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 中ザワヒデ
 キ文献研究
 進行状況逐
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【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

 

二〇〇七年十一月二十一日

文献
「中ザワヒデキの五○○○文字」第三回『広告』1997年9・10月号 pp.55-59
「中ザワヒデキの五○○○文字」第四回『広告』1997年11・12月号 pp.59-63
「中ザワヒデキの五○○○文字」第五回『広告』1997年1・2月号 pp.65-69
「中ザワヒデキの五○○○文字」第六回『広告』1997年3・4月号 pp.65-69
 

  今回の文献研究は前回に引き続き『中ザワヒデキの五○○○文字』を対象とした。 文献研究に先立って、中ザワは前回の報告書にもやはり事実誤認が多いということを指摘し、 一方で具体的訂正に及ぶにも至らないものが多いということで、「条件付許容」という中ザワの 立場をより明示的にするよう提案した。具体的には、「事実誤認がさまざまなレベルで多々ある ことを了承の上で読んでいただく分には公開しておく意義があるとし、公開している」という 中ザワ自身による趣意表明を各回の報告書の冒頭に掲載することであり、これに従い これまでの各報告書の冒頭に新たにその一文を掲載する部分訂正を行っている。

  また、中ザワが前回持参することを約束しながらも失念していたキッズボックスが 今回文献研究の場に持ち込まれ、半田が持参した青森名物「いか姿りんごグミ」を食しながら のキッズボックスの体験会となった。キッズボックスの中にメロンが飛び交うプログラムが あったことから、その制作時期がちょうどオウム事件の最中であって、オウムの 教祖の好物がメロンであった報道を受けてメロンのモチーフが採用されたという経緯が 中ザワから明らかにされた。

  「中ザワヒデキの五○○○文字」第三回については、まず中ザワから、もし 今書くとすれば「ドット」と表現されている箇所を「ピクセル」に変更するだろうという ことが言及された。当時の日本においては「ドット」が主流であったが、英語圏では ドットは円でピクセルが矩形という見方が一般的であるということが明らかになった からとのことであった。また、ビットマップ/オブジェクトの「二項対立」がしばしば 二項を完全に分離してしまうように誤解されることから、中ザワが最近では「棒磁石」 の喩えを好んで用いていると発言した。つまり、あるひとつの場を想定したときに そこに両極が現れるというイメージで、片方だけに切ってしまってもそこにもうひとつの 両極が現れ、もうひとつの棒磁石をつないでもその両端がやはり両極として現れるという フラクタル的な場である。ただし、それでは対立している感じが見えにくくなるという 皆藤の指摘もあり、中ザワはあくまである側面の喩えであると付け加えた。

  第三回では二項対立の相互移行であるキメラの話題が出てくるが、中ザワは 第四回でのモノモニー/ポリフォニー/ハーモニーについての議論がその 具体例になっていると紹介した。また、ビットマップ/オブジェクトの相互移行を 作品化したものが、執筆時点では構想の段階で97年に実現されることになる囲碁を用いた 作品であって、それについての詳しい言及は「なそ説」の第一回にあるとされた。また、 半田は以前中ザワがビットマップ/オブジェクトは相互移行しないほうがいいという旨の 発言をしていたという記憶について中ザワに質問しており、それについて中ザワは、 ビットマップとオブジェクトの各ツールをパッケージのレベルで一体化したスーパー・ペイント のような商品についての話だったと答えた。そうした形での一体化を中ザワは「ラジカセ」的 だと表現し、一緒になっているのは便利だけれど、相互移行は発生していないとしている。

  第三回の結論部分においても改めて中ザワのロマン主義的文体が話題にあがったが、 ここも今書くとすれば「むなしさ」についての言及は不要だろうと中ザワは発言した。また、ここで 言及されているソクラテスについての話題となり、同語反復についての解説をひとしきり 終えた後で中ザワは「ソクラテスはふたつのことを言っている」と発言して次のことを説明した。 ひとつは、「私は何もしらない」という「無知」の表明であり、もうひとつは、「私は 何も知らないということを知っている」という「無知の知」の表明である。そして、「無知の知」 の表明によって、「無知」の領域とは異なるメタ視点への移行が起きている。中ザワによれば、 ダダは同語反復的な無意味さを露呈するという意味で「無知」の提示であるが、ダダイズムとして 「イズム」がつくときには「無知の知」として同語反復の外に出ているという。また、中ザワ自身 にこれを当てはめた場合、方法主義以前は「無知」の提示、方法主義宣言は「無知の知」の提示である とされた。なお、中ザワはこれら「無知」「無知の知」との間に、必ずしも一方が優れていて片方が劣っている ような階層性を規定しているわけではないと付け加えた。また、同じ文中で否定的に触れられている シュールレアリズムについて中ザワは冗談めかしつつ「生理的に嫌い」と発現し、そこに 文学的神秘主義へと発展したイデア論を重ね合わせている。

  また、セクション3の化学と物理についての文章から、「自明」なものはどう現れるかという 話題となった。コンピューターのドットのように、自明としている基礎単位がオブジェクトとして 定義されているように、分析を突き詰めるとオブジェクトに達するという説明が中ザワからなされ、 それにはデジタルネンドについての「膨大な」ネット文献に詳しい議論があると紹介された。 そこからやや脱線しつつ、化学にとっての自明な最小単位である元素を分析する原子物理学の礎となった研究業績を 残した科学者が、物理学ではなく化学としてノーベル賞を受賞したことについていささかの不満を 示したという逸話が紹介され、そのようにビットマップ/オブジェクトの間にはオブジェクトの方が どこか高度であるという通念があるという中ザワの意見が出された。そして、中ザワは絵画における ペインティング/ドローイングだけがその通例に反していると発言しつつ、フィレンツェ派と ヴェネツィア派の関係を考えればそう単純でもないとも付け加えた。

  再び自明性の話題に戻り、ある体系の構成単位の自明性はそれによって成り立っている体系に よって事後的に正当化されているというサプリメンタリティの概念を田村が挙げると、中ザワはライプ ニッツのモナド論ではモナドが自明なものとして与えられており、それ以上の分析を拒むことを明言して いることを挙げた。憲法もそういうものだという田村の意見について、中ザワは『西洋画人列伝』の 第七章冒頭が「民主主義と原子論と同語反復と無意味」についての文献になっていると紹介した。

  ここから話題が流れて、「中ザワヒデキの五○○○文字」はちょうど『西洋画人列伝』を 単行本のためにリライトしていた時期だったことを指摘した。中ザワは単行本の担当編集者であった貝瀬裕一 から「こんなに赤入れられるんだ!」と驚いたというほど文章の校正を受けており、それによって 過度の強調表現を抑えることを学んでいったという。そうした形での文体の変化があり、それは 後に書かれることになる『作曲の領域』に顕著であるという。

  ここから第四回についての談義となるが、まず註の膨大な分量が話題に挙がる。中ザワは、 文字サイズが固定である本文の文字数が限られているときは、本文を減らしてその分文字サイズが不定である (あるいは本文より小さい)註を活用する戦術があるのだと説明した。いっそウィトゲンシュタイン風に まず根本的な主張を羅列してから階層的に註を加える文体で書いたらどうかと田村が提案したが、中ザワの 註はリゾーム状の複雑な関係性を含んでいるからそれとはちょっと方向性が違うということであった。

  こうして註についての話題が本文に先行する流れとなった。 註2で言及されているギターコードについての言及は、実際に<方法> 機関誌上で発表された「バスからバスまでの和声進行 第一番 第二番」という作品に結実していると中ザワは紹介した。 また、註3で示されている総合芸術史への確信は、「「方法」の活動と周縁」(『妃』)で述べられている ものと重複するもので、ここで言及されている「単一原理」という言葉は実際に方法主義第一宣言に姿を現して いると紹介された。中ザワは、言語のシニフィアン/シニフィエへの還元、機能和声の消滅、王権の 衰退と民主主義の勃興などの近代的諸事象の間につながりを見出しており、その見解は『西洋画人列伝』の カンディンスキーの項に詳しいという。余談として、そのカンディンスキーについての文章に<方法>同人の 松井茂が積極的に反応したという話題に触れ、中ザワは「異分野のジャンルの芸術家が根本的なところで 連携しあうことができる」という認識が<方法>の根底にあったことを改めて確認した。そうした態度は 役割分担的なラジカセ総合芸術に対する批判であり、「実験工房はラジカセだった」と発言した。

  第四回を改めて読んでの中ザワの印象は、文字で作曲をするという素材的な目新しさではなくて、 ポリフォニーという形式を例とする「一と多、そして二」という抽象的議論に徹底して力点がおかれていることが おもしろいということだった。ここには、文字による作曲にはウルソナタという先例があるが、 「音響詩で“二”をやっているのは僕が初めて」という中ザワの認識がある。また、セクション2で 触れられている子音と母音についての議論は、「文字の意味と反意味」(『ユリイカ』, 1998年5月号)に 引き継がれていると紹介された。それから、五十音ポリフォニーの音列配置についての話題から、 文中でも言及されているウェーベルンについての話題となった。ウェーベルンと共にシェーンベルクの 弟子であったベルクが、恋人の名前を用いた音列などの「人間的手法」でヒューマニズムの席巻する エコール・ド・パリの時流に乗ったことなどを嘲笑しつつ、ウェーベルンについての中ザワの見解は <方法>機関誌上の「方法主義Q&A」を参照するよう指示があった。

  ここでひとまず休憩をとり、田村が「かぼちゃ」と「パンプキン」の話題を蒸し返す。 これについての先週分の報告上での記述に不満を持っていた半田は、市場に「かぼちゃ」 「パンプキン」としてそれぞれ流通している商品には味の傾向の違いが統計的にも確認できる という反論をし、「かぼちゃ」と「パンプキン」は同語反復ではないかという田村の意見には 反対した。しかし和食の調理に関わっている皆藤は「いっしょだし」「処理のされかたがちがう だけだって」と反論し、半田は、その処理のレベルでの問題として、要は煮付けという処理が苦手 なのだと回答した。しかし、なおも問題は処理そのものではなく処理の質だと見る皆藤は、 一介の和食調理人として「じゃあ来週、煮つけをつくりましょう」という決意を表明した。 ここでちょうど席をはずしていた中ザワが戻り、「パンプキンのシュール煮、ドッグフード和え」という献立を提案する。 そうしたやりとりを経て、ふたたび文献研究を開始した。

  データ/出力についての話題が中心となる第五回について、まず中ザワが、現時点では ここで提案されていることついて積極的に動いていないということを述べた。中ザワはここで展開されている 議論についての立場を変更したわけではなく、いずれスタンダートになりうる形式であるという自負はあるものの、 それが実現するのは少なくとも五十年は先のことだろうという認識であるという。事実として、 二○○六年からの本格絵画においては原則として一点しか出力しておらず、当面の必要としても 優先順位は決して高くないとのことであった。この文章の執筆時期の中ザワはやりたいことがありすぎて すべて実現できないという状態であったらしく、データ/出力の議論もあくまでそのひとつに当たるもので、 それだけを追求するものではないと述べた。だからこそ、たとえばコスースのようにあからさまに反・骨董的な 立場をとることで自分の作品が「反・骨董」という文脈だけに引き寄せられることにも警戒があるという。

  また、第五回のとりわけセクション5での議論は、失われた絵画についてのエッセイである「滅失絵画」 (日経新聞)と関連しているという。中ザワ自身、自らの重要なアクリル絵画作品のうち何点かを阪神大震災で 消失しており、そうした経験がひとつの動機にもなっていると説明された。また、アクリル絵画の時期には 出来上がった一点物について「描いたもんなんか知らないぜ」というアート的態度と「一点ものだから」という 思い入れの間にジレンマがあったという。そして、データというものの登場によって「だいぶ楽になった」と発言した。 作品の記録として写真を撮る場合にもフィルムで感じていた違和感がデジカメではなくなったと発言したが、 フィルムカメラだとピントがうまく合わなかったという微妙な理由も飛び出した。中ザワ若干方向性は似通っているが 完全には同じではないと補足した。また、データの登場については、半田がフォトグラファーズ・ギャラリー周辺での 議論を参照しつつ、ベンヤミンの枠組みでは捉えきれない新しい事象が起きており、そうした問題系への有効な 枠組みとして中ザワの議論を読むことができるだろうと発言した。

  この時点ですでに予定の時間を過ぎており、やや駆け足気味の進行として第六回へと議題が移った。 第六回では記譜と演奏という「作曲の領域」(『ユリイカ』1998年3月号)と共通する話題が例として論じられているが、 実はまったく同時期に書き進められたものだということが明らかになった。この回で松澤宥、河原温、荒川修作を ドロドロとした物質愛からイデア愛へと向かった芸術家の例として挙げているが、中ザワはアクリル絵画から 始まり現在のスタイルに至った自分自身をここに重ねており、名前を連ねたいという意図はあるのかと 田村が問うと「あるよ」としれっと答えた。

  ここで、文中で言及されているフロッピーからデータが読み取れなくなったという逸話から、 フロッピーに話題が流れた。弟がマイコンを所有していた中ザワは、記録媒体がカセットからフロッピーに なったときに弟がフロッピーを「夢のように大きい」と表現したことを思い返している。また、カセット 時代にはデータの記録されたカセットをFMで放送しエアチェックによってゲームなどの プログラムデータを取得する文化があったことに触れ、ダウンロードの原点だと皆藤は深い感動を示した。そこからさらに 記録媒体がパンチ穴の開いた紙だったこともあったという話になった。医学生時代の中ザワが同級生の女性の家に グループ学習目的で訪れたときに、彼女がパンチ穴式のコンピューターを所有していたことを思い返しつつ、 あのころ「オタク」という言葉はなかったがまさに彼女はオタクだったと思い返した。オタクの語源として される「オタクは…」という二人称の呼びかけは事実であったということに触れつつ、中ザワはそうした 人たちはあくまで相手ではなく、相手がもっているデータ・情報に興味があるのだと発言した。

  ここから、遺伝子を本体として人間の身体を乗り物と見なす利己的な遺伝子論の話題となった。 文中で述べら得ている「データの淘汰」という話題も利己的な遺伝子を想起して書かれたものであり、 人間を乗り物として再生産していくような「そういう機能を自分の作品に持たせたい」と中ザワは 発言した。そうした例として、「千の風になって…」という紅白歌合戦にもオペラ歌手を乗り物として 登場した作者不詳の詩が紹介された。実家に戻ったときに実母にその詩を半ば無理やり読まされること となったという半田の逸話を「遺伝子の乗り物となった母親」と表現した中ザワは、その社会現象を まったく知らなかった田村に「もともとは英語の詩で……訳にも何パターンもあり……ある有名詩人の若い ころの作品で……作品としてではなく友人を慰めるために……」などと自らが遺伝子の乗り物となりながら 説明を行った。田村が「抵抗させてくれ」といって話を切ると、第六回のまとめとして、 滅失絵画についてのエッセイはこの「残る/残っちゃう」ということについて考えながら書いている と発言して話題を先に引き継ぎつつ、中ザワは今回の文献研究を終わらせた。

  それから皆藤と田村で来週はかぼちゃの煮つけを作るぞと意気投合し、 忙しさのため一足先に帰路に着いた田村と別れて一同は水道橋のどこかにご飯を食べに行った。

20071121 文責:田村将理

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