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 中ザワヒデ
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【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

第二期四回 

二〇〇八年六月十八日

文献
「中ザワヒデキ以後1 傲慢論」『ガロ』1994年3月号 p.258-259, pp.243-244
「中ザワヒデキ以後2 自虐論」『ガロ』1994年4月号 p.244-245, pp.245-246
「今どきのストリートアート入門のような」『ガロ』1995年5月号 p.24-25, pp.247-248

中ザワヒデキ以後1 傲慢論
|傲慢はセカイセイフクです。傲慢は近代(主義)です。そして、小林よしのりです。ゴーマンバンザイ!さて美術に応用するとして、「アルテ・リッコ(金満芸術)」なるコンセプトはどうでしょう?ヒロ・ヤマガタ+ジェフ・クーンズで、目指せ、六百万部!

中ザワヒデキ以後2 自虐論
|自虐によって完成する表現、自虐によって初めて説得力を持つ表現というものがあります。今回はそういった「自虐」を考察してみましょう。また、ここでは同時に「自己言及」についても考えてみます。なぜなら有名な「自虐」のイコン……巨大な蛇が自分のしっぽを飲み込む図……は、同時に「自己言及」のイコンもあるのですから。

今どきのストリートアート入門のような
|パルコ木下「ハチ公写生会」
|池宮中夫
|小沢剛「ジゾイング」
|SVC「大阪ミキサー計画」
|村上隆「クラインジャンプ」
|小沢剛「なすび画廊」
|SMTV+木村稔」

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中「せっかくだからサイトに載せようよ。録音をしててそれが物理的に溜まっていくのが良いって感覚がテープお越しにも味わえるんじゃないの、文字がどんどんと」

ひ「無い方が良いなぁ、、、デジタルのレコーダーも欲しいし。フリーソフトでwindowsならあるらしいですよ音声を文字にするやつ」

中「あるんだ、音声から文章にできるやつ、それに通してエラーもそのままでも良いよね」

ひ「車の音とかも文字になるのかも」

か「ワワホへとか」

中「発言が誰だか分かんないのかな」

ひ「高級なやつは分かるらしいです、最初に登録しておくと」

中「分かるんだ、凄い」

か「波長を読み込んで。凄い」

中「ずいぶん技術が進みましたねぇ」

ひ「人力でやってます」

中「だいたいカセットテープだからねぇ」

ひ「MDで録音したものがどんどん消えていった事があって」

中「うん、返って信用しないのか」

ひ「結構消えたやつがあります」

中「しかもあれ一瞬で消えるでしょ」

ひ「もうなんにもできなくなっちゃいますよね」

中「テープは壊れた所を切り取ってセロテープでつければなんとかなるもんね、物になってるから。MDが一瞬で消えてしまうっていうのが先週話していたヒューララ感覚に繋がるんだけどヒューララ感覚って聞いた事あった?」

こ「無いですね」

中「じゃ先週その話が中心の時はちょっと分からなかったか、説明すると相原コージと竹熊健太郎の2人組の漫画が二つあって一つはコージ苑って漫画で上中下3巻出てて、もう一つがサルでも描けるまんが教室、そっちの方が有名だと思うんだけど、四コマ漫画で言葉の解説をどんどんしていくだけなんだけど、落ちが単に”寒いぜ”とかそういうのを使う事があって、状況が寒い時にひらがなで”ひゅーうう”と書いてあって、それを藤幡正樹がこの”う”がカタカナの”ラ”に見えてヒュララーというのは何だ、でもこの感覚分かるなぁっていう感じで、これを抱くのはパソコンが出たばかりの時代で、マックとかのGUI、グラフィックユーザーインターフェイスなじゃい、黒い画面で文字列で出てくる様な時、なんだっけdosの画面、、でついうっかり”これ全部削除しますか?”みたいなのをパパパっと押しちゃって全部削除じゃん!みたいな、それでガタガタガタっと5秒位音がして”全部削除されました”ってこの2年間の作業が全部無くなった。。。ヒューララ(笑)と思ったらしくて、特にデジタルになってからこのカセットテープだったらまだ分解して繋げれば一応残るけど、彼の経験したMDとかはさ、なんか何もしてないのに、とかなんか間違った動作を2回続けた程度で全部無くなる、しかも無くなった感じが物質的に現れない、テープだったらグジャグジャになった物が残るけどけどそれが無い。そのデジタル特有の感覚をヒューララと呼ぶみたいな、藤幡正樹とそこに出入りしていた伊藤ガビンが言い初めてそれに思想の科学っていう雑誌が注目してヒューララ感覚っていう特集をやって、それが93年とかかな。でそれはデジタルの時の話だけであんまり他に広がらなかったんだけど、だから僕も忘れてたしそんなに重要じゃない言葉に落ちて結局みなさん知らない訳じゃないですか、その程度の忘れ去られた言葉になってたんだけど先週の黒瀬さん達は当時を認識する重要な言葉だと思ったらしくて聞いてきたらしい。で拡大解釈してゆるい感じのだめだ失敗した感覚、具体的には昭和40年会とかに通ずる感覚、ヒヒュララー感覚が元で昭和40年会に通ずる感覚が90年代後半に出てきたんじゃないかみたいな仮説を立ててたんだけど僕はそれは違う。40年会の人たちは当時パソコン全然使える人いなかったし、むしろ分離してたと思うと言ったんだけどそれがヒューララ感覚でした、テープの話で思い出した。じゃなんか補習しましょうか。なんか今までの文献でなんかここ聞きたいとかあったら皆藤さんが答えてくれます。

か「はい」

こ「高松次郎の数の宇宙でちょっとした質問なんですけど、紐のやつで2本繋がっていると書いてあるんですけど初め見た時1本だと思ったんですけどどこがどう繋がっているのかなと」

中「これはね、2本繋げて置いてあるだけなんだけど多分そうやって置かれた事が一回あったのかな、元々は別の作品として作られた物をなんか2本繋げて置く様にした事があって、美術館で同じ様な置き方をしたんだと思うんだけど、どこでしょう」

こ「読売アンデパンダン展とか。。」

中「この辺とかこの辺かな、この写真では分からない(笑)僕としては別にこの写真を

選ぶ必要がなかったんだけど、元の府中市美術館のカタログにはこれしか無かった。2本繋がってあるやつしか」

こ「あと次のページの119の”題名”という作品で”すなわち物質的には塗料が床にあふれ出してはいるものの、『題名』という題名が事象としての単数性を保証します”とあってちょっと解らなかったんですけど自分が思ったのは題名があるから作品の単数性を保証できるということですか?」

中「そうそう、『題名』という題名だから少し分かりにくいけどこれが例えば『泉』という題名だとしましょうか」

こ「はい」

中「だとしたら『泉』という作品なんだけれどもそれがどこまでだかよく解らない、で『泉』が一個あるか二個あるか三個あるかこの中に泉みたいに見えるものがあるいはそこからあふれている水がどこまで染み込んでるのか解らなかったりそのシミがいくつかあったりした場合に、これ全体で『泉』っていうタイトルなんだ、って決まってたら、あるいは作者から宣言されていたら、見かけによらず、見かけはともかくとして作品としては一個だと言おうとしているって言う様な話を言おうとしているんじゃないかと。そういう事で良いんでしょうかね皆藤さん(笑」

か「そういう事ですよね」

中「ここで言いたかったのはペンキ缶の中に物質が収まっていて、何となくそれで一個名前がついていたら一個だって言えそうだけど溢れていると溢れた部分が例えば0.3だったりすると1.3位だったりするんじゃないかとか」

こ「そこも含めて一個」

中「うん、物質的には一じゃないかどうかよく解らなくなるのだがタイトルが一個なので一個なんだろう見たいな」

か「でこの後複合体の話に行って」

中「複合体の話になる訳ですね。右ページと左ページがごちゃごちゃになってる。。。」

こ「複数と多数の違いっていうのは複数は2個以上で多数は一杯ってことでいいんんですかね」

中「どうでしょう皆藤さん」

か「そうです(笑)」

こ「違いがあんまり良く解らないような。。」

か「多数っていうのは数えられないようなもの、複数が2個とか3個とかそういうのでしたよね?」

中「えとね、それは音楽の作曲を知っていると解りやすいんだけど、これにも出てくるけどポリフォニーっていう作曲形態があるんだけど2声のインベンションとか3声のインベンションとかピアノで弾いたりする人もいるようなものがあるんだけど1声2声は声って書くんだけど、声部、第1声部第2声部第3声部第4声部と8位まで多いとある事がある、でも多くても8なのね、8つのパートがあって第1声部だけ聞くと一つのメロディー、第2声部でも一つのメロディー、第3も一つ。全部のメロディーが独立している、独立して対等なものが2声なら二つ、3声なら3つ同時にある。そのポリフォニーのやり方でせいぜい人間の耳に聞き分けられるのは4声か5声位だろうと、バッハ位天才なら6声位とか8声まで聞こえるのかもしれないみたいな、でもせいぜいそこまでだろうと、そこまでのポリフォニーしか作曲されたことがない。むしろ僕はそこに複数という言葉を当てはめていてそれ以上に和声法というのがあってそれはギター弾く人だったら解るけどCとかBmとかコード進行ってあってあれはいっぺんにいろんな音がその時になっていてそれが進行して出来ていてその上に乗るメロディーがあったりする、まぁコード進行で音楽が出来るって事。でメロディーが無くなってしまったり数えられないくらい無数になてしまったり、しかし同時に鳴り響いてる音がたくさんあるとか、そのイメージです。なので普通はポリフォニー3声か4声位ですね、まあ複数と言う事で2か3か4かその手度をイメージしています。人間の目にも同時に2つか3つか4つくらいのものは分かるし、ここでの例はシャム双生児、2つ個体がひっついて、1個の個体の中に。3つとか4つ位ならまだわかる。4つ位なら、ああ大変な事になっているけど4つが一緒になってるとか分かるけどこれが例えば1万とかではもう分からない訳。あるいは細胞レベルで考えれば細胞が何十億個あるとかであって細胞一つ一つが生命を持って、とかわかるんだけどそれは細胞とシャム双生児のレベルは全然違うと思う。細胞レベルの話がしたい時には多数という言葉を使って、みたいな所でイメージしています」

か「そういえば僕も前やった時に複数と多数をなんで分けるんだろうってたしか質問した記憶があります」

中「その時は僕どう答えてた?」

か「同じ様に音楽の話をしてました。そういえばそういう説明もあったと思い出しました」

中「音楽のそういう話はイメージしずらいかな」

か「感覚的には数えられる物と多数、一万、一千万とか分けられるんですけど、細かい理論的などうして、厳密に分けるのかちょっとなんか解りにくいっていうか、その辺の理論が。。」

中「そっかそっか、それはじゃあ具体的に7はどっちかというと解らなくなるんだよ(笑)7はまだ少ないと思うとか言うとじゃあそれは感覚なのかと言う、結局感覚で区別しているのかと、そういう話になるよね」

か「あと状態とかですかね、7はどういう状態でどう昨日しているのかと」

中「動物に対する細胞の話だと多分無数、ポリフォニーではなくて複数ではなくて多数なんだろうと解るだろうけれども、高等動物で考えてる場合はそうだけど、それがまたミジンコ位小さくなるとどうなのかみたいな話になってきてまた難しくなってくる。でもミジンコはまだ動物と近いんだよ、もっとアオミドロ位になってくるとどうなのか、あれは植物なのかとか、難しいかな、ちなみに、別の話だけど、高松次郎自身はこの概念持ってなかったです。単数複数じゃなくて、1、2、3って考えてた。3以上はたくさんと同じだった」


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ひ「それで傲慢は近代(主義)で小林よしのりでそれを美術に応用するとして、アルテ・リッコなるコンセプトを立てて目指せ600万部、、この『ダーウィン以来』の著者のスティーブン・ジェイ・グールドの来日講演に行ったんですか?」

中「行ったんですね、京都でやってたの行った記憶がある。何故行ったのかよく覚えてないけど、なんか行く事になってて行ったんだよね」

か「これは英語で聞いてました?それとも訳されたのを日本語で聞いてました?」

中「同時通訳だったと思う」

か「じゃそれは日本語で」

中「そうだと思います」

か「なんかぱっと見『進化と進歩』とか訳で、英語だとわかりやすく理解できそうだなとこれ見て思って、」

中「日本語だと進化の進の字同じだもんね、だけど進化と進歩は全然違って、進化は結果であって目的を常に持ってない」

か「進歩は上に上って行くっていうか」

中「そうそう、進歩思想とか。で、価値判断を含んでいる、進歩は。より良い価値の方にどんどん進んで行く、ステップアップの”アップ”というのはダウンに対する価値判断が入った言葉であって、それで進歩なんだよ、進化は価値判断が無い、それから猿から人間になったから猿がいなくなる訳じゃなくて、猿もまだいる、猿の一部が人間に変わっただけであって、みたいな事だったと思います。僕もあんま覚えてないけど。この文章読んでてなんか練れてなくて恥ずかしい思いです、思いだけどなんかいろいろ考えていた事がいろいろわかるなとも思う(笑」

ひ「で中ザワヒデキ以後というフレーズを思い浮かんでしまって、新連載を始めたって事なんですけど、ガロに連載を始めたのは、、」

中「のは、もっと前から。で92年からかな、92年7月号くらいに最初何でも良いから連載しれくれみたいな感じで、『バカCG』というのを編集者の谷田部さんっていう人が面白がってくれて、で連載する事になった、もっと前かもしれない、ちょっと覚えてない。で、それは確かむしろ逆にこっちからガロの表紙を、『パロディ・贋作展』っていうのを僕がやった事あるんだけど、92年の頭、えと4月に。その時に表紙をパロディ化するのに使わせてくれと確か言った時に、向こうからいや連絡しようと思ってたみたいな感じで、連載してくれみたいな感じで、最初『CG桃太郎』っていう漫画を描いた。で他の人達漫画なのにそんなの入っていいのか、までも面白ければ良いやって感じでCG桃太郎ではガロに出てくる根本敬とかそういう人達のキャラクターを使って桃太郎の内容にした。その次は『CG赤ずきん』で、CG何とか、っていう連載を一年位やって、最初の内面白かったんだけどすぐパロディは飽きて、自分で嫌になって、で別の連載に変わって、で『赤裸裸なタワシ』っていう連載をしてその中で、それが多分『中村と村上』とか、『スモールヴィレッジセンター』とかの当時一番早く紹介するメディアになってたんですよ。で僕はどんどん毎月描いてったからなんか僕も今なんかに記録していかなきゃみたいな、でガロに連載持ってたから好き勝手やらせてもらおうみたいにやってて、『赤裸裸なタワシ』っていう連載を一年くらいやって、その後今度スモールヴィレッジセンターとか中村と村上とかそういう現代美術と距離を置こうと思った時期があって、その時に僕の会社アロアロインターナショナルっていうんだけど、アロアロアワーという内容の連載に変えたんだけど、それは自分であんまり面白くなくて、それは半年くらいで終わって、でその次はこれですね。で中ザワヒデキ以後の連載を一年かもうちょとやって、でそれでガロでの連載は終えている。形でございます」

ひ「この文章は本文よりも注の文章の方がちょっと長い様な。。」

一同(笑)

中「それはね、この後で読むイラストレーションっていう雑誌では、その事態が顕著に起こっていて、さらに注の注が付いてる(笑)注の入れ子構造でハイパーテキスト化している現象が起きている(笑)注から元の注に戻る別の注があったり」

ひ「意図的に注をどんどん、、」

中「えとね、これは僕は読んだ事がないんだけど、何となくクリスタルだったかな、」

は「そうですね、そうだと思います」

中「田中康夫、知事、、の何となくクリスタルという本が、やたら注がある」

は「そうですね、そっちの方が注目されているというか」

中「注目されたスタイルがあったらしくて、へぇそうなのかと、自分もやってみようという事だったんじゃないかと、そんな気もしますね。その前から注は良く使う人だったかもしれない。近代美術テキストでももう注は良く出てきてるけど、でとりあえず思いついた事をどんどん書こうと思った時に、注形式は便利、要するに本文の内容を追って行くと描けない事がどんどん出てくる。なんだけど書きたい、今書いておかなければ忘れそうな時に注で書き留めておくのには便利。実効性があります」

は「今までみた中で一番注多いんじゃないですか」

中「いや、この後イラストレーションが出てきて、イラストレーションは4ページの連載で後半の2ページ見開き全部注、で本文の級数は決められてるのよ、でも注はもういくらでも小さくて良いってなってて、たくさん文字数入れられるやり方でもある。でも多分この『中ザワヒデキ以後』は注を第3回からやめてるんだよね、で注を入れだすと大変だから注をやらずに行こうみたいに決めたのが中ザワヒデキ以後の第4回だと思いますね」

か「3回はまだ注ありますね、文の中に」

中「本当だ、第4回から無い。。あ、補足があるわ(笑)第6回は蛇足っていうのがある(笑)まあ追ってみて行きましょう、覚えてないです」

ひ「でゴーマンの例でシェンベルグの私はこの発見によって今後100年間のドイツ音楽の優位が保証されるだろう、の注の、”これが音楽理論だから良いものの、核兵器の技術だったりしたら本当に物騒ですよね”っていうのを『方法』の、方法カクテルを見た時に、これもお酒だからいいけど、なんか違うものだったら恐いと思って、例えば核兵器の技術だったら本当に恐いですよね」

中「で方法主義参戦宣言は読みました?」

ひ「戦争にも参戦する、、」

中「うん、参戦宣言では、カクテルとか絵の具とかそういうのは全部兵器であるって言って、全部方法は物騒な話だったっていう自覚の元にやられてるけど、この中ザワヒデキ以後を書いた94年の段階ではまだそこまで自覚してない事が今わかりましたね、音楽理論だから良いけど核兵器の理論だったら物騒ですよねっていって核兵器の理論と音楽理論を分けて考えている訳だけど、この94年の僕は。だけど2000年以降、方法主義以降、音楽理論イコール核兵器の技術であるという自覚の元に物騒な芸術として行っているのが方法芸術です」

は「戦時中政治家はこういう文章書いてますよね、核兵器の開発が一番始めに出来た所がそれ以後の主導権を握るっていう、、」

中「そうそうそう、それで躍起になって誰だっけ、不確定性原理の発見」

か「ハイデルベルク、、」

中「ハイデルベルクとかドイツの科学者を囲う話とか、ハイデルベルクがやってる演劇をこの前見た。そういう話ですよね、だからシミュレーションは真実なのよ、ええと音楽理論だったらいいけど本当だったら物騒だみたいなのはゲームだったら良いけど本当の戦争だったら恐いねとか言う話あるけど、ゲームの技術っていうのは例えば人間の歌の技術は実際に戦争に使える技術な訳でですね」

か「PS3のなかにはいっているチップはミサイルを誘導するのに転用できるとか一時期話題になりましたよね」

中「そうなんだ」

か「PS3発売された時に結構そういう話で盛り上がった気がする」

中「僕はそれは覚えてないっていうか知らないんだけど、多分同時に反対方向の話って無かったですか?艦隊方向っていうのはイラク戦争の事あんまり知らないんだけど湾岸戦争の時に話題になったのが実際の戦争がテレビゲームの画面でやってる、あの、テレビゲームみたいなものだったって言う、だから戦闘機に乗った兵士がテレビゲームと同じ様なものを制御して爆弾を落として帰ったっていう、だから実際に同じ様な事が」

か「もうなってる訳ですね」

中「だからシミュレーションと現実が区別できないっていうかむしろシミュレーションの方がリアルであるっていうのがそれこそハイパーリアル、シミュレーションこそが現実だという話ではあるんですけどね、だから3番の注の最後の所は、当時の僕はまだ自覚していない証拠ですね。後に自覚するようになる。音楽理論である事で既に物騒なんだって事」

ひ「ちょっと戻って、傲慢も自虐も私は大好きなんですっていうのは前々回のルソーを見るピカソやアポリネールの態度と同じ様な」

中「うんなるほど、凄い繋いでくれてる(笑)時系列的に逆だからなぁ僕としては。ええと傲慢も自虐も大好きなので、、ルソーを見るピカソやアポリネールは傲慢だよね、で大好きだよね」

は「時間軸が逆だからなおさらそれが大切なんじゃないですか」

中「そうですね、ちゃんと繋がってますね、この頃は大好きとか書いてましたね」

は「これパッと見た時にヒロヤマガタ+ジェフクーンズで目指せ600万部って凄いウケたんですけど」

中「てかヒロヤマガタの事この時点でここまで考えてたんだって事がわかった。多分方法が最初だったかと思ったってか方法の前に秋山祐徳太子と上野でしゃべった事があってその時にヒロヤマガタ問題って言葉出したのが最初だったみたいな事を前回の文献研究で田村さんの質問に答える形でしゃべってるんですけど、その前にちゃんとこうやって文章にしてましたね」

か「あれですよね、看護婦さんに言われてからその発想が出てきたって事ですよね」

中「そうそう、でその事をきちんとここにかいてますね、注13」

ひ「で世界征服を近代主義、資本主義であり帝国主義であり男根主義であり中心主義であるのです、でそれは音楽家は音楽理論によって科学者は物理法則によってCGアーティストは世界を0と1に還元する事によって日夜世界征服に余念が無いのです、、」

中「って書いてるってことは自覚しているかもしれないって事ですね(笑)だからさっきの注3の自覚してないっていう証拠なのか、こういう風にいってみて問題提起してるのかよく解んなくなってきましたね」

ひ「あ、それで小林よしのりのゴーマニズム宣言を取り上げていて、その下の問い10

と問い11のちょっと」

中「注10?」

ひ「はい、左の10と11だけが冷静な文章というか他はテンションが高い」

中「そうですね(笑)恥ずかしい文章ですね、そうですね」

ひ「あとセカイセイフクがカタカナなのは何か理由があるんでしょうか」

中「えっとどっかからのパロディでは無いとすると、単に強調する気持とおどけて見せる気持が重なった時に片仮名と使う傾向があったと思われます(笑)この頃良く使ってるよね」

か「一番最初の段落でスッゴク面白いのスッゴクっていうのとか」

中「強調と戯けてみたい感覚ですね、スッゴクと同じレベルなんじゃないでしょうかこのセカイセイフクが片仮名になっているのは。だから漢字だと本気すぎるから戯けていみたいって事があったんじゃないかと思います」

ひ「問い、じゃなくて注11のめざせ600万部の”単にそういう気分を表したコピーにすぎないと解釈して下さってかまいません”は実際に大きい数を600万と言っているだけ」

中「そうですね、複数多数でいうと多数って事です」

か「美術の場合って美術館の入場者数でも何万何十万じゃないですか、だから結構難しいっていうか」

中「難しい」

か「難しいですね」

中「逆に言うとね、民主主義的な美術みたいな事を屈託なく信じてたんだと思います、この94年の段階では。だから民主主義っていうのとマスに対して訴えるのが繋がるものみたいな意識だったと思います。だから油彩画みたいな多人展しかないのはそれだけで民主主義的で無いという風に簡単に断罪してた」

は「複製芸術っていう形で出てきた時点であれはやっぱ民主主義っていう考えがついてそれで広まったって感じですよねウォーホールとか」

中「もともと版画の問題なんだよね、デューラーは版画を刷った辺りから、でも浮世絵は民衆、民主主義と民衆がごっちゃになってるかも(笑」

か「版画は民主主義ではありますよね、でも民衆と民主主義の違いって、ああごめんなさい(笑」

中「主義を表す言葉か単にそれらの状態を表す言葉か、市民ていうのと民衆は違うっていうか、国民とか市民とか。民衆っていうと烏合の衆的なニュアンスが含まれてますよね、特権階級じゃない。ここで言ってるのはやっぱりジェフクーンズのコレクターはやっぱり特権階級であるとそうじゃなくて例えばお皿を包むのに浮世絵版画が使われていた様に全然特権階級じゃない民衆の中に入って行く様な芸術の形態を考えてたんだと思いますこの94年の段階では」

か「最近あれですよね特権階級の為の美術っていうかコレクターの為の美術の一方で裾野を広げて行く様な、アートフェアで。そっちは600万部系ですよね」

中「アートフェアはコレクターだけだよね、それよりはむしろ横尾忠則とかがむしろポスターとかあるいはイラストレーションの一部が雑誌とかメディアに載ってそれこそ600万人の人に見てもらえると」

か「村上隆の美術手帳にオマケ付けて出すとかっていうのは、、」

中「赤瀬川源平もオマケ付けて出した事ありますけど、オマケとかはたくさんありますけどでも村上隆の場合はむしろこの前ブルックリンミュージアムで彼の回顧展見た時に非常に素晴らしかったんだけど何が作品かっていうと、すべての作品にちゃんと所蔵先が書いてある。それが僕にはもうわからないんだけどおそらく名立たる特権階級、アメリカの特権階級の人たちとか州とか団体とかの名前ばかりがあって、多分それが一番見せたいんだと思います。その展示だと思います、だから村上隆のやりかたは全く民衆のほうでは無いと思います。アートフェアもそっちの方だと思います」

ひ「ヒロヤマガタとジェフクーンズを足してめざせ600万部ってあるんですけど知名度と作品の値段を足して600万部、、あ、ヒロヤマガタの一般の知名度とジェフクーンズの値段を足して600万部だったら、、」

中「作品の値段は足してないんじゃないかな、足してる?」

ひ「美術の中での知名度、、作品の値段を足して600万部だと思ってそしたら凄い事になるんじゃないかと思ってしまいました」

は「私注の13を読んでよっぽど中ザワさんショックだったのかなと思って」

中「ショックだったよ」

は「これだけ何度も出てくるっていうことは相当ショックを受けたんだと」

中「それはショック受けますね」

は「なんかこの文章看護婦見下した様に見える、、(笑)」

中「見えますね(笑)そっちの意味でまずいよねこれ、男尊女卑的だよね」

は「ショックの恨み辛みが書いてある、看護婦でもわかる芸術とか」

中「でもとかね、こういう言い方が許されるとしたらって言えば許されるのか!って言いたくなるよね(笑)許されてないだろみたいな」

ひ「ヒロヤマガタのファンの人のホームページがあって作品を買ったとか車を売って何々を買ったとか次は働いてこれを買うぞとかありました」

中「ちゃんと人々の幸せに貢献してるんだよね、ヒロヤマガタはだからね、あれは否定出来ない」

か「車を売ってとか、、」

中「自分の生きる目標になったりするんだよね、自分もステップアップして、本当はあれが欲しいけどあれが買えるまでの段階にはなってないから今はこれで満足しているけどもやがてはあの作品が買える位に仕事がんばろうみたいなさ、消して悪い事ではないはず」

ひ「ヒロヤマガタの作品を売って、違うやつを買ったりしています」

中「そうそうそう、そうなんだよ」

は「ヒロヤマガタを検索して、検索して私も見たんだけど、その一方でヒロヤマガタ本人のホームページを見てみたらもう絵のかけらも無くて」

中「レーザー、、」

は「そう(笑)レーザーとかあって」

こ「なんかビーム」

中「だから変わってしまった、僕が前提としている状況が。僕が前提としている条件がどんどん変わって行ってしまう、例えばフロッピーマガジンとかフロッピー無くなるしとか、どんどん変わる、今のうち喋っとかなきゃ」

か「僕もネットでヒロヤマガタ調べたらどっかで版画とかはレーザーをやる金儲けの手段にすぎないって言ってて、凄いなそれでできちゃううんだと、どんだけ儲けたんだよと思いました」

中「儲けたのは儲けたんだけど、そういう風に言う事にしたのも嘘かもしんない、それは両面考えないといけない。その時はこう思ったんだけど後からこういう事にしようとか。てかヒロヤマガタは元々現代美術を凄く意識してるらしくて、ドクメンタの会場のそばで個展やったりしてたんだよ。あのレーザーやる前に。で元々は現代美術の方の作家だった、岡部憲明は仲良くしてたらしい。岡部あおみの旦那、レンゾピアノの弟子、建築家、関空作った人。今度新ロマンスカーのデザインする。」

か「疑問が絶えないんですけど、何で、現代美術が何故って思います」

中「あれはタブーなんだよ、でもそれは注16で書いてるものの感じがちょっとある。イラストをタブーとして成立する美術、ここではイラストというふうに一般的に開いてるしイラストイコールヒロヤマガタじゃないんだけど、ヒロヤマガタをタブーとして成立している現代美術、の業界は。今は違うとしても当時はそうだった。でもそれはタブーとする事が先に結論があって、構造的にその理由は説明できないという状態があったと思います。」

ひ「授業の前に小池さんとたまたま話したんですけど、イラストを美術のタブーとする状況があんまり実感出来ないので、文章やそういう事を実際に言っている人がいるなら見たいと思うんです」

中「例えば美術手帳の90年位のやつで“次号はイラスト特集です”というのがあって、ついに美術によって最も近くて遠いグラフィズムの王国とか何とかを解き明かすとか言って、次号が全然違う特集になってて、当時の編集者の楠見さんがやっぱり出来なかったんですよ、というのがあったりしますよ、というか95年位まではイラストと美術は住み分けてたんですよ。例えば僕の位置もイラストレーターという事で重宝がられたり敬遠されたり仲間はずれにされたりいろいろだったんだけど、奈良美智以降そうとう変わったんですよね。だから奈良美智以降しか知らないんですか」

か「いや、はい」

は「大学の実技の講評の時に“これイラストだよ”というと本当にけなされているというか」

中「けなし言葉だよね、これで話が終わる位だよね」

は「そうそう、今はどう?」

こ「僕講評された事ないからあんまりわからないですね。そういう絵を書いていてイラストとか」

は「“これは駄目だ”の代わりに“これはイラストだ”みたいな使い方をしていましたね」

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中「奈良美智で変わったというのは現代美術史日本編には書いたつもりです。小山登美夫の話を引きながら書いてるつもりですそうか、あんまりピンとこないんだ」

か「若い人でも多いですからね、イラスト的な」

中「今までは不可だった。95年位までは」

か「コンペとかでも多いですよね、入賞しているのとか。その辺でも僕らの世代はイラストをタブーではない感覚はあるかもしれないですね」

中「奈良美智を美術の側から取り込む時に“これはイラストなんじゃないの?”っていって小山登美夫が聞いて、小山登美夫が奈良美智を扱うにあたりずっと疑問に思ってて、はっきりさせておかないといけないなと思って訊いてみたら、奈良さんが“僕は自分の好きな物しか描いた事が無い、自分が描きたいものしか描いた事が無い”って言って、イラストにはまた別の意味として“依頼によって描く”という、そこでまた意味の混同がおきてる。そこで小山さんが“描いてある絵の内容がイラストかどうかではなくて、好きな物を描いたそれで良かったはずだ”初心に返って見るみたいな事を言って、美術で扱いだした。で奈良以降多くなって来た。それ以前は不可でしたよ。むしろイラストレーションのチョイスにはああゆうのたくさんあった。あのレベルのものもたくさんあった。」

か「今後もしかしてヒロヤマガタもタブーじゃなくなるかも(笑」

中「ていうかもうタブーじゃ無いんじゃないの?だって僕がこれを書いた頃はもうヒロヤマガタと聞いただけで耳も心も汚れた様な気分になる。名前を見ただけで目も心も汚された気持になってたけどあなた達はないですね。」

か「どうしてもレーザーとかのイメージもあるし、でももう日本にも来ないですよね、どうなんだろう、けどヒロヤマガタ系の、トーマスマックナイトとか、そっちの方がOKになるのかなという感じで言ってみたんですけど。」

中「なるほどね」

か「こないですかね」

中「来る事もあるかもしれない」

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20090528 文責:平間貴大

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