方法 第7号 2001年3月3日発行

ゲスト=石井辰彦

ほぼ隔月刊・配信誌「方法」は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の
探求と誌上発表を目的として、電子メールで無料配信する転送自由の機関誌です。
不要な方、重複受信された方はご一報くだされば対処いたします。
* 方法主義宣言、同第二宣言 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/
* 方法 同人=中ザワヒデキ(美術家)、松井 茂(詩人)、足立智美(音楽家)

巻頭言  松井 茂
ゲスト原稿  短歌という方法  石井辰彦
ゲスト作品  翡翠の墓  石井辰彦
同人原稿 方法主義確認、アイロニー  中ザワヒデキ
     「純粋詩」について  松井 茂
     『方法主義第二宣言』解題  足立智美
同人作品 バスからバスまでの和音進行第一番、第二番  中ザワヒデキ
     0226〜0303  松井茂
     方法音楽第8番その3  足立智美
お知らせ・編集後記       ↓ 以下、スクロールしてご覧ください ↓



■■方法 第7号 ゲスト=石井辰彦

巻頭言  松井 茂

 二〇〇一年一月一日、足立智美の起草により『方法主義第二宣言』を発表しま
した。そして、本日三月三日から二十五日まで開催される『6th北九州ビエンナー
レ〜ことのはじまり〜』(北九州市立美術館)では、その関連企画として『方法
芸術祭』を行います(3/10市内編、3/11美術館内編)。
 今世紀最初の号となる本誌のゲストは、歌人の石井辰彦氏です。氏が一昨年上
梓した『現代詩としての短歌』は、同時代の諸芸術の文脈に短歌を定置し、伝統
詩型を戦略的に検証した歌論書でした。歌壇では異端視されがちな氏の思考と方
法論にこそ、二十一世紀諸芸の進むべき道があるのではないか……ジャンルを異
にする者としても、そう考えずにはいられません。



■ゲスト原稿と作品

短歌という方法  石井辰彦

 しばしば私は、こう問われる。「短歌などという定型詩を書いていて、窮屈で
はないか? ポエジーの自由な発動が、定型という制約によって阻害されてしま
うのではないか?」と。
 否! こういう問には断固として、否、と答えなければならない。定型とは、
文学的なひとつの方法、それも極めて有効な方法にほかならないのだから。定型
詩は、それぞれの言語の詩的能力を最大限に引き出すための、歴史的蓄積に裏打
された文学的一方法なのであって、巧みに使いこなす者にとっては、それは障碍
になるどころか、強力な文学的武器となるものなのである。
 短歌という定型詩は、その成立を『萬葉集』初期と考えれば、千五百年を優に
超える歴史を刻んできたことになる。有効な方法だと認められ続けてきたわけだ。
しかもその歴史の中で、さまざまな技法を導入し発展させてもきた。ほぼ三十一
音節からなり、それが通常五・七・五・七・七の五つの句に分けられる、といっ
た基礎的な構造の整備に加え、掛詞・歌枕・縁語・本歌取などといったさまざま
な技法を開発し定着させてきたのである。方法を技法の集積と考えるなら、文学
的技法の宝庫と呼び得る短歌は、実に強力な文学的方法だったわけだ。
 さらに短歌は、正岡子規のいわゆる短歌革新以後、約一世紀の間に急激な変貌
を遂げてきたのであって、連作・引用・句読点・句跨り・語割れなど、さまざま
な技法を新たに獲得したのである。短歌をつくる者は、そういった大小さまざま
な技法を繰り出すことによって、自己のポエジーを容易に、技法の蓄積という点
で短歌にはるかに遅れをとっているいわゆる現代詩の作者などと較べればはるか
に容易に、表現することが可能なのだ。短歌という定型は、現時点においてもな
お、有効な文学的方法たり得ているのである。
 方法という単語は、ヨーロッパの言語、たとえば英語では method となるが、
その語源はギリシア語の methodos だ。これは meta とhodos (= way) が合成さ
れた単語で、meta を after と解釈すれば、原義は「道に従って」となる。しか
し meta を beyond と解釈すれば、「道を超えて」ということになるだろう。短
歌において道とは、おそらくは伝統と読み替え得るなにものかだ、と考えるなら、
短歌という方法は、伝統に従いつつ伝統を超える、藝術本来の在り方に忠実な方
法だ、ということにならないだろうか。短歌は、文学における方法のひとつの理
想型なのであり、方法が藝術そのものの謂であることを示してもいるのである。


翡翠の墓  石井辰彦
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/poetatsu.html
一般的な歌人がその使用に二の足を踏んでいるものを含むさまざまな技法を駆使
した、新作短歌である。作品の背後にあって今や不可視の状態にあるこの連作の
基本的設計図は、職業上の秘密として公開しないままでおこう。なお、読者がこ
こに最近のハワイでの不幸な事件の余響を聞き取るのは、自由である。



■同人原稿と作品

方法主義確認、アイロニー  中ザワヒデキ

 昨年元旦、私の起草により『方法絵画、方法詩、方法音楽』(方法主義第一宣
言)を、本年元旦、足立智美の起草により『方法主義第二宣言』を発表した。
 第一宣言は、私の本意としては権威主義の復活であり、権威のよりどころを論
理と策定したものであった。図式的には、十八世紀後葉のフランスでロココの放
縦を批判して登場した新古典主義と類似するという自覚があった。
 ところが第一宣言の文面は、読みようによっては、権威主義のあからさまな肯
定ではなく、快楽主義が惹起する暴力よりは論理主義が惹起する暴力の方が「ま
し」であるとする指摘であるとも取れる。ということは、第一宣言の文面を生か
したまま、ある種の注釈を施す作業によって、私の本意からすれば換骨奪胎とも
取れるような読みの限定が図れるということだ。足立が第二宣言で行ったのはそ
のことである。すなわちそこではいかなる権威主義の復活も目論まれていない。
 以上は確認事項である。第二宣言補遺や、『美術手帖』一月号掲載の『鼎談』
も併せ読めば、私の本意が第一宣言の時のままであることも確認いただける。
 ところで、いくら私の本意が第一宣言の時のままであるとはいっても、足立が
指摘するところのロマン主義的アイロニーは、確かに自身の芸術の成立ポイント
とするべきではない。また、確かに論理のみの屹立にとって、余計なものである。
アイロニーの肯定性を疑問視するわけではなくても、結局、アイロニーを惹起し
ないための方策を練らなければならなくなり、結局、第二宣言の「同語反復の絶
対を瞬間においてのみ語れ」との具体的記述を参照しなければならなくなる。
 その際、第二宣言の思想は関知せず方策のみ甘受しようとしても、同語反復の
瞬間への限定は、必然的に「衰弱に向かえ」を演繹するだろう。つまりは思想を
随伴する。当然それは権威主義とは相容れず、第一宣言での私の本意と矛盾する。
 そう、その矛盾に気づいていたからこそ、第一宣言の文面は読み替え可能性を
秘めたまま発表されなくてはならなかったのだ。もっとも、この話も前述の『鼎
談』で既に交わされた内容であり、ひいては方法主義自体の確認事項にすぎない。


「純粋詩」について  松井茂

「純粋詩」について考えてみたい。このことは、定型詩ではなく自由詩と一般に
呼ばれている現代詩において、本来、常に問われるべき課題だ。何をもってその
作品が詩と呼べるかに関わるからだ。今年に入って「音数律を失った詩の枠組み
は比喩である」とする吉本隆明と、「詩は一作品ごとになんらかの鋳型を持つ」
とする藤井貞和に依拠した「純粋詩」作品の実作を試みている(作品参照)。
 まず拙作では、「一」「二」「三」という三つの漢字が使用されている。三項
を使用することは、吉本の論からの演繹による。吉本の論は、意味を変えずにバ
ラエティを増大させる比喩表現に詩の「価値」を見出す。これは主に近代詩が志
向した詩の立場といえる。この論から演繹したのは、詩は比喩表現であり、「A
のようなB」という型を詩の構文、あるいは詩そのものとみなすことだ。これを
「A」「B」の二項と、二項間にあってその関係性を定義する「のような」の三項
の記号に置換する。この三項が「純粋詩」の極小の単位となるだろう。
 三項の記号に漢字を使用したのは、日本の詩の表記の来歴をは、当初から漢字
を使用していたという至極当然の理由による。選択された「一」「二」「三」は、
漢字として指示に分類され、それぞれが概念によって人為的に作字されているこ
と、画数と意味と形態が極めて緊密な関係を持つことから、完璧な文字(漢字)
と考えられたので使用した。しかしこれらは、比喩表現の便宜的な三項としてあ
るだけなので、他の記号に代替されてもよい。
 次に拙作の枠組みだが、ここでは原稿用紙を前提としており、これは藤井の論
からの演繹による。藤井は、『古日本文学発生論』において「詩は一作品ごとに
なんらかの鋳型を持ち、次作を提出する際には、前作を破壊し新たな鋳型を」と
訴えたのだった。一作品ごとが定型詩であるとするこの論は、自由詩の側から、
短歌や俳句なども、一首、一句ごとに新たな強度を持ち、詩の発生を経験すべき
だという示唆をなげかける。以下に続く
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/chu7.html


『方法主義第二宣言』解題  足立智美

 アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮であるというアドルノのいくぶ
ん知られすぎたテーゼは、もちろん一部の俗流解釈とは異なり、人道主義の見地
から芸術を弾劾したものではない。ブルジョワ的という意味でまったく反動的な
熱意でアドルノが擁護しようとしたものこそ芸術の自律であり、その自律を最果
てまで追いつめたからこそ、アドルノはアウシュヴィッツに直面することになっ
た。アウシュヴィッツとはこの思想家にとって単なる野蛮ではなく、文明/野蛮
の二項対立を決定不能に陥れ、あらゆる批判を飲み込んでしまう野蛮であった。
少なくとも20世紀のモダニズムのひとつの結論としてわれわれはこのアドルノの
苦汁をふたたび噛みしめておこう。昨年一年間私が本誌で展開してきたのは方法
主義あるいはより広義に還元主義を反復のアイロニーから救済する作業である。
力点の相違はあれその主張は還元不可能なものを顕在化させるために還元主義を
発動させるというものである。しかし「還元不可能なもの」は前提とされてはな
らない。なぜならそれは還元主義の不完全性を事前に容認することであるから単
なる還元不全しか引き起こさないのである。「還元不可能なもの」は可能性とし
か語り得ないものである。正直いって私は還元主義がこれからの芸術の原理足り
うるとは考えていないが、この程度の戦略的価値は今なお有していると思う。私
の『方法主義第二宣言』は中ザワによる『方法主義第一宣言』に対する批判的注
釈として起草された。何がどう批判されているかは読めば分かることだからここ
では繰り返さないが、『第一宣言』が前提とする単純化された二元論に抗して、
その批判にはポレミカルな負荷がかけられていることを断っておく。二元論の範
疇に留まることの意義も倫理性も充分承知しているが、しかしアウシュヴィッツ
での二元論の破局を看過することもできないのでありそれこそが歴史を学習する
ことなのだ。アドルノは続ける。批判的精神は、自己満足的に世界を観照して自
己のもとにとどまっている限り、この絶対的物象化に太刀打ちできない。
*引用文はテオドール・アドルノ『プリズメン』(ちくま学芸文庫)より


バスからバスまでの和音進行第一番、第二番  中ザワヒデキ
http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/houhou007.html
形態は旋律、色彩は和音。単色平面が色彩絵画とは言い難いように、単和音の持
続は和声音楽とは言い難い。真の和声音楽を意図した本作では、異なる二個以上
の和音が道路交通に合わせて進行する。その際交通は、ちょうど路線バスの時刻
表のように、ある種のラプラスの悪魔にも似た必然を有するのかもしれないのだ。


0226〜0303  松井茂
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/no3.html
「純粋詩」の実作として2001年1月7日から制作を始めた作品。今回発表する部分
は2月26日から3月3日に制作された。作品解説は今号本文参照。本文でも触れた
が、発表単位は原稿用紙1枚分としている。


方法音楽第8番その3  足立智美
http://www5.ocn.ne.jp/‾atomo/houhou/work7.html
楽譜。『方法 第1号』発表作品の改作。



■お知らせ

(石井辰彦)
・2001年 4月28日(土)午後2時から6時まで、東京・築地本願寺内ブディストホ
ールで、「連鎖する歌人たち=マラソン・リーディング2001」を開催します。こ
れは石井辰彦著『現代詩としての短歌』(書肆山田刊)をテクストとする連続公
開勉強会のファイナル・イヴェントで、岡井隆はじめ多くの歌人が出演します。
問合わせは事務局・田中槐(E-mail: nino@arashi.cx )まで。また「翡翠の墓」
に続く新作(約100首の連作)は、4月末発売予定の書肆山田の詩誌「るしおる」
第43号に掲載されます。書肆山田のURLは http://www.t3.rim.or.jp/‾shoshi-y/

(中ザワヒデキ)
・会期中に『方法芸術祭』の行われる『6th北九州ビエンナーレ 〜ことのはじま
り〜』(北九州市立美術館 3/3〜3/25)に、川俣正、島袋道浩、セカンド・プラ
ネットとともに出品作家の一人として参加しています。本展での発表に関しては
次のアドレスも参照ください。http://homepage2.nifty.com/method/
・足かけ五年がかりで脱稿した『西洋画人伝』が4月後半にNTT出版から刊行予定。
・5/10からレントゲンクンストラウム(東京)、5/11からギャラリーセラー(名
古屋)で個展予定。佐野画廊(香川)では引き続き8月末日まで個展開催中。

(松井茂)
・5月中に「ミて」同人(新井高子、藤井貞和、松井茂)による朗読会を予定中。
期日場所等は追って告知します。

(足立智美)
・die pratze発行の『inside out with picnic』3-4月号に寄稿。初のダンス論。
・以下主な公演予定。
3.8 足立智美ソロ、土偶、かっぱ(福岡プレアデス)
3.9 足立智美+土偶、一楽儀光ソロ(小倉メガヘルツ)
4.25-26 VACA(山田うん+足立智美)新ユニットの日本初公演(横浜STスポット)
詳しくは http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/a/schedule.html

(方法)
・『6th北九州ビエンナーレ〜ことのはじまり〜』関連企画として『方法芸術祭』
開催。詳細情報は上記中ザワ頁または www.city.kitakyushu.jp/‾k5200020/6th/
3月10日(市内編)北九州市内
3月11日(館内編)北九州市立美術館内
・本誌既刊号(ゲスト=篠原資明、古屋俊彦、三輪眞弘、建畠晢、岡崎乾二郎 
鈴木治行)は以下の頁。 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/haisinsi/
新規に配信を希望される方は、既刊号の要・不要を添えて同人まで連絡下さい。


■編集後記

昨年2月29日にスタートした本誌も今号で一周年を迎え、第一回目となる『方法芸
術祭』開催の運びとなりました。今世紀も「方法」の活動をどうぞよろしくお願
いします。(松井)


■奥付・注意

機関配信誌『方法』 第7号 2001年3月3日発行(ほぼ隔月刊)
中ザワヒデキ nakazawa@aloalo.co.jp http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/
松井茂 shigeru@td5.so-net.ne.jp www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/
足立智美 atomo@theia.ocn.ne.jp http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/

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