える一つのきっかけになっています。僕は美術と詩と音楽を等価に並べるじゃないですか、方法主義において。

生徒:はい。

中:あるいは足し算的な総合芸術ではなくて、すべての芸術を等価において全芸術史が書けるはずだという信念を持っていたりするように、いろんな芸術のジャンルを等価に捉えるっていうような事をしているわけなんだけど、アナログの世界においてもね。でもそれはデジタルの世界で今言った絵も詩も音楽も文章も全部、0と1で表される、等価に同じフロッピーの中に共存できるという考え方から実感を伴って発想されている。だから僕の方法主義はデジタルの影響がとてもある。この考え方から来ています。文献研究的なつっこみです(笑)

か:この文章で分からなかったのが、ハイパーテキストとかハイパーカードです。

中:そうか、ハイパーカードを知らないよね、無いよね今。昔マッキントッシュに標準でバンドルされてたんだけど。一つのソフトウェアで、絵も音も文章も動画も扱えるっていうものです。その程度かな。アニメーションをつくるソフトウェアでは結構それが実現されているんだけど、絵も音も文字データも取り込めるし。だけどそれはアニメーションっていう目的に特化されている。アニメーションが目的でその下に絵があり、文章があり、音があるんだけど、そうじゃなくて絵も音も文章もアニメーションもどれがトップというわけでもなく、このソフトさえあれば全部つくれるというものとしてハイパーカードがある。

か:なんとなくわかるような気がします。ただ実際見てみないとちゃんとしたのはわからないと思いますけど。

中:今はインターネットのブラウザがハイパーカード的状況だよ、文章も音も動画も全部扱える。でもインターネットに繋がるっていう目的を持っているけどね、だけどインターネットなしでああゆう状態を考えるとハイパーカード的状態です。

か:どういうものに使われていたんですか?

中:そんなに使い道がなくて(笑)、淘汰されたんです。でオタク達がいろいろ遊んだりしていました。ビジネスに使われたりとか需要がないと淘汰されますね。

か:オタク達の遊び道具(笑)

中:ハイパーカードで作った作品をスタックっていうんだけど、それをオタク達は交換していて、プログラミングとかできるからあるハイパーカードを立ち上げるとパソコンの初期画面が出てきて、何も出ない、とりあえずクリックすると凹んだ印が出る。えっ、て思ってもう一回クリックするとまた凹んだ印、たくさんクリックするとそれだけ凹んだ印がでてきてもっとやるとどうなるんだろうってクリックしても凹んだ印が出てくる。ただそれだけ(笑)”これは人は何をするのかを知る為のスタックです”とかね、そういうのは淘汰されたね(笑)

か:それでこっちは本当のイラストレーターズソサイエティ。

中:そうです、本当の。

か:このデータ上の世界の等価性というところからの文脈上の作品ですね。

中:一点に描きためたデータを全部貼っ付けて行った作品です。

か:当時こういう作品をどこかに出すときに、こういうデジタルの話は話していたりしたんですか?

中:いろいろ話していたと思う。取材もよく受けていたし。

か:けど理解されなかった?

中:今よりもデジタル方向の雑誌が多くて、コンピューター関連の雑誌が、でそういう所からの取材だから逆に言うとそういう所にしか入って行かなかった。

か:注目してくれている人は?

中:いるけれど、もうすでにパソコンを使っている人達。一番パソコンから遠かったのが美術界ですね。一番誰もやっていなかったですね。ビジネスマンの方がよっぽどパソコンとか使うのが早いですね。パソコンで仕事したりインターネットで仕事したり、ワープロ使ったりビジネスマンの方が普通、美術の方は遅いですね。

か:当時美術ってやっぱりその新しい表現媒体、いまなら映像とか、新しいものを使ったりするじゃないですか、当時って、、、

中:それはね、みんなICCに行っちゃう。ICC系は美術にリンクしつつも離れていて、あれをどう考えるかっていうのはつねに問題ですね。それが国家の力が強い場合はそういうのが、、、違うか。。ICC系がどうも美術じゃないんじゃないかっていうのがどこから来ているかっていうのは反博から来ている。万博の時に、万博自体がICC系の権化みたいだった。で、万博会場でああゆうことがたくさん行われたんだけど、どの事で反文明委員会とか松澤宥とかアンチモダニズムとかやってたんだけど、むしろそっちの方が主流になっちゃった、万博が終わってから蓋を開けてみたらね、で、もの派とかは完全に背を向けた文脈ですよ、テクノロジーとか使うと「そういうのは万博会場行けば?」みたいな感じで、むしろそっちからは疎外されているんだけど自分たちが逆に自分たちが疎外した気持ちになって、もの派、ポストもの派の展開というのがあって、その流れがずっとあるからICC系が出てきたらいろんな意味で微妙です。今のICC系の微妙さもそんな感じだと思います。

か:建築系の展示が多いじゃないですか、

中:ICC?

か:はい。それでちょっと違った感じで、美術館という括りになんか、、

中:本人達も美術館と呼ばれたくないだろうしね、カタカナでミュージアムというだけでなんか違うみたいなね、差異化しようとしていますよね。

か:結局美術外美術というか、そういうふうになてしまう。

中:そんな感じかな、だから僕の話でいうと、バカCGとかやっていて、イラストと言われてた、あとコンピュータを使っていたという所で二重に美術のなかから他人に思われていた。一番分かりやすいのが千葉成夫さんなんだけど「現代美術逸脱史」で、パルコ系も入っていないし岡本太郎も入っていない、典型的なもの派、ポストもの派系統の美術内美術しかみれない人なんだけれども、藤田嗣治すら、、載ってるか、でも「悲惨と言う他無い」とかそのような言い方で切り捨ててしまっている。僕は千葉さんの見方は美術界全体の見方と繋がっていると思っていて、僕が97年に保守反動を始めた時、ガロの「新大陸論」の時にも言ったように、僕が一番思っていたのは、なんで千葉さん僕の作品を取り上げてくれないんだろう(笑)?というような事だった(笑)で、文字座標型絵画とか作った訳だけど、そしたらちゃんと取り上げてくれて僕の作戦はきちんと成功した訳なんだけど、それを話で聞くと「デジタルとかテクノロジーを使って美術として良いと思うのは中ザワヒデキだけだ」とか言っているらしい(笑)でも彼はバカCGとか不可視関数試論とかは評価しないと思うんだけど、文字座標型絵画はそういう位置にあります。

は:初めて聞きましたその話。

中:だからこれは文字座標型絵画以前の話で、この連載はあります。どの話からこの話になったんだっけ?パソコンを使う事とか美術の人はすぐに飛びかかるじゃないですか?いや飛びかかるわけじゃないんだよという話ですね。

か:で結局美術の外に行ってしまうという。

中:そうそう、サブカルチャーになったり、ICCになったり。

か:言われてみるとその境があるっていうのは分からないですね、インスタレーションとかたくさんあるし。

中:ただ今は、今後の方向性はもうコンピューターメディアは大丈夫になっていきます。使えるが財の一個になる、もうアレルギー無いし問題なくなって行きます。ただビデオは時間掛かったよね、この後話出てきますけども。ビデオが美術界の中でそうとうきちんとたくさん出てきますけど、ビデオアート自体は60年代70年代からたくさんあるんだけど、美術界の中で疎外されずになったのは2000年のトリエンナーレとかからじゃない?

か:セカイセイフクが進んだってことですかね?

中:美術界が遅いってことが言いたいんですけど、ビデオなんかコンピューターなんかよりずっと古いメディアなのにやっと今ビデオかよという感じです。やっと液晶絵画展とかやってる、国立国際でやってます。新しいメディアが入って行くのは実は美術は難しい。美術こそ一番新しい事をやっていると思うと、実は美術が一番遅い。と僕は思っています。逆に言うと簡単なのよ、美術で新しい事をやろうとしたらビジネスマンが何やっているかをちゃんと見て、ここにあるんだと思えば良いだけです。というような発言をすると嫌がられそうですけど(笑)、でもそう思っています。

か:今だったら何ですかね。

中:なんだろうね、分かんないですね。

か:その後にはセカイセイフク論です。デジタルの世界は0と1で表現して行くから、世の中はすべて0と1で記述できる事になってしまうけれども、物理や数学では完全に無限大に解像度を上げて行くのは不可能なので、完全なセカイセイフクはありえないとして、最後にちゃんとアナログとデジタルの住み分けをしなければいけないと。

中:当時本当にね、プリント物に絵の具を塗ったりしたのがたくさんあった、そういうものばっかりだった。若いアーティストレベルだとサブカルチャー意識が強いから、新しい物好きだしね、でもプリントアウトするんだけど、そのままだとどうも作品として弱いと直感するらしくて、そしてその上に絵の具を塗ったりとか、コラージュネタとしてプリント物を使ったりとかそんなような事ばかりでした。で、CGで新しいとか思ってた感じがありました。

か:そこを批判したいと言う事ですよね。

中:そういう事です。

は:ハウツー本もあって、日本じゃなくてアメリカで販売されたものを翻訳して出てたんですけど、作例も全部アメリカのアーティストのものでスキャナーでスキャンしたのを上から何か描いたりしてるのがありました。

中:あると思います。

か:今でも全然ありますよね。

中:あるある、ただ今とこの時は意味違ったと思う。今は完全に道具として使ってる。パソコンが新しいから、テクノ風味を出したいから使う訳じゃないでしょ。

か:ツールとして。

中:目的のために一番近いのがエアブラシ、油絵の具だったら油絵の具を使うけど、一番近いのがパソコンだからパソコンを使っているだけで。当時のはそうじゃなくてテクノ風味を醸し出したい、新しガリ屋の自分を見せたいっていう事でプリント物を使うんだけど、絵の具が塗られる。

か:松澤さんってパソコン使ったりしなかったんですか?

中:しなかったですね。

か:使っていたらネット上にどんな作品残しているんだろうって想像しちゃいました。

は:手描きだと面白いと思います。

中:でもあれ本当は活字のつもりなのよ。本当は。ずっと活字で発表してたんだけど途中から活字にする事もないやと達観した境地になって手描が出てきただけだと思うよ。これはこれで良いじゃないと。

は:でも活字でラエリアンよりも手描きでラエリアンの方がすごく面白いと思って(笑)

中:そうだよね、内容が形態についてきてるよね、「80年問題」は内容と手描きっていう形態はあってる。でも70年の最終芸術の頃はやっぱり活字の内容。はがき絵画とか活字じゃないですか。

は:そうですね。

中:あれは活字の方が良いですよ。

か:「何何を想像して楽しめ」とか、面白いです。

中:素晴らしいですね。では9章はこんな感じで。これは第2回からの続きなんだよね、第1回が導入で、バカCG以前、バカCG黎明、国際バカCG連盟発足(!)、とかやっていたんだけど第2回で美術との関係をきちんと述べようとして、新表現主義、シミュレーショニズムの話をしねきゃいけない、それが第2回だけで終わらなくて第3回にまたがったのかな。その中に美術とちょっと関係ないデジタル主義とかの話も第2回に入ってきていると。休憩しましょうか。

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は:最近肩こりが凄いんですよね。

中:カラムーチョが効くと思うよ。

は:絶対効かないですよ!トマトジュースじゃないんだから(4)

中:トマトジュースは効いてたよ(笑)

は:効いてましたね(笑)

ひ:効きました。

中:もう海をいじめる位効いてた。

は:今日は仕事で永遠と流しそうめんを流していました。

中:流しそうめん肩こりですね、お疲れさまでした。

は:流しそうめんをみると性格がわかるのよね、全部で20人くらいづつやるんだけど、強欲さがわかる。全部せき止めようとしてそのままこぼれたりね。たまに違うものを流したり、ゼリーとか。ゼリーは誰も取れないのよ(笑)

 4章から注が酷くない?本文より注が多いよねこれ。

ひ:注で2ページいってます。

は:字も小さいし絶対本文より多いよねこれ。

中:注が言いたい。注を言う為に適当な本文を書いている。

は:注があるから何だろうと思ってページをめくるとこんな事になってて、気力が失せてくる。

中:え〜注の方が面白いのに。「テクノ論とバカCG」とかね、でもあんまり反応が無かったな。

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中:では始めましょうか。

ひ:第4回は第9章だけですね。

か:でも字数は前回よりも多い。

中:注の方が多くて、注に流れ着くために本文がある。

ひ:本文自体は意見を言うというよりは流れを、、

中:流れを流してる感じですね。

ひ;話も何度か出てきているものが多いです。で、始めにある「ヘタうま・テクノ・バカCG」の”テクノ”は、”テクノポップ”ですよね?

中:そうですね、ネオポップじゃなくてテクノポップですね。だけど完全な音楽用語ではなくて、テクノ風味という言葉にしてしまえば他のジャンルでも使えるように、単に機械好きとか、新しい機械を使いたがりという意味でのテクノなので、テクノポップですらないんですね。

ひ:結構音楽の事を書いてある文章が多いんですけど、音楽家からの反応とか、音楽好きからの反応ってあるんですか?

中:この文章?ない。この文章はイラストレーション誌に書いていたから、音楽家の人読んでない。

ひ:イラストを描いている人って、音楽好きな人は多いような気がするんですけど。

中:いるけどね、当時はむしろ、、、反応は無かったねぇ、あとイラスト界では僕は浮いてたから。みんながe-mailアドレス持ってるような状況でもないので、意見はすぐにどんな反応があったかとかわからないですね。これはとにかく僕はちゃんと書いたつもりだったんだけど反応がなくてがっかりした回です。その後だんだん反応は気にしなくなりました。それで原理主義に走った。民主主義は反応を気にしないといけないんだけど、民主主義じゃなくて原理を。

か:でもこの文章自体民主主義の香りはあんまりしないですよね(笑)注が多い時点で突き進んでる感があります。

中:注が多いのはさ、「西洋画人列伝」の誰かの所に、取ってつけた話でも良いから注をつけた方が一般受けするって書いたんだけど、たしかそれは字数が多すぎて一旦削ったら編集者に「ここは面白いから生かそう」っていわれて生かされたから覚えているんだけど、どんなB級映画にもとりあえずストーリーはあるように云々という件がある。この文章もとりあえずのストーリーはあって、注が内容になっている。

ひ:音楽は富田勳からクラフトワークに行って、そこからP-model、ヒカシュー、プラスチックスに繋がって行く。

中:御三家ですね。

ひ:CGはこの御三家の所にバカCGが入る。

中:そうそう。

ひ:富田勳に並ぶCGはなんとなくわかるんですけど、、

中:この前言ってましたね、河口洋一郎とかですね。

ひ:それでクラフトワークにあたるCGはどういう人達ですか?

中:ああ、いない。クラフトワークとプラスチックスをそんなに分けないでしゃべってる感じですね、この回は。富田勳とは違うという事です。ただクラフトワークも真面目な所があるかというのはどこかに書いてありますが、その程度には僕も真面目な所があります。

ひ:バカCGの真面目さという事ですか?

中:うん、デジタル主義と掲げる時点で。

ひ:その後のクラフトワークからは、このテクノポップ御三家と、ネオテクノとは違う所をどんどん行く。ネオテクノっていうのがちょっとわからなかったんですけど。

中:今で言うテクノですね。

ひ:ハウスとかトランスとかですか?

中:その中から出てきた機械好きな人達。でもハウスは必ずしも機械好きとは限らないからね。そうか、ネオテクノわからなか。808stateとかその辺の、kenishiiとか。デトロイドテクノが出てきて、それがネオテクノと呼ばれたものの、ただのテクノと呼ばれた感じ。ハウスの中でアシッドテクノ的な感じで話題になったのがあの牛がジャケットのやつ。

ひ:KLF?

中:そう、でもKLFも二枚目以降は一枚目よりもずっとテクノ化している。みんなの了解を得ているかな?

ひ:KLFはチルアウトです、クラブで激しいビートで踊りまくった後とかに聞いたり。リズムはあるけど弱いイードで入っていたり、アコースティックな音が入っていたり、癒し系です(笑)

中:KLFのチルアウトが元でそういうジャンルが出来た。

ひ:そのKLFの元がピンクフロイドです。

中:そうそう。どちらも牛の写真なんだけど別の写真。KLFの方はピンクフロイドほ彷彿とさせる写真なんだけど牛がたくさん写っている。で裏をみても同じだと思うんだけど、多分時間差があって、牛の内の何頭かが、顔がブレている(笑)素晴らしい。

こ:ピンクフロイドが元にあって、、、

中:思い出させる感じ。あからさまなパロディっていう感じでもなくて。

ひ:始めはみんなピンクフロイドの方を聞いていたらしい。で、この注の9、中P316の左側の下の方の「『コンピューターテクノロジーにより、人類がかつて経験した事の無い、まったく新しいリアリティに到達できる』という信条でした。つまり既存の世界からの飛躍を求めて新しいリアリティを希求するという図式においては、それは60年代サイケ・ムーブメントの90年代における再来であり、すなわち、20〜30年代シュールレアリスムの、90年代における再々来であるというわけです」で、やっと循環史観が分かってきました。ぼこぼこひとつずつは図を見れば分かったんですけど、繋がり方がちょっとずつあって、ズレもある。

中:入ってきた(笑)そうそう、ズレもあるけれども繋がっているという図式です。

ひ:そうなると図にしたのが凄い。

中:近代美術史テキストでは書かれていなかったけど、「美術美術*****大学」の時に書かれているというのがここに書かれている。

は:音楽やっている人には音楽を通してわかるのかな。

中:そうだと思う。だから美術と音楽は絶対無関係ではないと思うという所から方法主義を思いついたんだけどそれが数学やってる人は数学で雄ねじ用な事を考えられるし、文学でも同じように考えられるんじゃないかなと思ってたんだけど文学は、、、日本の文学は固有性が強すぎてあんまりうまくその循環史観にのらないのかなと思ったりしましたけどね。

ひ:値段のつけられ方とかはわかりませんが、こういうテクノポップの流れとかは凄く分かりやすいです。

 注10の「ビデオドラッグ」が僕は見た事が無いんですけれど。

中:ビデオドラッグみんな知らないよね。半田さんも知らないかな。

は:一応存在は知ってます。

中:存在もしらないよねみんな。

ひ:藤乃家舞が山塚アイとやってたビデオがこういう感じかなと思ったんですけど。ダンスビートって感じではないんですが、ノイズと激しい映像がありました。

中:それは

ひ:使い方を別にすると内容が面白そうな気がしました。それを見てトリップするんですよね?

中:でも簡単だよ、なんか極彩色のマルが真ん中から広がって行くだけとかね。

は:そういうのICCで見た事あります。

中:たくさんありそうです。当時のビデオドラッグは中間的で、何が中間的かっていうと、まだパソコン上でプログラムを立ち上げてみれるほどパソコンは安定してなかった。だけどビデオドラッグ作るような人達はパソコンを使って制作していた。だからパソコンで制作したのをアナログのビデオに落として、そのアナログのビデオが商品になってるという感じで、そのまんまパソコンでみれるCD-ROMとかでは無かった。そういう時代です。

ひ:みんなこれは本気でやってるんですか?

中:トリップできるという意味で?本気の人達もいると思う。外国人とか本気だと思う。ただヒーリング要素がどんどん混ざってきて、自然がたくさん写ってくるとか。でも繋がってたりします。イルカが泳いでいたり。

か:イルカもそうですけどサボテンがブームになったとか、えーみたいな。

は:知らない?サボテンはブームだったよ。

中:人の心が分かる。

は:イルカとサボテンは流行ってた。魚のアクセサリーとかつけてたら「あっ、それイルカ?」とか聞かれたり。

中:なんでもイルカだったね。

は:なんでイルカじゃないの?とか普通に話してた。サボテンもカワイイとかいったり。

か:流行ですよね、マイナスイオンとか。

中:そうそう、マイナスイオンとかね。

は:普通の化粧品を入れると凄い化粧品になる瓶とかありました。それが何かのおまけでついてきて、思わず買っちゃった事があります。

か:先に凄いのを売れよと。どうでした?

は:あんまりかわらないんだけど(笑)その後に滝がマイナスイオンを発生させるっていうのがあって、みんなで滝に行きました。

中:イルカやサボテンもそういうノリです。

ひ:それはアートとしてやったんですか?

中:アートじゃない。でもニューエイジアートっていうのがあった。ニューエイジの人がアートをやるとそうなる。

ひ:境目というか、ニューエイジっぽいものとニューエイジアートの境目はありますか?

中:グラデーション。境目はありません。あと本人がどう思ってるかっていう話もあれば、どう見えるかって話もあります。それから今見ると違うとか、当時はこうとか。確定的ではないです。

は:そういえばyoutubeで富田勳を見ていたら、白馬が出てきました。

こ:ありました。

は:ニューエイジだよねあれは。

こ:CGで森の中で白馬が出てきたり。

は:あとジャングル大帝を歌っている。余談でした。

中:富田勳はもともとクラシックの作曲をやっていて、大河ドラマとかの曲も作ってるんじゃないかな、そういうぎじゅつを 持った人がこれからはシンセサイザーだとかいって何千万とかのシンセを輸入とか、そういうノリです。

ひ:あとバッハのテクノの問題です。

中:はいはい、ちなみにこの文章は平均律の律の字が間違っています。確率の率になってるね。大宝律令の律です正しくは。未だに一番素晴らしいタイトルの付け方だと思います。一番いいなぁと思います。曲も良いんだけど。それまで純正律しかないから、ハ長調のできる楽器だったらハ長調とハ短調しかできない。だけど平均律になって初めてどの調も対等にできるようになった。そのときに初めてこの楽器の為に曲集を作ろうっていって作って12調分あって、それぞれ長調と短調があるから合わせて24。だから曲集のなかの曲の数は24になるはずだと、24曲作った。素晴らしいですね。こういう事しかしたくない(笑)

ひ:でもそれに近い作品は中ザワさんの作品で多くありますよね。

中:僕はこれの2番煎じですから。目指しています、僕の方法時代の作品でもこういうのを目指しています。

ひ:でもバッハの曲はもうちょっと普通に聞ける音楽というか、ふつうに聴けますよね、気持ちよく。でもあの数字の羅列とか切手のやつとか、あれを気持ちよく見ると言うか、、なかなか難しいですよね。

中:そうか。

は:でも展示会場をみると結構おお、って感じです。

中:切手?切手は人気ですよ実は。人気。

は:あんなに大量に切手みることないし。初めみて、だんだん細かく見て行くんですけど、「この切手あったよね!」とか言ったりして。今無い切手もありますよね。

中:あるよ、でももう民間になってしまったからね、つまんない。やっぱり国家が法律で血税を使ってやったものの方が良い。クロネコメールとかで作品作りたくない(笑)バーコード集めましたみたいな(笑)意味がどんどんかわるよね。国家がやっていう記憶がが無くなって、クロネコメールと同じ程度にしか見えなくなると僕の作品の意味が変わってしまう。なので受け手を選ばないはずが最も受け手を選ぶみたいに、普遍のはずがもっとも普遍でなくなる。

ひ:そのあとは脳内リゾート集団です。

中:赤瀬川原平とかがやってました。

ひ:web上にはあまり情報が無かったです。

中:そうかネットがでる直前の事だからね。ここに載ってる交差視は出来ましたか?

ひ:このコピーでもできるんですか?

は:私はやりました。

中:ここでも出来る。

は:この手のはがきを買ってやってみたら私は一日かかったんですけど、友達に送ったら十分位で出来たとか。

中;この手のワークショップをやることになった。前に黒瀬さんが来てインタビューをやったじゃないですか、で終わった後で新宿美術学院でなんかやってくれと言われて、この手のものをやろうかなと。

ひ:みんなで見るんですか?

中:みんなでみて、その後自分で作らせる(笑)作るのは無理かもしれないけど、見るだけでも面白いかな。

か:見れない。。。

中:これは交差視だけど、平行法の方が楽だったりしますね。この絵は交差視用です。

は:立体視の本売ってますよね。

中:たくさん出てます。「ポケットに仏像」が良く売れたらしい。京都とかの仏像がステレオ写真で、ポケットに入るサイズで、それを見ると仏像が立体でみれるっていうやつ。作ってる本人はどうかわからないけど、ニューエイジ新興宗教ブームと時代が同じで、とても良いもの(笑)

は:仏像っていうかみうらじゅんといとうせいこうが見仏記ってやってて、学生の時にそれがすごい流行ってました。

中:そんな古くからやってるんだ。

は:学際で2人来てそれをやってました。

中:そうなんだ。

は:仏像を立体で見てどうなんだろう。

中:ありがたみがありますね。

ひ:バカビデオドラッグは今見る事は可能ですか?

中:可能です。持ってくればみれます。でもね、ちょっと難しいかな、今の機械だと早すぎて同期しない、音と映像が。まだ終わらないはずなのにあっと言う間におわっちゃったりとかする。昔の機械じゃないとだめとかありますね。不可視関数試論のあの機械だったら大丈夫。こまりますよねハード、、、どんどん壊れて行きますしね。

ひ:それはデータのみという事にはならないんですか?

中:データのみなんだけどその中に速度情報とか入ってるからそれを書き換えなきゃ行けない。その速度状況を当時のハードで作ってるから別の機械にいれると予測できない状態のものもたくさん入ってる。だから当時のハードを作った方が早い。パソコンのモニターも640×480ピクセルのサイズが普通で、ごく特殊なプロだけがもっと大きいのを使ってた。だから640×480の為に作れば良かった。ところが今だとそれは画面のちょこっとしたところに表示されちゃう。それだけでは意味が違うよね。キッズボックスも画面いっぱいでやってるはずが小さくなった画面でやってる。おかしいです。例えばそういう事はデータのみにはならないですね。だから640×480用のモニターでやっぱり見て欲しい。そうするとデータのみでデータをバージョンアップしていくよりも当時のハードと一緒に保存したほうが楽だし性格だったりする。だけどハードは壊れて行く。

ひ:どんどん価値が上がって行きますよね。

中:そうだよね(笑)おかしいよね。どんどんオリジナルになっていく。

か:骨董的価値が出てくる。

ひ:バカビデオドラッグは売れましたか?

中:うん、結構話題になりました。ただこれはコンセプト勝ちっていう所があって、具体的にはバカビデオドラッグという言葉だけで「是非見たいんだけど」とか、もう笑いながら人が近づいてくる。そんな感じ。逆に言うとそこまでビデオドラッグが浸透してた。これでトリップできるんだとなんとなく思いながら。はっきりと、こんなんでトリップできないよとも思えずに。そういう所にバカビデオドラッグ。それで「ああ、そうだよね〜バカトリップだよね〜!」っていうかんじです。それは再現できませんね、当時の状況を再現しないといけない。

ひ:もう完全に受け入れられた状態で。

中:そうですねバカビデオドラッグは受け入れられましたね。ここに書いてあったっけ、それでアスクと仕事をする事になった。注11の後半ですね、「そんな矢先に中ザワのフロッピー『バカビデオドラッグ』をデジタローグで見つけたアスク講談社は、、、」後のアスクですね、ここの本田あきこさん、ビデオドラッグを全部手がけたプロデューサーです。そのプロデューサー自ら自分のパロディを見つけて喜んでいる、そんな事態になっている。

は:私ビデオドラッグって知らなくてICCにある映像を適当に見ようと思って、暇な時見てたんですけど、ぐるぐるとか、退屈だなあ、眠くなるよこれとか思って見て、終わったら終わったって受付に言いに行くんですけど、そしたら受付の人も突っ伏して寝てましたよ。その時私一人しかいなくて、昔、まだ縮小する前にいろんな貴重なライブラリがあって、これは見なければと思って時間がある時に見に行ってたんですよ。でも本当に人がいなくて。

中:そうだね、いなかった印象あるある。

か:そんなにつまらなかったんですか?

は:そんなのばかりあって、リストを見せられて、適当に選んで指定して。ぜんぜんわからないから、じゃあこれとか言うと向こうが流してくれるんですよ。そしたらピカピカしてるだけとか。。。

中:楽しそうだなぁ。

は:今もあるんですかね、図書館。

中:いやぁしらない、でもあるべきだよね。

は:そうですね、あのスペースは重要ですよね。

中:でも利用者が少ないからね、いろんな問題を抱えていますよね。

ひ:この文章で一番面白かったのは注の9で、図の説明がすごく分かりやすかったです。

中:循環史観ですね。

 どうしましょう、次言ってしまいますか、それではお願いします。

こ:はい、10章のイラストレーションとバカCGで、この回は中ザワさんの作品に限り、イラストレーションという切り口から眺めて行くという文章です。

中:これもね、こんなこと書いてる人いないと思うから(笑)、貴重な連載だと思います。

こ:さっきも言ったんですけどウゴウゴルーガとかが出て、そのCGに対する状況が変わってきたんですね。

中:その前はCGが出てくると尊敬してしまいそうになるっていう状態だったんだけど、ウゴウゴルーガでようやくそういう状況がなくなったと。シンセサイザーもそうだった。シンセサイザーっていうだけでなんか凄いんだみたいな。レコード屋さんでシンセサイザー音楽っていうコーナーがあったり、そこに富田勳とかあったりしたんだけど、そういう事がまるで無くなった。

こ:ウゴウゴルーガを僕はモロに見ていたんで、その時にこうなっていたんだと思いました。

中:実際にはウゴウゴルーガのちょっと前に、そのスタッフがウルトラっていうんだけど、ウルトラと、蒲郡に僕の作品の奥にあった「映像装置としてのピアノ」の人がウゴウゴルーガをやってるのよ。ウルトラはあの人の会社ではないんだけど、深夜番組で「アインシュタイン」っていう素晴らしい番組だったんだけど、最新の科学の地検とかをウゴウゴルーガチックなCGを交えてアナウンサーとともに紹介するっていう、アナウンサーとCGがはめ込みで一つの画面になるっていうのはその後、NHKとかいろいろ真似していくんだけど、一番大元が「アインシュタイン」、でそのスタッフが次は子供向け早朝だ、っていうことでやったのがウゴウゴルーガ。でついにアインシュタインだとやっぱりお勉強ものだし深夜番組だから一部の人しか見れなかったんだけど、ウゴウゴルーガはみんな見る事になってしまった。それで初めてこういう状況になった。CGのありがたみが無くなった。ガールゴーゴーの逆さまですね。

こ:その後にはCG、イラストの値段について。

中:要するに仕事としてのイラストレーションを実際にパソコンでやった実体験談が載っています。

こ:この時は中ザワさんはイラストレーターですよね。

中:そうです。

か:「CGだと機材使用量とか技術料がかかるんですか?」「いいえ、私の場合はまったくそういう事はありません」って書いてあるんですけど、取ってる人っていたんですか?

中:いたいた。それは第1回のその後のバカCGに載ってるような人達ですね。雑誌の記事で今の所利益を享受してますとか発言しちゃったりしてる。この雑誌のなかで。それは機材使用量とか取ってたって事ですからね。

こ:当時のCGの出力形態なんですけど、気になった所があって、注3のいらすとれ0ションの所の、「昔の宮廷画家もイラストレーター?」とあるんですがどういう事でしょうか?

中:(注01)の<3>ですね。

は:もうこれは、、入れ子状(笑)

中:「(イラストレーションの側から)依頼により制作される図像。お金のために提供する職能。(しかし、だとしてら、昔の宮廷画家もイラストレーター?)」ですね。そうなんですよ、近代になってようやく画家が自分の表現の為に絵を描くようになった。その時に生まれたものがファインアート。それまではその意味では無かったんですよ。で、ファインアートを生んだ二つの要因があって、一つが民主主義になった事。もう一つが写真が出てきて単に肖像を記録しておくとか、記録の役割から解放された。そこで美術の為の美術、絵画の為の絵画、単純に干渉する為の絵画が出てきたわけです。

こ:昔のアーティストは今で言うアーティストというよりも、イラストレーター?

中:今で言うイラストレーターです。

こ:アーティストとイラストレーターが一緒だったという事ですか?

中:アーティストという概念じゃなかった。実際にはレオナルド・ダ・ヴィンチからあるんだけどね、アーティストという概念はね。で王侯君主と対等な立場を主張するアーティストっていうのは。だからダヴィンチとかを考えだすとちょっと話がずれると思って、宮廷画家っていう言い方で逃げてるんだと思います。宮廷に使える画家。

か:ベラスケスとかですか?

中:ベラスケスだと、有名な絵があるじゃない、あの絵も描き上がって完成しているんだけど、自分の位が上がって勲章とかもらうと、その完成してる絵に勲章を書き足したりしている。だから絵が主体というよりも、この王様に仕える私はこの身分で仕えていますという感じになってる。

は:「CGイラストの値段の事」を読んでこれを見ると、これ(5)は真面目にやっているんだと思いました。これだけみるとちょっと引きます(笑)

中:ここで出ているこの「シージー」という絵はCGです。

は:ポーズだけではなくて実際に先行する者の利益を得る事も無く(6)。凄いですね。

中:そうそう、立派ですよね。当時のイラストレーション編集者に「中ザワさんのイラストに関する考え方は私は同感です」とか励ましていただいたりね。来週来るかもしれないですけど。そうだ、来週田村さんも来るかもしれないって言ってた。卒業したらしいですよ学校を。

こ:バカCG専用プリンター「キャノンFP510PA」。これは専用なんですよね。

中:僕はこれを凄く良いと思ってたんだけど、結局これで出したモノは全部滲んじゃってだめなんですよね。経年で。耐候性がまったくないですね、なので。あとこのプリンタ自体ないし、インクも無いからね、どうしてくれるんだって感じです。

は:前にプリンタの話で「バカCGの肝心なギザギザが出ない」とかそういう話してませんでした?

中:してた。それはね、ドローのデータを入れた時に、前してた話は、ワープロから出てくるやつだったんだけど、たとえば”あ”っていう字があったとしてその曲線はギザギザになる訳じゃないですか、そのギザギザの感覚を少しでも減らそうとして、45度が混ざってるっていうプリンターがあった。良くそれで出力した字とか駅とかにあったよ。”一方通行”とかそういうのね。

は:今気付いたらこれぱらぱら漫画になってるんですね(7)。

こ:@@@@発色のインクですが、、、

中:最近またありますね。

こ:今と比べるとどうなんですか?奇麗ですか。

中:奇麗です。多分蛍光が入ってる(笑)

か:へえ、凄い。

中:そうとう発色が良くて、モノとして奇麗だと思う。こんなに強いシアン100パーセントが出るのかって。だから今のエプソンのプリンタとか全然満足しないです。今のプリンタは写真向けになってるから。そこもあります。写真だときたない、このプリンタは。写真は中間調とかグラデーションとかそういうのが奇麗にでないと意味が無い。今のプリンタは写真向けになってるから、写真を出すときは奇麗になってるけど、僕の バカCGイラストを出す時にはあまり向いてない。このプリンタはそれに向いてる。

こ;これがあってこそのバカCGだった、、

中:一時期ね。一生懸命パソコン通信の速さの計算とかもやりました。インターネットの前ですね。

こ:WYSIWYGというのは?

中:ウィズウィッグって読みます。今は全然聞かないですけど、誰も言ってないですね。昔美術作品とかにもあったよWYSIWYGって大きく描いた作品とか。書いてあるよね「What you see is what you get」の略です。

か:このプリンタ、FP510での出力見てみたいです。「モニタで見るより奇麗」ってどんだけ?って思います。

中:あるある。でも退色して駄目ねんだよね、でも一部ありますけど、大分ギャラリーセラーに捨てさせられたよ。

は:少し前にヒロ杉山が、顔料プリントの展覧会をやってて、「おおこれは」って感じで、筆跡なくてあれだけの発色で、多分イラストレーターで描いた有名人の肖像画なんですけど。こんなに凄いんだっていうプリントでした。

中:猪木とか。レーベルやってますね。でも顔料より染料の方が奇麗です、大判プリントも僕が97年に保守反動したときに研究したんだけどやっぱり染料の方が奇麗なんだよね。大判プリントは顔料はきたないんだよね、でも染料プリントだと0.2mmの線とかもはっきり出ます。

か:保存だったら顔料の方がいいいんですか?

中:うん、顔料じゃなきゃだめ。

は:しきりに宣伝してますよね、顔料プリントだから作品をこれでって。

中:顔料のなかでも強いのとかあります。顔料も染料も水なんだけど、油性プリントが実は一番優れています。灰色絵画はそれでやってます。用材。車の塗装みたいな強さです。

は:それは強いわ(笑)

こ:<プリントCG原稿の実際>の所で、イラストレーターが原画をつくってデザイナーがレイアウトをするってあって、グラフィックデザイナーというとどうなるんですかね。

中:グラフィックデザイナーもデザイナーも一部です。デザイナーは自分を主張しないっていうのが普通なんだよね、単行本とか文字が主体で所々に図版がはいってるものとか、デザイナーががんばってるみたいな、アーティスト的感性を発揮してたりしたら困る訳なのね、本文の内容を伝えたいから。それが普通のデザイナーなんだけど、そうではなくてデザイナーのアーティスト感性を訴えたいようなデザインも一部ある訳ですね、それをやるデザイナーが自称グラフィックデザイナー。人目を引くポスターをつくったりね、かっこ良くないポスターとかは違うかもしれないですけど格好よいものを作っているのはグラフィックデザイナーですね。

こ:<プリントCG原稿の扱いについて>の最後の方に「データ入校が当たり前になった暁には、、、」とあるのですが、、、

中:まだなってなかったんですね。そういう時代でした。

か:データでしか入校した事無いですよ自分は。

ーーー

中:そんな所ですかね。

こ:過渡期という感じですね。

中:そうですね、当時の生々しい感じが、忘れてたけどそうだったそうだったと僕も読みながら思いました。こういう事って僕しか記録してないんだろうなぁ、僕もこの連載に書き漏らした事あると思うから、それはもう無い事になってます。逆に言うとこういう事書いておかないとまずいんじゃないかと思った事を書く連載に変わった。最初は近代美術史テキストの続きをかいてたんだけどそうじゃなくて、今書いておかないでどうするんだって。そうすると本文の級数とかは決められているけど、注はいくら小さくしても大丈夫ですと言われていたから、言いたい事は注に書こうと思ってやりました。

か:これをイラストレーションでやる事が凄いですね、ガロだったらガロか、って感じですけど。

中:この連載がきっかけで都築潤さんに会うことになった。

は:この連載がきっかけなんですね。

中:そう、都築さんはこれ買ってたけど読んでなかった。みんな読んでないのよこの連載は。読んでないんだけど都築さんが2000年の個展でパソコンを使ってみていろんな疑問とか出てきてイラストレーション編集部の人に言った時に編集部の人が「都築さんが言ってたような話どこかで聞いた事がある、たしか中ザワヒデキが連載してた」「ええー」といって都築さんがこの連載を取り寄せて読んだら「いっぱい知りたい事が書いてあるー!」という事で。そういうことがありました。

 いいですか、今日はこんな感じでいいですかね。

 どこまで割り振りましたっけ、この調子で行くと第七回が平間さん、第8回が小池さん、第9回やって第10回が皆藤さんみたいなペースですかね。では今日はお開きです。来週は半公開対談で、再来週27日が第13回。その時は皆藤さん無理で、第14回が9月3日の水曜日。でここで終わる可能性がちょっとある。でも僕が北京に行くのがこの調子だとちょっと遅れるのでそうすると10日もできる事になります。では久々に皆藤さんの手料理を。。。





*1:近代美術史テキストのフォンタナを紹介するページでは「空間概念」が載っているのだが、そのページが本当にカットされている。中ザワはそれがやりたくて近代美術史テキストを書いたと後述している。

*2:正式名称は「中ザワヒデキ一日一品」。一日に一品ずつ中ザワの過去の作品を紹介したブログサイト。現在は閉鎖してバックアップが中ザワのhomepageから閲覧できる。→http://aloalo.co.jp/nakazawa/ippin/index.html「名画の続き」→http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/ippin/archives/cat_50223080.html

*3:半田さんは子供がたくさんいる所で働いているのだ。

*4:蒲郡合宿の時はみんなで車に乗って行く事になったのだが、平間は酷い車酔いをするので車に乗るか新幹線で行くか迷っていた。しかし中ザワの「トマトジュース飲めば大丈夫だよ」に半ば疑問を持ちながらも後押しされ、当日はトマトジュースを飲みながらみんなと一緒に車に乗った。見事に車酔いは避けられたのだが、(4)直後の中ザワの「トマトジュースは効いてたよ(笑)」を聞いた平間には、もうトマトジュースは効かないかもしれない。

*5:これ というのは「純粋培養されたバカCGとそれを手にする中ザワヒデキ」という図版で、その中で中ザワは骨董的価値を完全に取り去るためには、プリントアウトされたものに作者は指紋や唾もつけてはならないという趣旨で、手袋、マスク、何故かミニーちゃんの帽子と白衣(看護婦用)を着てパソコンとプリンタの前でプリントアウトされた作品を扱っている。

*6:p#319<CGイラストの値段のこと>「私、何もパソコンの事わかってないのですが、コンピュータ・グラフィックスだと、機材使用料とか技術料みたいなものが、特別にかかったりするものなのでしょうか?」「いいえ、私の場合はまったくそういう事はありません。料金は通常のイラストレーターと、まったく同じ相場でお願いします」ここ数年はさすがにそういう事は無くなりましたが、CGのイラストを描くようになって最初の数年間には、初めて電話をかけてくるクライアントや雑誌編集者と、以上の様なやりとりを幾度となくした記憶があります。CGイラストの受注に際して「他のイラストとまったく同じにしてくれ」と言ったのはおそらく日本では私が初めてであり、またその役割を担ったイラストレーターは私くらいしかいなかったのではないでしょうか。

*7:320、321右下

20100413  文責:平間貴大

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