方法 第5号 西暦2000年11月11日発行

ゲスト=岡崎乾二郎

ほぼ隔月刊・配信誌「方法」は、方法絵画、方法詩、方法音楽などの方法芸術の
探求と誌上発表を目的として、電子メールで無料配信する転送自由の機関誌です。
不要な方、重複受信された方はご一報くだされば対処いたします。
* 方法主義宣言 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/
* 方法 同人=中ザワヒデキ(美術家)、松井 茂(詩人)、足立智美(音楽家)

巻頭言  中ザワヒデキ
ゲスト原稿  鬼に対する方法  岡崎乾二郎
ゲスト作品  日回り舞台  岡崎乾二郎
同人原稿 加速の要請  中ザワヒデキ
     詩のテキスト  松井 茂
     語り残されたもの 芸術/政治  足立智美
同人作品 巾六高五奥三の異種画素配置第五番  中ザワヒデキ
     「きょう夕刊休みます」による文体練習・1  松井 茂
     文字列生成プログラム 17576個の文字列 2736個の文字列 足立智美
お知らせ・編集後記       ↓ 以下、スクロールしてご覧ください ↓



■■方法 第5号 ゲスト=岡崎乾二郎

巻頭言  中ザワヒデキ

 西暦二千年の秋も深まり、「方法」の活動もあと数ヶ月で一年となります。
 芸術が感覚と論理の関数であるとするならば、今回のゲストの造形作家、岡崎
乾二郎氏の仕事も、感興をそそる長い題名が作品に付される一方で、「史上最強
の芸術理論誌」を発刊したりと、如実にその振幅を体現し続けてきたようにも思
われます。長年の灰塚のプロジェクトの他、著書近刊、個展直前のご多忙中です。
灰塚アースワークプロジェクト http://www.ny.airnet.ne.jp/haizuka/



■ゲスト原稿と作品

鬼に対する方法  岡崎乾二郎

 それが人の作ったものであれ、そうでないものであれ、それが芸術作品とみな
されるかぎり、その作品はなんらかの作意によって統制されているものとみなさ
れる。もちろん、この作意は具体的な作者に帰属させられる必要も必然もないし、
単純に制度と帰されるほど芸術はジャンルとしては安定もしていない。しかし芸
術あるいは、絵画とか彫刻とか装飾とか呼ばれる領域がそこにあると見なされる
だけで、そこにそれを統制しているだろうところのなんらかの自律的形式――様
式が発見されてしまうものである。こうして社会に曖昧なまま、しかし巌として
存在する諸ジャンルでモノを作る――発表するというのは、こうした様式的なメ
カニズムにさらに積極的に自らの脳と身体をさらし、その無意識的な影響に感染
されるにまかすという過程をかならず通過しなければならないものである。では
それからどうするか。芸術の形式に関してはまず古典主義モデルというものがあ
り、これは客体的形式にそれを知覚するところの視点あるいは主体を内在化させ
ようとする。そこに視点や主体的経験の恣意性は発生しない、それどころか作品
は観客がいなくても成立するのである。ロマン主義モデルはまったくこの論理に
依存しつつ、これに対立する。視点や主体的経験の能動性こそが重んじられる。
 けれど、こうした二項対立ははなはだ退屈である。人の関わる文化というもの
は、もっと魔物であり、また一方で人間の抽象能力というものは恐ろしく抽象的
で高度でもありうるからである。
 以下は、連載中の「10+1」誌22号に発表予定の文の部分です:
 様式の問題の核心は、それが言語と同じように、それじたい自律し自動的に展
開していくメカニズムとして、前提され見なされざるをえないところにある。つ
まり個々の作家は意識せずに、様々な様式のメカニズムに影響されてしまってモ
ノを作ってしまっている。そして、にもかかわらず、この原理は決して普遍的で
はなく、かって誰かが作りだした(そういう変な趣味をもった人びとがいた)と
感じられてしまうほどに、きわめて作意的――恣意的なものである他ない。
 つまり様式とは美的判断が入り込めるような問題ではない。得体の知れぬ不合
理に基づくように感じられる形式、それはむしろ迷信や因習に近い。しかし、わ
れわれの日常はこのような、シキタリ――荻生徂徠が見いだした「礼楽」と同等
のモノによってこそ、営まれている。一言でいって、様式とは鬼神の問題に他な
らない。かような様式を作ったのは鬼神というほかないというよりも、様式とは
この不合理きわまりないけれど、排除もしきれない鬼神というほかない存在を、
どう受け入れるかという問題に近いというわけだ。(後半編集部により縮小改変、
全文は右に掲載 http://club1.s-direct.com/users/rubiko/hdk/okazaki.html)


日回り舞台  岡崎乾二郎
http://club1.s-direct.com/users/rubiko/hdk/okazakihouhou/
細かい解説はURL上の岡崎自身による説明およびコンセプトを参照のこと。
この公園設計プロセスの上で考慮しなければならなければならなかったのは、古
来、礼楽といわれてきたもの――芸術と呼ばれるものの、きわめて儀礼的な働き
への対処の方法であり、あるいは礼楽そのものを方法として捉え直すことである。



■同人原稿と作品

加速の要請  中ザワヒデキ

 ロゴスとしての言葉は話者と非話者を分別せざるをえないと考え、以下を導く。
 話者は、言葉に忠実な主体で、混沌を切り分け、名付け、秩序を演繹し、モダ
ニズムのような加速原理を惹起する。非話者は、秩序に先立つ名付けをせず、主
他の別を設けず、生体の死と同値の混沌に滞留する。加速原理の惹起や混沌への
滞留それ自体は悪でも誤でもなく、話者や非話者の糾弾の理由とはならない。
 にもかかわらず、状況に起因するその時々の説得力が、「話者の糾弾」と「非
話者の糾弾」の応酬を思想史上に形づくってきた。その過程で次の四者が現れた。
 一、「『話者の糾弾』のための話者」。彼は話者であり、ミイラとりがミイラ
となっている。二、「『話者の糾弾』のための非話者」。彼が単なる非話者でな
いとしたら、隠者のなりをした話者という矛盾である。三、「『非話者の糾弾』
のための非話者」。彼は積極的な快楽主義者だが、時に自殺を勧める快楽主義的
逆説に向かい、単なる非話者となる。四、「『非話者の糾弾』のための話者」。
彼は積極的な禁欲主義者だが、時に拡大再生産に従事し、単なる話者となる。
 私自身は、このように言葉を発し、芸術家を自認して混沌の切り分けに従事す
る以上、「単なる話者」であることを恐れぬ「『非話者の糾弾』のための話者」
である。それを方法主義と呼んだが、同様に、「単なる非話者」であることを恐
れぬ「『非話者の糾弾』のための非話者」に荷担するとしてもよい。
 その場合、混沌から作品を分別することはなく、作品の作者を自認することも
ない。それでもなお芸術の語を使うには反芸術の標榜か芸術の再定義しかないが、
どちらもトリックだ。非話者の徹底には自殺が手っ取り早く、「真のダダはダダ
を否定する」。それもまたよかろう。
 あるいは「非話者=死」を最終目標に掲げるが、その徹底のため「話者として
の加速」を自殺前にやり尽くさねばならないと規定する方便もある。それは見か
けのみならず、同語反復が方法主義の出発点である以上、内実とも方法主義と変
わらない。かくして方法主義者は、どちらにしろ話者としての加速を要請される。


詩のテキスト  松井 茂

 あるテキストを読み、「意味内容からそれを詩であるかないか云々する」こと
は不可能だ。「その提示方法をもって詩であるかないかをいうしかない」。と、
「方法第2号」に書いた。それについて、もはや繰り言(同語反復!)だが、敷
衍する。
 詩は、〈意味〉という三次元立体(#1)に接近する方法として提示されるもの
であって、テキストの指示表出する内容それ自体を詩とはしない。テキストは、
世界という事象のなんらかの解析結果でしかない。それゆえに、日常の生存にか
かわるような、コミニケーションを試みるための意味内容を伝達する日常語では
ない。方法それ自体を示すためのメディアである。ある出来事に99の方法で接近
することをこころみたレーモン・クノーの『文体練習』(1947/73)、事物、
〈意味〉という三次元立体を構成する無限の視点すべてに立ち描写することをこ
ころみた、谷川俊太郎の『定義』(1975)は、その好例だろう。(#2)
 詩のテキストを“鑑賞”する際によく用いられる「散文的」「韻文的」という
言葉。前者は、たんに意味が理解できる日常語のテキストであるということにす
ぎない。後者は、方法詩としての可能性があるものの、日本語においては七五調
であるということにすぎない。和歌や俳句はたしかに「意味という三次元立体に
接近する方法の提示」のひとつである、否、あった。そう、これらの定型は、そ
れぞれ制度としてある時点(#3)において確立されている。そして、現在その詩
としての使命はすでに終えているだろう(#4)。
 詩には、はじめから指示表出を指向する散文あるいは、韻文のテキストがある
わけではない。〈意味〉という三次元立体に接近する方法で解析されたテキスト
が残される。テキストそれ自体が語りを指向するのであれば、それを詩にしたて
る必要もない。あらゆる詩のテキストは、「散文的」でも「韻文的」でもなく、
ただ「方法的」なのだ。
(各注は、http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/chu.html)


語り残されたもの 芸術/政治  足立智美

 ジャンルの領域確定とその純化を旨とするモダニズム芸術にとって政治は芸術
の外部である。だが芸術と政治の背反は自明ではない。モダニズムを1950〜60年
代のアメリカ美術とそれに随伴するグリーンバーグの形式主義から切り離せば、
さまざまな例を見て取れる。マレーヴィチが白の上に白を描いたのはいつどこで
だったか?「11月グループ」、村山知義、ブレヒトの試みを見よ。彼らが結局は
芸術か政治かの二者択一を強いられたにせよ、これは「モダニズム」以前ではな
い。原理的には1920年代までに還元主義は究極に達しており、50〜60年代のアメ
リカ美術はその反復にすぎないという見方も可能なのだ。この「反復」を進歩と
見なす意識的な歴史操作が実はアメリカ美術の政治性だという皮肉。形式主義と
は還元主義をアメリカに帰属させるための虚構ではなかったか?芸術と政治を唯
一繋ぎうるのは、おそらく1930年代のハイデガーの思想のみであるが、その政治
の美学化はモダニズムによってこそ乗り越えられるべきものである。
 私がここで目的とする思考を明確にするためにも、つい最近まで現代美術界の
流行だったと思われる、ポリティカル・コレクトネスという傾向について簡単に
触れよう。私的な体験のレベルでの政治性に注目すること自体は悪いことではな
いし、身体なり欲望なりに刻印された政治性に目を向けることは、正しい政治学
のありかたである。しかし問題はその正当性が芸術の問題にすり替えられたこと
につきる。問題の所在を明るみに出したかもしれないが、所詮救われたのは芸術
の方だった。そこには論理を体験によって停止させる、あざとい政治がみてとれ
る。それは頽廃した政治芸術、「芸術のための政治」に過ぎず、体験の重視にお
いてそれはちょうど90年代の音楽に現れた、感性至上主義に対応している。
 モダニズム/還元主義芸術が20世紀に語り残したのは、政治と芸術という凡庸
な二元論に回収されることなく、それでも芸術の論理と例えばパレスチナへの想
像力を繋ぐ言葉である。その探究が21世紀に20世紀を反復しないための、ひいて
はモダニズム自体を終焉させるための処方たりうるのではなかろうか。


巾六高五奥三の異種画素配置第五番  中ザワヒデキ
http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/houhou005.html
チェスの駒と違い、囲碁の石はどこでも突然出現できる。ドゥルーズが着目した
この事態は、三次元囲碁ではさらに驚異となる。直方体の内奥の二個の空白を巡
り、碁石群と漢字群が「セキ」を形成する。空白の一個に碁石が出現した途端、
碁石群の死が決定。あるいは漢字が出現すれば漢字群の死。ドラマは内部にある。


「きょう夕刊休みます」による文体練習・1  松井 茂
http://www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/kyou.html
〈意味〉という三次元立体に接近する方法を試みる文体練習。原稿内でも触れた
二人に捧げる作品でもある。テキストは毎日新聞2000年11月3日の第1面にある
「きょう夕刊休みます」の記事による。


文字列生成プログラム「17576個の文字列」「2736個の文字列」 足立智美
http://www5.ocn.ne.jp/~atomo/houhou/work5.html       JavaScript による。
セリーを順列置換とは異なる方法で増殖させる。文字列は単旋律のモデル化であ
る。反復を含まないx個の文字からなるセリーに一個づつ文字を足す。その際y番
目の文字は(y-x)番目あるいは(y-x+1)番目の文字のいずれかである。選択は乱数
を用いて決定する。その反復によって均質なセリーは偏りを帯びる。



■お知らせ

(岡崎乾二郎)
・11月13日より12月2日まで京橋、南天子画廊にて個展を開催いたします。
http://www1.kb-unet.ocn.ne.jp/nantenshi/garou/
・来年1月に筑摩書房より著作「経験の条件」を出版いたします。

(中ザワヒデキ)
・昨秋、岡崎氏が滞在したカナダ、バンフセンターのアーティストインレジデン
スに現在来ています。Eメールアート展開中。受信されたい方は連絡ください。
レジデンスの様子は右から辿れます。http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/
・香川の佐野画廊での個展に『1107枚の硬貨から成る20523円(金額第一番)』
等の新作「金額」シリーズを出品しています。絵の具時代の旧作も預けています。
・名古屋のアート誌「蟋蟀蟋蟀」9号で海上宏美氏(ost-organ)と往復書簡予定。
・来春、北九州市立美術館の「6th北九州ビエンナーレ〜ことのはじまり〜」展
に参加します。私にとってのこのことのはじまりは、昨年初夏に実践したEメー
ルアートでした。日々更新中 http://www.city.kitakyushu.jp/~k5200020/6th/

(松井 茂)
・歌人、俳人が中心のメールマガジン「@ラエティティア」第4号に詩を書きま
した。購読希望の方は以下のアドレスにアクセスしてください。
詳細は、http://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/framepage1.htm
・「かばん」2000年11月号(秋の特集号)で植松大雄『鳥のない鳥籠』の一首評
を書きました。詳細は、http://www02.u-page.so-net.ne.jp/pb3/ryota_an/kaban/
・11月26日(日)15時開演「←→」(ヒダリヤジルシミギヤジルシ)。三軒茶屋
キャロット・タワー4F生活工房。内容は詩と音楽に関わること。音楽家の一ノ瀬
響さんと行います。このイベントは「Pre2001 Project きつねと炭坑」の一環と
して行われます。詳細は、http://www.mmjp.or.jp/pre2001/

(足立智美)
・ホームページが http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/ に移転しました。
・『InterCommunication』35号(11.25発売)の「21世紀のための音楽アルバム」
で「インターメディア/方法音楽」の項を執筆しました。 ・以下ライヴ予定。
11.17 足立智美ソロ(ドイツ、ミュンスター)
11.19 足立智美ソロ(ドイツ、ドルトムント)
12.03 MicrophoneEaters(武蔵小金井アートランド)
12.06 アートノヴァvol.3(浅草AsahiスクエアA)ダンスのための音楽
12.23-24 透視的情動(西荻WENZスタジオ)
詳しくは http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/a/schedule.html

(方法)
・「美術手帖」2001年1月号誌上に「方法」同人三名の鼎談が掲載される予定。
・本誌既刊号(ゲスト=篠原資明、古屋俊彦、三輪眞弘、建畠晢)は以下の頁。
http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/haisinsi/
新規に配信を希望される方は、既刊号の要・不要を添えて同人まで連絡ください。


■編集後記

バンフのレジデンスでは50人ほどの各国のアーティストたちに「Methodicism」
の語を喧伝し、思っていた以上に好感触です。本誌の国際版発刊を検討中です。
次号のゲストは作曲家の鈴木治行氏を予定しています。(中ザワ)

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方法 第5号 西暦2000年11月11日発行(ほぼ隔月刊)
お問い合わせ=TEL/FAX03-5351-6874(アロアロインターナショナル内)
中ザワヒデキ nakazawa@aloalo.co.jp http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/
松井茂 shigeru@td5.so-net.ne.jp www11.u-page.so-net.ne.jp/td5/shigeru/
足立智美 atomo@theia.ocn.ne.jp http://adachi_tomomi.tripod.co.jp/

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