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 中ザワヒデ
 キ文献研究
 進行状況逐
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【留意事項】
本報告について中ザワヒデキは、事実誤認がさまざまなレベルで多々あることを了承の上で読んでいただく分 には公開しておく意義があるとし、公開している

 

二〇〇七年十月二十四日

  美学校における中ザワヒデキ文献研究講座がこの日より開講された。 現時点での三人の参加者に講師である中ザワを含めた計四名が、 美学校の一室にて様々な議題を巡りつつ活発な意見交換を行った。そうした やりとりの一幕として、文献研究の進行状況をウェブサイト上で公開報告したい という中ザワによる提案があり、本稿はその提案に契機と根拠を与えられてここに書かれている。 文章の構成や記述の領域などについて今後変化する可能性もあるが、 ひとまずは一般的な報告の体裁を整えておくことにする。

  中ザワヒデキ文献研究は指定された中ザワの文献を参加者各人が精読し、 それを元に議論を進めて行く読書会である。しかし初回である今回はあらかじめ 指定された文献もなかったため、当講座の趣意確認、講座の手順確定、参加者各人の自己紹介、今後読んでいくことになる 文献の絞り込みの四つが中心的な議題となった。

  第一に、中ザワにより当講座の方針が説明された。この文献研究の場は、 中ザワが自身の執筆活動を参加者との対話の中で見つめなおしていく機会として位置づけられている。 また、具体的な目標として、中ザワは自身の文献を何らかの形で出版したいと語った。 中ザワは何かしらの方針に沿って取捨選択したものを出版する考えを持っていたが、 取捨選択を行わないアーカイヴとしての文献集もたとえ限定出版でもいいので 編纂するといいという提案も出た。また、いずれの形態にせよ出版における現実的問題となる 執筆物の著作権だが、これは概ね中ザワに帰属しているし、そうでないものも中ザワの 意向によって対応が可能だということが確認された。

  出版の話とやや平行して、当講座で今後読んでいくことになる文献 のコピーを何かしらの形でまとまったパッケージに綴じることを中ザワが提示し、ひとまずの フォーマット設定としてコピー用紙はA4に統一することが定まった。美学校のウェブサイト上での本講座の紹介を プリントアウトしたものを初めの一頁とし、今回中ザワが持参した数頁にわたる文献 リストをそれに続け、それぞれ思い思いのやり方で頁番号を振っていった。これは講座毎に 暫時的に進行する書籍制作の過程となる。

  第二に、講座の手順については、各文献に対して参加者が任意で担当を定め、担当文献のまとめを発表した後に 中ザワならび参加者による議論に移行するという案が採択された。中ザワと参加者のやりとりから 読書会というのは酒を飲むものか否かという論点も浮上したが、結論は留保された。

  第三に、参加者の自己紹介であるが、すでに中ザワと面識のあった参加者であるHは通常勤務の傍ら 非営利芸術団体において企画運営を担うと共に写真を用いた作品を制作をしている女性である。中ザワとの 事前の面識がなかった二人のうち、Kは大学でドイツ語を修める傍ら内海信彦に絵画を学び すでに作家として個展を開催している。残るTはhtmlを偏愛するただのごくつぶしだが、さしあたり研究報告の 暫時的担当になっている。 ここですでに顕著なように、当報告は担当者による主観的バイアスが強くかかってしまうことを記しておきたい。

  自己紹介を終えると中ザワによって参加者たちの連絡先が集められ、その一方で参加者は中ザワの名刺を入手したが、 Hの指摘により中ザワの名詞に紙が厚かった期/紙が薄くなった期の歴史的断絶があることが図らずも明らかに なる。文献研究との関連性が稀薄である名詞素材の変遷はともかくとして、肝心の中ザワの作家的変遷についての 認識が参加者間で共有されていなかったことが明らかになったため、 中ザワ自身の解説による作品紹介が急遽行われる運びとなった。中ザワ自身の区分によるプレ期(油彩・アクリル)/ バカCG期/方法絵画期/本格絵画期の作品を時系列に添いながら閲覧していく中で、 それぞれの区分を橋渡しした契機や認識の変化などについての貴重な情報が開示された。以下の段落に 中ザワによる解説をまとめておくが、要約にはTによるバイアスが少なからずかかっていることを改めて 強調しておきたい。

  アクリル期からバカCG期への移行にやや先行して、中ザワは 医師としてのキャリアに決別を迎えている。先輩の医師によって医学と美術の両立の可否を問われた 中ザワは、視力検査ボードをアクリル画材で再現した作品で「これが両立だ」と応えるものの、 その後結果的に美術家としての道を選んでいる。この視力検査ボードを題材にした作品は、中ザワが構造の模写へ 関わっていくひとつの契機にもなっており、この流れの先にプレ期の最後に位置づけられている1989年の 『近代美術史テキスト』がある。これは中ザワがそれまで作品から遠ざけていた言葉/テキストに異なる 態度で向き合った瞬間として説明された。バカCG期はアーティストとしての内発的な動機に従い制作するのではなく、 イラストレーターとして受注中心の制作態度に徹していた時代であるが、1996年の「デジタルネンド」の 特許出願を機に作家としての自我を再発見したとされている。この点は簡単に言及されたのみで、 詳細については中ザワによる特許についての文献の議論を通じて明らかになると説明された。続く 方法絵画は作品の同一性を抽象的構成に置いており、<集合>作品シリーズのように 同一の抽象的構成を視覚表現と音声表現という異なる物質的支持体に投影することによって作品の イデア的同一性が相補的に説明される。こうした作品の同一性根拠が、抽象的構成から物質的支持体へ と移行することによって中ザワは現在の本格絵画期へと移っていく。しかし、こうした移行についての 内面的動機は今回は多くは語られなかった。

  他にもフラクタル、トポロジー、身体性、点描/線描など様々なキーワードが論点として浮上したが、駆け足の 紹介であったために深い議論は後の機会へと譲られることとなった。また、中ザワによる 「これから絵も描くことになっている」という発言もあった。「ことになっている」という 微妙な表現の真意を問うと、中ザワの作家的変遷に何らかの形で補説的に働くものとしてそれが 位置づけられているという返答を受けた。そうして次第に雑談へと突入し、中ザワが循環 史観者であった話や、本講座に先立って募集された二度の中ザワ講座が二度とも参加者が 集まらずに実現しなかった話などを経て休憩を取った。

  第四に、文献の選考にあたった。まず、全文献を走破するか否かという問いがなされた。 現時点ではその可能性は否定されていないものの、ひとまず主題に沿って取捨選択を行うことへの了解が持たれている。 今回中ザワは『近代美術史テキスト』(1989, トムズボックス)、『中ザワヒデキの五千文字』(1995-97, 雑誌『広告』連載)、 『作曲の領域―シュトックハウゼン、ナンカロウ―』 (1998,雑誌『ユリイカ』3月号掲載)、 『西洋画人列伝』(2001, NTT出版)、『「方法」の活動と終焉』(2005, 雑誌『妃』収録) を持参しており、そこから次週の文献をひとまず人数分で三つ選ぶ運びとなった。 なお、中ザワが持参した文献の組み合わせには何かしら積極的な意図に加えて、ちょうど手元にあったものを 持参したという意味合いもある。中ザワの意見を窺いつつ、次週の参考文献として 『「方法」の活動と終焉』『中ザワヒデキの五千文字』『作曲の領域』が選ばれ、それぞれをH・K・Tが担当する こととなった。参考文献の分量については未だ実験段階であり、次週の状況を参考にしてその多寡を 調整することになっている。すでに翌日、議論の密度を確保するという理由から『作曲の領域』を次次週に回す調整が メールを通じてなされている。

  講座の時間を終えて神保町の韓国料理店へ足を伸ばし食事を囲んでの第二幕を開始した。 それぞれがコチュジャンクッパ・石焼ビビンバ・豚キムチ丼・「当店人気ナンバーワンメニュー」(正式名称を失念)を 注文し、中ザワによるなにやらそれらしい前口上に続く「単行本作るぞー」という掛け声を合図にマッコリを啜り合った。 酒の話から中ザワの作品である方法カクテルについての話になり、 組み合わせについての数学的談義へと派生するなど食事中でも文献研究への関心が絶えることはなかった。 美学校の歴史的転回を広告の修辞的表現の観点から批判的に考察する一幕を経て、青林堂の歴史や 美学校校長のモノマネなどで大いに盛り上がる。宴もたけなわという段階においてKとTの趣味が共に料理であることが判明し、 夕食を調理する無賃労働力が確保された。これによって、美学校の調理施設を活用してより安価で良質な食事が提供される 可能性が開かれ、文献研究の場に更なる豊かさの訪れが期待されている。

20071026 文責:T

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