- - - - - - - 
 中ザワヒデ
 キ文献研究
 進行状況逐
 次報告
 - - - - - - - 

 

【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

 

二〇〇七年十一月十四日

文献
「中ザワヒデキの五○○○文字」(六回連載)『広告』1997年5・6月号 pp.49-53
「中ザワヒデキの五○○○文字」(六回連載)『広告』1997年7・8月号 pp.53-57

  この日の集まりは、本報告についての議論と『中ザワヒデキの五○○○文字』の文献研究の二つを予定していた。 また、この日から文献を読んでいくペースを落とすことが中ザワによって提案され、『中ザワヒデキの五○○○文字』は 全五回のうちの始めの二回分が今回の研究対象となった。いつものように出席を取り、中ザワの「全員出席」という 発言に皆藤が「というか、休めないですよね」とすかさず付け加える一幕があり、また、中ザワが持参する予定であった キッズボックスを忘れた上にPCを床に落下させるアクシデントがあって、それから本題へと入っていった。 まずは本報告についての議論について整理し、それから文献研究の過程に移っていきたい。

  本報告についての議論では、まず中ザワが十一月十四日分で事実認識のズレが許容範囲を 超えていたということ を指摘した。中ザワは、本報告が誤解を産みうるものであることを覚悟した上で、研究経過を残しておく ことに意義を見出している。その立場から、十月三十一日分の報告は誤解の可能性を孕んだ上でもなお残しておく 意義があると判断しており、一定の訂正を経た上で公開しておきたいと考えていた。一方で、十一月七日分の報告は、 生みうる誤解が訂正可能な範疇を超えており、それならばいっそ公開しない方がいいだろうという見解を示した。それから 中ザワは報告書には「データと与太話さえあればいい」と提案し、データとは何かという問いに対し、データというものは 具体的には文献の題名・掲載媒体・日付であるとされた(これにより、前二回分の報告の日付の下の部分に文献の データを挿入するという訂正を行っている)。報告者である田村は、この発言を受けて、十一月七日分の 報告を全削除ではなく与太話の部分を残した形で再提出することを提案し、中ザワはそれを受諾した。

  こうしたやりとりの後に、プリントアウトされた十月七日分の報告を読みながらの訂正作業が行われた。 具体的な訂正箇所はここでは特定しないが、訂正作業は本サイトの当該報告に反映されている。この訂正作業を 終えてから、中ザワは先週(十一月七日)の文献研究では議論の核心に触れないまま終わってしまったという 印象を受けたことを述べ、『作曲の領域』について(与太話として) 言い足しておくべきこととして次のふたつを述べた。ひとつめは、当文献で特許の例を用いてシュトックハウゼンを 援護しているくだりでは、理論武装することがしばしば否定的に批判されるシュトックハウゼンに中ザワ自身の 立場を重ねているのだということで、これは「他に書く人がいない」(十月三十一日報告を参照)から書かざる をえないという中ザワの文章の性質につながっているという。ふたつめは、「あのナンカロウ」の「あの」がなぜ 何度も繰り返し用られているかということについて、以前中ザワが作曲家の一ノ瀬響に好きな作曲家を尋ねられて ナンカロウと答えた際に「えっ、あのナンカロウ?!」と言われたことがまず念頭にあったことが述べられた。それ からキッズボックスの帯の「あの中ザワヒデキ」というコピーを見てどう判断すればいいものかと逡巡したという。

  こうして訂正の作業を終えて、中ザワはここ二回の文献研究を振り返りながら「もっと丁寧にやった方がいい」 という所感を述べ、文献研究のペースを落とすことを提案した。また、文献研究では中ザワの文章の掲載されたものを コピー機で複製して用いているが、一枚あたり二頁分コピーするそれまでのやり方から、一枚あたり一頁をコピーするように 提案を出した。それから休憩に入り、先週皆藤が中ザワから借りていたシュトックハウゼンやジェームズ・テニー、 ハリー・パーチらのCDを返しながら現代音楽についての雑談になり、中ザワは現代音楽について 「快感ないもんねえ、快感感じるけどねえ」と発言している。また、石井香絵による中ザワについての論文を 散見し、その論文を参考文献としてファイル形式で中ザワが参加者一同に配る合意が結ばれた。

  休憩を終え、「焼き芋〜焼き芋〜あったかくておいしい石焼芋はいかがですか」という焼き芋屋台の主張が 響き渡る中、『中ザワヒデキの五○○○文字』についての文献研究が皆藤の司会によって開始された。「ゆっくり やっていきましょう」という中ザワの誘導に従い、皆藤は当文献に振られた各セクションごとに議論を進めること を提案した。内容の再確認になった部分は割愛しながら、この度の研究の成果ならびに与太話を以下にまとめていく。

  セクション1で中ザワは、ペイントツール/ドローツールとしてのワープロというふたつのモデルに対して 表意文字/表音文字という二項対立を対応させているが、中ザワはこの文章を書いていた時点では ハングル文字を意識したことがなかったと発言し、もし今この文章を書くとすれば表意/表音とすっぱりふたつに 分けられないと述べた。ハングルがそれらの中間に位置することの意味を質していくと、中ザワはまず「ハングルは表音 文字なんだけどペイントツールでやったほうがいい言語体系」と述べ、ワープロのペイントツール/ドローツール への適合性を図る基準が「文字の収まるべきスペースの形態」が正方形であるか否かだと説明し、より日常に即した たとえとして方眼の原稿用紙/罫線が提示された。このことに 関連して、タイプライターの発明によってワード単位の言語体系である英語に初めて現れた等幅フォント・クーリエの 話題になり、機械と発想の関連についていくつか言葉が交わされた。また、文字表記における当幅性を発音における 母音と子音の構造と関連させることができるかどうかについて質問が出たが、それは『文字の意味と反意味』に 直接的な議論があるという紹介がなされた。

  それから、文献研究の集まりのときになぜか必ず能勢伊勢夫からBSSが届くことの神秘について中ザワが 考えを巡らせたのちに、セクション3において文体が「ですます」調から「である」調に一変していることに話題が及んだ。 これについて中ザワは、「出だしの文章はみなさんお持ちです」という含み笑いと共に佐野画廊からの作品集の中から 「音の心」(1997)という作品を指し示した。この作品で用いられている文章が、セクション3の「である」調の箇所 の冒頭になっている。「音の心」のために何でもいいから文章が必要になった際に、どうせならば 作品の自己解説になるものとして当の「である」箇所の全体が書かれ、作品にはその冒頭の箇所のみが用いられた。 中ザワにとっても重要な文章でもあり、発表の機会を窺っていたところに「広告」での連載が始まったので、 いい機会だとしてそのまま掲載したのだという。文体が急に変わることについては、元の文章が大事であるから あえて修正しないというこだわりがあったと述べられた。

つづくセクション4はワープロ構想のきっかけについて書いているが、これを久々に読んで中ザワは そういえばそうだったとやや驚いたという。ここではアシスタントの版組がいまひとつだったことが ワープロ構想の契機とされており、そのアシスタントの名前が中ザワの口からとっさに出たことを受けて、 報告者の田村がその名前も書き留めておくべきかどうか尋ねると、「社会的存在じゃない人は匿名にしておこう」という 基準が設定された。なお、その後やや文章を読み進めた中ザワが「一応フォローしてるし、出しても大丈夫かな」と 冗談めかして発言している。

  また、半田はワープロのことが中ザワの履歴にないことについて触れたが、中ザワはそれを 聞いて思い出したように2005年「芸術特許」展の案内に載せられた履歴には「文書処理装置」として 記載されていることを明らかにした。美術作品の文面としてはそれが唯一のもので、執筆活動の中で 触れているのは当文献が唯一であるという。

  セクション5についての議論では、文章のまとめ方にロマンチシズム的な味わいがあるということが話題にあがった。 中ザワによれば「禁欲の効果を知った」きっかけとなる『作曲の領域』の執筆以前であったために、「表現的な」 部分が文全体によく出ているという。たとえば東洋画が西洋画に劣っているという認識が広がることを懸念する一節など について触れ、そこにナショナリズム的な心情があるに違いないと中ザワは一言添えた。 そこから漢字不要論の話となり、中ザワは「ワープロがドローだからじゃない?」と述べて、 ペイント言語である日本語をドロー形式のワープロで使っていることの不便さが深層意識のレベルで 日本語を不便なものと思わせており、それによって日本語不要論が高まってくるに違いない、と言葉を 接ぎつつ、「…っていうふうに今言ってる自分ってナショナリスト?」と自分を指差しながら笑った。

  漢字不要論の話から流れて、人の名前は漢字で見て初めてようやくその人を理解した気分になるという 話が中ザワによってなされた。これを受けて皆藤は中ザワのザワヒデキ部分の漢字を尋ね、澤英樹であることが 明らかになる。ただし、中ザワは幼少期にしばらく「沢」を教えられてそちらで自分を認識していたことを述べ、 それは旧字体で手書き世代であった母親が簡単な字体を好んだせいだろうと補足した。そして、最近の 変な名前の風潮はワープロの影響だろうという意見が中ザワから出され、道具と発想の関わりについて 話題が及んだ。だからこそペイント形式のワープロを「日本語を救うかもしれない」ワープロと して紹介しているのだと中ザワは再び文献に戻りながら、「やはりナショナリストであることが明らかになった」 「ナショナリストとして必要だ」「経歴にも復活させよう」と自ら茶々を入れた。なお、ペイント形式のワープロは 特許になっていないのでよほどのことがないかぎり、やはり経歴には載せないだろうとここで一言付け足した。

  また、本文の右下に掲載されている「20字20行の文字座標作品」は、この原稿執筆の直後に ギャラリーNWハウスで行われた展示には出品されておらず、当文献に掲載されたものが唯一公開されたものであると 中ザワは述べた。 また、この20字20行は原稿用紙を意識したものだという。この作品が「まだ詩に見える」ことから、より美術作品 らしくするためにフラクタル要素を足したものが「29字29行の文字座標作品」として実際に展示されたものであり、 その作品についての中ザワ自身の解説は『なそ説』の第一回にあると紹介された。また、そのギャラリーNWハウスでの 展示をはさむ形で『中ザワヒデキの五○○○文字』第一回と第二回が書かれたことが明らかになった。その 展示を期に、中ザワの経歴における第二期から第三期への移行が行われたという。

  ここでひとまず第一回の全文を読み終え、そこに載せられていた中ザワの経歴の第三期が「電波絵画」 になっていたことに話題が及ぶ。なぜ電波絵画なのかという疑問が浮上し、皆藤はテレビ番組・進め電波少年を 連想したが、中ザワは根元敬によって当時「電波系」という言葉が普及していたと説明した。中ザワは、 第三期の新しい作風がそうした電波系として見られるだろうという予測があり、半ば自虐的に 自ら「電波系っぽいよね」という形の紹介をすることがあったのだと述べた。そして中ザワは当文献第二回に掲載されている 二項対立のダイアグラム(ペイント/オブジェクト、原子論/イデア論、植物/動物などが対置されている)の 「二項対立図式(一部)」の「(一部)」のところを指し示して、「もっとあるのかよ?というかんじでしょ」 と茶化して一同「電波っぽい電波っぽい」と盛り上がった。実際に、斉藤環による 美術手帖での連載『境界線上の美術』が中ザワについて触れた回では「電波」という表現が用いられているという。 なお、執筆時点ではそのギャラリーNWハウスでの展示が行われていないので中ザワは第二期であったはずだが、 個展が予定されていたことから予め第三期と「書いておいた」とのことである。 中ザワは自らの経歴にある第一期・第二期のような期間分けは当文献の経歴が初めてであり、 これは執筆依頼時に編集者からそうした要求を受けたからだと説明した。

  電波絵画の名称が純粋絵画に書き直されている『中ザワヒデキの五○○○文字』第二回についての 議論は、とりわけセクション5のより一層ロマン主義的な論調が話題に挙がった。二項対立から逃れられない ことを述べた文中の「しかし、私はそうと知って諦念する方にリアリティを感じて今まで生きてきた。」という 箇所を仰々しい口調で朗読したあと、中ザワは「そうだったんだあ」と冗談めかして嘆息し、半田は「これ、笑っちゃった」 と相槌をうった。中ザワによれば、この文章が書かれた時期にはまだ<方法>を始めることについての確信に至る以前で、 「逃げたいけど逃げられない」というジレンマを見せることにロマンチシズム的なかっこよさがあるという意識が少しあった という。この時期にはまだ「二項対立を狭苦しい、悪だと考える」時期だったと中ザワは説明し、それを徐々に 消していった結果<方法>に辿り着いたと説明された。

  また、皆藤は文中の「諦念されるはずなのに、諦念されるべきものすらちっとも埋まっていない」という一節の 意図を問うた。中ザワはこの「埋まっていない」というのは「隙間があった」という意味で用いていると説明し、 それはたとえば三次元のビットマップとしてのでデジタルネンドであったりビットマップワープロであると述べた。 そうした本来ならば誰かが埋めなければいけない隙間がまだ残っていたのがデジタル環境で、それが アナログ世界とはまったく異なるものとして目前に現れたという感覚が90年代初頭から出てきて (「だって、デジタルだからねえ!、というかんじ」と中ザワは説明した)、それは当文献の執筆された 一九九七年でもまだ有効だったと中ザワは回想した。また、そうした未開拓な領域として捉えられていた デジタル環境もやはり二項対立の再言及だろうというのがそこで提示されている結論だと中ザワは説明した。 なお、こうした中ザワの諦念の姿勢は、千葉成夫が雑誌LRに書いた文章で「明るい諦念」「諦念のリアリティ」と 表現していると中ザワは付け加えた。

  ここで諦念についての話題から文中でも触れている ダダイズムについての話題に及んだ。ダダイズムが自殺を行うのは 否定という原則が自分自身に及んでくるという「究極のモダニズム、還元主義が起きている」と中ザワは説明した。 ここで中ザワは自分の立てた原則が自分自身に及んでくることを「同語反復」と表現したが、それについて 田村が「自己言及」のことかと問うと、中ザワは「自己言及と同語反復がつながっていく回路があると思っている」 とまず述べて、「同語反復」が「自己言及」の代わりにぽっと出てきたのだと説明した。同語反復については 第二回方法鼎談が最良の文献であると中ザワは紹介し、いずれ文献研究の対象にしようと提案した。

  また、諦念についての一節ではダダイスト、ミニマリスト、シミュレーショニスト、イラストレーターが 言及されているが、これらは中ザワの循環史観の中ではダダイスト/ミニマリスト/シミュレーショニスト・ イラストレーターが三つの時代区分を形成し、循環的に訪れているのだと説明された。主体性・オリジナリティの否定 (「主体性がないから他人に従おう」)としてのシミュレーショニストに イラストレーターを併置する中ザワの議論は、中ザワにとって重要な議論であるにも関わらず、 なかなか美術界で理解されていなかったように思うと中ザワは所感を述べた。一方で、滋賀県立美術館で 企画されたコピーの時代という展示のカタログでは出品者でない中ザワについて「中ザワという存在」 という項目を設けてその議論の紹介がなされていると補足された。

  予定の時間を三十分近く過ぎ、そろそろ終わりにしようというところで中ザワは二つ付け足すことがあると 述べた。ひとつは第二回セクション5の「しかもダジャレを楽しむのと同程度に、結構楽しんでしまってすらいる」 という箇所はデリダの脱構築と遊戯性についての議論を暗に参照しているのだという。もうひとつは 『中ザワヒデキの五○○○文字』の内容についての編集者とのやりとりについてであり、まず「何書いてもいいですよ」というので ワープロの出願特許について第一回に書き、「個展について書かなきゃ、ワープロともつながるし」という誘導で 第二回が個展の解説となり、「ビットマップ/オブジェクトの話、読者ついてきてませんよ」ということで第三回に ビットマップ/オブジェクトが主題となったのだという。次回はその第三回から始めるということを一同で確認し、 改めて第二回の結語に目を落とした中ザワが結語の「さてそのつまらなさの先については、私は何も考えていない。」 をやや早口に朗読し、「終わらせ方もロマンチシズムだ」と田村が茶々を入れると、中ザワは「やだやだ」と 苦笑いしながらこの度の文献研究を終わらせた。

  先週は食材がないということで見送りにされた炊飯器が今回ようやく活躍 した。文献研究の始まる前に献立を決めて買っておいた材料で 調理を始めた皆藤と田村を美学校に残して中ザワ・半田は酒類を買いに出た。 皆藤はしめじ・鳥のもも肉・油揚げ・人参を用いた炊き込みご飯を作り、田村は豆腐と牛肉に ひじきを混ぜた和風ハンバーグを作った。コップの裏で包丁を研いでいた皆藤が刃物マニアであったことが判明し、 かぼちゃは食べられないが「パンプキン」なら食べられるという半田の言語的な味覚が先週・先々週に続いて またしても中ザワによって蒸し返された。また、いやがらせ的意味を込めてグミ好きを公称していた中ザワは、 近年のグミに対する認知に反社会性がないということを残念なことだと述べ、「中ザワさん、いやがらせ好き ですよね」と半田が相槌をうつ傍ら、田村がグミを回収した。この日は文献研究の時間が押したために やや忙しい食事となったが、炊き立てのご飯、焼きたてのハンバーグ、よく冷えたビールをほぼすべて胃袋に収めて 各々は岐路についた。

20071119 文責:田村将理

戻る