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 中ザワヒデ
 キ文献研究
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【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

 

二〇〇八年一月二十三日

文献
「Macintoshとデジタルペイント」 『Macworld』1998年2月号 pp.52-55
「Media People Interview 中ザワヒデキ」 『Macworld』1998年2月号 pp.118-121
「芸術特許」 『一冊の本』 2005年8月号 pp.43-45

  この日の文献研究では三次元ペイントソフト・デジタルネンドに関する文献として 「Macintoshとデジタルペイント」、「Media People Interview 中ザワヒデキ」、 「芸術特許」の三本を扱った。総勢四名の中ザワヒデキ文献研究だが、この日は皆藤が 風邪のため欠席し三人での研究となった。中ザワは足掛け数年で書き続けとうとう完成した 『現代美術史日本篇』を持参し、半田と田村が一部づつ購入した。 また、始まる前の雑談で中ザワの会社である(有)アロアロインターナショナルの由来が明らかに された。スネークマンショー関連のレコード作品「ピテカントロプスの逆襲」というものがあり、 そこでアフリカの喉自慢が演じられており、NHK喉自慢よろしく合格者には鐘を鳴らして 祝福するのだが、そのとき「おめでとうございます!アロアロ!」と言うのだという。そんな 調子で今年の文献研究は始まった。

  「Macintoshとデジタルペイント」は文献研究一同にはすでにおなじみになっていた 中ザワの二項対立図式の解説だったために、とくに文献に深く立ち入ることはなかった。二項対立 については中ザワヒデキの五○○○文字の第一回から第三回、なそ説の第二回を参照されたい。

  しかし、文中で用いられている「気合い」という言葉から話が膨らんだ。中ザワによれば 芸術は気合いなのだという。真意をただすと、たとえば「新表現主義」(『美術手帖』1990年7月号、 「アートの言葉」特集)において、新表現主義というのは3分で描いた絵の質云々ではなくあくまで 「3分で書いたっていいじゃないかと言い切ることが大事」と書いているように、 表現者を突き動かし新しい美学を確立させるエネルギーが気合いなのだという。気合いに欠けている 例としてはマニエリスムや写実絵画のようにルーチン化が可能で、かつすでに設定されたゴールに 向かって着々と進んでいくような類の芸術があるという。気合いというものはゴールのないところに ゴールを作り出し、そのゴールへ邁進するエネルギーである。気合いの入った芸術としては未来派が 挙げられた。未来派の航空絵画・航空彫刻・航空詩・航空舞踏のように、航空科学に未だ見ぬ可能性を 発見しとにもかくにも「航空」なんとかと名付けてしまう その興奮こそが気合いなのだという。松沢宥がとにもかくにも「量子」なのも気合いである。こうした 例を出しながら、中ザワは未来を構想しそこへ向かうことがモダニズムであるとし、「モダニズムは 気合いだ」と宣言した。

  「Media People Interview」は中ザワのインタビュー記事で、美術家になるまでの 簡単な来歴と上で扱ったペイント/ドローのに二項対立を扱っている。いずれもすでに確認済みの事項だったために、 ここでは頁端に掲載されているコンピューターの写真のモニター 枠に張られているプリクラの話題が中心となった。このプリクラにはふたりの人影が認められるが、 ひとりは中ザワ、もうひとりは中ザワが94−95年に池松江美と開催していたネット上の 芸術セミナーである「先見ゼミ」の参加者であった新田という男である。もともと池松江美が 雑誌『GOMES』に連載していた「ザッツ先見ゼミ」を中ザワがネット上で実現し、池松が 定期的にお題を出して参加者がそれに答えたものをまた池松が添削するというやりとりがなされた。新田は 後に中ザワを面識を持つようになり、その結果として件のプリクラが生まれたわけだが、そんな 新田が「デジタルネンドはレゴだ」と発言したのが中ザワの印象にとどまりインタビューで引用され ている。なお、先見ゼミのログは伊藤ガビンによって単行本化が企画されたが実現には至らなかった。 また、図版についてもうひとつ触れておくと、119頁の上部は本当は単一曲線シリーズの作品の 図版があったのだが、細すぎて印刷で出なかったためにタイトルだけが掲載されているという 事態になっている。

  プリクラはちょうどレンズ付きフィルムとデジタルカメラの中間に現れたものだ ということからデジカメの話となるが、ここで中ザワは「デジカメ」という言葉を初めに用いたのは 自分なのではないかという持論を主張した。たしかに中ザワのガロでの連載では、 92年の11月号と12月号に「デジカメがほしい」という題でデジカメを待望しており、 データがタダだからこそ駄作がいっぱい撮れるはずと確信し、うっかり入った指が アップでぼやけている写真などのデジカメ駄作の想像図をドット絵で描いていた (翌週に美学校の本棚から件のガロを発見し 一同で確認した)。

  「芸術特許」は、掲載の次の週にナディフで開催される中ザワの特許関連レクチャーの 告知としての意味を持った文章である。にもかかわらず、肝心の場所や時間は特定ずに 「都内表参道の書店で行われる関連レクチャー」とだけ末尾に簡単に書かれているのだが、 それでもこれを読んでレクチャーに来た美術コレクターがいたという。このレクチャーでは ヴォリューム・グラフィクスを研究している筑波大の梅田博士を招いてトークを行い、 中ザワの出願特許によって生じた利益を分配するという証券を「特許の請求項」という作品として 販売した。特許書類の請求項の部分だけを抜き出し、それを4種類のデジタルプリント版画にし、 4枚綴りにされた「特許の請求項」が全部で15組製作され、15万円の価格で販売された。 これはむこう5年分の特許維持費である225万円から逆算されており、証券の販売によって その経費を確保するというものだった。証券は9組が売れ、残りは中ザワが自腹で負担することに なったが、このとき所属するギャラリーセラーは証券の販売収益に一切のマージンを取らずに いたことに中ザワは深い感謝を示した。

  デジタルネンド関連の特許取得は96年から始まっているが、取得・維持にも大変な 経費がかかることから友人知人から度々特許を手放すよう薦められるなど、心労の中で 特許作品を維持しつづけていた。にもかかわらず、特許関連の最近の批判には特許=独占という 定式が根付いており、カンダダでのドミニク・チェンとの対談などではそうした批判を浴びせられ たという。しかし中ザワは、自身の特許作品を今日のバイオテクノロジーにおける特許競争のような 取り分の奪い合いとは区別したいと考えていると述べた。中ザワは、 デジタルネンド関連特許は何もないと思われていた三次元ペイントという地平の存在を公的に知らしめる 制度として特許を用いているのであり、既存の可能性を奪い合うのではなく、むしろ未知の可能性を 開いているのだから社会貢献しているのに、短絡的に「特許=独占」の悪者扱いは心外だと不満を表した。 当文献ではちょうど小説「ダヴィンチ・コード」が流行っていたことからダヴィンチについての言及から 始まるが、そこではダヴィンチの新技術の開発に寄せた情熱が取り上げられており、それもまた 可能性を切り開いていく発明なのだという。ここで先の気合いの話題に立ち戻り、 「発明は気合いだ」というまとめ方となった。この日のキーワードは「気合い」だった。

  今回は全文献がデジタルネンド関係だったので関連文献をまとめておく。 まず、デジタルネンド自体に関してはデジタルネンドのCDに収められているテキストファイル、 コマーシャルフォト別冊に掲載された文章(どの号かは調査中)、ウェブ上の 「デジタルネンドについて」などがある。コンピューター(あるいは道具一般)の 雑貨化についての中ザワの見解は「バカCGのすすめ」に詳しい。また、中ザワは 岩波書店の哲学全集に収められる予定の「芸術の方法と、方法の芸術」という題の文章の 執筆依頼を受けているが、当初の締め切りである2007年8月をとうの昔に踏み越えている (翌週の集まりで中ザワは、ちょうどこの集まりのあと岩波から催促を受けたと発言した)。

  この日は包丁担当の皆藤もいなかったし、時間も押していたことから久しぶりに 外に食べに行こうということになった。美学校校長もお気に入りの大興がすでに店じまいを していたのでその周辺をうろついていると蛍光灯のバックライトで「ホワイトハウス」の 七文字を煌々と輝かせている看板を発見し、何事かと近づいていくと焼き鳥屋であることが 明らかになった。のれんにわざわざ斜め文字で堂々と「チェーン店」と断っているその焼き鳥屋は 神保町のホワイトハウスではなく、銀座・服部という名前であることが判明した。チェーン店らしからぬ こじんまりとしたお座敷で焼き鳥やしょうがの利いたおいしいうどんなどを食しつつ、 半田が『現代美術史日本篇』にサインを請うと、中ザワは「チェーン店にて」という但し書きを 付けてサインを完成させた。

20080213 文責:田村将理

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